この列車には新大阪駅からの団体さんが乗車しておられたわけですが、豊橋で下車されてその後は回送となります。私はその回送区間も含めて浜松まで乗務しました。
まだデビュー後1年も経っていない車両ですし、やはり職場でも何人もの鉄道好きの方は居られます。私が乗務することを知った1人がカメラを持ってきて記念撮影してくれました。
デビュー後間もないとはいえ14系普通座席車の改造車両ですから、この写真でも窓をふさいだ後の外板が歪んでいるのがわかりますね。
このふさがれた窓の位置がパノラマラウンジで、要するに車掌室のすぐそばということになります。豊橋からは回送なので、営業を終えたパノラマラウンジの様子を見に行きます。するといろんな記念グッズがあるではないですか。
今ですと、勤務時間中に・・・と御咎めを頂戴することになるのでしょうが、そこは昭和の時代です。ちょっと買い物です。
回送区間ではパノラマラウンジの従業員の方々は仕事が終わって、展望室でリラックス中でした。この方たちは日本食堂の女性3人チームでした。営業終了後にも関わらず快く応じてくださり、私のように乗務員が買い物をするケースはよくあるとのことでした。ネクタイピンとペナントを買いました。
テールマークがデザインされていました。
裏面には日本食堂と書かれていました。
昔はペナントって流行りましたねって言っても、お若い方々はご存じないかと思うのですが、観光地に行くとキーホルダーやペナントは土産物屋の定番でした。
今も変わらないのが記念スタンプで、これは買ったペナントの裏に押しました。
宮原のEF58との連結部分で写真を撮ってもらいました。私の場合、乗務中の写真というのは、あまりありません。今回紹介した最初の写真と、この写真を撮ってくれた同僚のA氏にはこの場を借りて御礼を申し上げます。
【楽天ブックスならいつでも送料無料】国鉄鋼製客車(2) [ 岡田誠一 ] |






この記事へのコメント
京阪快急3000
「サロンカーなにわ」が登場した頃は、私はまだ小学生でした。同列車も月刊誌「鉄道ファン」で知りました。
「ペナント」って、当時流行っていたのですね。知らなかったです。
それはともかく、記念撮影もして頂いて、「良い思い出」ができて良かったと私は思います。
くろしお1号
最近の鉄道グッズの充実ぶりには目を見張るばかりですが、当時の車内でこんな素敵なお土産が用意されていたとは、驚きました。自分も迷わず買っていたと思います。そう言えば、ペナントは見かけなくなりましたね。 このように思い出すきっかけをいただくと「そう言えば…」となるのですが、見かけなくなったことに今日まで意識していませんでした。日常生活に浸かり切ってしまっているのか観察力が弱ってきたのか…記憶でなく記録することの大切さを、一層痛感するばかりです。「サロンカーなにわ」も牽引したことがあったのかも知れませんが、今となってはそれを確かめる手掛かりすら全くありません。
しなの7号様の、正確な記録による文章に心より敬服いたします!
しなの7号
そうですか、このころは小学生でしたか。
でも小学生から鉄道雑誌をお読みとは、さすがです。自分が住んでいた田舎では書店で鉄道雑誌にお目にかかれることもあまりなかったです(^_^;)
この写真やグッズは、たしかに良き思い出の記念品です。
コメントありがとうございました。
しなの7号
おはずかしいです。でも鉄道写真を多く撮ってるくせに、こうした乗務中の自分の写真が私にはあまりありません(^_^;)
こういう乗車記念グッズがあることからも、大阪鉄道管理局のこの列車への力の入れようが感じられますね。
このときも別の臨時列車牽引のため名古屋第二機関区の機関士さん2人が便乗で乗車されていました。
ペナントは部屋の壁に一杯貼りつけるのが流行りましたね。何でも知らず知らずのうちに姿を消していくものの連続ですが、私たちも、その中で変わりながら生きているんですよねえ。
コメントありがとうございました。
OSAKA CITY
さすがに専務車掌のダブルの制服(服制及び被服類取扱基準規程では「制服(冬両前)」)はカッコいいですね。駅の場合は東京、名古屋、大阪といったどんなに大きなところでも、冬のダブルと夏の麻服を着用できるのは駅長と首席助役だけでしたから、優越感を覚えたのではないでしょうか。
しなの7号
おはようございます。コメントありがとうございます。
冬のダブルと夏の麻服は、着られる職種が限られているなかで、着るためには専務車掌が一番近道というわけですが、以前本文でもそれらしいことを書きましたように、私が専務車掌になった時期は、車掌職に占める専務車掌の割合が高くなったときでしたから、職場では大安売り状態でしたね(^_^;)
これで常時特急に乗務し、車掌長腕章でもしている日常でしたら「本物」だったと思うんですが、私の場合は怪しいです。
貨車区一貧乏
こんばんは。
列車区間の車掌区は予備勤務の時は色々な列車に乗務できたんですね
国電区間車掌区の予備は、もっぱら車内特別改札(特改)ばかりでしたし 列車掛時代は工臨ばかりでした
楽しみのひとつは 横須賀線逗子駅東急車輛からの新車、甲種車両輸送の行路でした。
月日は経ち、いま現役で使われている車両は伊豆急のリゾート21くらいかな
ところで国鉄の制服はいいですね。
全国どこに行っても同じで…
しかし、なぜか構内用のヘルメットは管理局でデザインが違ってましたよね? なぜでしょう?
