【1039】あの年の1月31日《1988年》

愛知環状鉄道は、国鉄~JR東海によって営業されていた旧岡多線岡崎~新豊田間を引き継ぐとともに、大部分の工事が終わっていながら未開業となっていた岡多線と瀬戸線のそれぞれ一部区間となる新豊田~高蔵寺間を新規開業区間として加えて、岡崎~高蔵寺間で1988年1月31日に営業開始した第三セクター鉄道です。 開業当日には、新規開業区間の新駅「中水野」へ行ってみました。 狭いホームでは大勢の人々が列車を出迎えました。 国鉄在職中に、ほとんど完成したホームや路盤が放置されていたこの駅周辺のお宅を一軒ずつ廻って、国鉄分割民営化反対の署名活動をしたことが思い出されます。署名活動では、名古屋市内では冷たく「国鉄?なくなった方がええがや!」「国鉄なんか乗らんからどうでもええ!」と言われるばかりだったのですが、ここでは、好意的に署名に協力してくれる方ばかりでした。経営形態は変わってしまったけれども、とにかく鉄道として開業できたことはうれしいことでした。図らずも私は、この数年先から4年ずつ2回、計8年間にわたって愛知環状鉄道ユーザーになりました。 そして今日、愛知環状鉄道は32歳の誕生日ということになります。 ◆画像は当日撮影

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【1038】あの年の1月30日《1972年》

1972年1月30日、いつもは中津川で見ていたD51でしたが、初めて手にしたマイカメラでその走りを撮影するため、有名な落合川の木曽川第一橋梁に行きました。 1973年に落合川へ行ったことを「【1029】あの年の1月21日《1973年・1982年》」で書きましたが、その1年前のことになります。下り列車に乗って、おおぜいの撮影者たちとともに落合川駅に着くと、皆が当たり前のようにこの鉄橋の保守用通路をゾロゾロ歩いてこの場所を目指していました。こういうところに大人たちに交じっていることは、いつもの中学生生活にはない特別な世界に入り込んだように思えましたし、地元近くにマスコミに取り上げられ、これほどまでに人々が集まるところがあることが、なぜかうれしい気分でもありました。そして何より、この風景の中を驀進してくる蒸気機関車の魅力を感じ取りました。 この日の帰路、中津川機関区に立ち寄ったところ、今では有名な機関車になったD51200が留置されていました。この画像を見ると炭水車の台車が現在とは違っているのがわかります。

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【1037】あの年の1月29日《2011年》

2011年3月、名古屋市内に「リニア・鉄道館」がオープンしました。そこで展示された車両の中には、それまで美濃太田車両区内に長らく保管されていた車両が含まれていました。「リニア・鉄道館」オープン間近となった2011年1月29日、そのリニア鉄道館に保存される車両がすべて搬出された後の美濃太田車両区の様子を見に行ってきました。 そこに残っていた車両たちは哀れな姿をさらしていました。 モハ380、クハ165+モハ164、わざわざJR四国からキハ181とともに戻ってきた中間車キハ180 JRでは臨時列車に使用された3両の旧形客車オハフ46にはベンチレータがなくなっていました。クモハ52の原型復元のために流用されたのでしょうか? キハ58+キハ28、キロ80の姿も見えます。奥のキハ82の左にカバーをかぶっているのはキハ30だと思われます。 キハ82には窓ガラスが入っていないところも見受けられますが、部品取りされた結果なのでしょうか。 キハ80・キロ28・カバーをかぶっているのはクモハ103、いちばん奥はモハ381。今はほとんどの車両がこの場所から搬出され解体されたと思われますが、一部の車両(カバーをかぶっている車両)は、ここには出てこないトキ900とともに継続して保管されているのを先月確認しています。いつの日か陽の目をみることになりますように。

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【1036】あの年の1月28日《1988年・2006年》

