中京地区は首都圏や京阪神と比べると格段に田舎です。移動手段は自動車が主流で、通勤通学輸送が一段落する時間帯は閑散となります。そもそも通勤時間帯でも、国鉄時代は列車本数は大変少なかったものです。103系電車には必ずしも適した線区とは言い難いところがありました。その中で、あえて適した使用線区としては、沿線の宅地開発が進んているものの、並行する私鉄もなく混雑する中央西線でした。
転属後は6両と4両の編成を連結して10両で運用され、日中には6両編成もありました。民営化が迫った昭和61年11月のダイヤ改正を機に7両と3両の編成に組み替えられました。このため日中には3両編成も登場し、ローカル色が濃くなりましたが、列車本数は増加しました。
中央西線も高蔵寺を過ぎると、写真のような玉野川の渓谷を走ります。首都圏のビル群を走ってきた103系には明らかに場違いでした。
そもそも、103系電車は都市部の通勤輸送用として、短い駅間を高加速高減速で運転するのに適した性能を持っていました。中央西線は首都圏に比べて駅間距離は長く、クモハに乗務していると、80キロを超えると苦しそうなモーター音が響きました。もとの線区では高速で走ることもなかったでしょうから、103系には過酷な仕事だったのかもしれません。
春日井から名古屋までノンストップの回送電車に乗務したときのことですが、列車が遅れていたので運転士も全力で回復運転に努めていました。いつもは80キロくらいで走っていましたが、その日は当時の制限速度である時速95キロを出しました。そこへ到達するにはかなりの時間がかかり、さすがに無理をしているなとわかるスピード感でした。
103系は高速走行からの減速時にも問題ありでした。運転士がブレーキをかけると、いきなり強く電気ブレーキが働き、立っていると前へ倒れてしまうほどの激しい衝撃が起こるのです。
その日は、停車するためブレーキがかかるたびに、ガクンと強い衝撃を特に感じました。途中駅から最後部車両に乗って立っていた乳児を抱っこしたお母さんとお父さん。あまりの衝撃に耐えかねて、お父さんのほうが「どういう運転をしとるんだ!!へたくそやなあ。子供もいるんだぞ。危ないじゃないか!!」と乗務員室に怒鳴りこんで来られました。こちらは「運転士には連絡します。申し訳ありません」というしかなかったのですが、このときの運転士に限らず、運転士はみなこの現象を気にしていたようで、特定の車両でそれは特にひどいとも聞きました。当然ながら、その列車も終点までガックンブレーキで走り続け、件の乗客はそのたびに乗務員室の私のほうを睨みつけるし、その乗客が電車から降りる時にもホームで何か言いたそうにこちらを見るので、「申し訳ありませんでした。運転未熟というわけではなく、車両の状態によるものと思います。」と言っておきましたが、困った思い出でした。
今でも忘れませんが、その特定の車両とは運転士によればクハ103-90号車とのことでした。電気ブレーキはクモハかモハで作動するものなので、クハに問題があるとすれば、制御機器の問題だったのでしょうか。そこまでは聞きませんでしたので不明です。
昭和59年10月28日
中央本線671M
運転区間 名古屋~高蔵寺
乗務区間 名古屋~高蔵寺
クモハ103‐ 38 名シン
モ ハ102‐129 名シン
サ ハ103‐163 名シン
モ ハ103‐ 79 名シン
モ ハ102‐ 97 名シン
ク ハ103‐ 88 名シン
クモハ103‐ 17 名シン
モ ハ102‐ 95 名シン
サ ハ103‐ 79 名シン
ク ハ103‐ 90 名シン
前6両 神82
後4両 神122
<<続く>>


この記事へのコメント
アルヌー
今日は朝から良い天気です。爽やかで気持ちいいですね~(^O^)。
今年の夏休みに秩父鉄道で101系に乗った時にも感じましたが、通勤電車が少し長い距離を走るだけで辛そうなモーター音がしますよね?
