【927】 機関紙「つばめ」に見る国鉄の終末期
◆タイトルに「つばめ」と書きましたが列車の話とはまったく関係がありません。国鉄では、職員向けとして本社広報部の編集による「つばめ」というタブロイド判の機関紙が発行されていました。
たしか週刊だったと思います。職場の個々のロッカーに配られましたが、それを熱心に読みふける機会があったとすれば、給与改定があったときに掲載される新しい給料表くらいではなかったかという印象で、多くはろくに読まれもせずにゴミ箱行きになったのではないかと思います。
昭和51年5月1日付の「つばめ」です。昭和51年度の全国鉄レクリエーション各種大会の日程が決まったこと、そして折しも第400号ということで、「国鉄一家という合言葉で」という朝日新聞OBからの寄稿が第一面を飾っています。
朝日新聞OB氏の記事には「新聞に「国鉄一家」という言葉を多分に批判めいた意味で使っているが、もっともっと自分たちの職場である国鉄を愛してほしいと思う気持ちの人たちが「国鉄一家」という言葉で結びあうことは、誰にはばかる必要もない」と書かれていました。臨時雇用員だった私は、実はこの日に晴れて準職員を拝命し、新規採用職員入社式に出席しました。
そして、その第二面には、当時の交通博物館にC57 135が静態保存されることと、それまで岡崎~北野桝塚間で貨物輸送だけを行っていた国鉄岡多線の北野桝塚~新豊田が延長開業し、岡崎~新豊田間で旅客営業が開始されたことが報じられています。
私が国鉄に就職したのは、蒸気機関車が廃止された直後であり、まだ新線が…