国鉄入社後、最初に就いたのが乗務掛(荷扱)でした。これに対し、乗務掛(客扱)といった職種もまだ残っていました。
荷扱は荷物車に乗務するのに対し、客扱のほうは、寝台車に乗務してベッドの組立や解体とその乗客を起こしたり案内に当たっていました。ホテルのボーイさんに当たるといえばわかりやすいでしょうか。その昔はお客さんからチップがもらえて、この金額は給料より多かったこともあると聞いたことがあります。客扱のほうが見た目にもいいわけですが、これは昭和50年代初めにはすでに合理化で廃止される運命でした。そのため新規採用で補充されるような状況ではなく、私が配属された職場では、客扱の方々の乗務列車は夜行寝台特急「金星」と、当時まだ寝台車が連結されていた夜行急行「きそ」だけになっていました。じきに客扱は廃止となり、寝台のセットや解体は外部委託化され、案内業務は専務車掌の増員で廃止後のサービス低下をカバーする方式で合理化されたのでした。乗務掛(客扱)の方々は多くが車掌の試験を受けて車掌になり、希望によっては駅へ転出される方もありました。
さて、荷扱のほうは、以前にも記しましたように、荷物車の中で、荷物を行き先別に仕訳をするものでした。乗客相手ではありませんから、自分で手を掛けてやらないと勝手に着駅で降りていってはくれませんので、労務職でした。
私は決して体格がいいわけでもなく、筋肉もついてないし、明らかに向いているとは思えませんでしたが、幸いにも、趣味の世界のおかげで、主な線名駅名はかなり判っていましたから、この点は大変楽でした。これがわからないと、どんなに力持ちでも仕事になりません。
写真は関西本線河曲駅での荷物列車です。乗務中の撮影です。今の世の中では、勤務時間中にカメラを構えているだけで処分されそうですが、乗客も乗っていない荷物専用列車でもあり、何の問題もない時代でした。
私の勤務する職場での乗務掛(荷扱)の班(略して乗荷班と呼ばれた。客扱のほうは乗客班)の乗務区間は、
東海道本線: 汐留~大阪
中央本線・篠ノ井線:名古屋~長野
関西本線: 名古屋~百済
紀勢本線: 亀山~新宮
以上のとおりでした。
のちのダイヤ改正で、山手貨物線経由で新宿からの乗務行路ができたり、紀勢本線も新宮より先、紀伊勝浦まで乗務するようになり、乗務区間が拡大しました。
汐留は現在再開発されていますが、現在の隅田川貨物駅とともに東京の中心部に位置する貨物駅でした。今のゆりかもめの汐留駅と新幹線との間のあたりに小荷物の基地がありました。まったく昔の面影はありません。
百済駅は貨物駅として大阪市内に健在です。現在の東部市場駅のそばですが、荷物取扱の施設は残っていません。
これだけの区間においては、駅名はもちろん駅の順番とホーム側、接続する線名と私鉄名、それらの接続駅名は最小限知っている必要がありました。最初はこれらを乗務中に地図などを見ながら暗記したものです。

この記事へのコメント
アルヌー
乗務掛の方が、客扱と荷扱に別れていた事、始めて知りました。
荷物列車も、今では宅配便に変わってしまって、無くなってしまったんですよね?
荷物列車の車内では、停車駅ごとに、大変な仕事をされていたんですね。
僕は、急行列車の一番後ろに連結されている荷物車しか、見た事がありません。
以前、雑誌で急行荷物列車というのを見た事があるのですが、長距離の荷物列車の乗務は、乗務掛の方の職人技で支えられていたんですねー。
(^-^)/
しなの7号
夜行急行列車には荷物車は付き物みたいな時代がありましたね。ブルーの10系客車のなかに編成美を乱すような茶色のマニや銀色のスニやワキ。この主たる目的は新聞輸送でした。私も「急行きそ」と「急行紀州」の荷物車に乗務していました。
元二乗
【61】から引っ越してきました。荷物車の乗務範囲は郵便車よりも相対的に長いですね。郵便車は大阪からですと折返し先は糸崎、敦賀、亀山などでした。
線名、駅名の知識は客扱い、荷扱いを問わず車掌さんには必須ですね。鉄道趣味のおかげで線名駅名を判っていたとのことですが、郵便車でも同じです。乗務訓練の最初は庁舎内で行われ、心構えや基本知識の講義を終えると、路線図を見ながら模擬の郵袋標札(トランプみたいな厚紙)を降ろす駅を記載した木箱に入れることから始めます。すでに撮り鉄を数年しており入場券など切符集めで路線図に親しんだ私にとって訓練は受けやすかったものです。降ろす駅をマスターするには接続する支線の局名も暗記しなければならず、駅名と局名が異なる駅を重点に覚えていきました。しかし、乗務し始めるとトランプは1個15キロの郵袋に、木箱はオユ12の車体に変わり、数百個の郵袋の山に身震いしたのも事実で、駅駐在勤務よりもはるかに重労働であると知りました。
しなの7号
荷物列車の乗務範囲は、所属車掌区によって短い乗務範囲を受け持つ場合もありましたので、必ずしも長いとは言えませんでした。
荷物車乗務に先立っての地上での講習期間は就職から6日間だけで、あとは乗務範囲すべてを見習として本務の先輩について指導を受け、そのあとは本務での乗務でした。ほとんどの行路は荷専(専務車掌)1名+荷扱(乗務掛)2人の計3人乗務ですから、本務になってもあとの2人に助けてもらえるので、素人でも何とかなるわけです。
郵便の場合は「局名=駅名」ではないのが、難しいですね。荷物列車の場合はトラック代行区間などで、本来の接続駅とは異なる中継駅が多々あったので、とまどうことがありました。
