【936】 昭和の自動車よもやま話

それぞれの自動車にいろんな想いがありましたが、国鉄に勤めていたころ、つまり昭和50年代には購入を検討したものの、いろんな理由で買わなかった(買えなかった)自動車も,実はいくつかありました。 【チェリーF-2】 B110サニーの次の自動車として候補に挙げていましたが、チェリーF-2の中古車が出てこないうちに中古カリーナが出たので購入せずに終わりました。B110サニーと同じ日産のA型エンジンは定評がありましたし、中古車なら手ごろな価格で買えそうでした。あのころはまだFR車が主流でしたが、チェリーはエンジン横置FF車で、たしか4輪独立懸架のサスペンションを採用していたと記憶します。 そのあとに乗ったカローラを新車で購入したとき、並行して検討した中の有力候補車がオースターでした。バイオレット・スタンザとともに日産の三つ子車の仲間で、オースターがいちばん若者向けのアレンジになっていました。購入を検討していた時期は昭和53年排ガス規制後で、1気筒に点火プラグが2本ある日産Zエンジンが採用されていました。結局は購入に至らず安価なカローラに落ち着きました。 それ以降に興味を持った自動車たちの一部です。 前に書いたようにワインディングロードによく出向いていた私の用途に適した4WD車とか、車室の高さがあって使い勝手のよさそうな車を検討していました。このほかにもジムニーとかドミンゴ、スプリンターカリブ、シャレードなどなど… 結果的には、サニーカリフォルニアで平成の時代に入り、その後は実用…

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【935】 ノリホ

ノリホとは列車乗車人員報告書のことです。 国鉄時代は大きな駅のホームの柱に、このような「のりほ」「ノリホ入れ」などと書かれたポスト状の挿入口がある小さな箱や、吸い殻入れと間違えそうな空き缶が括り付けてある光景をよく目にしました。最近はあまり鉄道で出かけませんので今でもあるのかどうか知りませんが、下の画像は2014年にJR東日本の某駅ホームで見かけたものです。 近付いてみましょう。 子供のころから「ノリホ」ってなんだろうと思っていた私は、糊に関係があるものかと思っていましたが、ぜんぜん違いました。「乗り報」だったんですね。 乗車人員が、普通車自由席・普通車指定席・グリーン車指定席の順に書かれています。この駅で列車ごとに集約しているのでしょう。乗務中に車掌は乗客数をカウントして、ノリホ用紙に記入して指定された駅で卸します。複数乗務の列車では客扱担務の車掌が記入します。優等列車では車掌長が取りまとめて記入しますので、専務車掌は自分が担当する車両の乗客数を集計して、ノリホ取り卸し指定駅到着前までに車掌長に報告します。列車乗車人員報告を求められる区間は、全区間ではなく、あらかじめ決められていました。また報告する方法も、ノリホ用紙によって駅に報告する区間と、車掌区へ帰区後に備付用紙に車掌が直接記入する区間とがありました。報告する数値は該当区間の最高乗車人員です。 ノリホ用紙によって駅に報告する場合、ホームに出場している駅員がいれば直接渡しますが、列車の停車位置に駅員がいるとは限りませんので、…

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【934】 都府県境の道で(後篇)

かつて都府県境で一時停車して自家用車の記念撮影をしていたことがあるので、そのときの写真をアップしています。今回はその後篇で、昭和末期から平成元年までの国鉄分割民営化前後+今年の画像です。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 1986年2月24日 国道168号線 奈良・和歌山県境 奈良県十津川村と和歌山県本宮町(現在は田辺市)との県境で、熊野川沿いです。現在はこの辺りには新道ができています。十津川周辺の露天風呂を巡ったあと、この県境を通り抜け、川湯温泉に立ち寄り、その日は白浜で一泊しています。このときは、国鉄の車掌時代の先輩2人との3人旅で、このあとこのメンバーでの日帰りまたは一泊の温泉巡りの自動車旅が何度か続きました。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 1987年11月12日 兵庫県道・京都府道11号香美久美浜線 兵庫県・京都府境 兵庫県豊岡市と京都府久美浜町(現在は京丹後市)との府県境、三原峠です。すぐ上に書いた白浜で泊まった温泉メンバー3人で、城崎温泉に行った帰路の撮影です。このあと加悦SL広場に立ち寄り、天橋立を経由して帰っています。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 1988年10月12日 国道18号線 長野県・新潟県境 長野県信濃町と新潟県妙高高原町(現在は妙高市)との県境です。ここも今では妙高野尻バイパスが開通していますので、この撮影場所…

