【963】 中央西線を走った車両19 :159系・155系・167系・169系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 159系は大垣電車区に所属した中京地区の修学旅行用電車でした。 この電車は、修学旅行以外にも臨時急行・臨時快速に使用されたほか、定期列車にも153系に代わって運用されることがよくあり、先週書いた中央西線中津川と東海道本線を直通する朝夕1往復の快速列車でも、運用されているのを見たことがありました。 1973年2月26日 快速2636M 美乃坂本 前日夕刻の大垣発中津川行に159系が運用されているのを見て、翌日の朝、登校前に駅まで出かけて撮影した画像です。 ところで、私は中学校の修学旅行で159系に乗った世代ですが、徐々に新幹線に移行し始めるころでした。小学校6年生のときに、まだまだ先の中学校の修学旅行について保護者向けのアンケートがあったことを今でも記憶しているのですが、その内容は、修学旅行で新幹線を使いたいか、それとも従来どおり在来線の修学旅行列車を使いたいかという希望調査でした。従来のように在来線利用なら、修学旅行の行先は箱根と東京だけになるが、往復新幹線を使えば日光まで足を延ばせる。ただし新幹線利用だと、費用負担が1人3000円余計にかかるが、さてどうする?ということでした。私は言うまでもなく「こまどり」がいいと親に伝えました…

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【962】 自動音声による案内放送で思うこと…P.S.ノーサイド

鉄道の車内に限ったことではありませんが、今どきは公共の場で、必要となる情報を自動音声による放送で客に伝えることが多くなりました。通常時は音量が適度でスピーカーなど機器が正しく機能していれば、人の手間をかけることなく、客が知りたいことを正確に伝えられますから、必要に応じて肉声放送を補助的に用いればよいわけです。 愛知環状鉄道2000系です。2005年に行われた「愛・地球博」に対応するために投入され、私は通勤に使っていました。愛知環状鉄道ではワンマン列車がありませんが、開業時に導入された100・200・300形の時代から自動放送が導入されており、この2000系の自動放送は聞き取りやすく私のお気に入りでした。 ところで、国鉄時代に私が乗務していた車両のなかに自動放送の設備があるものはなく、すべてを肉声放送で行っていました。 駅の放送は、国鉄時代から自動化が始まっており、名古屋駅では1982年12月から在来線ホームにも自動放送が導入されました。これによってホーム案内要員が複数のホームを掛け持ちで担当するようになったことで、ホームに案内要員が不在になる時間が大幅に増え、案内要員が受け持っていた終着列車の車内遺失物点検業務が業託化されました。このとき導入された自動音声は不自然極まりない放送でした。 「8、番線、の列車は、 特急、 しなの、 7、号、 長野、 ゆきです」 という調子で、単語で切れている部分が多く、イントネーションもめちゃくちゃで「ほう、長野は雪ですか?」と突っ込みを入れたくなるほど…

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【961】 中央西線を走った車両18 :153系・165系電車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないので、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 153系・165系 1968年に中央西線の瑞浪~中津川間の電化工事が完成した時点から、私の実家の最寄り駅での「電車」との付き合いが始まりました。そのころ古い70系電車と、気動車、機関車牽引の客車列車が混在するなかで出色だったのが、1往復だけあった中津川発着の東海道本線直通快速列車でした。この列車は大曽根~多治見間ノンストップという速達性のほか、大垣電車区の153系8両編成であったことが、「急行」を思わせ、よく乗りました。 1971年4月 中津川発大垣行快速1634M 美乃坂本~恵那 大垣電車区の153系編成の先頭車は、正面が橙色一色の低運転台と高運転台のクハ153が混在していました。ほかにも正面が橙と緑の2色塗装のクハ165が混用されましたので、どの顔が来るのかということも楽しみの一つでありました。 165系による急行が中央西線を走るようになったのは、そのあと1973年の全線電化時からでした。こちらは新たに神領電車区に配置された車両でしたが、すべて他区からの転属車で新車ではありませんでした。 1973年7月21日 上り急行「きそ1号」 恵那駅で 急行では、165系の中間にサハ153が混入することが多く、153系から改造…

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【960】 聴かれていた車内放送

私は子どもの頃、中津川へ親の買い物に付いていくとき、乗った列車では、きまって中津川到着前には、「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴールのあと、連絡する急行列車や北恵那鉄道への乗換案内、切り離す車両があることや停車時間が丁寧に放送されたものです。 車内放送を自分もやってみたいとの思いもあって、子どものころには車内放送の真似をしたこともありました。高校生の頃になってラジカセを持つようになると、旅先で乗った列車の車内放送を録音したこともあります。そのころの録音のうち2列車(上り急行「阿蘇」と、下り急行「だいせん1号」)についてYoutubeにアップしています。それらは拙ブログの過去記事からお聴きいただくことができます。 【701】【名古屋】旧客編成・急行阿蘇【熊本】 【605】山陰旅行の今と過去6:車内放送 国鉄時代の録音をいろいろと再生してみると、放送する人間側の技術にばらつきがあったことを感じます。放送の主や担当する車掌区によって、言い回しなどが微妙に違っていて、非常に聞きやすくわかりやすい内容で感動するような放送があると思えば、その逆の場合もありました。そういうことは地域によって特徴があることも、先週の記事にご投稿いただいたコメントから改めて気付かされたりもしました。また、機器の不具合または整備状況のせいなのか、音量が小さく、または雑音があったりして、まったく意味をなさない車内放送も聴いてきました。言ってみれば均一な品質の放送ができていなかったわけで、放送機器の性能もよくありませ…

