【1160】あの年の5月31日《1997年・2008年・2010年》

1997年5月31日  東濃鉄道笠原線の廃線跡を巡っていたところ、旧市之倉口駅跡地付近に、東京窯業の入換用と思われる動車の廃車体が放置されていました。現在は復元されて、別の場所で屋根付きで保存されているようです。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年5月31日 JR東海のウォーキングイベント「さわやかウォーキング」にコースの一部だけに参加しました。この日のコースのメインが岐阜県にある花フェスタ記念公園で、公園内には列車形の遊覧自動車(ロードトレイン)が走っていました。どうでもいいことではありますが、色違いで2種類があり、見比べると装備が違っているのがわかります。青いのが「夢ポッポ」、赤いのが「花ポッポ」と命名されているとのこと。 「夢ポッポ」にシリンダとロッドが表現されているのに対し、「花ポッポ」はゴムタイヤ丸出しですが、これはインサイドシリンダという設定でしょう。色替えだけでなくちゃんとスタイルが変えてあるのがエライです。しかし鉄道車両のスタイルをどれだけ真似ても、レールがないことだけで、興味がそがれるのはなぜでしょう。上の入換動車も、足元の草むらのなかにレールが隠れているわけではなさそうですが、あるべきレールがないのと、もともとレールがなくてもよいのとでは、まるで想いが違ってきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年5月31日 昼休みに通過していく春日井貨物 こ…

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【1159】あの年の5月30日《1975年・1986年》

1975年5月30日 この年の3月31日に王滝森林鉄道では運材列車が廃止されており事実上の役目を終えていた王滝森林鉄道でしたが、上松でお別れのセレモニーが5月30日に催されました。すべて上松で撮影 当日は保存してあったボールドウィン蒸気機関車が、ディーゼル機関車の力を借りながら本線上を運転されました。しかし中間テスト中でしたので、テスト終了後に中央西線の下り列車に乗って上松に着いた頃には、すでにその蒸機列車は上松に到着した後でしたので、本線上の走りを撮影することはできませんでした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1986年5月30日 岡山のジョイフルトレイン「ゆうゆうサロン岡山」が中央西線に入線しました。 国鉄時代の中央西線には、山陽・関西方面対信州方面の団体臨時列車がよく運転されていたように思います。 その後、国鉄の分割民営化、バブル経済の崩壊と続き、JR東海に至っては機関車そのものが在籍しなくなって、そういった団臨を見ることはほとんどなくなってしまいました。

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【1158】あの年の5月29日《1980年・1994年・2010年》

1980年5月29日  この日は長野県飯田から、国道152号線のうち自動車で通り抜けができない2つの峠の迂回路となる赤石林道と兵越林道を自動車で踏破しに行きました。両林道を無事に踏破して静岡県の水窪に下ったあと、帰路に飯田線の列車を撮影しています。  水窪~大嵐   城西~向市場   向市場~城西「渡らずの鉄橋」です。 この翌年春に再訪しています。↓ 【1121】あの年の4月22日《1979年》 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1994年5月29日  前日から私の父母を含めた家族で下呂温泉に来ていました。この画像も使いまわしです。 下呂~禅昌寺 5月29日の朝、ホテルの部屋から撮影しています。背景左端に見える建物もホテルで、2017年にはそのホテルに泊まり、逆方向からこの画像を撮影したホテルを眺め、この日のことを想いました。今はこの画面中央上のあたりに、大きなホテルが建っています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2010年5月29日  この日は災害で長期間不通になっていてバス代行中だった三重県のJR名松線に行きました。 【14】鉄分補給名松線&アルコール分補給2010.5.29に、その日のことを書いていますので、そちらをご覧ください。

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【1157】あの年の5月28日《1975年・2005年》