山手線を走っていた頃は、ギュウギュウにお客さんを詰め込んでも、普通に加速して走っていたのに、長い直線を力行し続けているときは、少し不安になる程モーター音が大きく響きます。
やはり見た目や先入観だけでは無くて、車両の性能自体も大都市の路線が合っている車両だったんですね?
京浜東北線の青い103系が渓谷沿いを走っているのは、違和感ありすぎですが、逆に新鮮に見えますね。\(^o^)/
しなの7号
おはようございます。
こちらもいい天気ですが、私はどこにも出かけず「お留守番」です。
103系はまだ西日本で走ってますね。以前山陽地区の乗り鉄に行ったときに、山陽本線や呉線に普通に103系が運用されてて、乗る側としてはガッカリだったんですが、本来の用途から完全に離れてしまってますね。呉線などワンマン快速でちょっとびっくりでした。
アルヌー
今日は、お留守番ですか~?ワンマン運転の電車の運転士さんは、給料を多くあげて欲しいくらい忙しく動いていますよね?
夏休みに乗った秩父鉄道の運転士さんは、電車が止まると立ち上がって、ドアのスイッチに鍵を入れて回し、開閉を行った後再び運転席の座席を出してから座って時刻表を確認してから走り出すという、本当に忙しそうで大変なお仕事をしていました。
お休みでゆっくり出来ると、体も気持ちも休まりますね~\(^o^)/
しなの7号
いつもコメントありがとうございます。
101系に限らず、もともとワンマン仕様でない車両をワンマン化して使っている鉄道会社は多いと思いますが、一段と大変そうですね。国鉄時代では考えられません。
私が今でも鉄道員でしたら体が持たないかもしれんと思ってます^^;
hmd
こちらは何だか雲行きが怪しくなってきました。
車両も適材適所の例ですね^^;
確かに山線の要素も少しある中央西線にはきつかったと思います。
カックンブレーキも昔の車両は今のようにコンピュータで細密にコントロールされていなかったでしょうから機械的に反応(?)し、発生しやすかったのかもしれないですね^^
しなの7号さんの当時の乗客対応も大変そうだと思いました。
しなの7号
いつもコメントありがとうございます。
こちらも午後から雲行きが怪しくなりましたが、関係なく1日じゅう家で過ごしました。
夕飯で失礼ながら例の松本で買ったアレを飲みはじめました(^O^)/うまいです(^O^)/
西日本には103系をはじめとする国鉄出身車がまだ多く存在していますので、あの電気ブレーキ体験してこようかなあとか思ったり。でも改良されてそんなに気になることもないのでしょうね。最近では「おおさか東線」開業区間に乗った時に103系に乗りましたが気になりませんでした。もっとも立っていたら感覚は違っていたかもしれませんが。
のんパパ
はじめまして、13年前のブログに失礼します。国鉄車両の検索をしている途中で、たまたま貴ブログを発見し、しなの7号様はおそらく私とほぼ同年代、さらにお住まいも同じ中京圏のご様子で、とても興味深く読ませていただいております。
とくにこの103系は、私が大学(神領の北にある大学です)に入学したしばらく後にやって来た車両なので、思い出深いものがあります。帰りに16時台だったかの名古屋行きに乗ろうと思うと神領で4両の増結があり、その様子を見るのが楽しみで、さらにはそれを再現したくてKATOの103系を10両買い集めたりもしました。
つまらないコメントになってしまいました。この先もずっと楽しみに読み進ませていただきたいと思いますので、よろしくお願い致します。
しなの7号
懐かしいお話ありがとうございました。
そういえば中央西線上り列車で、神領駅で増結する列車がありましたね。増結車は電車区から下り本線を横断してくるのですから、列車密度が少ない時代だからこそできたことだなあと思います。車掌時代、私の班ではその列車には乗務していませんでしたが、その時間帯の103系であれば、瑞浪始発103系6両の前部に神領で4両を増結していた674M(55.10当時は神領15:37着15:44発)名古屋行だと思います。
神領駅は高架になり、8両化以降は後部車両を切り離す列車も下り列車もなくなりました。でも大学生がホームを埋め尽くすことだけは今も変わらない日常風景ですね。