キハ40系は、国鉄時代に北海道から九州まで普通列車用として全国的に配置されたディーゼルカーです。
写真は民営化後に三江線で撮影した両運転台のキハ40です。なお今回の写真はすべて乗務した線区での撮影ではありません。身近にありすぎて意外に地元では写真を撮っていないのです。ご了承ください。
この系列は、仕様が北海道向け、寒冷地向け、暖地向けに分かれていまして、中京地区には亀山機関区に暖地向けキハ40が、そして美濃太田機関区に寒冷地向け(主に高山線用)と暖地向けのキハ40とキハ48がそれぞれ配置されていました。
こちらの写真は片運転台のキハ48と両運転台のキハ40による2両編成です。高山本線での撮影です。
私がこの系列に乗務していたのは
中央本線:名古屋~多治見間
関西本線:名古屋~亀山間
伊勢線 :(四日市)南四日市~津 間
でした。このほか非電化の乗務線区には武豊線がありましたが、国鉄時代にはキハ40系の入線はありませんでした。
昭和56年12月7日
関西本線 623D
キハ48 2 名ミオ
キハ48 526 名ミオ
(太51)
乗務区間 名古屋~亀山
電化前の関西本線の列車です。500番台は寒冷地仕様なのですが、この列車のように名古屋近郊では寒冷地向けの車両も暖地向け車両も混用されていました。
寒冷地仕様車は台車にコイルばねを用いるとバネの間に雪が詰まってバネが機能しなくなるので、空気バネを用いていました。
40系車両は新車で配置されて日も浅かったため、居住性が非常によい車両でした。冷房こそありませんでしたが暖房はよく効きましたし、暖房温度調節も自動でした。ただ暑くなりすぎることはよくありましたが、換気機能もあったので非常に扱いやすい車両でした。
昭和59年4月6日
伊勢線 122D
キハ40 2030 天カメ
乗務区間 津~四日市
キハ40は両運転台ですので1両で走れます。
(写真は伊勢線ではなく民営化後の因美線での撮影ですが、1両での運転例として載せました)
伊勢線は非常に乗客が少ない線区でしたので、分割民営化の際に第三セクター伊勢鉄道に移管されました。
私が旅客列車で1両という列車に乗務したのはこの伊勢線だけでした。
昭和59年12月22日
中央本線 523D
キハ48 1531 名ミオ
キハ28 2377 名ミオ
7 キハ58 731 名ミオ
6 キハ28 2461 名ミオ
5 キロ28 2303 名ミオ
4 キハ58 765 名ミオ
(前2両 太53+後4両 太2)
乗務区間 名古屋16:44~多治見17:49
運転区間 名古屋~多治見~美濃太田
先頭車1両だけがキハ40系のキハ48 1500番台、そのほか5両はキハ58系です。
通常前2両(太53運用)はキハ40系の場合が多かったですが、気動車の運用は急行型のキハ28も共通で運用されていた例です。後4両は7~4号車の号車番号が入りグリーン車キロまで連結されていることから、急行列車の間合い運用であることがわかります。
そしてこの列車は中央西線名古屋口で残された最後の気動車による普通列車でした。私は名古屋~多治見間だけの乗務でしたが運転区間は名古屋~美濃太田間で、多治見から太多線に直通しました。多治見では美濃太田車掌区の乗務員と交代しました。
直通するといっても実にのんびりした列車で、名古屋~多治見間を1時間以上かけて走り電車列車に比べ10分程度余計にかかっていましたし、多治見では20分以上も停車時間がありました。
余談になりますが、こんな列車でも、ある意味では当時の中央西線の人気列車でした。それは、グリーン車キロが連結されているからです。そのグリーン車は「ハ代用」と言って「普通車代用」でした。グリーン券を買う必要がないので、常連さんはよくご存じで、グリーン車は名古屋で真っ先に席が埋まりました。私もわざわざこの列車に乗って帰宅したことがありました。
当時の国鉄車両は、車両重量が非常に重く、このキハ40系列もエンジンの音の割にはなかなか加速しない機敏さに欠ける走り方でした。そのためこの系列はJRになってからエンジンの乗せ換えをする鉄道会社が多くありました。外部色は国鉄時代にはタラコ色と通称される朱色の塗装でしたが、民営化前後から各地域において独自の車体色に塗り替えられていく車両が増えました。
民営化後に塗り替えられた例です。北陸本線での撮影で片運転台キハ48です。
この系列は今も全国各地で活躍中で、塗色こそ変わってしまった車両がほとんどではありますが、国鉄末期の面影を今に伝えています。




この記事へのコメント
アルヌー
キハ40系は、非電化ローカル線の主役でしたよね。
僕は北海道で何度か乗った事がありますが、重量感のある乗り心地が印象的ですね。
冬の北海道で汽車に乗ると、暑いくらいに暖房が効いてました。
普通列車なのにデッキ付きで、ちょっと旅気分が味わえる車両だった記憶があります。
たしか、九州では特急車両に改造された仲間もいますよね?
