【955】 中央西線を走った車両15 :電気機関車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 国鉄時代の中央東西線は、ともにEF64(0番台)が大活躍した舞台で、中央西線では中津川電化の1968年から使用されていました。このとき配置された14両のうち新車は2両(29・30)だけで、あとは奥羽本線福島機関区からの転属車(1~12)でした。 EF641[稲一] 1973年10月 急行ちくま2号大阪行 中津川駅 東海道・山陽本線という表舞台で活躍したEF60・61・65・66や、碓氷峠のような特別な区間で活躍したEF62・63などと比べると、EF64はずいぶん地味な機関車だったと思いますし、そもそもD51が消えてからの中央西線自体が撮影者には見向きされにくい線区でした。 EF64が入線する前、1966年の中央西線の瑞浪電化時から1968年の中津川電化時まで、EF60が多治見まで入っていました。このEF60は甲府機関区から稲沢第二機関区へ転属してきたもので、1965年の中央東線松本電化時に吹田第二機関区から甲府機関区に転属して中央東線で活躍を始めたグループでした。勾配線区での制輪子による空気ブレーキのみの制動では問題があったとのことで、「中央西線瑞浪電化用」としてEF64(16~28)が甲府機関区に新製配置され、追い出されたEF6…

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【954】 国鉄の悪弊は解消されたけれど・・・

先週は、いかにも当時の国鉄らしい例をご紹介しました。出札窓口や改札口、車内でも、今では信じられないようなことがあったことは確かで、これもよく言われる国鉄の汚点の一つだと思います。 私が高校生のころ、名古屋起点に紀伊半島を時計回りに一周したときのことです。名古屋始発の夜行急行紀州5号に乗るために、発車時刻の1時間近くも前に名古屋駅に行きました。冬休みに入ったばかりだったので出札窓口はたいへん混雑しており「関西・紀勢方面」の窓口の長い行列に並びました。あのころはコンコースの壁面に長距離切符の出札窓口が方面別にずらりと並んでいました。20分ほども並んだでしょうか。やっと順番が来たので、「発駅:名古屋市内、着駅:名古屋市内(経由:関西・紀勢・阪和・東海道)と書いた父の名前で発行された職員割引証を窓口に出すと、すぐに硬券が発券されたのはいいとしても、「あのねえ、こういう切符買うときは、前もって買わんといかん」と説教するような口調で怒られました。 「こういう切符」というのは、「一周する経路で、しかも職員割引という厄介な切符」という意味であったのでしょうか。それなら、こうして常備券が出てきていますので、結果としては問題なかったように思うのですが、あるいは国鉄職員の家族なのだから、他のお客様のご迷惑にならないように、窓口の空いた時間に前もって買っておけという意味だったのかもしれませんし、その両方だった可能性もあります。いずれにしても、そういう説教じみた応対を受けたことは45年経った今でも忘れることはあ…

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【953】 中央西線を走った車両14 :ディーゼル機関車

中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 昭和40年代の中央西線では、主にSL時代からEL時代へのつなぎ役としてDD51が使用されました。 DD51723[稲一] 1973年5月5日 十二兼~野尻 主に客車列車用として使用され、中央西線全線電化完成の2年前の1971年4月には線内全部の定期客車列車がELまたはDL牽引になり、旅客列車の無煙化が達成されました。 1973年3月 落合川 その定期客車列車のDL化後も客車増結時にD51が補機として使用されることがあり、異動力による機関車牽引の客車列車を見ることがありました。 DD51750[稲一] 1973年5月13日 倉本~上松 また、臨時列車はD51牽引の場合とDD51の場合とがありました。当時はD51に来てほしいと思ったもので、DD51の画像は、D51撮影に行ったついでに撮影したようなものです。ずいぶんDD51に対して失礼な接し方だったわけですが、長い人生の中での関わりがどこにあるかわからないもので、例えば上の列車を牽いているDD51750など、この写真を撮影した7年後、私が国鉄の列車掛をしていた時代には、関西本線の貨物列車で自らがこの機関車のステップに乗って入換作業に従事するという深い付き合いになりま…

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【952】 60歳は「おじいさん」?