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【933】 ストライキと給料カット

欠乗は、恐ろしいことでしたが、私は意図的に指定された列車の乗務をしなかったことがありました。 そんなことがあるのかと思われるかもしれませんが、国鉄時代を思い出してください。 そう、ストライキのときです。(この画像は、1974年(昭和49年)10月の撮影で、私が国鉄に入る前のものです。) 私は列車掛として貨物列車に乗務していたころのことでした。この日は、稲沢から名古屋経由で関西本線富田まで便乗。富田から8397列車で四日市。折返し1264列車で稲沢。再び東海道本線便乗で名古屋。271列車で笹島。仮眠したあと便乗で稲沢に戻る行路に乗務予定でした。 すでに組合からストライキ指令書を受け取っており、まず、ストライキと関係なく(またはストライキを見込んだ荷主側の都合?)富田からの8397列車が運休との指令が当局側から出たので、出勤時間が変更され遅くなっています。(540M便乗のところ、542Mに変更)出勤時刻には車掌区へ出向くものの、出勤簿に印鑑は押さず直接分会事務室へ行って勤務時間終了までの予定で、その所在車掌区の分会闘争本部の支配下に入りました。ここからがストライキ参加となります。職場での勢力は国労が多数派でしたから、列車掛が出勤していない貨物列車が多かったはずで、ストライキをしていない鉄労の列車掛の列車も、たぶんその多くは、機関士側のストライキで運転できない状況になって、運転休止となったものと思われます。 この日は夕方になって中央の労使交渉で折り合いがついたと見え、ストライキ中止…

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【932】 都府県境の道で(前篇)

若いころの自動車に関することは、最近の車種別連載などのほかにも、かなり前に 【12】自動車 【37】自動車による国道乗りつぶし で、書いています。 かつて都府県境では一時停車して記念撮影をしていたことがあるので、そのときの写真を2回に分けてアップします。以前使用した画像も一部使いまわしますのでご承知ください。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 1978年夏 国道158号線 長野・岐阜県境 長野県安曇村(現在は松本市)、岐阜県丹生川村(現在は高山市)との境、安房峠です。家からの日帰り周回コースを作って、単純に峠越えドライブに行ったときの撮影です。現在は峠の直下を、トンネルで県境を貫く安房峠道路が開通しています。  冒頭のサニーカリフォルニアの画像も同じ場所で、そちらは10年後の1988年6月7日の撮影です。このころは、国鉄時代に同じ職場にいた先輩たち2人といっしょに、自動車であちこちの温泉巡りによく行っていました。その日は長野県側の麓にある中ノ湯温泉の露天風呂に入りました。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 1979年8月 国道360号線 岐阜・富山県境 岐阜県宮川村(現在は飛騨市)、富山県細入村(現在は富山市)との境です。宮川沿いの谷間でしたが、この付近は現在、高山本線に並行して長いトンネルがある新道に切り替えられたようです。高山本線の列車撮影を兼ねてドライブに出かけたときの撮影で…

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【931】 欠乗

先週は、列車が遅れた話をしましたが、車掌のほうが列車に間に合わないこともあります。 乗務員は「遅刻」という言葉を使いませんでした。出勤に遅れたら「出勤遅延」であり、車両のいる場所へ出場するのが遅れれば「出場遅延」であり、結果として乗務すべき列車に乗れなければ「欠乗」と言いました。常に時刻を気にしなくてはならない仕事ですから、それらはすべて「事故」として取り扱われます。 欠乗は乗務員では最も恥ずべきこととされていました。乗務員個人のミスによる原因であれば、どのような場合でも決められた時刻に間に合わなかった事実に対しては厳しい処分があり、その中のひとつである「日勤教育」という懲罰は見せしめ的要素もあって、翌年の昇給はカットされました。 国鉄の乗務員を11年やってきて、転職した先で集合時刻ギリギリに現れる人や、たとえ1~2分であっても遅れてくる人が咎められないのを見ていると、一般社会では「遅刻」に対して寛大なのだと感じました。それが普通なのかもしれませんが、いつでも時刻を気にしながら生きてきた私は、自然と時計は秒単位まで合わせ、風呂に入るときと水仕事以外は、寝床でも腕時計を手放せない習慣が身についてしまって、退職後30年しても直りませんでした。時刻がわからないと不安でたまらないのは、今でも変わりません。そして「欠乗」の夢を車掌は皆見ますし、不思議と退職後でも見ると言います。夢の中では、決まって目の前に見えている列車に追いつこうと走るのに、列車には追いつけず、目が覚めるというものです。 私は、…

