武豊線の武豊行普通列車に乗務していたときのこと。
始発の大府駅で若い鉄道ファンが話しかけてきた。話を聞くと入場券を集めていて、これから武豊線を一往復するのだという。 話の内容は行き違いの停車時間の長い駅があれば、その駅で改札を出て入場券を買ってきたいという趣旨であった。
当時の武豊線は列車本数も少なく、日中でも乗り遅れたりしたら1時間は待たないと次の列車はなかった。入場券を売っている駅は、緒川、東浦、亀崎、乙川、半田、終点武豊の6駅あった。 武豊は折り返し駅だから問題はないとしても、あいにくその列車は中間駅での長時間停車もない。それに駅の構造上、武豊行に関しては中間駅すべてにおいて、改札口へ行くには跨線橋を渡らねばならない構造で物理的にも不可能なことだった。こちらとしても走って怪我でもされたら困るし、列車が遅れるのも困る。
これは半田駅。跨線橋がある。
その旨を伝え、あきらめてもらったが、帰路の大府行であれば、乙川、東浦、緒川の各駅はホーム直結で改札がある。しかし列車が到着すれば改札も出札も同時に1人でこなすような小駅ばかりで、それも相当危険な芸当である。
自分もその道の人の気持ちは解るが勧めるわけにはいかない。武豊行の車内でどうにかならぬものか考えた結果、ある案を思いついた。前述のように大府行なら、乙川、東浦、緒川の各駅はホーム直結で改札があるから駅には武豊駅の折り返し時間を利用して改札係に電話をしておいて、自分が乗る折り返し列車に、事前に日付けを入れた入場券を改札口に用意しておいてもらえばなんとかなりそうだ。
跨線橋を渡らないと改札口まで行けない半田駅と亀崎駅は当時運転取扱駅で、助役または運転主任がホームに出場し列車の発車の際に出発指示合図をしてくれる。この人に日付を入れた入場券をホームまで持ってきてもらい私に渡してもらうよう依頼しておく。こうすれば、改札口まで跨線橋を渡らなければならない駅も含めて、武豊線有人駅入場券のコンプリート収集ができることになる。
その鉄道ファンに計画を告げると願ってもないことという。私はその計画を自分のためのように思い、うまくいくといいなと願ったのだった。
国鉄の業務用電話は電信電話公社(のちのNTT)回線ではない独自の鉄道電話回線を持っていた。全国に、7ケタの番号で国鉄関係機関へ電話することができた。内部では電信電話公社の電話を「公衆電話」といい、「鉄道電話」(略して鉄電)と区別していた。
武豊駅ではホームに乗務員の乗継詰所があり、そこの鉄道電話から、これら中間の5駅に電話してみたところ、すべての駅で快諾してくれたのだった。
これが武豊駅ホームにある乗継詰所。ここで各駅に電話をした。(写真はJR化後の撮影)
折返しの大府行では、改札がホームに直結している3駅では、その鉄道ファンに改札の位置に一番近いドアを教えておき、そこで釣銭がないよう現金を用意してもらい待機するように言っておいて、改札係から用意してあった入場券を直接受け取ってもらった。
そのほかの駅では私といっしょにホームに出てもらい、列車扱いのため出場した助役または運転主任から入場券を受け取ってもらった。
こうしてこの計画はめでたく成功し、その鉄道ファンの方も喜んでくれた。キハ35がわずか2~3両で走る日中の国鉄ローカル線のことなのでできたことであったが、JRに移行後はCTC化でホームに出る駅員もいなくなり、スピードアップのため停車時間が少なくなってしまった。駅も高架駅になったところもあって今では到底できないkことである。
<2015.5.24 追記>
2013年(平成25年)10月1日から、線内6駅に「集中旅客サービスシステム」が導入されるとともに、無人化され、大府駅および半田駅以外の駅はすべて無人駅となった。


この記事へのコメント
アルヌー
その鉄道ファンの方にとって、その時のしなの7号さんの対応は一生忘れられない出来事になったのではないでしょうか?
本当に素晴らしい事だと思います。
その鉄道ファンの方にとっては、時間が節約出来たり手間が省けたという事よりも、しなの7号さんがそこまで考えてくれて、各駅の駅員さんたちが皆さん協力してくれた事のほうが嬉しかったのではないかと思います。
乗務員さんや駅員さんの協力を得てコンプリートした入場券、絶対宝物になっていますよ。
素晴らしいお話を知る事が出来て、心が暖かくなりました。
その鉄道ファンの方も、しなの7号さんと出会えて幸せだったと思います。
\(^o^)/
しなの7号
まずは秩父鉄道硬券入場券全駅収集&全駅訪問おめでとうございます
記念に???懐かしい思い出をアップさせていただきました^^;
全部集めたくなるのが人情であり趣味の世界。よくわかるものですから、自分が集める感覚でやったことです。
国鉄時代だからこそできたこと。ほんとにそう思います。現代の車掌さんたちにはこのような余裕はないでしょう。このようなローカル鉄道というより、社会全般において、こうした余裕がある社会があればと思うのです。
コメントありがとうございました(^O^)/
ブログ管理人 hmd
またまた暑さが戻ってまいりました。
昔の国鉄時代のほのぼのとした人情味のあるお話ですね^^
乗務はきちんと行ないながら、今のように全てがきっちりしすぎない所があったと思います。
学生の頃、ローカル線で車掌さんが検札をした時に「どこから来たの?」の話から始まり、
乗務中に関わらず駅間では客室内で色々お話をして、良くして頂いたのがいい思い出です^^
(駅に着く直前に乗務員室に戻るという次第です。本当は勤務中なので駄目だと思いますが)
その若い鉄道ファンの人もすごくいい思い出になったともいます^^
鉄道は人の心もつなぐ・・・という感じでいいですね。
しなの7号
現代は無駄を省いて効率化、マニュアル化、標準化などで、無味乾燥な世の中です。心の余裕も時間の余裕もなく、仕事に対する個人の意志や考えの反映もできないことは多くあります。そういう意味では国鉄在職時代は楽しみがありました。
車内でお客さんと雑談したりというのはよくありました。旅の途中での出会いは思い出に残るものです。私も逆の立場で車掌さんと旅先で話をしたこともあって、よい思い出になっています。
いつもご覧いただき、コメントまでいただきありがとうございます。