【縞の風呂敷を振り分けに、あたふたと待合室へとびこんできた60がらみのおじいさん。額には玉のような汗を浮かべていた。おじいさんは、大きく深呼吸すると、やおら「〇〇行の汽車は何時ですか」と改札氏に尋ねた。肩まであろうかと思われるような長髪をかきあげた改札氏は、さもうるさそうに一べつをくれると、黙して語らず、手にしていた改札鋏をピョンと立てた。 「〇時」という答えを期待していたおじいさんは、何のことかわからず再び尋ねた。 しかしその返事は相変わらず無言のまま再び改札鋏をピョコンとたてたにすぎなかった。 なるほど、改札鋏の指したところを目で追っていくと、それは改札口の上の発車時刻表であった。でも、尋ねたおじいさんは、何のことか一向にわからず、けげんな顔で改札氏からの返事を待っている。】 この文章は、私が列車掛養成課程で教習を受けているときに使ったテキストの中から抜粋したもので、実例かどうかは書いてないですが、ありそうな話ではあります。 そのテキストは接客用のもので、改めて読み返すにつけ、国鉄の恥部をさらされている思いがします。あのころを知っておられる方だとニヤリとするか、忘れていた悪い思い出が蘇って、国鉄職員はカスばっかりだったと改めて怒りをあらわにされる方もあるかもしれません。 このテキストは接客に関することも書かれ、【763】 酔っ払い(>_<)で書いた酔っ払いへの応対事例?として私が以前書いた下敷きの内容も、そのまま掲載されていましたので、このテキストが出典元のよう…

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【951】 中央西線を走った車両13 :気動車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。今回は気動車編です。 私が中央西線で国鉄時代に見た営業用の気動車を列挙してみます。 キハ17・18・20・25・26・28・35・40・48・51・52・55・57・58・65・90・91・180・181 キロ25・27・28・58・180 キサロ90・キサシ180 上の画像は使いまわしですが、1972年10月10日に中央西線の南木曽~十二兼間で撮影した気動車の画像です。キハ26(300番代)+キハ51+キハ51+キハ26(300番代)です。キハ26(300番代)はキロハ25の格下車、一見キハ17と見えるのは2個エンジンのキハ51です。画像は縮小しており判別できないと思いますが、元画像ではキハ17とは窓配置が異なり、戸袋窓の形状で判別できます。 ところで、キハ181系とキハ91系については過去に紹介していますので、 【114】 中央西線を走った車両1:181系気動車(1) 【115】 中央西線を走った車両2:181系気動車(2) 【117】 中央西線を走った車両3:181系気動車(3) 【119】 中央西線を走った車両4:181系気動車(4) 【780】 中央西線を走った車両10:キハ91系気動車 をご参照ください。 このほか、中央西線の気動車列車については、 【907】 下り急行「きそこま」~「…

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【950】 165系電車時代の急行「赤倉」に関することいろいろ

先週は気動車時代の急行「赤倉」号が名古屋に着いた後、その編成を使用して中央西線を折り返した普通気動車列車について書きました。 その赤倉号は、1982年11月の上越新幹線開業に伴うダイヤ改正で165系電車化されました。 このダイヤ改正で急行「赤倉」の運転時刻は変更され、かなりスピードアップしましたが、それまで中央西線で特急に混じって運転されていた定期昼行急行列車「つがいけ」「きそ」は特急化されるなどして、「赤倉」は中央西線唯一の定期昼行急行列車になりました。気動車時代は上下列車とも後続の特急「しなの」に追い抜かれるダイヤでしたが、電車化で下りのみ長野まで追いつかれずに逃げ切れるようになりましたが、停車駅は増えてグリーン車は1両だけになり、中央西線内では、中部日本横断列車ということを除けば、特急の脇役的な色が濃くなりました。 ◆気動車時代の「赤倉」(1982.5)  名古屋10:03-長野14:42-新潟18:17 ◆電車化された「赤倉」(1982.11)  名古屋9:02-長野13:04-新潟16:23 脇役であっても、スピードアップとともに、遅れに遅れていた全車冷房化が達成されたことが最大の改善点だと思われました。 以下、【246】乗務した車両:165系電車(3)ほかで書いた内容と重複する部分があります。 赤倉編成は神領電車区で滞泊するため、上り「赤倉」が名古屋到着後、折り返し普通列車高蔵寺行となり、高蔵寺から再び折り返し神領へ回送されました。ダイヤ改正時に普通車掌だ…

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【949】 中央西線を走った車両12 :蒸気機関車《後篇C12・C56》

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ <C12> C12は主に入換用でしたから、本線上での活躍は限られましたが、中央西線が全線電化された後も中津川と木曽福島両機関区に配置されていました。 中津川機関区所属のC12は、中津川の入換作業に従事していました。 C1269[中]  1973年7月 DL化される直前、中津川での入換作業 そのほか中津川機関区のC12は、恵那から分岐する明知線の貨物列車の仕業も受け持っていましたので、明知線の貨物列車が運転される日には、中津川~恵那間の中央西線本線上を回送されていました。 C1269[中](再掲画像)1972年・月日不明 美乃坂本~恵那 上り定期旅客列車最後部での回送。下りは貨物列車最後部で回送されていた時期もありましたが、回送は、単行機関車列車による時期もありました。最末期は上下列車ともに単行機関車列車のダイヤが引かれていました。 C1269[中] 1973年7月30日 美乃坂本~恵那 この写真を撮影した時点で、すでに中央西線は全線電化されD51は引退していましたから、この単行機関車列車は、木曽福島・上松間に運転されていた木曽福島機関区のC12による単行機関車列車とともに、線内に残された希少な蒸機列車でしたが…

