JR東海神領車両区の113系が中央西線での最終運用に就いたのは2006年11月のことでした。
愛知万博のとき、会場へのアクセス列車エキスポシャトルで愛知環状鉄道へ乗り入れるなど211系に混じって大活躍をしたものですが、それが引退前の大きな仕事になったようです。
愛知環状鉄道瀬戸口駅での113系。すれ違うのは愛知環状鉄道の100形。どちらの電車も、もうここで見ることはできません。
そのほかにも万博輸送中、愛知環状鉄道では所有車両をフル稼働させて対応しましたが、定期検査の際にはJR東海から借り入れた113系が愛知環状鉄道車両の代走をしたのでした。こうした113系での運用に備えて、万博開催前には愛知環状鉄道線内で113系の試運転列車が連日運転されました。
上の写真は、その試運転列車です。新豊田駅での撮影です。
エキスポシャトルは愛知環状鉄道のうち新規開業区間への乗り入れでしたが、こちらの自社線車両の代走列車は国鉄旧岡多線部分も含む愛知環状鉄道全線での運転でした。国鉄岡多線時代には毎日113系が見られたもので、(のちに165系に変更された)約20年ぶりの返り咲きとでもいえましょうか。私もいつも乗務していた線だけに、国鉄改革で切り離されて第三セクター化された旧岡多線の新豊田で113系が見られたことには感慨一入でした。
国鉄当時と変わらない色の座席
他のJR各社では座席モケット地を明るい色に換えることが多かったですが、JR東海では最後まで国鉄時代から変わらない青いモケットの座席でした。内装色はグリーン系からクリーム系の色に変わってはいましたが、最期まで国鉄らしさを保っていたと思います。
113系は万博輸送が終了した後も朝晩を中心に中央西線名古屋口のローカル輸送に従事していました。
なお、愛知環状鉄道への直通輸送は万博輸送終了後も継続され、このうち朝の瀬戸口始発の1本だけが113系の運用でした。この列車では高蔵寺駅で愛知環状鉄道とJR東海の乗務員交代の場面が見られました。
紺色の制服がJR東海の運転士氏、青い制服が愛知環状鉄道の運転士氏です。
写真は113系の定期運用最終日の様子ですが、特別の行事もなく普段どおりの朝でした。
この日で、地元の中央西線からは国鉄型電車の定期運用がなくなりました。113系の一部が臨時列車用に残されましたが、それも翌年までに全車廃車解体されてしまいました。
自分の中では113系2000番台は自分が国鉄に就職したあとに登場した「新しい車両」という感覚です。それに中京地区としては珍しく新車で導入された普通電車でした。いつも乗務していた車両が地元から消えてしまうことは、寂しいことです。第二の人生があってもいいと思いました。
113系の引退で国鉄の面影がすっかり薄くなっていた名古屋近郊のJR線でしたが、この後は中央西線に関しては、臨時用に残されていた381系1編成のほかはJR世代の電車ばかりになったのでした。
この記事へのコメント
hmd
朝はだいぶ冷え込みますね (^_^)
愛知万博での活躍も、もう4年前なのですね (^_^)
JR東海はかなりの急ピッチで車両を入れ替えたので、
他のJRエリアに住んでいる者から見ると、とても驚きます。
113系ファミリーの私鉄・三セク線乗り入れも少ないのでこう見ると貴重です。
国鉄時代と余り変わらない車両の解体も残念で、MM'ユニットが大きすぎて中小ローカル私鉄には不向きだったのかもしれないですね (^_^)
JR東日本はイベント好きなので、全廃時に一編成位は残す予感がします(笑)
しなの7号
こちらは雨の朝です。
いつもコメントありがとうございます。
まだまだ今のうちなら113系や115系もちょっと足を伸ばせば見ることができますね。完全になくなってしまうのは先のことなのでしょうが、身の回りに当たり前にあったものが無くなってしまう。それが思い入れのあるものだったりすると寂しいものです。時には、走っているのを見にどこかへ出かけることになりそうです^^
アルヌー
今日はちょっと寒いくらいですね~(^O^)
愛知万博って、もう4年も前になるんですね~(^_^;)元国鉄線とはいえ、私鉄の路線に113系が私鉄車両と並んでいるのは新鮮な光景ですねー!
JR東海に比べると、東日本の方が国鉄時代の車両が多く残っている様な気がします。
当たり前だと思っていた車両が古くなって消えて行くのは、なんとなく寂しいものですね。
定期運用最後の日に何も無かったというは、あまりにも寂しいですが、113系が特別な車両じゃなくて、日常の中に溶け込んでいたからなのでしょうか?