1975年5月28日  この時期は各地の全国植樹祭が行われていたので、これまでもそのときに運転されたお召し列車について触れることが多かったのですが、この日は【987】EF58 60号機と61号機の思い出画像の中で書いたように、中間テスト期間中にその日のテスト終了後に名古屋駅に向かい、到着するお召し列車の撮影をしたものの、まともに撮れていませんでした。ネガを見返すと、せっかく名古屋まで来た以上このまま帰るのがもったいないと思ったのか、金山駅付近に場所を移して名鉄や国鉄東海道本線の列車の撮影に興じていたようで、その画像が残っていました。その中から東海道本線の列車の画像を2つ。 この場所は、現在の金山駅があるところです。奥には中央西線の金山駅の跨線橋が見えています。EH10が走っているような昔から、ホームになる部分は上下線間が空き、土盛がされていつでも駅の建設ができそうな状態になっていたことがわかりますが、東海道本線にも金山駅が開業したのはこの14年もあと、国鉄が分割民営化された2年後の1989年でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年5月28日  一昨日に2007年に行った「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」のことを書きましたが、それより2年前にも「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」へ行っていました。この催しは毎年5月第4土曜日に行われていますので、この2005年は28日が第4土曜日であったわけです。 このときは、前日5月27日…

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【1156】あの年の5月27日《1973年・1979年・2007年》

1973年5月27日  たびたび書いてきた1973年の中央西線のD51ですが、日曜日だったこの日、田立~坂下間に出かけました。 この日唯一のまともな画像はD51 265が牽くこの3883列車だけでした。 そのあとの6851列車は…EF64 71 +D51 893 ついに木曽路でEF64の姿を見ることになりました。どの列車にEF64が付いてくるのか事前に調べてから出かけていましたので、驚いたわけではありませんでしたが、実際に貨物列車の先頭にEF64が立っているのを見てしまうと、この日がついに現実になったかと一つの時代が動いたことを認識しました。そして、連日の木曽路行脚はとりあえずこの日で終了となりました。 ところで、冒頭の画像にあるD51 265は6月に入ってから長門機関区へ転属しています。その年の12月に山陰へ出かけたとき、自分が乗っていた列車とすれ違った列車を牽いていたD51 265を目撃しました。そのあと、D51 265は解体され、この世での再会はないものと思っていましたが、3年ほど前に読者の方からD51 265の第二動輪が広島市郊外に保存されていることをご教示いただきました。まだ訪問していませんが、ぜひ見たいものだと思っています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1979年5月27日 岡多線にEF58 61牽引のお召し列車が走りました。 昨日の記事にも書きましたが、【985】1979年全国植樹祭お召し列車(ED62・EF5…

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【1155】あの年の5月26日《1979年・1996年・2007年》

1979年5月26日 飯田線にED62牽引のお召し列車が走りました。【985】1979年全国植樹祭お召し列車(ED62・EF58)の前半で書きましたので、ここでは省略させていただきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年5月26日 名鉄瀬戸線で3780系のさよなら運転がありました。 国鉄からまったく鉄道の関係のない仕事に就いた私でしたが、瀬戸線に印場駅が新設されたときに、仕事で間接的ながらも少しだけ関わったことがあったので、この日は印場駅のそばで撮影しました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・  2007年5月26日 中山道徒歩の旅を兼ねて「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」に出かけました。   EF64 1040  この当時EF64 1000番台は中央西線ではまったく馴染みがない機関車でしたが、その翌年にこの1040号機を含む4両が愛知機関区に転属してきて、中央西線の貨物列車の1000番台化の先駆けとなりました。   EF65 1082  このEF65 1082にしても、4月1日の記事で書いたとおり、昼休みに中央西線の春日井貨物で、この4年後、2011年3月から4月にかけて連日中央西線内で顔を合わすことになるのでした。   DD51847  この機関車は愛知機関区の所属でした。このあとに見た記憶があったような、なかったような…と気になって画像ファイルを当…

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【1154】あの年の5月25日《1983年・1985年》

