【1384】 DD51の思い出(7)愛知機関区DD51 825

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月のダイヤ改正で終了しました。 今から2年前に「【983】稲沢にて ~DD51 890に寄せて~」の記事で、稲沢生え抜きのDD51 890号機と891号機のことを書きました。その2両はその後、解体されています。その記事の最後に、私は「愛知機関区で稼働しているDD51はあと数両となりました。稼働機の中には稲沢第一機関区時代から在籍する825号機もいます。終焉までに一度くらいはDD51の「生エンジン音」を聴きに関西本線に出向こうと思っています。」と書いたのですが、その後、825号機は休車になったらしく、あれから一度もDD51に会いに出かけることがないまま愛知機関区のDD51は終焉を迎えました。それでも825号機は稼働機ではなかったとは言っても稲沢生え抜きの最後の1両であったことには違いなく、縁があった者として感慨深いものがあります。 DD51 825は1970年9月8日に三菱重工業で製造された機関車です。1970年と言えば大阪万博が開催された年で、この年10月からは国鉄の「DISCOVER→JAPAN」キャンペーンが始まり、首都圏では高島線のSL廃止イベントで東京駅からD51 791が運転されています。こうしたSLブームの真っただ中でDD51 825は誕生していました。中京圏でも東海道本線の名古屋~米原間でD51が牽くSL臨時列車が、DD51 825の新製日の一週間後となる9月15日から運転されたということですので、あるいはDD51 825の配…

続きを読む

【1383】 DD51の思い出(6)展示機関車・保存機関車との出会い

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月のダイヤ改正で終了しました。 DD51とはいろんな立場で関わりがありました。前回は旅先で見た「列車の先頭に立つDD51」の画像を集めてみましたが、今回はイベント会場で展示されていたDD51や、博物館などで保存展示されているDD51の画像を集めました。 (過去の記事で紹介したことがある再掲載画像を含みます。) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ まずは、イベント等で展示されていたDD51から見ていきましょう。 1986年5月1日 DD51 891 笹島(再掲画像) 愛知県に鉄道が敷設されて100年になるということで、国鉄末期の春の大型連休中7日間にわたって旧笹島貨物駅で「愛知の鉄道100年フェア」というイベントがありました。その中でDD51運転室の試乗会が行われ、構内を往復していました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ お召列車けん引機が、イベント時にお召装備を再現して展示される例はよくあります。 1987年8月22日 夏休みの稲沢機関区公開イベントに行ったときには、EF64 77とDD51 820との並びで展示されていました。(再掲画像) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年5月28日に出かけた恒例のJRおおみや鉄道ふれあいフェアでは、大宮総合車両センターでJR東日本のお…

続きを読む

【1382】 DD51の思い出(5)旅先での出会い

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月のダイヤ改正で終了しました。 DD51とはいろんな立場で関わりがありました。以前にブログ記事内やコメント欄に書き込んだことと重複することもありますが、その関わりについて関連する過去記事へのリンクを貼りながら進めています。今回は旅人として旅先で出会ったDD51の画像を貼っていきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 私は国鉄で乗務員として列車に乗っていた(正しくは乗らされていた)わけですが、国鉄在職中にはプライベートで列車に乗って旅に出るようなことはあまりありませんでした。仕事で列車に乗っていると、プライベートでは自家用車で出かけたいという気持ちが強かったのです。国鉄を退職してみると、こんどは仕事で、やたらと広い名古屋の道路や一方通行など交通規制だらけの狭くて混んだ市街地の路地を、会社の自動車で走ることが多くなりました。そうすると、その反動なのでしょうか。プライベートでは列車に乗って旅をしたいという気持ちが湧いてきました。そして国鉄の面影を残す未乗線区に乗りに行くようになり、ついには恥ずかしいことに、旧国鉄から経営形態を変えた線区を乗りつくすために、ほかに用もないのに全国各地に出かけるまでになってしまいました。すでにJRの旅客列車はほとんどが気動車や電車になっていましたが、乗換駅や折り返す駅に偶然に停車していたDD51が牽く貨物列車などにカメラを向けたこともありました。今回はそういう旅の途中に…

続きを読む

【1381】 DD51の思い出(4)高山本線のDD51から見えてくる鉄道の移り変わり

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月のダイヤ改正で終了しました。 DD51とはいろんな立場で関わりがありました。以前にブログ記事内やコメント欄に書き込んだことと重複することもありますが、今回は撮影対象とした立場で、高山本線で走っていたころのDD51について書いていきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 高山本線では、昭和42年度から3か年をかけた輸送近代化計画が実施され、そのなかで客車列車は気動車化、貨物列車はDD51によって無煙化を早期に達成した近代化線区でした。ここではDD51が国鉄分割民営化後まで長きにわたって使用されていました。主に国鉄時代に高山本線で撮影したDD51牽引列車の編成から、貨物列車と臨時旅客列車に分けて、昭和50年代中期から国鉄改革をはさんで21世紀を迎えようとしていた時期までの鉄道の変化を見ていこうと思います。 まずは貨物列車からご覧いただきましょう。 1979年2月24日 少ヶ野(信)~焼石 組成された貨車の種類がさまざまです。これは中間駅で貨物扱いをする駅が多く、途中駅で連結解放を繰り返していたことを現しています。もちろんこのころには岐阜・富山間全線にわたって直通する貨物列車の設定があり、昔からずっと続けられた全国ネットの鉄道貨物輸送があった時代のDD51の姿です。 1984年10月26日 鷲原(信)~下油井 国鉄も末期に近づいてくると、貨物取扱駅が集約されてゆき専用列車化が進み…

続きを読む

ブログ内ラベルリスト