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【948】 思い出の乗務列車67:中央西線普通列車531D&522D

新年から毎木曜日に「中央西線を走った車両たち」について、「国鉄分割民営化まで」のことを書き始めましたので、今回は表題の中央西線の普通列車531Dと522Dに加えて、中央西線に走っていた昼行長距離急行「赤倉」号のことも併せて書いていこうと思います。 1982年9月24日 下り急行「赤倉」落合川~坂下 「赤倉」号は名古屋と新潟を長野経由で直通する気動車急行として1962年にデビューしています。私が車掌になったのは1981年でしたが、そのころは新潟から名古屋に着いた赤倉号2802Dの編成は、すぐ普通列車531Dとして多治見に折り返し、多治見から太多線内を回送され美濃太田機関区で滞泊しました。翌朝は美濃太田始発多治見経由名古屋行普通列車522Dで名古屋。折り返して赤倉号2801Dになって新潟に戻っていました。 この普通列車531Dと522Dの名古屋~多治見間は専務車掌と普通車掌との2人で乗務していました。 急行「赤倉」の所定編成は新潟運転所のキハ58(8両)とキロ28(2両)からなる10両編成でした。 1982年9月29日 下り急行「赤倉」落合川(後方から撮影) このうち指定席はキロ2両とキハ2両で、この4両だけが冷房車で、自由席6両は非冷房でした。2両のグリーン車キロ28のうち1両は自車を含めて3両まで給電可能な4VK冷房電源用エンジンと発電機を搭載した2000番代の車両が使用されて、2両の普通車指定席のキハ58に冷房電源を供給していました。自由席のキハ58は基本的に非冷…

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【947】 中央西線を走った車両11 :蒸気機関車《前篇:D51》

【「中央西線を走った車両」シリーズ記事再開にあたって】 昨年は、子供のころの中央西線との関わりについて書きましたが、カメラを持ち始めたのが中学生からでしたので、それ以前に見たり乗ったりした車両を画像として記録することはできませんでした。残っているネガフィルムは1971年以降ですが、それでもそれから45年以上経過し、国鉄が分割民営化されてからでも30年以上経過していますので、改めて見ると懐かしいと思うだけでなく、そのころの日常が今となっては大袈裟に言えば異次元空間だなと思うことさえあります。「中央西線を走った車両」のシリーズ記事は、これまで1~5(181系DC)・6~9(381系EC)・10(91系DC)で書いてまいりましたので、その続番で継続する形をとりますが、中央西線を走った車両は実に多いので、これまでよりサラッと流す内容として、その代わり中高生時代から国鉄在職中までの個人的な思い出なども織り込もうと思います。また、「乗務した車両」のシリーズ記事で取り上げた車種については、その当該記事の中で中央西線での画像と使用列車などをすでに書いていますので、原則的に新たな記事は起こさず省略とさせていただき、該当記事へのリンクを貼ることにします。また、過去に掲載した画像をいくつか使いまわしで使用しますのでご承知ください。 今回のシリーズで紹介する車両の範囲は「国鉄分割民営化まで」としますが、その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.…

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【946】 2019年 あけましておめでとうございます(^o^)丿

画像は24年前、平成7年亥年用として発売された國盛醸造元の酒ラベルを加工したものです。さすがに猪とか亥を商標にした日本酒は少ないようで、うちのコレクションには見当たりませんでした。 謹んで新年のお祝いを申し上げます。 昨年は何かとお世話になりまして、ありがとうございました。 おかげさまで良き新年を迎えることができました。 本年も昨年同様よろしくお願い申し上げます。 皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたします。               平成三十一年 元旦     ブログ管理人 しなの7号 ◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆                                             ということで、4ヵ月しかない平成31年に突入しました。そこで手元にある鉄道関連画像のうち「31」に関係する鉄道車両を集めてみました。 1994年7月2日 八代 JR九州キハ31です。JR四国とJR北海道のキハ54に正面がそっくりで、国鉄最末期からJR初期にかけて製造された兄弟分であることがわかろうというものです。 2000年9月2日 熊本 電車の211系・213系・415系1500のような関係に似てJR各社で共通顔というのは全国組織国鉄の名残のように思えます。 ◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。…

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