私が国鉄で最初に就いた職種は「乗務掛(荷扱)」でした。荷物車に乗務して車内で荷物の仕訳作業をする仕事でした。
今では、その存在すら忘れられた「荷物列車」。貨物列車ではありません。
貨物列車は最低単位として車両1両単位(今はコンテナ1個単位)で荷主があるわけですが、荷物列車は営業上も車両構造上も分類は貨車ではなく客車になります。その昔、乗客の大型手荷物を乗客と同時にその列車に併結の荷物車両に積んで運んでいたのが起源でありましょう。その積載余力で荷物だけを「小荷物」として1個単位で輸送するサービスもありました。今の宅配便に当たります。その後は客車列車の電車化気動車化で荷物車の旅客列車併結が困難になったり、荷物の積卸時間がかかるのでスピードアップの妨げになること、手荷物の需要が減り小荷物の割合が増し、乗客の動きと荷物の動きが一致しなくなったことなどで、「荷物列車」として単独で運転されることが増えてきていました。
当時の荷物専用列車です。
中央西線の坂下~田立間での撮影です。EF64電気機関車が5両の車両を牽いています。機関車直後は郵便荷物車スユニで後4両は荷物車マニです。スユニは半室が郵便室で、ここには国鉄職員ではなく郵政省職員である鉄道郵便局職員が乗務していました。
時代背景がわかるよう、このとき撮った他の写真を貼ってみましょう。
80系電車です。当時の木曽谷を走る普通列車の主役はこれでした。この約3年前に中津川以北が電化されたばかりでした。
そして381系特急しなの。退職直前にはよく乗務するようになったこの電車も、この写真を撮影した当時汚い荷物車の中で荷物と格闘していた私にとっては、まだ憧れの存在でした。
今ではその381系も中央西線から引退して久しいわけで、時の流れを感じます。



この記事へのコメント
踏切警手
こんにちは。
荷物列車、とても懐かしいです。
幼少時私の住んでいた処では、荷扱駅に、春になるとひよこが沢山段ボール箱に積まれて、ピヨピヨ騒がしい中、ターレーに引かれて積載されていました。
こちらの写真では、機関車牽引荷物列車ですが、115系の先頭に荷物電車が連結されて運転される各駅停車の電車が、午後3時過ぎに通っており、
吊り掛けモーターの勇ましい音に続いて、スマートなカルダンモーターの音が続いて何とも言えない合奏が有りました。
あの場合、後方に荷電が連結された時のドア扱いはどうなっていたのか?
ふと疑問に感じておりました。
とても懐かしいです。
しなの7号
私が乗務していた東海道本線でもクモニやクモユニを併結した列車はありました。その列車には荷扱乗務員でなく車掌として乗務してました。夏場には舞阪駅で大量の浜名湖ウナギが積まれるので、積み込みに時間がかかり必ず遅れる列車でした。
電車列車では、あらかじめ後部寄りクハで車掌がドア扱いができるように切替スイッチを「後位置」に運転士がセットしておいてくれます。荷物車がその後部に連結されても、クハの切替スイッチが「後位置」になっていればクハからドア扱いが可能です。
踏切警手
大変に貴重なお話を、ありがとうございます。
浜松でのうなぎの大量積み込みの件、その情景がとても手に分かるように感じます。
ドア操作は、運転士さんがその様にセットされていたとは、驚きました。
現場で乗務されていたからこそのお話は、とても心に響きます。
しなの7号
「戸じめ切換スイッチ」を後位置にした運転室の「車掌スイッチ」でのみ扉の開閉ができました。
【553】 車掌スイッチ
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201501article_8.html
踏切警手
大変に詳しく、過去のブログからお教えいただき、ありがとうございます!!