【927】 機関紙「つばめ」に見る国鉄の終末期

◆タイトルに「つばめ」と書きましたが列車の話とはまったく関係がありません。国鉄では、職員向けとして本社広報部の編集による「つばめ」というタブロイド判の機関紙が発行されていました。 たしか週刊だったと思います。職場の個々のロッカーに配られましたが、それを熱心に読みふける機会があったとすれば、給与改定があったときに掲載される新しい給料表くらいではなかったかという印象で、多くはろくに読まれもせずにゴミ箱行きになったのではないかと思います。 昭和51年5月1日付の「つばめ」です。昭和51年度の全国鉄レクリエーション各種大会の日程が決まったこと、そして折しも第400号ということで、「国鉄一家という合言葉で」という朝日新聞OBからの寄稿が第一面を飾っています。 朝日新聞OB氏の記事には「新聞に「国鉄一家」という言葉を多分に批判めいた意味で使っているが、もっともっと自分たちの職場である国鉄を愛してほしいと思う気持ちの人たちが「国鉄一家」という言葉で結びあうことは、誰にはばかる必要もない」と書かれていました。臨時雇用員だった私は、実はこの日に晴れて準職員を拝命し、新規採用職員入社式に出席しました。 そして、その第二面には、当時の交通博物館にC57 135が静態保存されることと、それまで岡崎~北野桝塚間で貨物輸送だけを行っていた国鉄岡多線の北野桝塚~新豊田が延長開業し、岡崎~新豊田間で旅客営業が開始されたことが報じられています。 私が国鉄に就職したのは、蒸気機関車が廃止された直後であり、まだ新線が…

続きを読む

【926】 車検を受けました

アルトに乗り換えて3年になりますので、先日車検を受けました。 最初の車検ですから、それほど整備すべき個所は多くはないでしょうし、どうせ安い車ですから、故障して動かなくなったり危険な目に遭う確率が減ればよいので、経費をかけたくありません。 3年間で走行距離は15,000㎞。この間、エンジンオイルは1回換えただけなので、この際エンジンオイルとオイルフィルターを交換することに決めていました。いちおう10年は乗りたいので、、、 ディーラーから半年前に郵送された案内状では、 軽自動車の車検費用 :78,862円(エンジンオイルとオイルフィルター交換込) 6ヶ月以上前の予約で:▲4,320円 代車不要 : ▲2,160円 重量税免除: ▲6,600円(自分の場合はエコカー減税で0円) と、なりますので、最低でも65,782円必要です。 実はそれより前から、私は複数の車検代行業者さんの新聞チラシなどもチェックしていました。その中で、いつも給油しているGSのチラシによれば、軽自動車の車検費用:43,070円とありました。 「代車なし」「1ヶ月以上前予約」「チラシ持参」による割引3,000円適用後の金額となっていました。つまり車検基本料金が10,000円ということでした。私の場合はエコカー減税による重量税免除分6,600円を差し引くと36,470円でよいことになりますが、エンジンオイルとオイルフィルター交換は当然別としても、整備内容に違いがあることが推察されましたので、そのGSに見積を依…

続きを読む

【925】 国鉄が運んだ新聞・雑誌

鉄道趣味はほんとうに幅広い分野に広がっているもので、鉄道グッズの収集をしている方も多いことでしょう。対象物はさまざまですが、車両に関係するものが人気でしょう。収集の対象にならず、あまり集めたがらない不人気なものであっても、年月が過ぎ去っていくと別の意味での郷愁を感じさせることはあります。国鉄という大組織が解体されて30年以上も過ぎると、国鉄に関する文字が入っているだけで、特に列車や車両にまったく関係のないものでも、「国鉄があったことを忘れるんじゃないぞ」と教えてくれているようにも思えてきます。このところ、そんな収集物をご覧いただいております。 *********************** 私は国鉄に就職してすぐに荷物列車の車内での荷扱業務に従事しました。荷物には、一般の手小荷物のほかに、新聞もありました。 下の画像を見ていただくと「国鉄名局特別扱承認新聞紙」とあります。 (「中日新聞」昭和60年7月31日朝刊の例) そして、こういう特別扱承認新聞紙の輸送は、積載方や輸送方が一般の荷物より優先され、輸送する列車があらかじめ指定されていました。 上の例は、東北本線の103列車(急行「北星」)に連結された荷物車に積み込まれる朝刊包数と行先明細の一部です。(昭和48年10月の通達より) また、定期刊行の雑誌も列車で輸送されていて、下の画像のように、「国鉄東局特別扱承認雑誌」の表示がされています。国鉄時代には貨物以外に「荷物輸送」があり、こうした出版物が列車によって全国に…

