列車掛の職務については、以前記しましたが、貨物の車掌で車両検査も受け持つものでした。
私の場合、乗務区間は次のとおりでした。
東海道本線:東静岡~吹田操
東海道本線・中央本線: 稲沢~中津川
東海道本線・関西本線: 稲沢~亀山操
東海道本線(名古屋港線):稲沢~名古屋港・白鳥
東海道本線(西名古屋港線):稲沢~西名古屋港
岡多線:岡崎~北野桝塚
現在東静岡といえば旅客駅ですが、国鉄時代は旅客駅は存在せず、貨物駅でした。今は貨物駅のほうは「静岡貨物」駅と呼ばれるようです。
吹田も今は操車場跡が整理されつつあるようで、昔の面影がなくなっていくのを感じます。
亀山も操車場跡は荒れたまま放置でしょうか。
白鳥は名古屋中央卸売市場のあるところで、名古屋の地下鉄日比野駅が最寄りの貨物駅でしたが廃止され、跡地には名古屋国際会議場などが建って、まったく面影が見いだせません。
名古屋港駅も貨物駅で、ここはまだ存在しています。
西名古屋港駅は名古屋臨海高速鉄道あおなみ線の車庫があるあたりにあった貨物駅でしたが今はなく、西名古屋港線自体も全線が高架になって貨物線時代とはまったく別の線に生まれ変わりました。
この範囲を乗務していたのですが、列車の種類はさまざまでした。
特に東海道本線では、時速100㎞で走る高速貨Aと呼ばれる速度種別の列車があり、これには機関車はEF66、貨車はレサ10000形式など一部の高性能ブレーキ装備の「高速貨車」に限定されていました。
次が時速95㎞の高速貨B。これはコキ50000形式とコキフ50000形式に限定されていました。これらを牽引する機関車はEF66に限らずEF65も使用されていました。
このほか乗務した貨物列車を牽引した機関車はEF60、61、64、EH10、DD13、51、DE10,11がありました。
乗務する車両は「緩急車」でコキフ50000、ワフ21000、22000、29000、29500、35000、ヨ2000、5000、6000、8000と何種類もの形式がありました。
今回はNゲージ模型で緩急車の一部を見てみましょう。
これはヨ5000です。時速85キロまでの貨物列車に使用されました。
これはワフ29500です。半室は貨物室ですが、私が乗務していた範囲では通常貨物室は使用されず、先回ご紹介したような新聞輸送に使用されることがある程度でした。通常は時速75キロまでの貨物列車に全室車掌室のヨと混用されていました。それ以上の速度を必要とする貨物列車には使用されませんでした。
これは前述の「高速貨車」レサ10000形式の緩急車レムフ10000です。後ろは同様に高速貨車のコキフ10000形式です。レムフ10000は1度だけ見習乗務で乗務しましたが私どもの職場ではコキフ10000使用の列車は受け持っていませんでした。いずれも下回りや車掌室の構造は同一でした。10000形式はデリケートな車両でブレーキ関係の不具合が多いものでした。
デリケートな10000系列の貨車に代わり登場したのがコキ50000系列で最高速度は時速95キロに下がりました。緩急車はコキフ50000でした。
この記事へのコメント
hmd
暑いですね~こちらの関東エリアは梅雨なのに雨が降らないです。
今年もカラ梅雨気味かなと。。。
模型で解説がなかなか面白いです^^/
高速貨レの最後尾に連結されていたレムフやコキフが懐かしいですね。
当時も全国の貨レの看板列車で。。。自分は小さい頃なので記憶が曖昧です^^;
今もなお貨物の大動脈である東海道本線にご乗務されていたとは驚きです。
続編解説も期待しています。
p.s.
一枚目の画像のバックがすごく気になります(笑)
後にはキヨスクかな?と~凝っていますね^^
アルヌー
コキフって、今は全然見なくなりましたねー。
コキの一番後ろに、丸い赤い板がついているのが、ほとんどですよね。
やっぱり一番後ろは、コキフが連結されている方が締まりますよね。
hmdさんもコメントされていましたが、一枚目の写真の背景気になります。
(^o^)
連結されているオレンジの貨車は車を運ぶ車両ですか?
また模型の写真見たいです~。
\(^o^)/
しなの7号
いつもご覧いただきありがとうございます(^O^)/
当地は未明に雷雨があり、目が覚めました。日中は曇りで雨も降りませんでした。
>>hmd様
緩急車の適当な写真が見つからなかったので、模型でごまかしてしまいました(^^ゞ
今後もこのような手抜きがありますことをご了解ください。レムフは鉄道博物館に保存されていますね。館内では地味な展示車両ですが、私にとっては気になる展示物です。
>>アルヌー様
コキフは列車掛が廃止になった後は車掌室を取り払いコキに改造されたようですね。私も最後にはコキフがないと許せないです。
>>hmd様 アルヌー様
1枚目の画像は我が家の1畳のレイアウト上での撮影です。10年くらい前に製作しましたが、ほとんど稼働することがないレイアウトです。背景のホームはトミックスの既製品で細工はしていません。連結してあるのはお察しのとおり車運車ク5000です。
katuodasinimoto
白鳥線なんてなんて懐かしい名前が。
元熱田区民の鉄少年だった私は、日比野の踏切はしょっちゅう貨物列車を見に行った所です。
名古屋市場駅のところにあった日本水産?で、私の伯父二人が働いていました。
一人は10年以上前に、もう一人もつい最近鬼籍に入りましたが、センチュリーホールのコンサートに行くと、いつも、あの線路と貨車と伯父のことを思い出しています。
家内に、コンサートに行くとき、日比野の交差点で、今は自転車置き場になっているところが線路だったとか、西高蔵駅に向かう道が昔線路だったとか、いつも説明しています。
名古屋港線は、自宅から1キロくらいのところを走っていまして、だいたい15:45くらいに列車が通るので、母と線路近くのスーパーに買い物に行ったときは、必ずその列車を見に行ってました。今は2日に1往復しか列車がないそうで、ちょっとさみしいですね。一度、列車が近づいているのに踏切でないところで線路を横切って、機関士に怒鳴られたことがありました。申し訳ないです。40年前の話です。
しなの7号
バックナンバーへのご来訪ありがとうございます。拙ブログは日記的なものではございませんからまったく構いません。
名古屋港線で私が乗っていた列車は、もっと遅い時刻の列車でした。最高時速は55㎞/hでしたから、怒鳴る方も怒鳴られる方もお互いの意志が通じる速度ですね。
熱田駅の話を次回(6月22日)に予定しています。
関係ない話ですが、うちの亡父は熱田空襲の経験者でした。愛知時計に勤務しており、終戦後国鉄に入っています。