1983年5月25日 明知線でマヤ検がありました。  明知~山岡(現在の野志駅付近)   飯羽間~阿木 明知線に貨物列車があったころは、貨物列車にマヤ34が併結されて検測をしていましたが、このときはもう明知線内の貨物列車が廃止されていましたので、臨時試運転列車が仕立てられるようになりDD16が牽引しました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1985年5月25日 サロンエクスプレス東京が中央東線から西線に直通してきました。  落合川~中津川    中津川~美乃坂本 雨に煙ってコンディションは最悪で、画像では読み取れないと思いますが、当時は八王子機関区所属だったEF64 78が牽引しています。当時の中央西線の定期列車には稲沢機関区(以前の稲沢第二機関区)と篠ノ井機関区のEF64が使用されていましたので、こうして中央東線から直通する臨客でしか見ることがないブロック式ナンバーの第8~9次量産車(76~79)には新鮮さを感じたものです。しかし、その翌年に国鉄分割民営化前提で行われた61・11ダイヤ改正時には、車両の転配が行われ、このEF64 78も含め、8~9次車全部が稲沢機関区に転属し、そのままJR貨物に引き継がれる結果となりましたので、以後は中央西線で日常的にみられる機関車となりました。一期一会という言葉もありますが、二度と会うことはないと思っていた人と、腐れ縁になることだってあるのですね。

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【1153】あの年の5月24日《1997年・2008年》

1997年5月24日、保存鉄道車両巡礼の一環で愛知県一宮市の保存蒸機D51 718に会いに行きました。 正面のナンバープレートは盗まれてしまったのか付いていませんでした。ナンバープレートは走行するうえでの機能としては意味がないパーツでありますが、これによって機関車の表情が変わると言ってもいいほど重要だと思っているので残念なことです。中央西線には縁がない機関車でしたので、この日が初対面のつもりでしたが、ずっとあとになってから、自分が1973年12月に山陰本線三保三隅で撮影した機関車であることがわかりましたので、次に見る機会があれば、そのつもりで見ようと思います。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2008年5月24日、JR東海のウォーキングイベント「さわやかウォーキング」に参加して熱田区内を歩いていましたら、偶然にも東海道本線を走っていく211系0番台を見かけました。今は関西本線で閑職についているみたいで、来年度以降導入される予定といわれる315系に置き換えられることが決まっていますが、国鉄時代からの生き残りとして思い出深い車両です。乗務しているとき名古屋駅でこの列車を見た男児が「地下鉄みたい」と言っていたことは今も覚えています。それだけステンレス製の国鉄電車は子供の目には新鮮に映っていたのでしょう。しかし今ではステンレス車ばかりになりました。

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【1152】あの年の5月23日《2008年・2009年》

2008年5月23日 この日はフレックスタイムで、遅い出勤でした。通勤経路の途中、春日井、大曽根、鶴舞、近鉄名古屋に寄り道して、ホーム上から撮影などしながらゆっくり出勤しました。 その中から、2枚大曽根を通過する多治見貨物 鶴舞を通過する春日井貨物 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ その翌年2009年5月23日は土曜日で仕事は休みでした。身近にありながら乗る用事がまったくなく、その気にならないと乗る機会がない東海交通事業城北線に乗って、沿線にあるショッピングモールへ出かけました。 勝川駅 この車両は、のちに「ひたちなか海浜鉄道」に部品取り用として譲渡されたとのことです。 不便なだけでなく運賃もかなり割高な鉄道です。クルマで行くのに比べれば無駄遣いになるだけでなく時間も無駄になりますが、全線が高架で乗客も少ない列車で眺望を楽しむ小さな旅です。 このとき初めて降りた小田井駅。異常なまでに高さのある高架橋の最上部がホームです。

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【1151】あの年の5月22日《1973年・1993年》

1973年5月22日 中央西線のD51に最期のときが近づいてくると、ついに平日でも学校の放課後に南木曽まで列車で撮影に出かけるようになってしまいました。もはや中毒症状で、この日も3~4人で出かけたと記憶します。  南木曽~田立 これは新線に切り替えられる前の旧線を行く上り2858列車で、下り勾配のために軽快に駆け抜けていきました。この日の本来の目的は、隣の田立駅でこの2858列車と行違ってくる後補機付きの下り5881列車で、前後の機関車共に盛大に煙を上げて旧線を登ってくるのを期待していました。険しい木曽谷で長い貨物列車の最後尾まで見渡せそうな場所は数少なく、そこで列車を待ちましたが、夕方でもろに逆光になる悪条件では思うような写真になりませんでした。その画像は省略しますが、いずれ機会があればアップします。新線への切替はこの直後でした。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1993年5月22日 昨日書いた温泉旅(寸又峡)の2日目、5月22日は三保の松原に行きました。ここまで来たのなら、未踏の地となっていた国鉄旧清水港線三保駅跡地に立ち寄ることにしました。旅客より貨物が中心だった駅だったからか、入換動車と貨車が展示保存されていました。