国鉄からJR東海へ引き継がれた営業区間のうち、私が国鉄時代に乗れずじまいのまま残っていた線区が御殿場線・身延線・参宮線の3線区で、そのうちの御殿場線と身延線に乗りに行ったのが、1988年1月28日でした。 乗車券は前日、仕事帰りに買っておきました。当時の私は国鉄清算事業団職員でしたので、まだ割引券が使えました。ご覧のように予め買った富士~国府津間の乗車券は東海道本線経由の往復乗車券であって、これでは御殿場線には乗れないのですが、御殿場線に乗車したのは片道だけなので、御殿場線列車内で乗車変更(経路の変更)の申告をして差額を払って乗車しました。 道中では、国鉄末期に静岡鉄道管理局管内に登場した特徴ある車両に出会えました。 1988年1月28日 静岡 するがシャトル色119系 1988年1月28日 沼津 身延色115系2000番台 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2006年1月28日には、樽見鉄道に3両あったハイモ180のうち最後の1両が廃車されるとのことで、その撮影に出かけました。 ◆以上3枚の画像は当日撮影 子供が憧れるようなカッコイイ鉄道とは正反対の車両ですが、これこそがローカル鉄道の原点みたいな2軸の旅客車両は魅力的だといつも思います。しょせん鉄道趣味など子供の延長線上みたいなもんですが、齢を経れば子供がいう「カッコイイ」よりカッコ悪さからにじみ出る魅力を列車や車両に感じるようになるものではないでしょうか。

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【1035】あの年の1月27日《2001年》

2001年1月27日 中津川駅 実家に行ったときに撮影した115系電車です。このころになると、国鉄形の車両は分割された鉄道会社ごとの特徴がよく出てくるようになっていて、中央西線では塩尻から中津川まで乗り入れてくるJR東日本長野色の115系電車を見ると、ちょっと遠くに来た気がするようになったものです。 このあと、近くにある北恵那鉄道中津町駅跡にも行ってみました。 車庫だった建物はまだありましたが、かつてその左側にあったク551の廃車体は火災によって跡形もなくなっていたのは残念なことでした。 現在はその建物もなくなっており、中央西線の115系電車は211系に変わりました。

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【1034】あの年の1月26日《1985年》

1984年12月にデビューしたばかりの名鉄8800系パノラマDX(デラックス)に乗りに行こうと車掌区のたまり場(乗務員が乗務間合いに詰めているスペース)で誘いがかかっていたので、1985年1月26日、3人で乗りに行きました。  全車指定席なので、名鉄沿線在住のメンバーが事前に特急券を買っておいてくれました。始発新鵜沼から新名古屋(現名鉄名古屋)を通り越して終点の河和まで、全区間に乗りました。 4人室(といっても4人ボックス席に仕切りが付いた程度)に乗りたかったのですが、3人という中途半端な人数で予約したのが悪かったのか、指定された座席はドア横の6人室(といっても、車端部の通路を挟んで窓を背にした3人掛けシートの向かい合わせスペース)で、シート配置はロングシートと変わりがありませんでした。2両編成の列車で、当日は男性車掌と女性客室乗務員各1名の乗務体制でした。乗車当日に新鵜沼駅で撮影

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【1033】あの年の1月25日《1982年・1986年》

1982年1月25日 飯田線へ出かけました。 田切~伊那福岡 1月3日にアップしたのと同じ定番の中田切川です。目的は先輩から譲り受けたカメラの試し撮りでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その4年後の1月25日は高山本線へ出かけていました。 1986年1月25日 白川口~鷲原(信) このころは、撮りたいと思わせる列車がどれだけでもあったように思います。今も飯田線や高山本線の撮影地は地理的にはそれほど変わっていないとは思いますが、いろんな意味で撮影条件が限られるようになったことに加え、走る列車も銀色の列車ばかりで、その多くは編成が短くなってしまい、ちょっとさみしい思いがします。