続きを読む

【924】 自動車保険を更新

2年前から自動車保険を年間走行距離に合わせた保険料のインターネット契約にしました。以前は勤務していた会社に出入りしていた生命保険の外交員さんを通して契約していたのですが、私は、その会社を退職してから、さまざまな分野で不必要な家計の出費を見直し、自動車保険でも不必要と思われる補償を削って、最小限のオプションを付加する、つまり自動車を買うときと同じような考え方と基準を作って、割安なインターネット契約に切り替えたのです。 昨年は、条件を変えずに更新しましたが、今年2度目の更新手続きをする時期になったので、新たな契約での補償内容はこれまでのままでよいか、その保険会社のサイトを眺めていました。そこで目に留まったのは「やさしい運転キャッシュバック型」という契約でした。これは一般的な保障内容に「やさしい運転特約」を付加した自動車保険ということでした。つまりそれまでと同じ補償内容に上乗せする特約です。 「やさしい運転特約」とは、 1「やさしい運転計測特約」 2「対人諸費用補償特約」 3「人身傷害重度後遺障害時生活支援金補償特約」 以上3つの特約がセットされています。2と3については、ここに補償内容を書くことを省略しますが、興味をひかれたのは1の「やさしい運転計測特約」です。 「やさしい運転計測特約」では、急加速や急減速の発生状況を自動で計測するドライブカウンタが保険会社から送られてきます。それを契約車両に取り付けて運転すると、その結果が100点満点で点数表示され、一定期間(180…

続きを読む

【923】 ~昭和57年秋~ 父の遺品「レールの文鎮」そして・・・

私の父の遺品のなかに、レール文鎮があります。 1982年(昭和57年)は名古屋から建設されてきた中央本線が中津川まで開通して80周年を迎えた年でした。 裏面には父が長年勤務した車掌区の名が入っています。当時の車掌区長の言葉が綴られた手紙もいっしょに箱に収められていました。 この年には多治見~中津川間開通80周年記念乗車券も発売されています。 記念乗車券には、開通日が明治35年12月21日とされていますが、冒頭の画像にあるレールの文鎮には57.11.20のゴム印で日付が入っています。変ですが、ほんとうの開業80年の日は、たぶん12月21日で、レール文鎮の日付は単に配られた日を表しているだけなのだと想像します。 この年11月20日と、その翌21日には中津川駅で記念行事が行われたことが、翌21日の中日新聞記事で報道されています。レール文鎮もこの記念行事に合わせて配布されたのでしょう。 (新聞記事の内容掲載について許可等受けていませんので見出しだけがわかる状態の大きさと範囲の画像としてあります。) 本来12月21日にすべき記念行事を11月20日に早めた理由については新聞記事に触れられていませんでしたが、中津川開業の日は明治35年12月21日であると書かれていました。なぜ記念行事を11月に行ったのか、その背景を探ると、この1982年11月15日にダイヤ改正があり上越新幹線が開業していました。ダイヤ改正後最初の土・日曜が11月20・21日に当たりますから、国鉄としてはダイヤ改正のPRも兼…

続きを読む

【922】 私の自動車遍歴(番外編:レンタカー)

自分が所有した自動車以外に、自分が旅先で乗ったレンタカーの画像もあるのでアップします。 画像をアップするだけですので、試乗レポートの類ではありません。レンタカーを借りたときの旅の記録程度の内容であって、多くは、過去にそのときのことを拙ブログで記事化していますので、文中にその記事へのリンクを貼っておきます。記事化していない旅については、この記事中にそのレンタカーを借りたとき撮影した鉄道関連画像をアップしておきます。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 1984年5月 青森で借りたスプリンター 5月なのに残雪があります。青森から八甲田に登る国道103号線沿いにある雲谷というところで撮影しています。以前に【111】東北への旅・昭和59年で、その日のことを書いていますが、そこから一部をコピペしますと、以下のような状況でした。 「17時ちょうど、駅近くのレンタカー営業所へ行く途中に長い汽笛が聞こえました。さきほどの羊蹄丸7便の出航でした。吐息が白く、レンタカー営業所に着くとストーブが焚かれていて、とても5月とは思えない気候でした。それにレンタカーの営業所の方の電話でのやり取りが日本語とは思えず、聞き取れないので、遠くに来たことが実感できました。」 その翌日から3日間乗ったサニー八甲田、酸ヶ湯から十和田湖へ向かう途中です。そのあと、下北半島大間まで行って青森に戻っています。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 1985年4月 …

