しばらく中断してしまいましたが、予備勤務のときに乗務した列車を、模型で再現しながら当時のことを振り返ってみたいと思います。
昭和59年11月13日
東海道本線回9116M(運転区間:大垣~品川)
乗務期間 名古屋0:53~浜松2:44
- ク ハ165-159 名カキ
- ク ハ165-179 名カキ
- ク ハ165-169 名カキ
8 クモハ165- 46 名カキ
7 モ ハ164-505 名カキ
6 ク ハ165- 66 名カキ
3 クモハ165-104 名カキ
2 モ ハ164- 68 名カキ
1 ク ハ165- 8 名カキ
東海道本線で大垣から上ってきた列車を名古屋で乗り継ぎ、浜松で他区乗務員に引き継ぎました。
165系にはいつも乗務する機会があったので、このときも何の変哲もない165系に思えたのですが、乗務してみて初めて少しく様子が違うことを感じ取りました。
そもそも9両というふだん見られない編成で、そのうち運転室がついている車両は7両と異常に多いです。
前3両のクハには号車番号札が入っていないだけでなく、貫通ホロもつながれていませんでした。運転室の向きもこの3両は同じで、その後ろ(4両目)のクモハも合わせて4両が同じ方向を向いて連結されているという変な編成美?でした。
転属か、何かの改造かと推察され、そういうことだと、いつも乗務していて見覚えのある3両のクハにはもう会えないかなと思って乗務を終えました。
あとでわかったことですが、これは交直流両用の455系クハへの改造タネ車を郡山工場へ回送する列車なのでした。
のちに前よりの3両のクハ165はクハ455(300番台)に生まれ変わったことを知りました。
改造後は仙台付近で活躍したものと思われます。
乗務するときは何のための回送かは乗務員に知らされることはないので、運転の目的などはわかりませんでした。
この記事へのトラックバック
- 【242】 乗務した車両:165系電車(1)
- Excerpt: 165系は153系を基本にした、勾配線区用及び耐寒耐雪装備の寒冷地用急行形電車です。 事実上、153系の後継車種と言ってもよく、平坦かつ温暖な線区にも投入され、国鉄時代には直流電化区間の多くで見ること..
- Weblog: 昭和の鉄道員ブログ
- Tracked: 2012-01-23 07:00
この記事へのコメント
京阪快急3000
165系の編成、現在では考えられない編成ですね。
ところで素朴な疑問なのですが、鉄道趣味の世界では、しなの7号さんの記事の本文の通り、「東海道本線」と呼んでいますが、新聞などの報道記事などでは「東海道線」と呼んでいます。このほか「山陽線」、「北陸線」、「東北線」など、「本線」が付く路線はこう呼ばれているのですが、本当はどちらが正しいのでしょうか?
アルヌー
編成表を上から見ていくと、「うん…、ん?、んんんー!?」って感じでした。
(^o^;)
この列車が入って来るところをホームで見ていたお客さんはビックリしたでしょうねー(^o^)
こういう変わった編成でも乗務員さんには連絡が無いんですか!?
ホロが繋がれいないという事は車両間の行き来が出来ないって事ですよね?
模型の写真ですが、これだけ先頭車を買う人もあまり居ないですよね?
この編成を再現する為に揃えたんてすか?
東海道線では急行列車が減らされて165系の使い道に困っての改造なんでしょうね。
大垣夜行で乗った165系が懐かしいです(^o^)/
くろしお1号
くろしお1号は新製の381系でした。(そう言えば、貴ブログの表紙写真は、しなの号の381系では珍しい非貫通クハですね)ところが、一部485系も混じっていて、紀勢線で交直切換えスイッチを誤って触らないよう、直側で固定ピンを打ち込んでありました。これらの車両は結局直流改造されて、福知山界隈の特急に使われていたことを後で知りました。そんな中、クハ481-201という車はいつの間にか金沢へ転勤し、本来の交直流車として固定ピンを引っこ抜かれた姿で、しらさぎ号で再開しました。
往年の名車たちが、国鉄末期からJR移行後に気の毒なくらい何度も手術を受け、故郷へ帰ることなく寿命を終えていく姿には、本当に心が痛みました。同時に、それぞれの車が長大な編成美を誇っていた時代に、心はいつもタイムスリップしています。
しなの7号
いつもお越しいただき、ありがとうございます。
線名に「本線」とつくのは、幹となる部分で、これに付随して支線があります。本線とその支線をひっくるめて「部」があります。
例として「中央線」の部には「中央本線」のほか「篠ノ井線」「明知線」などが含まれるといった具合です。
新聞で「中央線」というと首都圏の国電区間としての通称として用いられたり、「幹」の部分だけを指して用いられると思われます。そうなると用い方として適切ではないように思いますが一般者にとっては、わかり易ければよいのではないかとも思います。
「線路名称 部」でグーグル検索するとウィキペディアで、詳しい解説がされていました。
しなの7号
いつもお越しいただき、ありがとうございます。
変わった編成でしょう。でも本文にの書きましたが終列車後の深夜ですので、一般のお客さんの目には触れにくい時間帯だったのです。
165系の模型は、人気車種なので、いろんな仕様が出ていますので、いくつも買っちゃいました。おかげでこんな編成も再現可能です(^_^;)
回送列車ですし、乗りなれた165系。車掌には何の目的の回送か知る必要はないのです。「鉄」には気になるわけですけど…
余った165系のクハを、短編成化で不足する455系のクハに転用して、最小限の改造で有効活用しようという、当時の国鉄の「常套手段」だったわけです。寝台車の581、583系が近郊型419系、715系に改造されたのも同様で、まさにこの時期でした。
しなの7号
いつもお越しいただき、ありがとうございます。
以前の拙ブログ記事で紹介いたしました115系のときも同様で、60.3ダイヤ改正に向けての大改造ラッシュだった時期にあたっていたわけです。国鉄末期の「現象」とも言えましょう。
しなの号の非貫通クハ381は2両だけの少数派で、最末期まで活躍していましたね。
くろしおには、急行きのくに格上げ直後の一時期、485系が入ったのは存じていますが、さすがに長続きはしませんでしたね。固定ピンで交直切替スイッチを固定していたんですか。
これが交直流復活し、全く別の線の別の列車で再び乗務されるというのは、実に感慨深いものがあったでしょう。 485系も、くろしお1号様も、国鉄改革に翻弄され、年月を経てから、それぞれが仕事で再会するなんてドラマチックじゃあないですか!!
