昭和62年3月28日、私にとって最後の乗務の日でした。前日の特急しなの15号で長野に来ていましたので、長野発6時04分発「しなの2号」で名古屋までの乗務でした。春休み中とは言え、早朝の列車なので長野を発車して車内へ入ると、乗客の数は少なく、その中に種村直樹さんと思しき方が乗っておられました。(お声を掛けたわけではないので違っていたかもしれません)
今でも忘れられないのは、その車内でつまづいて転んでしまったことです。車内で転んだというのは、初めてではないかと思います。しなの号は振り子式車両といって、車体と台車の間にコロがあり、振り子の原理でカーブでも高速で走ることができる電車でしたので、構造上、大変よく揺れる電車でした。走行中に通路を歩くとよろけます。しかしプロの乗務員が転ぶのはちょっと恥ずかしい話です。乗客が少ないのがせめてもの救いでした。
最後の乗務の記念に、乗務終了直前に車内補充券を自分のために発行しました。(もちろん自分で料金は支払い売り上げとして計上しています。)こうした車内補充券も今では見られなくなって久しいものです。
終着駅名古屋には9時24分に着き、売上金を引き継ぎ、いつものように帰着点呼を受けてすべてが終わりでした。
乗務を終えてもまだ午前中ですので、支給されている無料の職務乗車証を使って最後に関西線で桑名まで往復してきました。特に桑名に用事などはないのですが、今後はどこへ行くにも「運賃を支払わないと列車には乗れない」のです。なじみの深い165系も走っていて、家からも遠く今後一番乗りそうもない関西線に乗ることにしたのでした。
桑名では酒屋へ行き、地酒を買いました。
この酒です。実は私は地酒のラベルを集めているのです。この酒は私の中では退職記念酒です。
再び職場に戻り、制服、乗車証はじめ、貸与されていた物品類を返納しロッカーを片づけて職場を後にしました。
翌29~30日は公休。国鉄最後の日3月31日は乗務すべき列車はなく年休処理になっていました。
職場も、私のように転職で鉄道を去る者、JRに採用される者、国鉄清算事業団へ編入される者が入り乱れ、とても円満退職で職場のみんなに送られるといった雰囲気にはなりえない状態でした。そのような非常に重苦しい雰囲気の中で、分割民営化とは関係がないように列車は1日たりとも休むことなく走っていました。乗務員職場は、その性格上全員が揃うことがない職場です。帰るときたまたま居合わせた人たちにだけあいさつをして私は職場を去りました。約11年の在籍でした。
家に帰ると家内が近くの洋菓子店で記念のケーキを買って待っていてくれました。
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- Excerpt: もう国鉄分割民営化が決定し、私も退職することが決まっていたころは、いつ乗務からはずされるかわからない状態で仕事をしていました。結果的に私は分割民営化直前の3月28日まで乗務したのですが、いつでも乗務の..
- Weblog: 昭和の鉄道員ブログ
- Tracked: 2015-03-26 06:50
この記事へのコメント
アルヌー
こんばんは。
今日は、雨で少し寒いくらいですね~。
国鉄が民営化される時は、僕は中学生でしたが、
慣れ親しんだ国鉄が、バラバラになっちゃって、なんだか寂しい気分でした。
それでも、列車はずーっと走り続けているんですよね。
残る人、去る人、皆さん様々な気持ちで、国鉄最後の日をむかえられたのではないでしょうか。
ケーキの写真からは、
奥様の優しさが、伝わって来ますね~。
(^-^)/
しなの7号
コメントありがとうございました。
このケーキの写真ですが、なんと畳の上で撮ってありますねえ。家内からツッコミがはいりました。なんでテーブルの上で撮らなかったんだろう?
今となっては謎です。
最終乗務終了時に奥さんが花束持ってホームにお出迎えの方もおられましたよ。
田端車掌区レカ
しなの7号
荷40列車の記事をご覧いただいたようで、ありがとうございました。
まもなく「上野東京ライン」が開業しますね。この荷2641レを思いながらいずれ乗ってみるつもりです。田端操のスイッチバックは如何ともしがたいですが…
宇都宮のEF58であれば、電気暖房でしたので冬場でも快適だったはずですね。そのあと53.10で山手貨物線経由の東北~東海道直通荷物列車が設定されて、その列車では新鶴見まで宇都宮のEF58が入っていました。
貨車区一貧乏
この時期になりますと就職で上京した事と退職し北斗星で地元に戻った時のことを思い出します。
最後の乗務は、勤務地がある駅止まりの電車でした。駅員の車内チェックが終わりドア扱いで終了。
10年間の鉄道生活を無事終える事ができました。
その時は、人身事故にも会わず退職出来た事が珍しく、安堵した事を今でも思い出します。
当時、独身の私は退職のお祝いをしてくれる人はいませんでしたが、バイク友達や組合が送別会を開いてくれたり、上野駅には想像を越す多くの方が見送りに来てくださいました。
退職して23年になりますが、今でも交流があり大きな財産を10年間で得たような気がします^_^
しなの7号
この時期は人生の節目になることが多く、同じような思いの方が私を含めて多いでしょうね。
「なごり雪」という歌は、九州ブルトレが舞台となっているそうですが、しなの号でも、名古屋駅での別れの風景や、発車直後にデッキで目を潤ませているお客さんを目にしたことがあります。
国鉄での日々から得た精神的な面での「間接的財産」は、私も多かったと感じますし、今も生き続けています。
yuki
しなの7号
始まりがあれば、必ず終わりはあるものですね。