続きを読む

【921】 傾いていく国鉄~慰安会ほか

以前、国鉄時代の職場の親睦会の話を書いたことがありますが、そこで公共企業体に職員の慰安旅行などありませんでしたと書きました。しかし福利厚生事業として、私が就職したころには年に1度、夏に家族も参加できる「慰安会」というものがありました。ホールを一定期間貸し切って、芸能ショーを観るもので、その入場券が職員1人につき2枚ずつ配られるというものでした。しかし出演者は有名どころではなく、まだ20代だった私にはまったく興味をそそられるものではありませんでした。 職場に割り当てられる入場券の枚数が、日別・午前午後別に発表され、希望する日に自分の名前を書くのですが、土休日はいつも希望者が多く抽選になり、逆に平日は券が余るようなこともありました。しかし年配の方だと、家族が休みの休日に行きたいという人はおりましたので、「行かないのなら〇日の日曜日に申し込んで、当たったらわしにくれんか。」という方もあって、たいてい私はそういう方にお譲りしていました。 在職中に1度だけ参加したことがあって、そのときの入場券半券がこれです。 昭和54年8月24日  この日は、中部鉄道学園で4か月半にわたる列車掛養成を受けていた期間の最終日で、午前中に修了式がありました。午後はフリーでしたが、翌週からは列車掛見習として貨物専門の車掌区に転勤することになっていましたので、それまで所属していた車掌区に、同じ立場の者と2人で立ち寄って、転勤の挨拶をし、20日に出ていた給料を受け取り、貸与されていた物品を返納してきました。ロッカーの…

続きを読む

【920】 私の自動車遍歴8 アルト L

所有自動車が軽自動車ネイキッド1台だけという生活を始めて14年半経過した2015年。この間に普通車だったらよかったのにと思ったことは特になく、まったく不自由なく暮らしてきました。岐阜県にあった実家が空き家になったことで、ますます自動車での行動範囲は狭くなりました。この際、自動車を持たずに必要な時だけカーシェアリングの活用をする生活もちょっと頭の中をよぎりました。実際に毎日が平穏無事で何事も起こらなければそれでいいのですが、いざというときにさっと乗れることが自家用車の最大のメリットですから、わが家からカーシェアのステーションまでの距離を考えると実用的ではなく、その選択肢は消えました。自家用車は使用頻度が少なくても経費がかかりますが、従来どおり自家用車を保有することにしました。 一般に60歳前後には、無駄がなく実態に合ったタイプの住まいに移り住むか、リフォームをすべき時期だと思います。退職金などまとまった金額を使える時期に、この先お陀仏になるまで耐えうる設備投資をしておくべきで、我が家では、ガス給湯器やエアコン、トイレなど、耐用年数を超えて稼働している住宅設備の取り換えをこの時期に集中して行いました。これらの取り換え後にはランニングコストが少しは軽減し、余裕がない年金生活の負担軽減に寄与するはずです。自家用車も同様な考えで、14年半乗ったネイキッドは不具合も不満もありませんでしたが、この時期に買い換えて10年ほど乗った時点で自動車も自分も耐用年数を迎え、免許証の返納をすれば合理的であります。 …

続きを読む

【919】 駅弁掛紙に見る国鉄のキャンペーンなどのロゴマーク:後篇

先週に引き続いて、国鉄のPRや記念のロゴマークが入った駅弁の掛紙をアップします。 *********************** 「ひかりました こだましました15年」 東海道新幹線の開業15周年。「のぞみ」で就役した300系が過去の車両になって久しいですが、「のぞみ」は国鉄時代にはなくて、「ひかり」が東海道・山陽新幹線の主役でした。 1979年10月9日 名古屋駅 幕の内こだま この駅弁には公私ともによくお世話になりました。この日は約1ヵ月続いた列車掛見習乗務の最終日でした。 「【638】貨車解結通知書の記載事項と編成を照合してみた」と「【640】思い出の乗務列車52:関西本線290列車(八田駅の入換)」で書いた関西本線290列車で、いくつもの駅で慣れない入換作業に従事して、相当に疲れて昼過ぎに仕事が終わり寮に帰りました。翌日は休みでしたから、夕方まで寮で昼寝をしてから家に帰りましたが、家に帰れば両親は夕飯を終えている時間帯でしたし、田舎の駅から家までの帰り道に食べ物を調達できる店などありませんので、家に帰ってからの遅い夕飯用として中央西線の列車に乗り換える合間に買ったものです。 ******************** 「買っておトクなQきっぷSきっぷ」 1985年4月12日 西鹿児島駅「とんこつ弁当」 国鉄の企画乗車券を宣伝しています。ゴム印のようです。印刷でないのはローカルっぽくていいです。年の表示はありませんが、1985年に現地で買ったものです…

続きを読む

ブログ内ラベルリスト