私が117系に乗務していたのは、
東海道本線 浜松~米原間
中央本線 名古屋~中津川間
でした。
いずれも快速を中心に普通列車にも使用されていました。前回記しましたように当初は大垣電車区(名カキ)に配置され東海道本線だけに6両編成で運用されていました。
昭和57年9月19日
1525M
浜松~名古屋間乗務
1 クハ116-29 名カキ
2 モハ116-58 名カキ
3 モハ117-58 名カキ
4 モハ116-57 名カキ
5 モハ117-57 名カキ
6 クハ117-29 名カキ
(垣103)
昭和61年8月25日
3125M
浜松~名古屋間乗務
1 クハ116-23 名カキ
2 モハ116-46 名カキ
3 モハ117-46 名カキ
4 モハ116-45 名カキ
5 モハ117-45 名カキ
6 クハ117-23 名カキ
(垣105)
上が普通列車、下は「東海ライナー」快速です。
中京地区の117系は国鉄最後の昭和61年11月のダイヤ改正で4両編成化されました。その手法はクハ116とクハ117を新製し、これまでの6両編成を3両ずつに分割したところに、その新製車を1両ずつ連結して4両編成化するというものでした。これによって編成数だけでみれば倍増することになります。これで快速列車の増発をして分割民営化への体制を整えたのでした。さらにこのダイヤ改正時には117系の所属が大垣電車区(名カキ)から神領電車区(名シン)へと移管されるとともに、日中の中央西線の快速列車も113系から117系化されたのでした。
昭和61年11月3日
439M
大垣~米原間乗務
1 クハ116-30 名カキ
2 モハ116-60 名カキ
3 モハ117-60 名カキ
4 クハ117-112 名シン
ダイヤ改正直後の乗務でしたので、1~3号車は名カキ表記のままです。4号車は新製車両です。
このときに新製されたクハは客室窓が2段式から1段下降式に変わり、座席もバケットタイプに、台車も211系と同じ型に変更されていましたので、車内外とも少し雰囲気が変わっていました。
こうして中央西線にも活躍の場が広がった117系でしたが、2ドアであることに加え4両に短縮された状態では混雑する中央西線には不向きで、分割民営化後、新製された211系5000番台車に早々と置き換えられ、その活躍期間は短く、再び大垣電車区(海カキ)に戻って東海道本線だけの運用に戻されました。
この記事へのコメント
アルヌー
写真が、どれも素晴らしいですねー!
季節感もあるし、当時の雰囲気が凄く伝わって来ます。
117系も4両編成だと、確かに混雑が凄そうですね。
ちゃんと民営化前に車両を作って対応していた事を初めて知りました。
末期の国鉄でも、やる事はやっていたんですね。(^_^;)
写真凄くいいです\(^o^)/
しなの7号
いつもありがとうございます。
117系が地元の中央西線に入線してきて、うれしかったので、このダイヤ改正後の最初の冬(国鉄最後の冬)に何回か写真を撮りに出かけました。
最初の写真は御岳、最後の写真は恵那山を背景にしました。
分割民営化に当たっては車両数をなるべく増やさずに増発できる体制をつくり、昭和61年11月の国鉄最後のダイヤ改正がそのままJRスタート時のダイヤとなりました。
あは。
この夏に、JR東海の117系に乗車してまいりました。
室内妻面の木目調の壁材など、ささやかながら高級感を出しているなど、国鉄末期にもがんばって造った車両なんだなぁと思いました。
東海の117系は余命幾許もないようなので、これが乗りおさめだったかもしれませんね。
しなの7号
コメントいただきましてありがとうございます。
117系にご乗車されましたか。
おっしゃるように、内装も他の近郊型とは異なる高級感漂う雰囲気でしたね。まだまだ活躍できる車両だと思うのですが、JR東海では終焉が近いようです。
余談ですが、117系は乗務員室の放送用マイクも新型で、車内放送が113系など他系列よりいい声で聞こえたんですよ。
hmd
懐かしい117系国鉄色の写真がいっぱいですね
今見ても中々の貫禄でエポックメイキングな車両だったと感じます。
113系の並びを模型で再現したいところです (^_^)
一時期、中央西線に入線していたとは知りませんでした。
岐阜付近は雪も多いかと思いますが、117系は雪には強い車両だったのでしょうか?
しなの7号
国鉄時代の117系は新しい車両でありましたし、自分の知る限りでは雪に対しての問題はありませんでした。関西地区でも雪の多い湖西線にも使用されており、もともと耐寒耐雪の考慮はされていました。
いつもコメントありがとうございます(^O^)/
おんたけ号
こんにちは。ご無沙汰しております。
ノートPCの不具合で、最近はスマホで最新記事を読む事のみでした。
またちょくちょくコメント投稿させて戴きます。
(結局、PC直らず新規購入になりました。おんたけ1号⇒2号に新車導入)
西線での117系、殆ど記憶にありません。
快速使用ならば、新守山通過なので縁が無いのは致し方無いのですが、
走行中を見た記憶も…思い出せません。
東海道本線を走っている姿、熱田駅で昼寝している姿の記憶はあり。
この117系と185系は当時、小生は国鉄らしくないデザインと思っており、
特に185系は「これが特急型?」と感じました。
でもカラーリングは国鉄らしい車輛にマッチした、落ち着いた高級感が
あると思います。(117系が特に)
乗車した事があるのは草津線での抹茶色、これは…やめてちょ。
ネットでは連日、冬の18きっぷ騒動で賑やかです。確かにグループ利用
が出来ないのは痛いですし、3日も連続で休みは(小生、祝祭日は稼働日)
難しいしで、そこは小生も同じですが、「金券ショップに云々」は小生的
には…そう言う事はやめてちょ。ですね。
以上、毎度失礼致しました。
しなの7号
中央西線の117系は日中の快速用でしたから、通勤通学でしか中央西線を利用しない方には縁がなかったかもしれません。
中央西線に117系がデビューしたダイヤ改正では、それまで毎時1本の快速が2本体制になったのですが、2ドア車4両では無理があったと思われます。それでも名鉄局監修のポケット時刻表には新たに「シティライナー」の表記が付され、来たるべき分割民営化による鉄道再生への意気込み?が感じられました。そして末期に熱田で毎日昼寝していた姿からは、国鉄形車両からJR形へ世代交代が進んでいることを思い知らされました。
青春18きっぷの効力変更からは、周遊券が廃止され周遊きっぷに移行し、やがて廃止された経過を思い出します。鉄道旅をしなくなった私は令和に入ってから青春18きっぷを使用したことはないですが、鉄道旅の楽しみ方が一つ減った思いで、愛用されている皆さんにはかなりショッキングなこととお察しします。自分もこういう企画乗車券がなかったら乗り鉄アソビをする気にはならなかったに違いありません。国鉄生まれの企画乗車券を分割民営化後も発売し続け、何度もディスカウント旅に利用できたことに対し、JRには感謝します。