私が車掌になった昭和56年には関西本線名古屋口は電化工事中で余命わずかな旧型客車列車が残っていました。当時でも名古屋という大きな駅から旧型客車がDD51の牽引で発車していくのは、いかにも時代遅れの光景でした。
写真は関西本線の名古屋行です。就職当時は関西本線の客車列車もほとんどが荷物車併結で、私はその荷物車に乗務していたのですが、客荷分離が進み、荷物専用列車が設定されたために、私が車掌として乗務したときは客車のみの編成に変わっていました。
車掌仲間は客車列車の乗務を決して好みませんでした。自動ドアではないことや、無人駅など運転取扱をしない駅では、無線機で機関士に発車合図をしなければならないこと、機関士には列車掛のときに使用した貨車解結通知書(略称 カケツ)のかわりに旅客車編成通知書(略称 編通(ヘンツー))によって現車数と換算両数を通知したり、さらに冬は暖房用の蒸気を機関車から供給を受けるために気温によっては機関士とその供給圧力を調節してもらったりと、電車や気動車ではやらなくていいことや簡易にできることが客車の場合は手間がかかるのでした。
旅客車編成通知書の様式です。
旧型客車の場合、たとえばナハとオハとスハといった重量が異なった車両が共通で運用されたりしているわけで、その場合、現車数は同じでも換算両数は変わってくるので、乗務するたびに確認を要するのです。換算両数は車体に積と空に分けて書いてあるのを確認転記し、合算します。関西本線の場合、編成は長くても7両で牽引定数には余裕があり、その換算両数が少々違っていても何ら問題にはならないと思われました。途中駅の連結解放もないので、長い貨物列車と違ってあまり気にすることではありませんでしたが、規則ですから、「編通」はきちんと機関士に渡さないと機関士は発車してくれません。また、途中で他の車掌と乗り継ぐ列車の場合は、その編成の車番と換算を引継書に書いて引き継ぐことも必要でしたし、機関車が途中駅で付替えになる場合は、その都度旅客車編成通知書を機関士に交付しました。
旧型客車どころか、機関車が牽く旅客列車そのものを、現在ではほとんど見かけなくなってしまいました。
そんななかで、毎日旧型客車が走っている鉄道があります。それは蒸気機関車で有名な静岡県にある大井川鐡道です。近年、蒸気機関車は大井川鉄道以外でも各所で復活していますが、多くは12系や50系といった比較的新しい客車を牽いています。毎日蒸気機関車が旧型客車を牽いて走っているというのは、ここだけではないでしょうか。
その大井川鐡道を詳細に紹介しているのが、いつも拙ブログにコメントをくださるhmdさんのブログ「hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅」です。そのブログ記事「【98】木造レトロ駅めぐり〜大井川鐵道2011(8)千頭駅 その4 SL急行列車到着編」の中で旧型客車を牽くSL列車の様子が紹介されていますので、ぜひ訪問してみてください。
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- 【98】木造レトロ駅めぐり~大井川鐵道2011(8)千頭駅 その4 SL急行列車到着編
- Excerpt: こんにちは。先日の続きの旅日記を投稿します。 写真を中心に「見る紀行文」で連載中です。 写真は素人腕のコンデジ撮影です。ご容赦下さいませ。 ----------------------------..
- Weblog: hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅
- Tracked: 2011-05-29 18:03
この記事へのコメント
アルヌー
決まりだったり、安全運行の為だったりするにしても、乗務員の方が細かい書類のやり取りをしなければならないのは大変なお仕事ですねー。
換算両数の計算も面倒そうですね(^_^;)
ドアが開いていても走り出せてしまうのが客車列車だと聞いた事があります。
これは神経使うでしょうねー。
僕は蒸気暖房の客車に乗った事が無いのですが、やはり機関車から離れると暖房の効きが悪かったりするんですか?
旧型客車に乗った事も無いんですが、乗り心地はどんな感じなんでしようか?
もっと前に無くなっているのかと思っていましたが、昭和56年でも旧型客車が走っていたんですねー。
\(^o^)/
しなの7号
いつもありがとうございます。
台風の雨も上がりました。
名古屋では意外と遅くまで旧客が残っていました。蒸気暖房は、お見込みのとおり、後ろへ行くほど効きが悪いです。暖房引き通しの主管から客室への分岐のバルブを前の車両ほど絞った状態で調節をしました。
旧客は大井川鐡道で乗れます。重々しいジョイント音。半鋼製のミシミシいうきしみ音。そしてブレーキ緩解時のエアの音、どれも特徴的です。
たこすけ
私の年代で味があると思っていた客車の
乗務が一番大変だなんてしなの7号さん
のブログを読むまで全く知りませんでした。
当時の車掌さんはすごく大変だったのですね!