元二乗
トラック代行区間のお話ですが、東海道山陽本線は古くは各駅の荷扱いを鈍行連結のマニで行っていたのが荷物列車による客荷分離とともに、停車駅も集約されましたから、停まらなくなった駅はトラックで中継したという意味と理解しています。郵便も同時に輸送方式を改訂して、各駅で積み降ろししていた集配局は自動車中継し、郵便受渡駅は豊橋-岡崎-名古屋-岐阜-大垣というぐあいに集約しました。乗務していた大阪糸崎間でもかなり集約されており、停車しない中間局は停車駅ごとの中継局経由なのでそれらも覚えて作業しました。
荷物列車が停まらない駅も(国電区間も含め)けっこう荷物取扱いしており、駅前に国鉄と書いた茶色い幌トラックが来て積み降ろししていたのを見ました。これで神戸や姫路などの中継駅へ届け全国へ列車で運ばれたのでしょう。トラックの運転は駅小荷物係の人が交替でしていたのでしょうか。今は「マルニックス」という会社に変わっているはずです。
しなの7号
急行荷物列車が主流の東海道本線では指定駅を介してクモニを連結した普通列車に荷物を中継していました。トラックでの代行は少しずつ進み、毎年のように中継方の変更がありました。トラック便に変更されると拠点駅(名古屋近郊だと熱田)が中継駅に変更され、そこからトラック便が出ていたようです。名古屋鉄道管理局でのトラックによる輸送は下請会社によっていて、茶色の車体に会社名を書いたトラックが使用されていました。汐留では国鉄直営と思われる動輪マーク付の緑色のトラックを多数見かけました。
元二乗
山陽本線(明石~姫路)でも各駅に荷電で小荷物、新聞
を届けるのを見ましたが、後にはトラックに置き換えられたようです。大鉄局管内では動輪マークのトラックは茶色だったと記憶していますが、列車代行の役割以外にも国鉄バス路線の運用があったかもしれません。篠山口駅前でそのトラックを見たことがあり、あちらは園部にかけて国鉄バス路線が広がっていた地域でバス駅(出札があるところ)でも小荷物扱いが多かったからトラックで運んでいたのかと想像しています(真相はわかりません)。名古屋周辺の国鉄バス路線でも小荷物は運んだのでしょうか。
しなの7号
中部地方にも国鉄バスの駅がありまして、たとえば瀬戸市内にあった「瀬戸記念橋」行の手小荷物をよく見かけました。輸送形態については調査も研究もしたことがありませんので専用のトラックによるものか、バスによるものか、実態を私は知りません。
元二乗
やはりバス路線の小荷物扱いは各所であったようですね。鉄道郵便史という本にも国鉄バスでの郵袋託送があったことが記されていて、車内の一角に少量の小荷物と共に積まれていたようです。
それでは、また別のページにおじゃまいたします。
幹レチ
喜劇急行列車という映画が限定配信されており、それを見ました中で疑問点を探していたところ貴殿のブログにたどり着きました。
乗務掛から車掌試験を受けられるかたがおられるというところで疑問に思った点がございます。
乗務掛は運転取扱業務に従事しないということでしょうか。
そのため、車掌試験を受けることで運転取扱業務に従事できるようになるのか、それとも専務車掌(車掌長)になるための試験なのでしょうか?
無知でお恥ずかしいながら疑問に思いました。
ご存知でしたらご教示いただければと思います。
しなの7号
喜劇急行列車は、国鉄時代の列車乗務員の現場が描写されている映画として貴重ですね。
さて、乗務掛の職務についてですが、お見込みのとおり乗務掛は運転取扱業務には就けず、車掌になるためには車掌試験を受け、合格すれば教育機関での3カ月の教育ののちに、車掌見習を経て車掌として独り立ちできました。車掌になってしまえば、専務車掌~車掌長といった上位職になるための試験はありませんでした。
映画と私が在職した時代とでは時間的ズレがあり、職制が多少変わっていると思いますが、基本的に試験が必要ということに変わりはありません。私が在職したころの乗務掛は部内試験を受けなければ「車掌補」に職名が変わることはあっても、職務内容はまったく乗務掛と変わらず、運転取扱業務に就くことができませんでした。受験する試験も、私どもが在職したころは車掌試験に代わって列車掛試験を受けることになりました。車掌が貨物列車の検査業務も受け持つ「列車掛」という職種ができたためで、試験内容は同じでしたが車両の構造と故障時の取扱いのことも併せて教育を受ける必要性から教育期間が4カ月半(車掌業務3カ月+検査業務1.5カ月)と長くなりました。
寝台車の乗務掛・車掌補について、
【469】 寝台特急「金星」(後篇)
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201403article_7.html
で、少し書いていますので、よろしければご覧ください。
客車大好き爺
今月のRM libraryが荷物列車・・しなの7号さんのブログに以前荷物列車の記事がありむさぼり読んだ記憶が蘇り、今再び熟読しています
客車はいいですなぁ・・大好きです
しなの7号
ありがとうございます。
私もRM library「国鉄の荷物列車」のことを知ったので注文し、昨日配送されてきましたので、昨夜就寝前に読み始めたところです。奇想天外な運用は荷物車ならでは…と思いました。今夜も就寝前の読書になる予定です。