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【1150】あの年の5月21日《1993年・1994年・1995年》

1993年5月21日 いつも車掌区時代の先輩2人と私の計3人で行っていた温泉旅ですが、このときは直前に一人が都合で参加できなくなり、急遽代わりのメンバーに差し替え、キャンセルせずに予定していた寸又峡温泉に行きました。鉄ヲタは私だけでしたが、みんなで蒸機の撮影もしました。   抜里~笹間渡(現川根温泉笹間渡) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1994年5月21日 意図したことではありませんが、1年後の同じ5月21日は大井川鉄道のトラストトレインC12164が運転される日になっていたので、こんどは1人で大井川鉄道へ蒸機の撮影に出かけていました。C12164は木曽福島機関区の現役時代を知っていましたから、その復活後の姿を見たかったのです。 田野口~駿河徳山   抜里~笹間渡(現川根温泉笹間渡)  C12のバック運転はほんとうにローカルっぽくていいと思っています。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ そのまた翌年にも5月21日に出かけていました。 1995年5月21日 こんども1人で、中央西線~中央東線~八高線~信越本線~篠ノ井線~中央西線の経路での乗り鉄日帰り旅でした。目的は、未乗だった八高線の一部区間に乗車することと、2年後に控えていた信越本線横川・軽井沢間が廃止される前に乗り納めをすることでした。そのときの画像その他詳細は、【793】乗り鉄12か月…1995年5月 中央~八高~信…

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【1149】あの年の5月20日《1973年・1983年》

1973年が続きます。 5月20日の日曜日は、早朝からD51を追って須原と宮ノ越に行っています。   大桑~須原   宮ノ越~藪原 中学生時代には、中津川や落合川で撮影していたのが、高校進学とともに少しずつ北へ向かって行動範囲は広まっていきました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ それから10年後、1983年には飯田線の旧形国電の終焉が迫っていました。 1983年5月20日   伊那福岡~田切   七久保~伊那本郷 ちょうど田んぼに水が張られるころなので水鏡を狙って出かけていますが、思ったようにはなかなか写ってくれませんでした。このころの撮影はもっぱら自動車を使っていました。中央自動車道に恵那山トンネルが開通してから伊那谷と東海地方との交通の常識は大きく変わっていました。

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【1148】あの年の5月19日《1973年》

また1973年です。 5月19日は土曜日でしたので、前の週と同じように半日で学校が終わると、そのまま家には帰らず、直接中津川駅から下り列車に乗っていました。この日の行先は上松と大桑。上松へ行った理由は、上松駅で入換作業を終えたC12が所属区である木曽福島に戻る際にD51牽引の貨物列車の後付になるので、その列車を撮影しようということでした。しかしこの日は納得のいくものが撮れず、後日改めて出かけることになります。 ついでに上松駅の裏手にあった王滝森林鉄道の車庫にも行っています。 そしてもうひとつの目的地、大桑に向かいました。下りの後補機付き貨物5881列車と上りの重連貨物872列車との行き違いです。山間部の夕暮れ時で条件は最悪でしたが、日没が遅い時期なので何とか写りました。この下り貨物5881列車は、一昨日書いた平日の下校時に中津川を発車していく貨物列車です。その下り貨物5881列車が発車したあと下り181系DCしなの3号が続行し、上り貨物872列車はしなの号が通過したあと発車していきました。ネガの順番からそれが読み取れましたが、雑誌にあったダイヤグラム上では、上り貨物872列車は、しなの3号を待たずに発車することになっていました。 <2010年5月19日13時30分追記> 時刻変更か運転整理の結果かと思っていたのですが、いろいろ調べていたところ、その雑誌(1973年4月10日発行のSLダイヤ情報)が出版された直後の1973年4月27日に中央西線でダイヤ改正があったことがわか…

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【1147】あの年の5月18日《1985年・2001年》

