荷物列車には約3年乗務し、その間に「列車掛」の養成課程の試験を受けました。列車掛とは車掌と検査掛を統合した国鉄の合理化による産物で、それまで貨車区の検査掛が行っていた貨物列車の始発時と途中駅での足回りを始めとする点検や故障時の応急修理を乗務員である車掌に行わせるという職種でした。
車掌は国鉄の職種を大きく分類すれば営業職に当たりますが、列車掛は技術職の一面をも持ち合わせるわけで、その養成は4カ月半に及び全寮制の教育施設で行われました。この課程を修了すると列車掛見習として貨物列車に見習乗務することになります。列車掛になれば、検査業務のない車掌もできるわけで、専務車掌、車掌長といった道が開かれたことになります。列車掛も車掌も、これまでの乗務掛と大きく違うのは「運転業務」を担うことにあります。「運転業務」といっても直接列車を運転するわけではありません。列車の運転上の責任を負うことを言います。いわば列車の運転上の責任者となりうるわけです。これまで乗務してきた荷物列車には専務車掌(荷扱)という職名の方が1人運転業務を兼務していました。車掌のことを部内の電報略号で「レチ」と言いますが、「列車長」が語源のようです。
現在の貨物列車には車掌も列車掛も乗務していませんが、当時の貨物列車には緩急車が最後尾に連結されて列車掛が乗務していたものです。緩急車とは緊急時などに乗務員がブレーキ操作できる設備のある車両で、車掌室と緊急停車させるための車掌弁や後部標識灯(テールランプ)など必要な装備がされていました。国鉄末期には貨物列車における緩急車の連結が省略され、列車掛は機関車に乗務するといった時期がわずかにあったあと、ほどなく列車掛の乗務そのものが廃止されてしまいました。
飯田線で撮影した国鉄時代の貨物列車です。 最後尾に車掌車(1両全部が車掌室の緩急車)が連結されています。
こちらは明知線。現在は第三セクター明知鉄道になっています。
これら飯田線や明知線の場合、貨物列車そのものが廃止されてしまいました。
(いずれも自分が乗務した列車や区間とは関係のない画像です)


この記事へのコメント
門ハイ
アルヌー
僕は、広く浅くの鉄道好きです。
国鉄に勤務されていたなんて、うらやましいです~。
これからも、記事と写真楽しみに拝見させて頂きます。
しなの7号