裾が絞られた大型車で迫力ありましたよね。(^o^)/
しなの7号
いつもコメントをいただきましてありがとうございます。
北海道の普通列車といえば、今でもキハ40が多いですね。
北海道から九州まで、仕様は違うものの同じ形式が見られるのも国鉄形式ならではのことです。
多くはワンマン化されていますが、国鉄時代は1両でも車掌が乗務していました。
おっしゃるように九州で特急に改造されたり、東日本でお座敷車やリゾート列車として生まれ変わった仲間もいて、まだしばらくの間は活躍の場がありそうです。ただし、JR東海では新形式キハ25が新造されて試運転中ですので、引退も時間の問題となってきました。
hmd
ローカル線乗りには基本のDCですね (^_^)/
昔、混結長編成で名古屋口から出ていたとは驚きです
電化、非電化問わずに運用出来るのはDCの利点ですが、電車王国の感が強い日本では、いまいち認識されにくい点ですね。
オリジナルは鈍重車と言われますが、車体は丈夫な様で今だに現役バリバリなのも嬉しいところです。お顔も国鉄らしい濃い目で、高くて狭い運転台&乗務員室、しっかりとした窓枠サッシと言い、魅力が多いですね (^_^)/
JR東海キハ25系も気になります。結局、武豊線の電化計画はどうなるのでしょうか?
しなの7号
いつもありがとうございます。
キハ40系は全国に配置され、かつ今でも全国で見られる最後の国鉄車と言ってもよいと思いますが、ここへきて、置換えが徐々にではあるものの進んでいくのでしょうか。丈夫そうな車両ですので、簡単に淘汰されるようなことはないように思うのですが。
武豊線の電化とは関係なくキハ25が順次投入されるものと思います。キハ75は高山線に転属でしょうか。
野良太郎
単行なのに土曜日の昼の境線普通列車は車掌が特改名目で二人でした!一人が案内放送担当、もう一人が運転業務と無人駅下車客の精算業務担当です!車内巡回、車内精算など出来る時限何処では無かったですよ
米子到着後に無人駅下車客の精算業務担当車掌はヘトヘトになっていましたよ
しなの7号
JR移行前後から短編成化された列車が増加しました。
効率化を求めると、一部列車にしわ寄せが来るものです。今でも各地で比較的容易に乗ることができる国鉄車両。長生きしてほしいです。
風旅記
貴重な資料もあり(いわゆるガリ版でしょうか)、楽しく記事を拝読致しました。
国鉄時代の一般の気動車で今でも走る車両はだいぶ少なくなり、ほぼ、キハ40系列だけになってきました。
今の新しい車両の性能の良さと対比して見れば、やはり古い車両ということになりますが、今から30数年前には新車として新鮮に見られていたという点が、興味深かったところです。
北海道でこの形式に乗ったとき、車内が昔ながらの濃紺のシートのままで、懐かしく感じたのを覚えています。
http://kazetabiki.blog41.fc2.com/blog-entry-1507.html
ご記載のように、全国で様々改造されていますが、中には登場時の姿を留めている車両もあるのでしょうね。
他の記事も拝見させて頂きます。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
しなの7号
そのキハ40系も地元のJR東海では高山本線、紀勢本線ほかで運用されていますが全廃の予告がされるようになってしまいました。エンジンは換装されていますが車内の雰囲気は国鉄らしさが残っていて、特急での旅より断然自分的には40系の方が好みです。
鉄子おばさん
しなの7号
三江線、そのころはキハ40で、途中で行き違ったキハ40は三江線色と呼ばれる水色とベージュの塗装でした。まだJR西日本では活躍の場があるのでしょうが、JR東海では、刻々と終焉の日が迫ってきています。今日(9月13日)は、高山本線で旧国鉄風塗装のキハ40・48の3両編成が臨時運転されていまして、沿線は盛況のようでした。
車両そのものも、外部色も、国鉄車両のそれは重厚感があっていいですね。