でも前回の記事の本物のブレーキ弁を
いじれたのはラッキーですよね。
(失礼でごめんなさい)
私は鉄道博物館でブレーキ弁の操作を
やった事がありますが、リアル感が
乏しかったので、本物の操作を
やってみたいです!
hmd
こちらも台風は大したことがなく、今日は一気に秋めいています。小田原などは大変だったらしいのですが・・・
SL時代の旧客も全てが旧態同様の運用なので手間がかかるのですね^^;
事実上、固定編成である電車の方が扱いしやすいのも頷けました。
乗る方はDL+旧客で往年の編成が楽しめるのでウキウキでしたが。。。(当時、これに乗るために中学生でありながら、山陰線走破に行った次第です)
旧客も好きなので、年一回程度は大鐵に訪問しています。
J東の高崎にある旧客は綺麗過ぎるので、ここの旧客が現役っぽさが出ていて良いですよね^^
しなの7号
コメントありがとうございました。
多くのものは味があるものほど手がかかるものかと思います。便利なものほど味がないわけで。
私は好きでやっていた仕事ですから、旧型客車の乗務は楽しみにしていました。
しなの7号
朝晩は少し秋らしくなりました。でも日中は暑いです^^;
コメントありがとうございました。
大鐡の客車も貴重品ですね。大量の客車を維持管理するのはとても大変だと思います。過去2回乗ってみましたが、またいずれ乗ってみたいと思います。本文には書きませんでしたが、旧型客車のブレーキ装置は貨車とも違いブレーキ緩解時のエア音が特徴的です。そのA制御弁というブレーキ弁の緩解音は涙が出るほどなつかしく味のあるものです。
hmd
夏の日差しが戻ってまいりました~秋の風情ですが・・・
いつも途中の家山駅を過ぎると指定席から離脱して、空車の旧客の中央部に移動するのでブレーキエア音には気が付きませんでした^^;
今度、意識して聞いてみます。
いつも春夏に行っているので、冬に行きたいですね。
床下から漏れるスチームも見たいです^^
しなの7号
コメントいただき、ありがとうございました。
旧客のA制御弁はワムハチなど古いタイプの貨車用のC制御弁を段階的にブレーキが緩められるようにしたものでした。以後の12系客車を始め、新性能電車では聞けない緩解エア音です。
スチームは最高ですが、きっと車内は隙間風とかありそうですね。
タクロウ
しなの7号
はじめまして。コメントありがとうございます。
大井川の旧型客車は、ある意味SLと同世代の車両として貴重なものと思います。維持管理は大変だと思うのですが末長く活躍してほしいものです。
茶と青が混じっていた時代を長く見てきたので、それが自然に思えます。
999も電車じゃダメで、SLと旧客だからこそ味があっていいんだと思います。
カワモト
私が中学1年生の時名古屋に引っ越してきまして、引っ越してきてすぐに名古屋駅構内を見物していたら向こうのほうに客車列車が見えたような気がしたので、移ってみたところ、関西本線のホームで、亀山行き、のサボが差し込まれていたので、そのまま乗り込みました。確か、10時10分か10時12分初ではなかったでしょうか。2時間くらいかけて亀山まで走った記憶が有ります。この劣者はその後何回も乗ったことがあります。ディーゼルカーのような音も振動も無く私はこの客車列車が好きでした。昭和50年から56年くらいまででした。56年からは名古屋を離れてしまいましたのでそれ以降乗れませんでした。
お邪魔致しました。
しなの7号
関西本線名古屋発10時すぎの客車列車、ご利用されたことがおありでしたか。
私もその列車「223列車」に昭和56年~57年には車掌として乗務しておりました。4両も客車が付いているのにガラ空きで、駅に着いても行き違い待ちですぐには発車しない駅が多くて、たいへんのんびりした列車でした。停車中は何も音がしなくなりました。
コメントありがとうございました。
katuodasinimoto
最初の記事からゆっくり読ませて頂いて、やっと2012年です。
高校入試が終わって、合格祝いに春休みに父が「好きなだけ列車に乗ってこい」とお金をくれたので、名古屋から行き関西線経由、帰り東海道線経由で大阪へ行ってきました。
行きは廃止間近の客車列車。何時のどこ行きに乗ったのかも覚えてませんが、あの発進の時の衝撃が鉄分豊富な中学生にはたまりませんでした。
あとよく覚えているのは、18:00発の津行き客車列車。
名古屋駅で列車を眺めているのが好きだった私は、この列車を見送ると帰宅の時間でした。
夕焼けに照らされながら、レトロな客車列車が西へ向かう光景は未だに忘れられません。
客車列車・気動車好きな私には、好きな列車がどんどん過去帳入りしていくばかりで、つまらない思いばかりです。
katuodasinimoto
まだ2010年の記事でした。
先は長いですが、逆に楽しみが持続します。
当分楽しめますから。
しなの7号
関西本線の客車列車は遅くまで残りましたが、ただでさえ煤けた印象の国鉄名古屋駅に発着する客車列車は、近代化が一番遅れていた線区の象徴のようでしたが、鉄にとってはたまらないものでしたねえ。
「好きなだけ列車に乗ってこい」とお金をくれたお父さん、偉いなあ。中学~高校のころの体験って、その先、生きる道に影響するほどのことがあると思いますので。
古い記事を丹念にご覧いただきありがとうございます。