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【1032】あの年の1月24日《2009年》

2009年1月24日 日帰りで敦賀まで車窓からの雪見に出かけました。 この日は土曜日だったのでJR東海の「青空フリーパス」を使用して米原へ。 米原から乗った北陸本線の列車です。 米原から先は「青空フリーパス」のエリア外になるので、車内で別途乗車券を購入。道中の雪はそれほどでもなく、やや期待外れでした。 帰路に大垣と尾張一宮で途中下車。 尾張国一宮である真清田神社に遅い初詣。しかも夕方の遅い時刻で人もまばら。雑踏嫌いな私には理想的な状況です。 参道商店街は昭和チックな雰囲気が漂います。画像右の店はちょっと気になりますが、家内が同行しているから寄りません。

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【1031】あの年の1月23日《2010年》

2010年1月23日 JR貨物愛知区のDD51が下り春日井貨物EF66次位で中央西線の春日井まで入線しました。 大曽根~新守山 日中は春日井駅に留置されていました。 シキ800C   DD51がここへ来たのは、これを牽くため。 この特大貨物列車は深夜に運転されました。 ◆全部2010年1月23日に撮影

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【1030】あの年の1月22日《1979年・1985年》

1979年1月22日 同僚と一緒に高山本線に出かけていました。 鷲原(信)~白川口 一般形気動車の塗装が首都圏色への塗り替えが始まったころ 飛水峡信号場での行き違い 中川辺~古井 上り「ひだ6号」 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年1月22日 中央西線で撮影可能な時間帯に20系寝台客車が入線しました。 贄川~日出塩 自動車で追いかけましたが、冬の朝のことですから、木曽谷の線路上に冬の陽が射すことはありませんでした。

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【1029】あの年の1月21日《1973年・1982年》

1973年の1月21日、当時の私は中学生で、高校受験に向けて勉強に集中すべき時期だったにもかかわらず、落合川に蒸機の写真を撮影に行っていました。 中央西線 落合川~坂下 中央西線 中津川~落合川 D51の撮影がメインでしたが、その間にキハ91も通過していきました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1982年5月17日、関西本線の名古屋・亀山間電化開業に伴うダイヤ改正が行われました。電化工事そのものはこの前年末までに完成しており、1982年1月21日に集電試験が行われました。 永和~弥富 下り集電試験列車 試9281列車 編成はEF65+DD51+ヨ6000+トラ70000+ヨ6000 長島~弥富 試9282列車で、折返しの上り集電試験列車です。 ◆この少し前(1月12~13日)には入線試験列車(オイラン列車)が運転され、そのときにEF65がDD51に牽かれて亀山まで入っていましたから、EF65が関西本線名古屋口に入線したのは、これが2回目だと思われます。(そのときの画像は、【1021】あの年の1月13日《1982年・2007年》にアップしています。)

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【1028】あの年の1月20日《1979年》

荷物列車に乗務していた車掌補時代のこと、53.10ダイヤ改正から、乗務出先の亀山駅で必要以上に時間がある非効率な乗務行路ができました。 亀山駅に15時台に到着、折り返す次の乗務列車の発車時刻は20時。なんと4時間以上もある折り返し間合い時間のうち、3時間ほどは勤務時間にもならない無駄な時間でした。そこで、この行路に乗務した1979年1月20日に、その時間を利用して、駅構内とその付近の紀勢本線の列車を撮影しました。 亀山着16時12分着の紀勢本線122列車 新宮始発のDF50牽引客車列車でした。 以下は駅を出てすぐ近くの紀勢本線鈴鹿川の鉄橋で撮影 亀山発16時30分発の859D伊勢市行気動車列車 そして亀山着16時46分着の850Dは、キユニ26を先頭にした鳥羽始発の列車 冬の早い日暮れがせまり撮影は限界に近くなりました。このあとはDD51の貨物列車を撮影して撤収しました。 ◆画像は全部1979年1月20日撮影  (画像には、過去に使用したものの再掲載を含みます。今後もそういうことは多々ございます。) ◆この行路は2日にまたがっており、2日目にも亀山で長い折返し間合い時間があり、同じようなことをしたことがあります。その行路の内容と、2日目のことは、【598】亀山での鉄タイムで、書いています。

