今の若い方々には荷物列車とはどういうものかわからないと思います。そもそも宅配便というものは昔はありませんでした。調べてみるとちょうど私が国鉄に入った年に宅配便の歴史がスタートしたようなことがウィキに書かれています。小口の荷物を送る場合には、軽量なものが郵便小包で、重く大きいものは「鉄道小荷物」という手段が一般的でした。
重さや大きさの制限があり、鉄道荷物では最大で30㎏、3辺の合計が2mまでのものを取り扱っていました。このほか乗客が手荷物として別送する「手荷物」がありました。いずれの場合も、駅留といって駅まで客が荷物を取りに来る取り扱いと、別途配達料金を加算して日通など通運業者が家まで宅配するサービスもありました。
現存する荷物車は極めて少ないと思いますが、横川駅の近くにある「碓氷峠鉄道文化むら」にオハユニ61という郵便・荷物・客席の合造車が保存されています。数年前に室内の写真を撮ったのでお目にかけます。
手前は荷物室です。奥は郵便室です。荷物室の床には通路の部分を除き木製の桟があります。これは水物の荷物(魚類など液体の入っている荷物)の水分が漏れた場合に他の荷物への濡損被害を防ぐための設備です。この上に行先別に荷物を積んでゆきます。棚には小さい荷物を載せます。荷崩れを起こしてもガラスが割れないよう窓には鉄製の保護棒が取り付けられています。
荷物室から車掌室を見たところです。机と椅子が見えます。この車両は合造車で荷物室は車両の4分の1程度なので乗務員は1~2人で対応するので狭いです。
通常私が乗務していたのは「マニ」で1両すべてが荷物室でした。専務車掌(荷扱)・・・通称「荷専」と乗務掛2人の計3人が乗務しましたので車掌室も、この2倍くらいのスペースがあり、荷物室と車掌室の間にはトイレと貴重品室がありました。机では荷専が事務を執り、部内の事業用書状を行き先別に仕訳しました。
これが全室荷物車の「マニ」です。
すでに廃車予定で亀山の操車場内で留置されているころの写真です。
この車両はマニ35形。窓の形状から察するにスハニ32からの改造車と思われます。荷物車はこのように、古くなった旅客車から改造され、第二の人生を送っている車両が多数派でした。
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- 【201】 乗務した車両:荷物列車について
- Excerpt: 国鉄に就職してから最初は乗務掛をしていまして、いつも荷物車に乗務する仕事でした。 マニをはじめとする荷物車は分類上客車なのですが、乗客が利用するわけではないので、一般にはなじみが薄い客車です。これまで..
- Weblog: 昭和の鉄道員ブログ
- Tracked: 2011-09-20 22:02

この記事へのコメント
アルヌー
荷物車の床が、あの写真の様になっている事を、初めて知りました。
いろいろ考えて造られているのですね。
僕の、小さい頃、東武東上線の上福岡という駅に、北海道の親戚に荷物を送る為に、何度も行った記憶があります。
今は宅配便があるので、楽になったし、速く届く様になりましたね。
駅に荷物を持って行ってた頃は、北海道まで、何日もかかっていたと思います。
既に、東上線から、貨物列車は無くなり、上福岡駅の荷物を扱っていた所も、バスの方向転換をする場所に変わってしまいました。
たぶん、駅に荷物を送りに行く、なんて事は、もう忘れてしまった人が多いんでしょうねー。
(^-^)/
しなの7号
小荷物のご記憶があるとは、うれしいですね。
私も「上福岡」着荷物の記憶はありますよ。東武東上線は汐留中継荷物となっていました。福岡は北陸線、南福岡は九州、上福岡は汐留中継だから間違えないようにと指導された記憶です。間違えると異方向荷物として、物によっては営業事故となりました。逆に誤積荷物を発見して適正処理すると報奨金(といっても1個につき30円)が出ました。
アルヌー
上福岡をご存知なんて、嬉しいです(^o^)
たしかに、上福岡を九州と勘違いしても、おかしくないですよねー(^-^)/