長大編成、長距離列車、そして支線区まで乗り入れる直通列車、分割併合を繰り返す多層建列車…どれも消えていくばかりで、もう古い時刻表や資料で偲ぶしかなく、寂しい限りです。
もーたろう♪
165系大垣夜行、懐かしいです。新幹線よりも好みの上、運賃の安さから東京へ行く時は何度も乗りました(^^ゞ
しなの7号
いつもお越しいただき、ありがとうございます。
4M5Tではありますが、回送で空車なので無問題です(^O^)/
165系といえば大垣夜行を連想される方も多いかと思います。深夜の静岡での駅弁が楽しみでした。
hmd
暖かいですね~天気が目まぐるしく変わりますが
これまた凄い編成ですね。まるで、DC編成の様です w( ̄o ̄)w
見たことも知ることも、今まで無かったので、電車でこの編成とは意外でした。
お仕事だと、鉄道趣味的要素は仕事場では皆無でしょうから、目的の通知が無いのは、致し方ない部分かもしれないですね。安全運行第一ですので (^_^)
しなの7号
明日から連休ですが、混みそうな所には寄り付かないようにしている私は、大した予定はありません。
hmd様の中部地方の旅から1年経ったのですね。早いものです。
153系撤退後、大垣電車区の165系にはクハが多くて、これに似たクハだらけの営業列車も存在していました。
乗務した車両シリーズに、まだ165系を出していないのですが、いずれ、定期列車に乗務した時のいろんな編成記録をお目にかけようと思っています。
toseibom
私の祖母が木曽に住んでいたため、中央西線が私は本当に好きなんです。子供の頃はまだD51の引く客車に乗っていました。生まれて初めて亡き母に名古屋に連れてってもらった時は神領電車区にある電車の量に驚嘆してしまったのを覚えています。そんなことを思い出しながら記事を拝読させていただいてます。
165系のこれほど先頭車が重なる編成があったなんて驚きです。中央東線の急行「こまがね」以上にクハが重なるなんて・・。
しなの7号
コメントいただきありがとうございます(^o^)丿
古くからの中央西線ユーザーでいらっしゃるのですね。神領電車区は昭和43年、中津川電化のときに誕生しました。中央西線の車両だけでなく、581系、485系も見られるので、私も、そのそばを通過するときの車窓を楽しみにしていたものです。
そうそう、急行「こまがね」はクハが連続する4両でしたね。飯田線の旧国撮影の折に見ましたが、見慣れないもので違和感ありましたねえ。
私は車両の加工は苦手なのでお恥ずかしい限りですが、懲りずに今後も無加工模型の写真をアップしますので、よろしくお願いします(^_^;)
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(1)11/12 電回A61-7 大垣~回9116M~品川
TcTcTcMcM'Tc'McM'Tc'(今回車号判明)
11/13 電回A61-8 品川~回9107M~大垣
McM'Tc'McM'Tc'(今回車号判明)
(2)11/14 電回A61-9 大垣~回9116M~品川
TcTcMcM'Tc'(車号不明)
11/15 電回A61-10 品川~回9107M~大垣
McM'Tc'(車号不明)
しなの7号
同時に、当時は自分で調べもせず、のちになって調べたことが間違っていなかったことが判り、こちらこそありがとうございました。
113
整理し直ぐに答えが出るようにしたいと思っています。
今回も大変参考になりました。これからも記録の公開よろしくお願いします。
しなの7号
所属した車掌区では、カレチが臨時列車に乗務していたので、趣味的に記録したくなるような臨時列車の編成はカレチ班に在籍した昭和59~62年に限られます。臨時列車だけはだいたい時系列にアップしてきましたが、ほぼ書き尽くしました。ご承知のように全国的に短編成化の魔改造が多かった時期で、趣味誌にもよく取り上げられ、このような転属劇に乗務員として関わる機会があったのもラッキーだと思っています。