昭和59年11月15日
東海道本線 9303列車
乗務区間 浜松14:37~蒲郡~名古屋16:16
EF65 1113 東
1 オハフ15 17 南シナ
2 オ ハ14 63 南シナ
3 オ ハ14 59 南シナ
4 オ ハ14 61 南シナ
5 オ ハ14 65 南シナ
6 スハフ14 17 南シナ
西東臨615
青梅線開業90周年旅行416名
(御嶽)品川~蒲郡
蒲郡~名古屋間回送
東海道本線で下ってきた列車を浜松で乗継ぎ、名古屋までの乗務でした。列車は名古屋終点で14系客車は名古屋客貨車区へ取り込まれました。
14系座席車による団体列車で、機関車は東京機関区所属のEF65PF、客車も品川客車区という超一流?の列車でした。
超一流という感覚はわかっていただけますでしょうか?
東京機関区と品川客車区と言えば、いずれも往年の九州ブルートレインを担当していた車両基地です。新幹線に乗って東京へ行くとき、いつも品川を過ぎると左窓からブルーの車両群を見るのが常でした。おなじ車両でも、機関車の「東」の区名札や、客車の「南シナ」表記だけでも格が違って見えたものでした。
団体さんは蒲郡で全員が下車されました。その夜は三谷温泉で宴会でありましょう。
添乗員から蒲郡到着まえに放送による案内を依頼され、ハイケンスのセレナーデとともにアナウンスをさせていただきました。それは、まるでブルトレの車掌長になった気分でした。
すでに旧型客車が名古屋圏から消えて2年が過ぎていましたので、自分にとってはひさしぶりのハイケンスのセレナーデによる車内放送でした。
蒲郡で回送になると当然私の他には車内には誰もいません。電車と違って機関士に聞かれることもないので、ハイケンスのセレナーデの音楽鑑賞をして楽しんでいたのはいうまでもありません(^_^;)
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この記事へのコメント
京阪快急3000
EF65PF+14系座席車で当時としては、「超一流」なのですね。
質問ですが、「ハイケンスのセレナーデの音楽」って、何ですか?
しなの7号
「ハイケンスのセレナーデ」は、国鉄客車の放送設備に標準装備のチャイム(オルゴール)です。
気動車は「アルプスの牧場」が標準で付いていました。電車特急では「鉄道唱歌」(急行用サロも同じ)でした。
グーグルで「ハイケンスのセレナーデ」で検索すれば、そのメロディーが聞けるサイトにはいくつでも行きつけます。
くろしお1号
東京機関区に品川客車区の組み合わせですか!それは豪華ですね。思い出の紀伊号も品川の14系でした。昭和57年の名古屋駅事故の後、寝台車の不足からか、暫くこの14系座席車が連結されていて、リーズナブルに東京へ出掛けた記憶があります。
音楽鑑賞…本当によくわかります。私も出区点検の時「鉄道唱歌」や「牧場の朝」が正常動作するか、項目にもないことをよく点検しました。
最近、鉄道グッズがとても充実してきましたが、ハイケンスのセレナーデで目覚めさせてくれる電波目覚まし時計は、まだお目にかかったことがありません。ついでに「皆様、おはようございます。きょうは○月○日、時刻は只今○時○分です」とアナウンスの入る、そんな商品が出たら飛びつきます!
アルヌー
超一流の組み合わせで、ハイケンスのセレナーデで車内放送が出来たなんて本当に素晴らしいですー!!
品川のブルートレイン郡は懐かしいですよねー!!
客車の最後尾に「みずほ」とか「さくら」のマークが出ていると、見ただけで気持ちが盛り上がっていました!
14系ではオルゴールを使っていたはずですよね?
ポチッとボタンを押すやつでしたでしょうか?
懐かしいです(^o^)/
しなの7号
昨日は、ちょこっとなめただけした。
もともと、酒は弱いのですが好きだもんで…
紀伊号にも座席車が組み込まれたことがありましたか。14系どうしですから違和感ないですね。
音楽鑑賞はこのほかにも、神領から名古屋へ回送する特急急行編成でも行っていました。運転士に聞かれてしまいますが、「マイクのテスト中」などと前置きしてやってました。
自分の携帯では、北斗星のおはよう放送の録音を使用して6時30分に合わせてあります。「おはようございます。時刻は6時30分になったところです。まもなく長万部に着きます」っていう具合です。
コメントありがとうございました。
丸栄、掘り出し物ありましたでしょうか?