1985年5月18日 前日から一泊で、当時所属していた車掌区の鉄分が濃いメンバーで東海道本線の撮影に出かけています。 18日は根府川駅付近にある白糸川橋梁と根府川~早川間の玉川橋梁へ行って、そのあと伊東線伊豆多賀付近に場所を移しました。そのときのことは、 【792】撮り鉄12か月…1985年5月「白糸川橋梁・玉川橋梁・伊豆多賀」で書いていますので、今回はそのときアップしていない画像をアップしておきます。   朝の白糸川橋梁 ワムハチ貨物など、当時はスルーしてもおかしくありません。しかも吹田の汚い一般形EF65。…ですが、これが普段着の東海道本線でした。 65P+20系でないと「あさかぜ」じゃないみたいに思っていました。 とは言いつつも、こうして名の知れたお立ち台に来れば、どのような列車も引き立つものです。EF66が九州ブルトレ群を牽くようになったのは、このときから2か月ほど前のことでした。それから九州ブルトレ廃止まで長きにわたってブルトレ釜として定着し、違和感がなくなりました。次々とやってきた列車は、その時代のありのままを表現しており、今の非日常であります。そして今は未来の非日常であるだろうことにも気付きます。 伊豆多賀では伊豆急100系が走っていましたが、たぶんヘッドマークがなければ写さなかったように思います。写真に限らず、日頃当たり前のことに有難みを感じず、それがなくなってから後悔するということを繰り返すことを反省せねばと思います。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆…

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【1146】あの年の5月17日《1973年》

またまた1973年です。5月10日に引き続き、朝の貨物列車866列車を登校前に中津川駅の近くで撮影しています。 鮮明でない画像ですが、牽引機はD51 101で、この日は次位に無火回送のC56 131がつながっていました。撮影している私の背後には、中津川駅の上り場内信号機があるのですが、これがたまたま停止信号で、この列車はのろのろ近づいてきて、目の前で機外停車しました。わずかな時間でしたが、すぐ近くでC56 131を観ることができました。長野運転所から浜田機関区への転属途中だったものと思われます。 このまま登校し、下校途中には、中津川を16時過ぎに発車する下り貨物列車5881列車を撮影しました。 後補機付のこんな列車が放課後にいつでも見られた環境にあったことは、今から思えば幸せこの上ないことですが、そういう幸せとは短いもので、高校入学から2ヵ月も経たないうちにEF64に置き換わりました。 ネガを見ますと、そのあと機関区へも立ち寄ったみたいで、C12 69の画像がありました。このC12 69は、このあと中津川駅の入換と明知線貨物列車のDL化に伴い木曽福島へと移り、この翌年に廃車になりましたが、4月26日の記事で、廃車直後に木曽福島から再び中津川に回送されてきたときの画像をアップしています。 以上、本日は全部1973年5月17日、学校の始業前と放課後に撮影した蒸機の写真でした。

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【1145】あの年の5月16日《1985年・2009年》

1985年5月16日 神領電車区の電留線  神領電車区内にある乗務員宿泊所で起きてから、乗務する前に撮影した画像です。 牽引車クモヤ22・113系・381系・485系が並んでいます。 上の画像で、右から2本目に停まっている編成の先頭部です。この編成は名古屋まで回送されたあと、9時ちょうどに発車する「しなの5号」白馬行になりました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年5月16日 実家へ行く途中に明知鉄道の終点明智から近い大正村ロマン館前のバラ園に行ってみました。ここではバラの画像は省略しますが、ついでに立ち寄った明智駅での画像を。 そのとき車庫にアケチ12とアケチ13が並んでいました。 自分の中では「新車」と思っているこれらアケチ10形時代から、さらに新型のアケチ100形の時代になりつつあり、アケチ12(左側「ぎふ清流国体」PRヘッドマークを取り付けた車両)のほうはすでに廃車になって、車両は構内に留置されているとのことです。

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【1144】あの年の5月15日《1998年・2009年》

