私が車掌職の期間(専務車掌になるまでの期間)に乗務した車両(編成中に連結されていた車両)は
客車:旧型客車(ナハフ10、オハフ33、45、46、スハフ42、ナハ10、オハ35、46、47、スハ40)
荷物車:(マニ36、44、50、60、スユニ50、60、61、オユ10、ワキ8000)
上記の牽引機 DD13 DD51
電車:103系、111系、113系、117系、153系、155系、165系、381系 、クモニ83
気動車:キハ30、35、45、40、48、55、28、57、58、65、キロ28、キニ28
名古屋地区で当時活躍していた車両のほとんど全種類に乗務していたことになります。
これはキハ35。関西本線、伊勢線、武豊線で乗務しました。写真はすでに役目を終えて亀山に留置されていた車両の写真です。
乗務した列車の編成両数も伊勢線の超ローカルキハ30単行や荷物電車クモニ83単行から165系などの電車やキハ58系12両編成までありました。
乗務した165系には急行折返し間合運用のサロ165組込編成もありました。
写真は名古屋駅までの普通列車から折り返し急行つがいけ号への変身中の様子です。サボ(行先表示板や種別表示板)を取り換えるために左右両側のドアが開けられているのがお判りでしょうか。今思うとたいへん危険なことと思うのですが、字幕のない当時の名古屋駅を始め、折り返し駅では「ホーム反対側のドアが開きます」という車内放送をするだけで当たり前のようにホームのない側のドアも開けて整備会社の社員がサボ交換作業をしていました。
キハ58系の間合運用のキロ28組込編成もありました。これらのグリーン車はいずれも「ハ代用」といって、普通車扱いの乗り得車両でした。381系は回送のみの乗務で、専務車掌になるまで特急及び急行の客扱列車の乗務はできませんでした。

この記事へのコメント
アルヌー
旧型客車や気動車、電車まで凄く幅広い車種に乗務されていたんですねー!
165系のサロって、窓に小さいひさしが付いている車両でしたっけ?
手作業でサボを換えるなんて、今では見られない事で、写真を見てるとサボを差し込む音が聴こえてきそうです。
向こう側のドアが開いているのが、たしかにちょっと怖いですね~。
(^_^;)
旧型客車は、どの路線で走っていたんでしょうか?
写真でしか見た事が無いのですが、最後部の通路にチェーンが掛けてあるだけっていうのを見た事があるのですが、しなの7号さんの乗務されていた頃はどうでしたか?
しなの7号
こんばんは。いつもコメントありがとうございます。
ご質問の件
そうです。サロ165は2連窓にヒサシがついてたやつです。あの1両があると同じ165系でも「格」が上がったような気がするんです。
旧型客車は昭和57年まで関西本線で走っていました。乗務員室が車端にある形式の乗務員室側には貫通扉はありましたが、それ以外はチェーンだけでした。
hmd
乗務でいろいろな形式を乗車されているのですね^^
旧型客車から気動車、電車まで驚きです。
形式によって機器の取り扱いが違ったりするのでしょうか?
サボを交換する専門の係の人など、昔は今より多くの人が列車の運行をサポートしていたのですね。
また、専務車掌の試験に受からないと優等列車の乗務はできなかったと言うことでしょうか?^^
(すみません質問ばかりで^^;)
しなの7号
いつもありがとうございます。
ご質問の件
形式による取扱や注意点は異なりました。この点については、後々、形式ごと、特徴のある列車ごと、線区ごとに分類した形でご紹介したいと思っております。
専務車掌は、車掌(列車掛はもちろん含む)の試験に合格している者の中から一定の基準で順番を決めて年功序列型での昇進でしたので、試験はありませんでした。