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【930】 天生峠越えと白川郷

紅葉の時期でもあるので、飛騨方面に家内と2人でドライブに行くことにして、直前に飛騨市内の宿を予約しました。往復で走行ルートを変えて、なるべくたくさんの道の駅を訪れ、野菜を買い回ることも目的の一つなので、高速道路は使いません。道路地図を見て思いついたルートは、往路をJR高山本線と並行する国道41号線で北上し、帰路は国道360号線~国道156号線(白川村~郡上市経由)という一周ルートでした。このうち国道360号線の飛騨市~白川村の間にある天生峠(あもうとうげ)が、例年積雪がある11月頃から6月頃までは通行止めになるので一年のうち約半分の期間は通行できません。ネット検索してみると今年は雪害箇所が数か所あり、復旧工事をするために昨年から通行止めが継続され、9月25日に開通したばかりであることがわかりました。まもなく積雪があることを考えれば、今年の通行可能期間はわずか2カ月程度というわけで、天生峠越をするにはよい機会になりました。 以前、ブログで20代の頃に峠越えにハマっていたということを書きましたが、当時も天生峠にチャレンジしたいとかねがね思っていました。しかし今より道路事情がよくありませんでしたから、当時同じ岐阜県内に住んでいたにもかかわらず日帰りが難しい位置関係にありました。それでも一度だけ郡上経由で白川村に一泊して、翌日に天生峠越えをするつもりで出かけたことがありましたが、その日のうちに急遽帰らなくてはならない事情ができて、峠の麓にある白川村荻町に着いたあと、そのまま引き返したので、峠には行け…

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【929】 超過勤務手当

当然のことですが、乗務員は終点についたら仕事はそれで完結です。車内巡回が中途半端で、無人駅から乗ったお客さんに切符が書ききれなくても、壊れた冷房がなおっていなくても、乗客と揉めごとがあっても残業があるわけではありません。のちに国鉄を退職して自分の山のよう残った仕事を残業で片付けているときや、朝出勤して前日の取引先とのトラブルの後始末のしかたを考えているときに、後腐れがない仕事とはいいもんだと思ったものです。まあ裏を返せば、乗務員の仕事は、締切日時が絶対に延びない中で完結させるため、後回しとか締切の延長はないわけですから、それはそれで辛い面があるにはあるのですが…。(画像は別に直接本文と関連はありません。) 乗務員に残業はないと書きましたが、列車が遅れれば超過勤務手当は出ます。こんな様式の列車遅延証明書で乗務終了後車掌区に提出しました。 遅れは1か月単位で積算し、30分を境として1時間の超過勤務手当がつくか、手当はナシか運命の分かれ道になります。月初めに25分くらい遅れて、その分の列車遅延報告を出してあれば、月末までにあと数分遅れないかといつも気になりますから、そういう人は遅れろ遅れろと念じますが、なかなかそうはなりません。短時間で折り返す場合は勤務時間が継続しているので、多少遅れても全く勤務時間に関係しません。ただ折り返し駅で駆け足で乗務位置を運転士と入れ替わるわけですから、何の得にもなりません。列車が終点に着いたら寝るだけとか、行路の最後の列車など、勤務時間が連続しない列車でないと超過勤…

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【928】 アルトアレコレ

これまで私が乗り継いだ自動車を晒してきましたが、一般にクルマ好きな人がこだわることにはこだわらず、そうかといって一般受けするオーソドックスな車種選択をしない変人ぶりがお判りかと思います。 このアルト(CVT車の最低グレードの「L」)は、3年前に現金価格+諸費用で959,050円。下取り車価格30,000円とリサイクル料9,050円を差し引いて追金920,000円で購入しました。 現金払いできる範囲でしか物事を考えない私と違って、これを頭金にしてローンを組んで普通車を買う方もあるんでしょうか。前も書いたとおり私はブラックではないですが、所有権留保で自動車を買ったことは一度もありません。じゃあ、もっと現金が用意できたのならグレードの高いのを買ったのか?普通車にしたのか?と聞かれてもそうではなく、同じ車種にして差額は別の物に使うでしょう。 これも前にも書いたことですが、そのときのアルト以外の選択肢はミライースしかありませんでした。居住性、装備、経済性どれを取っても両者に大差はなく、仕事で二十数年間にわたって出張に使ってきた各メーカーのさまざまな軽自動車(すべて最低グレード車)の印象から言えば、どの時代でもいちばんクセがなく運転しやすいと思っていたのがスズキ車でありました。それまで14年半乗ったダイハツのネイキッドには不満はなかったものの、仕事で乗っていた何代目かのダイハツミラのアクセルとブレーキ操作フィーリングが最悪で最後まで馴染めなかった経験が、私の中でのダイハツ車の印象を悪くしてしまい…

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