1998年5月15日 平成年間には毎年1回長野にある善光寺に参拝していました。 その往路、特急に乗り換えるために多治見に下車したところ、太多線の列車が停まっていました。国鉄色のキハ58系はこのころには大変少なくなっていたので、列車を待っている間に撮影しました。 帰路は長野から松本まで高速バスを試し、松本から特急しなの号に乗り換えて帰りました。この日は金曜日でした。始発駅からの乗車でないことに加え、金曜日夕方の上りしなの号は家族が待つ家に帰る単身赴任者などで混雑するので、めずらしく「不自由席」にしました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2009年5月15日 4月24日に書いたことですが、このころは国鉄色のDD51に出会うことを目的にして、週に1~2度は「あおなみ線」で朝の通勤をしていました。小本駅で降りた直後にDD51が牽く貨物列車が反対方向からやってきます。6回目にしてやっと国鉄色DD51832に巡り会えました。こういう日は一日気分良く仕事ができるものです。 ちなみに、「【998】変なコレクション15:回数券カードなど」でも書きましたが、そのころ朝の通勤に使う鉄道は、時刻と気分によって名古屋駅から、あおなみ線・地下鉄・JR関西本線・近鉄名古屋線の4つを使い分け、始業時刻に余裕があれば、会社最寄駅の手前の駅で降りたり、ときには乗り越したりして会社までのウォーキングをしていましたから、下車する駅はだいたい9通りありました。車窓が見え…

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【1143】あの年の5月14日《2006年・2015年》

2006年5月14日 中山道徒歩旅に出かけています。この日は美濃赤坂駅で下車し、西へ向かって歩き始めました。 東海道本線 垂井~関ケ原間。 線路の手前の松並木があるところが旧中山道です。「中山道」歩きをしているのに並行する鉄道はJR「東海道」本線で、線路名称が実態と一致しません。鉄道と旧東海道とがぴったり並行していない区間は多々あるにしても、名実ともに東海道本線と言って差し支えないのは東京~熱田間と草津~京都間ということになるでしょう。 この日の徒歩旅は赤坂宿~垂井宿~関ケ原宿まで。 関ケ原駅の跨線橋です。3本のホームを結ぶ長い跨線橋は国鉄駅の面影を残し、いい味を出しています。 まだお昼前でしたが早朝から歩きましたので、この日はこれで終了。列車に乗ってとりあえず大垣まで戻りました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2015年5月14日 2015年5月12~14日に松江~出雲大社、境港を巡った旅の帰路、14日に乗った特急「やくも18号」の特急券です。 この旅のことは、「【595】山陰旅行の今と過去1:特急やくも号」から「【605】山陰旅行の今と過去6:車内放送」まで6回にわたって以前に書いていますので、前日・前々日を含め、内容は省略とします。

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【1142】あの年の5月13日《1973年・1979年》

1973年5月13日 昨日に引き続き1973年です。12日が土曜日であれば13日は日曜日ですから連日のD51三昧ということになっています。 田立~南木曽間は電化直前までトンネルが連続する新線に切り替えられずに、地形まかせに木曽川沿いに敷かれていた旧線が使われていました。この日は架線がないこの区間を選んで来たのでした。 そのあとは上松まで移動し、寝覚ノ床へ行っています。このように、ほとんどの区間で電化工事は完了しており、撮影には目障りなポールや架線にも目をつぶるしかなく、楽しくもありますが、あとわずかで終焉を迎えるという切羽詰まった焦りのような気持ちもありました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1979年5月13日 この日は誰も遊んでくれる人がいなかったのかどうか?よく覚えていませんが、なぜか自動車で父と浜名湖方面へ出かけています。こちらとしては、ただ走りたかっただけで、自動車運転免許がなかった父としても、どこでもいいから乗せて行けということだったのかもしれません。  寸座~西気賀   気賀~西気賀   二俣線沿線を走っていて、列車の時刻を気にしながら、こうして写真を撮ったりしていましたが、別に写真が目的ではなかった記憶で、この日はこの2列車しか撮影していません。

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【1141】あの年の5月12日《1973年・1996年》

1973年5月12日 中央西線 落合川~中津川 このところよく出てくる1973年の中央西線です。この日は土曜日だったので、学校が半日で終わったあと落合川に寄り道していました。 過去にもアップしている画像ですが、この日のメインはD51が牽くスロ81系お座敷列車でした。D51漬けだったことに我ながらまったく呆れます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 1996年5月12日 中央西線 高蔵寺~定光寺 この日のメインは、165系9両で運転された「さわやかウォーキング臨」でした。 つい数年前のことのように思えるのですが、24年も経ってしまったことに、改めて時の移り変わりの早さを思い知らされます。

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