車内補充券(略して車補)や車内片道乗車券(車内券)はすべての列車の乗務が終わった後、所属する車掌区の車補担当内勤者に引継書を作成して、使用しなかった残り片と使用した控え片とを、現金とともに引き継ぎ、受領印をもらいます。
上の写真は車内片道乗車券の引継に付属して付ける内訳表です。発行済みの車内券の薄い控え片を発駅着駅別に並べ替えて、この表に金額と発行枚数を書きこみ集計します。このため、この内訳表は車内券に記載してある駅順と同じになっています。参考のため、車内券の写真も下に貼っておきましょう。
計算した金額が領収した現金金額と一致するまでは不安で、一発で金額が合うとうれしいものでした。
車内補充券の場合も含めて、車内での限られた時間内で、現金の収受と何種類もの切符を発行をしますから、間違いも皆無ではありません。こうした車内券の間違いはパンチによる穴の入れ忘れや入れ間違いだけですが、車内補充券の場合は書きこむ箇所が多いですから間違いがよくおきます。単なるケアレスミスはもちろんありますし、恥ずかしいのは規定を知らないことによる間違いでした。
帰着後必ず車補担当でのチェックが入ります。特に新米車掌の書いた切符となれば、なおのこと厳しい目でのチェックとなります。
車掌区という職場はどこでも内勤者の事務机と乗務員の「たまり場」の間は銀行にあるようなカウンターで仕切られていました。銀行の窓口で預金するのとまったく同じように、カウンターごしに車補と現金の引継ぎをします。
しばらくすると、カウンターの向こうから、みんなのいる前で大きな声で名前を呼ばれ、間違いの指摘をされると恥ずかしいものです。小さなミスなら「これから気をつけるように」で済みますが、金額の間違いはもちろん、有効日数など効力の間違いのほか、人数、原券欄、経由欄などまっ線を記入すべき箇所のまっ線記入漏れに至るまで、着駅に文書で通知する必要がありました。その通知手段として鉄道電報を用いました。
鉄道電報用紙です。下書きしたものを保存しておいたものです。
電報番号:8002
受信者 :北陸本線小松駅改札
発信者 :○○車掌区にて11月18日931D車掌
通信文 :本列車発行の車内補充券3372冊9号の領収額欄運賃1,100円とあるのは950円が正当です。150円過徴ですので旅客に払い戻しを乞う。よろしくお願いします。
という内容です。運賃表の金額を1段階間違えたのかと思われます。
これで、この場合は小松駅の改札係が集札のときに気を付けていれば、お客さんに150円を返還できるわけです。電報を打ってあることで間違いが明確に証拠として残っていますので当日でなくても請求があればお客さんに返還することが可能なわけです。
電報はあらかじめ鉄道電報用紙に受信駅名と発信者、通信文を書いておき、最寄りの信号通信区へ電話をかけ、内容を読み上げます。信号通信区の職員はすぐ電報を打ってくれますので、日時、応対者氏名、電報番号を確認し電報用紙にそれらを記載して車補担当者に引継ぎます。
上の例は運賃の取り過ぎでしたが、その逆で、間違いの内容が領収金額不足の場合は同様に電報によって不足額の収受依頼をするとともに、「弁納」といって車掌が自腹を切っていったん車補担当者に納めることになります。
通信済の内容を記入した電報用紙も添えて再度正当な引継金額を記載した引継書で不足額を加算し「当弁(当日弁納の意)○○円」と付記して引き継ぎます。こうして電報によって乗客から弁納した不足額が回収できれば、弁納したお金は返してもらえるのですが、そういうケースはきわめて稀で、弁納したお金はどぶに捨てたも同然でした。同様に釣銭を多く渡し過ぎたときなど証拠もないので、自腹でした。
在職中、弁納してお金が返ってきたことは一度もありませんでした。



この記事へのコメント
アルヌー
しなの7号さんのブログで車掌さんの仕事の本当の大変さが、少しずつ解ってきました。
走っている列車の中でお客さんの注文通りの車内補充券を作成するのは、想像しただけでも大変ですね。
全てを頭に入れて料金を正確に徴収するなんて、かなり訓練しないと難しいですよね?
お金を扱う仕事なので、間違いがあった時の対処法もしっかり確立されていたんですね。
あの様な電報で、すぐに下車駅に連絡をしていたなんて知りませんでした。
この前八高線の車内で見た端末の機械を使う様になってからは、きっと料金計算なども自動でやってくれるんでしょうね?
今回も、知らなかった事ばかりで勉強になりました。(^o^)/
しなの7号
たまに変わった行き先とか書くとダメですね。
知らない駅名を言われ、焦ったり。
今はどうやっているのか知りませんが、あまりに特例が増えてしまい、手作業で発行できるのは自社線内発着の切符くらいしか無理な気がします。
ありがとうございました^^
たこすけ
車掌さんの仕事はとても大変なのですね。
私はブルトレのDVDの車掌さんしか
見てなかったので、しなの7号さんの記事を
見て実際はこんなに大変な仕事なのだと実感
しました。
これからも私たちの知らない世界を
教えて下さいね
しなの7号
私どものころに比べ、今の現役車掌さんたちのほうは、別の意味で何倍も大変だと思います。国鉄当時の車掌はのんびりしていたものだと改めて思います。今では考えられない個々のできごとは、またアップしますのでよろしくお願いします。ありがとうございました。
hmd
夜は涼しいのですが、昼は暑いままですね。
車掌さんの車内発券も大変ですね^^;
「きっぷは目的地まで」という当時よくあった標語の意味が今よくわかりました(最近はスイカ等ですが)。
現金と切符や補充券の2つを同時に扱うので、責任大きいと思いました。
しなの7号
複雑な切符の精算のお客さんには「駅でやって」と逃げる手もありましたが、そこはオタクのプライドがありますから、時間かけてへんてこな切符を発行することもありましたです^^;
帰着後車補担当者に引き継ぐと、首をひねって考えておられます。へんなもん売ってくるなよと冗談の一つも出れば
いいのですけど、間違ってたら電報・弁納で自信喪失^^;
貨車区一貧乏
過去ログ拝見中です
「電報」・・・懐かしいですね~
内勤の車補担当を「概算」と呼んでおりましたが、呼び出しは本当にビビリました。その後の処理は冷や汗ダラダラで恥ずかしいやらで電話しておりました
東京の国電区間は図式補充券での発行でした。新人の頃には対会社線や全国からの切符の精算やらで結構やらかしました。
次はミスしないぞ!と思い、寮に帰宅しても駅の出改札担当の先輩を捕まえて勉強したこと思い出しました。
JRになってからは発行機にて精算していましたから、釣り銭のミス以外はほとんど間違いは無くなりましたけど、ペラペラのレシートみたいな紙なので、面白みが無くなってしまいました。
しなの7号
最近は貨物関係の話題がなくてすみません。
貨物と違って、車補を持つと車掌区に帰ってから一仕事できてしまうのはつらいですね。やはり、寮へ帰ってからも勉強されましたか。列車掛から車掌になった時には、現金を扱い、車補を発行しなければならないというのが一番の心配事?でした。あまりないような事例に出会うと、失敗談を仲間内で自慢?していたのが懐かしいです。東京近郊は私どものような田舎と違って複雑な経路や特例があって一層難しかったでしょうね。
今の車内精算は、見ている限りではずいぶん楽になったものと思いますね。