白手袋…いまだに未使用のが何セットかあるんですが
使い道が無く「お宝」として保管していますが 家内には邪魔者扱いです^^;
しなの7号
私が所属していた車掌区も、専務車掌が予備のときにこうした臨時列車に乗務していたので、このように多種多彩な列車に乗務する機会があったのですが、普通車掌だと、予備でも変わり映えのしない列車ばかり乗務していました。
列車掛時代でも、甲種輸送や軌道試験車(マヤ検)乗務の行路があったのですが、私はそれらには当たらずじまいで転勤してしまいました。
新車の甲種輸送だと、メーカーさんから弁当の差し入れがあったと聞いています。
ヘルメットといえば、名鉄局の列車掛は乗務中ヘルメット着用ではありませんでした。他局でヘルメット着用で乗務されるのを見ましたが、たしかにヘルメットのデザインでどこの局の方かわかりましたね。
ダブルの制服や麻服は退職時に「クリーニングして返還」するよう言われ返してしまいましたが、手袋は使用済みのものを保管しています。拙ブロクのパソコン版トップ画面の腕章も、最後に使用していたものです。
その他いくつかガラクタは今も保管しています(^_^;)
hmd
雨が続いていますね。台風接近だとか
先日はコメントを頂きまして、ありがとうございました m_ _m
車内での限定鉄道グッズ、今は大分少なくなったのではないでしょうか?
当時、あまり興味が無かった方ですが、昭和の頃は色々あったような気がします。
また、最近は食べ物ばかりの様な気もします(大鐵のSL饅頭とか 笑)
ペナントも懐かしいです~今はあまり見かけないですね。部屋の壁一面、それも窓の上辺りに貼ったりしました。記念メダル発行機も定番ですね。未だに確か、千頭駅には置いてありました(笑)
仕事中の写真は撮影する機会が少ない(仕事中はその意識も余り無いですよね )ので、時間が経つと貴重な思い出写真になると思います。
自分も勤務中に撮影した写真は、20代後半の例の初代デジカメを試し撮りした時の1枚だけだったりします。
ゴハチ連結部でのお写真のしなの7号さんが、格好いいです (^_^)
p.s. 記念スタンプの日付を拝見しますと、鉄道旅行に覚醒た中学生時代?ですので、あの頃の国鉄の雰囲気が懐かしいです。
しなの7号
コメントありがとうございました。
今日は風雨とも強く、梅雨らしい天気です。
このときは客として乗る機会は二度とないと思って、こういうものを買ってしまったのでしょうが、鉄道ネクタイピンは、あちこちで買っていて実はコレクション化してしまったりしています(^_^;)
ダイヤル式記念メダル発行機なんかも観光地に行くとありましたね。字がずれて名前がうまく刻まれませんでした。
鉄道関係のメダルもたぶん実家に行けば、自分ののほか、父親が買ってきたものもあるんじゃないかな。
野良太郎
しなの7号
車内の撮影もさせてもらえましたか。国鉄のころは、社会全体が今みたいでなく、おおらかだったですから、鉄道が好きな方がおられれば、その願いを叶えてあげたいと思って、できる範囲で協力してあげたいと思っていました。それがお子さんならなおさら、そう思ったものです。
おき2号
2月のことですが、サロンカーなにわで大阪下関間を往復する団体列車に乗ってみました。EF65牽引で往路夜行、復路昼行でした。車内では時間もありましたし、こんな私なので車掌さんとも少しお話ししてもらいました。
区間ごとのリレー方式で、運転扱いくらいしかしないのはしなの7号様が乗務されたほかの列車と同じですね。ただ、客車列車がほぼないので、何年も前の経験者に現車訓練をしてもらって乗務してもらっているそうです。
運転士が車掌兼務という区間もあり、客車列車も間もなくSL列車以外なくなってしまうのかと、さみしい気分になりました。
車両も古くなってきており、今後が心配です。
しなの7号
最近になって「サロンカーなにわ」を使用した団臨が何度か運転されているようですが、機関車が牽引する客車列車は希少になってしまい、乗車する機会は得難いですね。乗務員のほうも乗務経験のある人は限られるのでしょう。お召列車にも使用された車両だけに十分な整備されてはいるでしょうけれども、実際に乗務するにあたっては、日常的に乗務する車両とは勝手がまったく違うので大変なのだろうと思います。
ずいぶんと長寿な「サロンカーなにわ」いつまで運転できるのか?