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【1027】あの年の1月19日《2006年》

2006年の1月19日には「青春18きっぷ」の残り1回分を消化するため、米原経由で福井まで往復してきました。 このころは、まだ419系が健在で、当日は米原~敦賀間で乗車する機会がありました。 福井行きの最大の目的は、愛知環状鉄道から、えちぜん鉄道に移籍した電車に再会することでした。 福井口でMC6104 イメージチェンジしていましたが、愛環で通勤時に何回乗ったかわからないほど馴染んだ顔でした。 福井口から福井まで短区間ではありましたが乗車してみました。4人ボックスの特徴ある座席は、新しい青いモケットに貼り換えられていましたが、座席自体は愛環時代そのままでした。JR福井駅は高架になっていましたが、えちぜん鉄道の駅は地平にありました。 そのあと、福井鉄道の軌道線区間を見に行きました。高床式車両がこのころの主役だったようです。この日は福井鉄道に乗ることはありませんでした。 ◆今回の画像は全部2006年1月19日撮影

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【1026】あの年の1月18日《1979年》

残雪がありますが、雨が降って靄が出ている変な天候でした。 1979年1月18日 高山本線 鷲原(信)~下油井 普段着の国鉄ローカル列車です。キハ55系に挟まれているのはキハ17。 ネガを見返すと、この日はこの1コマしか撮影していません。自動車で来たことはまちがいないので、単に山間部の雪道ドライブがしたくて出掛けたついでの撮影だったのかもしれません。当時のクルマの冬装備といえばスパイクタイヤでした。中津川あたりではいったん雪が降ると日の当たらない箇所がいつまでもアイスバーンになります。高山本線まで行くときは峠越えもありましたから、冬場の必需品スタッドレスタイヤがない時代、スパイクタイヤを履いて雪景色の鉄道写真撮影に行っていました。

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【1025】あの年の1月17日《2012年》

連日、地元沿線で撮影した画像になってしまいますが、中央西線の春日井貨物です。 2012年1月17日 中央西線 春日井~勝川 新鶴見のEF65PFが牽引する春日井始発の上り貨物列車は、昼の12時30分過ぎに春日井を発車しました。息が詰まるような会社から出られる昼休みのこの時間が、当時の私の毎日の楽しみで、たとえ雨が降っても、少々寒くても、昼休みに用事がなければ線路端に出かけたものでした。 2012年1月17日 中央西線 春日井~勝川(上と同じ日、同じ列車) この辺りはロングレールで、二軸車独特のジョイント音が聞けないことがちょっと残念。 でも、ブルースカイを仰ぐ癒しの時間に癒しのブルートレイン。

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【1024】あの年の1月16日《1986年》

国鉄末期には全国でジョイフルトレインが誕生しました。このユーロライナーもそのうちの一つで、名古屋鉄道管理局の欧風客車でした。稲沢機関区のEF64 66が専用塗色に塗り替えられてお披露目されましたが、国鉄時代に限れば、実際にEF64 66がユーロライナーの運用に就くことは意外にも少なく、他の一般塗装のEF64がユーロライナーを牽引してくることが多かったような記憶ですが、この日は当たりでした。 1986年1月16日 中央西線  美乃坂本~中津川 急行「ユーロライナー赤倉」 ユーロライナーは団体列車に用いられただけでなく、一般客扱の臨時列車としても用いられました。

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【1023】あの年の1月15日《1975年》

1月15日は祝日で成人の日だという概念がなかなか抜けませんが、この日に撮影した鉄道関連の画像が少ないことが、1月15日が祝日ではなくなって久しいことを物語っています。 祝日で学校が休みだったので、雪景色の北恵那鉄道を撮りに出かけたのだと思います。 1975年1月15日 恵那峡口~中津町 1975年1月15日 苗木~山之田川 記憶があいまいですが、この前年春に原付免許を取得していましたから、雪道を恐る恐るバイクで出かけたと思われます。

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【1022】あの年の1月14日《1989年・1990年》

