117系はそもそも京阪神間の複数の私鉄との競合区間に対応するために昭和54年(1979年)から製造された電車でした。私鉄との対抗上、近郊型としては破格の装備でデビューしました。それが私が乗務していた中京地区にも昭和57年(1982年)に東海道本線の快速用として新製されたのでした。
大垣電車区に配置され6両編成で東海道本線の快速を中心に運用されていました。京阪神地区の117系とは仕様が少し違っていましたが、外部色は同じで京阪神間の伝統色といってよいクリーム色に茶色のラインでした。このへんが当時の国鉄らしくて、地域的な新色を採用するような計らいはないのでした。それでも先頭の大型字幕の快速表示は、三河湾をイメージしたと思われる独自の絵入りになったのでした。
愛称も公募で、「東海ライナー」と決まりましたが、実際に駅や車内放送でこの愛称を使うことは少なく、浸透したとは思われませんでした。
名古屋近郊には東海道本線とほぼ並行して名古屋鉄道(名鉄電車)があります。当時は国鉄は名鉄には全く歯が立たない状況でした。それは運賃面、冷房などの車両設備、利便性すべてにおいて名鉄が勝っていましたので、やむを得ないところでした。活気のある名鉄駅ホームを横目に、乗客の少ない煤けた国鉄駅から古びた非冷房の153系が無駄に長い8両編成に少ない乗客を乗せて出ていく昼下がり…といったのが日常的な風景で、そういう状況下で117系はデビューしたのです。
東海道線は朝夕はそれなりに混雑するのですが、乗客の多くは名鉄と離れている駅が乗降駅であったりして、名鉄が利用しにくい乗客の比率が多かったと思われます。
それと「名鉄は禁煙だけど国鉄は煙草が吸えるからいい」という乗客も意外に多かったように思います。
それまでは中京地区の国鉄では中央西線103系は全車禁煙でしたが、そのほかに禁煙車はありませんでした。
そんな中で117系では1.6号車が禁煙車両となって登場したのでした。
禁煙車の設置のほか、117系の目新しいこととしては、行先表示器(字幕)の設備を開始したことが挙げられます。それまで中京地区では、特急用車両にはこうした設備があったので使用していましたが、急行以下の車両では昔ながらのサボによる行先表示で、これは下請の整備会社の社員が取り扱うので車掌はその確認をするだけでした。一部に113系2000番台のように行先表示器(字幕)を装備している車両もありましたが、在来の車両と共通運用でしたので使用停止とされていました。
国鉄劣勢の状況を打破するため、運賃面では名鉄と近鉄に対し競合する駅間に特定運賃を適用したり、回数券タイプの企画乗車券の発売など運賃面で施策を行うとともに、車両面では117系~211系の新車導入、ダイヤ改正のたびに列車本数増強を徐々に行って分割民営化を迎えたのでした。
117系導入の頃はこのような状況だったのですが、所詮名古屋は田舎です。現実にほぼ同時期に広島地区には117系並の内装を装備した115系3000番台が誕生しているわけで、名古屋地区も広島地区と同様であっても構わないと考えられます。117系というグレードの高い近郊型車両を中京地区に導入されたということは破格のことと思います。
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117系の導入こそが中京地区の東海道本線近代化の第一歩のようにも思います。
117系は国鉄分割民営化後には311系に主役の座を譲り、さらに代が変わって現在は313系がその主役となっています。
いつも拙ブログにコメントをくださるhmd様が最近の東海道本線に乗車された時の様子と117系で私が何度も折り返した大垣についてブログで紹介されています。ぜひご覧ください。
【62】美濃三鉄めぐりの旅(樽見鉄道編 1 名古屋~大垣&大垣駅)
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- Tracked: 2011-05-15 14:38

この記事へのコメント
アルヌー
117系カッコいいです!
後の185系にも通じる顔ですが、僕は117系の方が好きですね~。近郊型なのにベッドマークが出る所があって、色もいいと思います。非冷房の153系に比べると格段の差がありますよね。名古屋地区の事は詳しく知らないのですが、名鉄に随分差をつけられているんですね。ビックリです。
川越から見たら名古屋は大都会なので、新型が真っ先導入されても不思議では無いと思っていたのですが、しなの7号さんのブログを拝見していると、そうなって無かったようですね。
貴重な資料がたくさん載っていますが、携帯からだと解らない部分があるので、後で父のパソコンで拝見させて頂きます。(^_^;)
電車の中でタバコが吸えたなんて、今では想像も出来ませんよね~。(^o^)/
しなの7号
185系と117系は似通った部分が多いですね。それが快速用と特急用なのですから、快速のブレードアップと特急の大衆化ということになってきて、差がなくなってきてますね。
、
現在の名鉄とJR東海ではまったくシェアが逆転していますから時の流れを感じます。
資料の部分、たいへん見にくいので申し訳ありません。パソコンでも見にくいと思いますが、こういう資料があったんだという概略だけわかっていただければ、という程度で掲載しましたのでご了承くださいm(__)m
hmd
今日は陽が出ず、肌寒い一日でした。
この配色の117系、懐かしいですね
当時、料金が必要でない快速に関わらず、優等列車のようなデザインはとても新鮮でした。
また、元は京阪間の伝統色だったとは初めて知りました (^_^)
手書きのマニュアルが、とても味があっていい感じです。
当時の名古屋の鉄道管理局の担当者さんが作成のものでしょうか?