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【959】 中央西線を走った車両17 :12系・14系・20系客車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 12系客車は波動輸送用として製造された客車でしたから、中央西線のように季節や曜日による輸送量の増減が激しい線区では、臨時列車を中心によく入線していました。1973年2月3日 急行「ちくま1号」 釜戸駅 1973年5月5日 臨時快速「木曽路」 坂下~落合川 12系客車は定期急行「ちくま」・「きそ」にも使用されるようになりました。「ちくま」では20系寝台車と12系が併結されました。 1986年8月21日 長野で 時刻表を見ますと、1986年の1~2月に臨時急行「なにわ銀嶺」という寝台列車が運転されたことになっています。深夜なので見に行ったわけではありませんが、おそらく宮原の20系で運転されたのではないかと思います。中央西線の定期列車で座席車がない寝台列車はなかったので、一般客扱列車としての寝台列車は珍しいと思います。時刻表画像は1985~1986年(60.3改正時)冬版名古屋鉄道管理局ポケット時刻表の臨時列車ページです。大阪発妙高高原行で運転日は1/31・2/14・2/28でした。(折り返しは2/2・2/16の運転)。その前年の冬にも臨時急行「なにわ銀嶺」は時刻表の臨時列車ページに名を連ねていますが、全車普通車座席指定となっています…

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【958】 改めたい放送(国鉄時代のテキストより)

国鉄時代のテキストに書かれていたことについて連載しています。 改めたい放送例が書かれており、どうすればよいかが書かれています。以下、抜粋です。 <左:改めたいことば→右:適切なことば>  公衆電報→電 報  陸 橋→ 橋  着発線→のりば(又は〇番ホーム)  余 席→座席がある  接 続→連 絡  解 放→切りはなす  増 結→つなぐ・つける  運転休止→運転しない・運転をやめる  踏切障害→踏切事故  国鉄自動車→国鉄バス  110分→1時間50分 以上は、部内用語や専門用語なので、ことばにすると伝わりにくいということでしょうか。他にも、  にて→で  より→から  お越しください→おいでください  清掃→そうじ  たいへんながらく→たいへん(長らくは使わない)  悪いこと→よくないこと などと、私には説明できませんが口語体の日本語としてのあり方みたいなことでしょうか。果たして自分がどこまで忠実だったかは、何とも言えません。 「着発線」という言葉が上に出てきましたが、着発線を表すことばは、「乗り場、ホーム、〇番線、〇番乗り場、上り線、下り線」とたくさんあるわけですが、放送では「乗り場、又は〇番ホーム」に統一したほうがよいと思われるということのようです。ほかにも、 ◆「〇〇行、急行□□」「急行〇〇行、□□」などと表現のしかたはいくつかあるが「急行□□ 〇〇行」 下の例ですと、「特急やくも 松江行」となります。行先字幕も、その順…

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【957】 中央西線を走った車両16 :旧形客車

過去に中央西線を走った車両たちについて、「国鉄分割民営化まで」のことを書いています。その間に走った車両を網羅する内容ではないことも、あらかじめご承知おきください。機関車編が終わりましたので、一般客扱列車に連結されていた客車について2週に分けてアップします。 ~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~~J.N.R.~ 小学生のころに見た客車について、いくつかお話してきましたので、重複しないように進めます。 自分が中央西線の定期列車で見たり乗ったりした旧形客車の形式を列挙してみます。 ナハ10、オハ31、オハ34、オハ35、オハ36、スハ40、スハ43、オハ46、オハ47、オハ51、オハ53、オハ55、オハ60、オハ61、オハ62 ナハフ10、オハフ33、スハフ36、スハフ42、オハフ45、オハフ52、オハフ60、オハフ61 スロ51、オロ61、スロフ51、オロフ61、スロフ62 オロハネ10、スハネ16、オハネ17、オハネフ12 スハニ31、スハニ32、オハニ36、オハニ61 スユニ60、スユニ61、マニ32、マニ36、マニ60、マニ74、マニ76、オユ10、スユ43、マヌ34 ほかにもあったかもしれませんが、特定しかねる形式もありますので、このくらいにしておきます。 上に列挙した形式のうち、下のブログ記事の中でカッコ内に示した形式やグループについて、出会った経緯や思い出を書いています。(画像はありません。) 【891】小学生時代…

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【956】 国鉄時代の車内放送

「60がらみのおじいさん」の事例や投書と思われる、よからぬ接客事例が載っていた列車掛養成課程で使ったテキストには、車内放送の注意点なども書いてありました。 テキストは中央鉄道学園で作成されたもので、つまり全国の国鉄の接客業務を行う職員を対象にしているものでした。しかるに国鉄で放送の質にばらつきがあったのは、現業機関での教育が行き届かなかったのか、職員の意識の問題でもあったのでしょう。 (京都鉄道博物館101系モックアップ) 画像の左端にある車内連絡用送受話器が放送用マイクロホンを兼ねていました。送受話器を右手で掴むと、親指の位置にあたる部分に押しボタンスイッチがあって、それを押している間だけ車内連絡用から車内放送用回路に切り替わる仕掛けでした。 そのテキストに書かれていた注意点など内容を少し抜粋してみます。 ◆始発駅発車前の車内放送での「おはようございます」のあいさつ放送は9時ごろまでとし、その後の放送は「ご案内いたします」とする。 ◆始発駅発車後の案内放送のときは、車掌長の名前(姓名)を明らかにすると、お客様に親しみと安心感を与える。 ◆車掌室の所在を放送する。 ◆停車駅、到着時刻、列車の編成などの案内放送をするときは「〇〇についてご案内いたします」の例により最初に見出しをつける。 と、いう具合です。この中で、乗務員が放送で「車掌長の名前(姓名)を明らかにすると、お客様に親しみと安心感を与える。」という書き方は、必ず名乗れとは言っていません。事実、昭和50年代の…

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