愛知環状鉄道の電車に比べると、113系は存在感ありすぎですねー!\(^o^)/
しなの7号
いつもコメントいただき、ありがとうございます。
雨は午前中には上がって、お昼休みには貨物列車を見に行けました^^
113系は来ませんが国鉄電機が健在なのが救いです。
JR東海はイベントの類はなかなかやらないですから、113系も381系も寂しく去って行きました。
しかしながら、これら馴染みの車両たちに、私は私なりのお別れをしましたので悔いはないのですが、鉄道会社の車両たちへのねぎらいの気持が伝わってこないのがなんとも…
風旅記
113系の一連の記事、楽しく拝読致しました。
私の住む東京では、既に近郊型電車という車両のカテゴリもなくなり、全てが通勤電車然としたスタイルになった様子に、時代を感じます。
近郊型電車は本当によく見慣れた車両でした。言葉通りに近郊に向かう時に乗る電車でしたが、時に遠出して、冬の新潟などで乗れば、ご記載のような新しい車両であったとしても漏れて入ってくる外気は冷たく、時には窓の隙間から粉雪が舞ったりもしていました。自然環境が違っても、汎用的な一形式で賄うあたりに、国鉄らしさを感じたりもしました。
普段乗ることのない他の地域の車両でのお仕事、(お仕事ではありつつも)車両を観察したくなるお気持ち、ものすごく伝わってきました。
出張で普段乗ることのない列車に乗っていながら、同行の人の手前、うずうずしながらじっとしているときの自分を思い出しました…
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
しなの7号
おっしゃるように首都圏に行くとJR線は4扉ロングシートで、「通勤電車」ですね。国鉄ではどこに行っても2扉旧形客車の時代もありました。大都市圏が電化されると70系など近郊型電車が、そして時を経て新性能113系が、というように順次新車が投入されて、その都度置き換えられた古い車両が地方に飛ばされるという結果が、その地方に必ずしも適していない車両を運用させる結果になったと考えられます。赤字で車両新製費が限られる台所事情でしたから、地方ローカル向けに新車が導入されることは少なく、中央西線ローカル用では113系2000番台が新車投入されるまでは、首都圏や東海道本線の中古旅客車両ばかりが活躍していました。その反面で優等列車は信州への需要があり、新車の導入はけっこう力が入っていました。いまでもJR東日本の中央東線の211系に似たものを感じます。
乗務中でも、いつもと車両が違うと思うといろんな意味でやる気も出ます。防護用品などの位置、スイッチの配置、字幕表示など業務に必要なものの確認から、どうでもいい形式・番号のことまで気になりました。それはいずれ国鉄の経営形態が大きく変わることで、日常的な毎日が近い将来に非日常になるだろうという思いがあったからかもしれません。
113系静シスT編成万歳!
東海道線の増結4両は静岡T編成が当たり前のように組み込まれていましたから。
毎日この電車で下校していましたが
東日本国府津の113系より整備が行き届いていたので
よくお世話になっていましたよ
車内のにおい(ニスっぽいにおい)が東の113系と微妙に違っていたのは最後までナゾでしたが…
しなの7号
愛・地球博の多客輸送で愛知環状鉄道から乗り入れていた静シス113系で、自分で確認できているのは名古屋直通エキスポシャトル10両・線内100系代走ともL編成とLL編成でした。
私が高校時代に通学で乗っていたのも113系でしたが、首都圏から中央西線に流れてきた非冷房編成でした。
昨今の車両の車内の匂いの違いは消毒臭によるものでは?と勝手に思っています。会社によって使用する薬品が違うとか?
113系静シスT編成万歳!
静シス113系、万博輸送にも使われてたんですね!
消毒液ですか?確かにそうかもしれませんね
JR東海所属の列車は113に限らず、119系165系も同じ匂いがしていましたから。
当時の東海道線東京口は面白かったです
113系静シスT編成8両で静岡車掌区乗務の列車があったり、神津の13系で静岡車掌区乗務の列車があったりして
わたしはJR東海東京駅発行の定期で乗っていましたから
東京に住んでてJR東海で通学してるような妙味を味わえましたよ。
私事ですみません。
再投稿、失礼しました。
しなの7号
今やJR各社では、列車も乗務員も自社線区内で完結するケースがほとんどになって、その静シスT編成のように、同じ列車で同じ113系なのに本編成と付属編成の仕様が違うばかりか匂いまで違うというような趣味的な面白さを味わえる列車がすっかりなくなってしまいましたね。
愛・地球博の期間中、私は愛知環状鉄道で通勤していました。愛知環状鉄道の定期乗車券を接続駅の高蔵寺(窓口はJR)で買ったことがあり、一時期だけでしたが、通勤定期券はJR東海仕様、乗る区間は愛知環状鉄道、乗る列車はJR東海211系でJRからの直通シャトル列車でした。これもまたJR東海で通勤してるような妙味。愛・地球博閉幕後も直通列車でJR東海車両の片乗り入れが継続されていますが、朝晩の一部区間に限定され、土休日は廃止されるなど、少しずつ縮小されています。
【470】名古屋発高蔵寺経由岡崎行の廃止
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201403article_8.html
113系静シスT編成万歳!
他社の乗務員さんが来ることが少なくなって寂しいですね。
東京駅在来線では東、海、西、九の4社の方を見かけられた時代もあったのに…。
制服もバラエティーがあってとても興味深かったですね!
定期券のお話、とても面白いですね!
岡多線はもともと国鉄(JR)として開業するはずだったので
ますます興味をそそられます!
しなの7号
そのとおりですね。ターミナル駅では、車両だけでなく他社の乗務員の制服を見るだけで、遠路を走り通してきたのだなあと感慨深く見たものですが、今ではそういう場面がすっかり少なくなってしまいました。
国鉄時代でも鉄道管理局またがりの乗務はふつうにあったわけですが、中には所属する鉄道管理局ではない他局管内で完結する列車の乗務もありました。
(例)名古屋鉄道管理局の中津川発名古屋行普通列車に長野鉄道管理局の松本車掌区が乗務。
国鉄時代ですから制服は同じでしたが、貸与された鞄の大きさや形が違うので、見る人が見ればわかりました。
国鉄岡多線の営業区間は岡崎・新豊田間で、国鉄時代に乗務していたのですが、愛知環状鉄道として延長開通した高蔵寺・新豊田間を、こんどは国鉄退職後に通勤で毎日乗車するようになったのも何かの因縁?かもしれません。