キハ55系はキハ58系の前世代になる準急形気動車です。
写真中央がキハ55系になります。左のキハ20系の顔によく似ているのですが、右のキハ58系の塗り分けに準じた塗装となっており、長距離の準急・急行列車にも使用されていましたが、私が乗務している頃には、準急列車はすでになく、急行列車はキハ58系が主流となっていて、ほとんどがローカル輸送用となっていました。
上の写真は私が国鉄に就職する前の中央西線での撮影です。キハ55の1エンジン版のキハ26であろうと思われます。キハ55系は私の車掌時代には、キハ58系や40系に置き換えが進行中で、わずかに残った車両も首都圏色と呼ばれる朱色5号に塗り替えられるなど、ローカル色が濃くなり、高山本線、太多線、樽見線など、私の乗務範囲外で使用されていました。そんな中で天王寺鉄道管理局の亀山機関区では急行色のままのキハ55が比較的遅くまで見られました。
キハ55は2エンジンの強力型です。亀山機関区のキハ55は本来何の目的で配置されていたのか知りませんが、関西本線の加太越え区間、紀勢本線や名松線など勾配線区用だったのでしょうか。私が乗務していた名古屋口の関西本線や伊勢線でも亀山機関区の気動車運用は存在しましたが、勾配区間ではないため、専らキハ35が運用されていたのです。
希少になっていたキハ55、それも急行色という、ある意味魅力的な気動車ですから、乗務してみたいとは思っていましたが、それは無理なことと思っていました。それがどういうわけか不明ですが、関西本線名古屋口の運用に一時的ながら入ってきたのでした。
こういう運用というのは何日かで一回りするもので、毎日同じ列車で見られるものではありません。時折名古屋駅で目にするキハ55を気にしているうち、ついに1度だけ私の乗務列車とそのキハ55の運用列車が一致したのでした。
昭和57年1月23日
関西本線629D
運転区間・乗務区間とも名古屋~亀山
キハ35 187 天カメ
キハ55 223 天カメ
(亀51)
夜に名古屋を出ていく列車でしたが、これが最初で最後のキハ55の乗務になりました。いつも乗務しているキハ58系とは違ったうす暗い客室。エンジンは2基で縦型のため車内に点検蓋があって、ここからエンジン音がよく聞こえてきます。排気管も車体中央部にあって騒音対策は不十分でした。いつも乗務している関西本線ではあるものの、よその家に来たような気がしました。
この乗務から約4ヵ月後、関西本線名古屋口(名古屋~亀山)は電化され、普通列車は113系電車に置き換えられ、普通列車での気動車運用は消滅しました。

この記事へのコメント
hmd
今朝は冷え込みました。
キハ55ですか・・・これまた珍しいです (^_^)/
やはり、実車に乗ったことや見たことは無いです 名古屋口に来たのも幸運だったのではないでしょうか?
もしかしたら、全検等のやり繰りで、かもしれないですね (^_^)
中央線のDCというと、中央東線新宿口で急行アルプス?がキハ20系?6~8両編成で走っていたそうですので、一度、映像を見てみたいです(自分の頃は既に電化されていました。アルプスのクモニ?、EF15?が実際に見たことがある最古車両です)
アルヌー
キハ55に乗務されたなんて、羨ましいです~(^O^)
準急用っていうのが、より一層地味な感じがしますが、デビュー当時は優等列車用の華やかさがあったんでしょうね。
写真でしか見た事が無いんですが、全体のシンプルさが凄くいいですね。
キハ35との二両編成では、やはりロングシートで3ドアのキハ35の方がお客さんには便利だったのでしょうか?
ローカル線ならボックスシートの方が、雰囲気があっていいですよね。
出入口が前後の小さいドアだと、お客さんが多い時は大変だったでしょうね。
しなの7号
いちだんと冷えてきました。
キハ55に車掌として乗ったのはこのときだけでしたが、子供のころには中部地方では日常的に見られる存在でした。急行アルプスも最初はキハ55だったはずです。
おっしゃるとおり、電化前の時期であることから、キハ35あたりの全検切れ車両の代替で、電化までのつなぎの使用かもしれないですね。
しなの7号
キハ55は日光号でデビューした車両です。
そのころはクリーム色の準急色でした。私はほとんど覚えていませんが。
ドアが狭く半自動扉でしたので、手で開ける必要がありました。当時の関西本線は乗客数が知れたものでしたから、キハ55のほうがよかったと思いますよ。
dc55 43門カタ
しなの7号
キハ55は、急行にも普通列車にも使われ、連結の相手が他系列の気動車というケースは多くありましたが、キハ66、67という当時の新鋭との連結シーンもあったわけですね。気動車ならではで、模型で再現したくなる編成例だと思いました。
オシ17
昭和46、7年頃でしょうか?ほんの一時期、相模線に見慣れた一般色とは逆の塗色の車両が運用されてました。寒川13時頃の上り茅ヶ崎行き(多分)3両編成の真ん中に連結されていました。当初、見慣れぬ塗色に、皆乗ろうとはせず
ガラガラでした。座席モケットがエンジ色で、明らかにキハ10などとは違っており高級感溢れてました。次第に「乗ってもいいんだ」ってことがわかったのでしょう。皆この車両に集中するようになり、混み合いました。
私は乗ってもいいのかな?なんて考えず、空いた車内でワンランクもツーランクも上のシートを満喫してました。皆が集中する頃には前後の空いた車両に乗ってました。
これはキハ26-400ですかね?この頃は乗って楽しんでたので、型式の記録など全くしてません。
すいません、キハ55系のブログを拝見して昔を思い出しコメントしました。
私の乗った豪華キハの型式がお判りなら教えていただけたら、気がかりが一つ解決。
よろしくお願いします。
しなの7号
お話から察すると、それはキハ26 400番台でしょうね。キハ10とかキハ35しか思い浮かばない相模線にも現れましたか。私の地元中央西線では松本区のキロハ25の格下げキハ26 300番台が昭和48年ごろまで見られました。装備が全然違う車両がランダムに?連結されていた国鉄時代の気動車や客車列車には、どの車両に乗ろうかと考える楽しみがありました。
また、ほんの一時期だけ、車両の需給上の理由だったのか知りませんが、意外な車両が入線して使用されるケースもありました。
人込みが嫌いな私、混雑するようになれば前後の車両で占有空間を広くとって乗るほうを選んでいますので、そのお心持ちはよくわかりますよ。