国鉄から転職して2年目、所属していた係で西国三十三所巡礼旅が流行していたのが、隣の係にも飛び火しました。 1989年1月14日、隣の係の先輩が所有するワンボックスカーに数人が乗り込み、運転を交代しながら西国三十三所巡礼日帰りドライブに出かけました。 この日は、総持寺(第22番)・花山院(番外)・中山寺(第24番)・勝尾寺(第23番)・穴太寺(第21番)・善峯寺(第20番)の順に廻りました。 この日最後に訪問した善峯寺の御朱印。閉門間際のきわどい時刻になってしまいました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その翌年1990年1月14日には、単独行で「青春18きっぷ」日帰り旅をしていました。1990年1月14日 大糸線平岩駅 行程は中央西線定光寺を起点として、松本~(大糸線)~糸魚川~(北陸本線)~富山~(高山本線)~美濃太田~(太多線)~多治見で一周。そのあと中央西線で帰ってきました。高山本線の雪見ができる区間を明るいうちに通り抜けるために、富山~高山間だけ急行「のりくら」でワープしました。 1990年1月14日 糸魚川駅ホームから撮影 このころはシュプール号全盛期で、写っているDE10はすべてシュプール号牽引機のようです。新幹線が開通した現在の糸魚川駅は様子が一変しているのでしょう。

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【1021】あの年の1月13日《1982年・2007年》

1982年1月13日 関西本線の名古屋・亀山間の電化工事完成に伴い、前日(下り)とこの日(上り)に入線試験列車が運転されました。 朝明(信)~桑名 上り入線試験列車 試9282列車 編成はDD51+スハフ14+オヤ31+トラ70000+EF65+ヨ6000 朝明信号場は後に桑名方に移設されたので、この場所は現在の朝日~朝明(信)になります。 この後1月21日に集電試験が行われ、5月17日に電化開業となりました。 《追記》 集電試験列車の画像は、【1029】あの年の1月21日《1973年・1982年》に掲載しました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2007年3月のダイヤ改正で、東海道本線の特急「東海」が廃止されるとの報を耳にしたので、その年の1月13日に家内と東京見物へ出かけるときに、東海道新幹線から静岡で乗り継いで、特急「東海2号」の客になりました。 上3枚は2007年1月13日 静岡駅で撮影 そのとき使用した特急券 東京ではお上りさんコース。 六本木ヒルズ~水天宮~浅草寺~銀座と廻ってきました。水天宮は安産祈願で国鉄時代に来てから21年ぶりのお礼参り。 帰路は全区間東海道新幹線で帰ってきました。

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【1020】あの年の1月12日《1991年・2008年》

1991年1月12日 「青春18きっぷ」を使って家族で梅小路蒸気機関車館に出かけました。 国旗掲揚・頭出しの状態で出迎えてもらえました。土曜日でしたが、さすがにこの時期は閑散としていますので、来館者が入らない状態で撮影ができます。この日は東映太秦映画村にも行きましたが、子供は、SLは音が怖い、映画村もアトラクションが怖いということで不評でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 愛知環状鉄道が開業したのは1988年1月31日でした。2008年には開業20周年をむかえようとしていましたので、1月12日の時点で電車の正面にはそれを伝えるシールが貼られていました。 2008年1月12日 瀬戸市駅で撮影 その日も瀬戸市駅前にはJR東海バスが停まっていました。鉄道省営最初の路線バス岡多線をルーツとする由緒正しいバスで、瀬戸市から愛知・岐阜県境を越えて多治見まで直通する便もありましたが、のちにJR東海バスが一般路線バス事業から撤退して、岐阜県側は東濃鉄道バス、愛知県側は名鉄バスに移管されました。このとき、県境部分が一部路線廃止されてしまいましたので、両社のバスを乗り継いだとしても瀬戸から多治見へバスで通り抜けることができなくなってしまいました。 この日はバスには乗らず、愛知環状鉄道で帰りました。 帰路の乗車券

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