しなの7号
新幹線から見る品川客車区と東京機関区はほんとにすごい場所でした。そこの車両に巡り合えたので、このときはうれしかったものです。
客車の放送装置は結構大型でした。後にオルゴールから電子音に変わった車両も多かったみたいです。電子音の車両は放送装置が小型化されていました。
コメントありがとうございました。
TOKYO WEST
3年程前の団臨の添乗のときは、お客さまからの要望もあって、ハイケンスをかなり鳴らしました。車内放送は私が担当していたのですが、乗務していた車掌さんからは「以前は車掌をやってらしたのですか?」と尋ねられて、「ええ、まあ・・・」とごまかしたのを思い出しました。
しなの7号
国鉄当時の東海道本線では、ずいぶん遠くの所属の車両を目にしましたが、その所属表記を見るだけで感慨にふけることができたものです。「南シナ」と「東」はそのなかでも自分の中では別格でした。
そういえば添乗員さんにマイクをお貸しする場面もありました。TOKYO WESTさん、車掌氏もビックリというところですね。
コメントありがとうございました。
hmd
春の気まぐれな天気に、翻弄されますね
東京機関区と品川客車区の格・・・確かにありました。当時小学生だった自分にも、燦然と輝く金字塔の様なイメージでした あのオルゴールも懐かしいですね。今の様に自動放送化されていないので、オルゴールの無機質な機械音の後に、味のある車掌さんの肉声が響くと、非常に旅情を感じたりしました。今でも、新幹線や特急列車の自動放送の後に、肉声で停車乗り換え案内があると、嬉しくなったりします(^^)
実は、夜行の12系には良く乗ったのですが、14系の座席車には乗車した機会がないです(多分 汗) 特急形客車は、専ら、はやぶさ号の寝台車でした。
回送列車中での、しなの7号さんの嬉しそうな表情が目に浮かびました(^^)/
しなの7号
いつもコメントありがとうございます。
この手の列車は予備勤務のときでないと乗務できないので、楽しんで仕事してるようなところはありますが、たとえば冷暖房の取扱など慣れない形式だと気を使いますし、団体さんの降りる駅や弁当の積込駅でのドア扱いなど、その列車限りの仕事内容があるので不安もあったものです。
長距離優等列車の肉声案内放送は味がありましたねえ。しなの号の場合は3人乗務で、車掌長(チーフ)が始発終着とも放送するので、自分は特急でそういう放送をする機会はなかったです。
もーたろう♪
>EF65PF+14系座席車
国鉄のィィ時代ですね~
まだ私がガキだった'80年代はブルトレはEF65PFが牽引機、東京機関区に品川客車区、ハイケンスのセレナーデ・・・
これぞまさしく自分の頭の中の妄想鉄道、あるいは鉄道模型の世界で、自分が今でも追い求めようとしている時代です。
その時代に車掌さんをされていたのは凄く羨ましい限りです♪(^0^)
しなの7号
おはようございます。
自分から思うに、EF65P形+20系の時代が全盛期ですから、もうこの時期はすべてが効率重視の味気ないものに変わっていきつつある時期だったように思います。
やはり、自分が乗務した時代を鉄道模型で再現したいのとともに、それ以前に消えてなくなり乗務できなかった列車も模型で再現してみたいと思っています。
コメントありがとうございました。
貨車区一貧乏
東機と品客…懐かしいですね
私は客貨車の出身ですので品川には数多くの同期が在籍していました。
学園終了時に実地訓練で品川客車区と新鶴見貨車区に研修に行って参りましたが現在は双方とも跡形もない状況で、時代の移り変わりはすごいものだと感じています
ちなみに品川の同期は、現在一人も客車検修に携わっていないのが現状です
車内チャイム…私は国電区間だったので無縁でした
当時は優等列車担当の東京車掌区や上野車掌区の方々が羨ましかったなぁ…
そういえば国電区間でただ一人だけ自家製の鉄道唱歌のオルゴールをマイクに近づけ始発駅で放送してた車掌もいたと噂を聞きました
しなの7号
おひさしぶりです。
コメントいただきありがとうございます。
私は列車掛の実習を稲沢貨車区で受けました。
こちらも同様に跡形もなく、稲沢駅周辺は国鉄時代の面影がありません。貨物列車や機関車の姿が今もみえるので楽しみな場所ではありますが、現業機関の場所も変わり国鉄時代の規模とは比較にならないほど小さくなっています。
普通電車には鉄道唱歌のチャイムがありませんでしたね。急行型165系の場合でさえグリーン車にしかその設備がなかったですし、特急の場合は2~3人乗務でしたので始終着の放送は車掌長がするので、ほとんど自分は使えませんでした。
以前に書いたように旧型客車では「ハイケンス」は使いたい放題でしたし、気動車列車は「アルプスの牧場」が標準装備でしたので、これもよく鳴らしました。いずれも普通列車で聞けるものでだったわけで、「鉄道唱歌」は優等列車限定という位置づけです。
自前のオルゴール持参の車掌氏の気持ちはよくわかりますね。