
車掌の延長線上にある職務で、特急・急行列車にも乗務することになりました。長距離列車の勤務が加わるわけで、乗務範囲も広がり、接する乗客のみなさんも通勤通学客や近距離の用務客とは異なり長距離を「旅行」する方々と接する機会が増えてきます。規則、駅名や線名、乗継駅をはじめ、これまで以上の知識が求められるものでした。
退職直前に着用していた腕章です。年月を経て汚くなっていますが、乗務当時のまま、あえてクリーニングなどせず保管しているものです。
私の場合は当時まだ20代で駆け出し専務でしたので、通常は相変わらず普通列車や快速列車主体でしたが乗務する範囲は支線系がほとんどなくなり、幹線系が主となりました。特急列車の乗務は通常、月1度381系しなの号1往復だけでした。
しなの号は当時9両編成。グリーン車にある乗務員室に、列車全体の責任者車掌長と車内改札を専門に受け持つ専務車掌(運用上車掌長職)が乗務し、最後部車両運転室に私ども専務車掌が乗務して「運転業務」を兼務していました。国鉄分割民営化によって乗務員を辞めるまで、特急列車に関してはこの381系しなの号を主に乗務しました。急行列車はもうこの時点では特急に格上げされてかなり減少していましたので、実際に乗務したのが臨時の「きそ」165系ぐらいです。それでも当時の中部地方には、新潟行きの「赤倉」、高山線の「のりくら」などが急行列車として長い編成で走っていました。これらは見習乗務しただけで本務で乗務することは叶いませんでした。



この記事へのコメント
アルヌー
こんにちは。
今日は、爽やかで、最高の天気ですねー(^o^)
特急列車に乗ると、
「あのかっこいい制服が見られる!!」と思って、興奮してました。
車掌さんは、英語でコンダクターなんですね。
僕は、急行列車は、「八甲田」と「十和田」と「銀河」しか乗った事がありませんが、夏休みの八甲田の自由席は、凄まじい混みかたでした。
混雑している、長距離列車の車掌さんは、きっと大変でしょうね。
(^-^)/
しなの7号
コメントありがとうございました。
制服のことはいずれ書きたいと思います。
急行列車は昭和も末期になっても、夜行列車には多く残っていましたね。周遊券があれば急行券なしで乗れる急行列車は夏休みなど学生さんに人気でした。
中央本線の特急も特に季節的な波動が大きく、学校が休みの時期と、閑散期では仕事量が格段に違いました。
夏休みなど、白の制服など脱いでしまいたいとどれだけ思ったかしれないほど汗だくでした(+_+)