今年の春に豊橋に降りていますが、名鉄との間の側線にJR東海カラーの117系が止まっていて、配色は以前とは違いますが懐かしかったです (^_^)
しなの7号
こちらも一日中曇り。私も一日中家で過ごしました。
117系は正面デザインが、かつての日光形157系に似ていますよね。157系も破格の準急でのデビューでしたが、冷房化して特急用になりました。117系は近郊型との位置づけながら、特急型に近い感じです。
117系の取扱マニュアルですが、手書きなのが時代を物語っています。この2~3年後には、手にする印刷物がようやくワープロ打ちに変わってきました。
117系のJR東海色はあまり似合わない気がします。意外に国鉄特急色が似合ったりして(^_^;)
たかやま
新製車両の導入についての記事、興味深く拝読しました。
私も小学生のときに、117系快速で旅をさせて頂きました。車掌さんに親切にして頂き、運転台に座らせて頂いたのは忘れられない思い出です。
「もし、当時の車掌様だったら」と、一縷の望みとともにコメントさせて頂きました(笑)
またお邪魔致します。有り難うございました!
しなの7号
117系が中京地区に配置されたときは、従来の国鉄から脱皮したように思えました。仕事で乗る側としても良い車両だと思っていましたから、格上の列車に乗務しているような気がしました。そんな心持の車掌は多かったと思いますから、自慢げに?少年にも運転室に座らせてやろうと思う人もいたことでしょう。運転席にまで座らせてあげた記憶はないので、その車掌はたぶん私ではないです(*^^*)。
そういう思いがけない体験は年をとっても記憶に残り、時には人生の進路や人格形成にまで影響することさえあり得ると思っています。
たかやま
まったく仰る通りでして、現在旅客運輸業に就いております(笑)また、「国鉄」と聞くと、まっ先にあの出来事を思い出します。
その後、【814】 急行「越前」号の謎(後篇)
等、幾つかの記事を拝読させて頂きました。趣味の面でも、また仕事の面でも参考になる興味深い数々で、もっとはやく貴ブログに出会っていればと後悔しております。
この度は、有り難うございました。
しなの7号
旅客運輸業の方でしたか。どこの業界も今どきはいろんな意味で大変かことが多いと思います。それは時代とともに進化したからでありますが、仕事の上ではストレスにしかならないことが多かろうとお察しします。そういう時代に、ある意味未成熟な国鉄のなかにあって、今は失われたものを感じていただければうれしいです。
おき2号
私も高校生の頃117系の普通列車で通学をしていました。国鉄型ばかりの地域でしたが、乗り心地が他の車両(115系、105系)より良く、特に先頭車両は直線区間での静粛性が素晴らしかったのを覚えています。
しなの7号
117系はエアサス台車で乗り心地は良かったですし、車内は静かだったのは2ドアだったせいもあるのでしょうか。デビュー当時には非冷房急行列車もあった時代ですから、快速にしては破格の車両だと思いました。
唐獅子
2007年の初めに大学(京都市内)の卒業旅行でブラジルへ行ったサークルの同期が、名古屋のブラジル領事館へビザを取りに行くために東海道本線の上り電車で名古屋まで行った時、「米原から大垣まで乗った電車がやけに古臭かった」とメールで言ってました。
しなの7号
旧形客車が当たり前の頃、茶色いのに乗ると「やけに古臭い」と思い、新形117系には高級感が漂っていたというのがジジイの印象でした。現代感覚にはそぐわなくなったにしても、財政難の時期にもかかわらず国鉄の本気がでていた名車だと思います。
唐獅子
もちろん私が思っていた記事(下記)に117系の話を移す必要はありませんが。
117系が東海地区で走り始めた日、西浜松の留置線で置き換えられた153系が最期の時を待っていた事、
その30年後には313系に置き換えられて117系が同じ西浜松で最期の時を待っていた話のコメントの方に持っていくかと思いました。
しなの7号
ご希望どおりでなくすみません。