【179】 乗務した車両:ワフ21000・ワフ22000有蓋緩急車

今回からは、列車掛時代に乗務していた「緩急車」「車掌車」について,形式別に触れていきます。
最初は、非常に古いタイプの有蓋緩急車(ワフ)2形式についてです。ついでにその形式が連結されていた貨物列車の編成もご紹介しておきます。

私が子供の頃、貨物列車の最後部にぶら下がっていたのは、片側デッキで縦長3枚窓、貨物室の大きな引戸が目立つワフ21000かワフ22000がいちばん多かったように思います。小学生の低学年の頃は、もちろん形式はわかりませんが、その特徴ある形状から間違いありません。

この2形式は外観が酷似しているので、私には識別できませんでしたが、ワフ21000が鉄道省時代の戦前製で、ワフ22000のほうが戦後製です。両者は車軸の種類が異なっていて、戦前製のワフ21000は、標準軌に改造可能な長軸を採用しているのに対し、ワフ22000は短軸を採用しています。

こちらはワフ21000です。
画像


こちらはワフ22000です。
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非常によく似た形態なのがわかります。

この2形式の外観上の特徴は前述の縦長窓のほか、埋め込まれていない尾灯でした。
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設備上の相違点は電気設備で、室内灯や尾灯の電源とするための発電機が、他のワフやヨに装備されていたような本格的な車軸発電機ではなく、簡易発電機と呼ばれるものが使用されていました。製造当初は電気設備さえなかったようです。室内には非常に小さく暗い蛍光灯しかなく、蛍光灯が「ピー」と音を出していたのが印象に残っています。発電機の故障や電圧降下も多いと言われていて、そうなると尾灯が点きませんので、そのままでは列車は運転できません。緩急車がこうした状態に陥ったときには主要駅に予備として常備してある「掛け尾灯」と呼ばれるバッテリ付の尾灯を引掛けて運転されました。その頻度が多いのは、やはりこの2形式でした。
また、これら2形式は、ほぼすべてが石炭ストーブ車で、石油ストーブが装備された車両を見ることはありませんでした。(ごく一部に石油ストーブ改造車もあったらしいです。)列車掛は皆、この形式に当たるのを好みませんでしたが、私が乗務していた昭和54~55年頃には、すでに代替の新車「ヨ8000」形が次々と新製され増殖した時期でしたので、ワフ21000と22000は急速に廃車が進み、よほど運が悪くないと、これら2形式に当たることはありませんでした。

それでは実際に乗務した時の編成を見てみましょう。


昭和55年2月24日
関西本線 1264列車
運転区間 塩浜~稲沢
乗務区間 四日市17:27~稲沢20:05

DD51 824(稲一)
 タキ15050 塩浜~天竜川
コタキ45455 塩浜~南松本
 タキ15501 塩浜~南松本
 タキ19843 塩浜~南松本
 タキ 9809 塩浜~南松本
 タキ23367 塩浜~稲沢
 タキ13063 塩浜~上枝
 タキ38063 塩浜~天竜川
 タキ  800 塩浜~黒崎
 ワフ22906 (門トス)

現車10
延長18.5
換算48.5

石油や化学製品を積載したタンク車で組成されています。
緩急車の直前に連結されたタキ800はスチレンモノマー専用車で、一形式一両の珍車だそうですが、乗務した時はまったく気にかけておりませんでした。写真くらい撮っておけばよかったと悔やまれます。

始発駅である塩浜駅は四日市から分岐する関西本線の貨物専用の支線の終端駅で、現在もJR貨物によって営業しています。塩浜~四日市間は当時「車掌省略線区」に指定されており、列車掛は四日市駅から乗務しました。
類似名称の貨物駅で「塩浜操」駅が神奈川県の川崎市内にあり、紛らわしかったですが、そちらは現在「川崎貨物」駅に改称されています。
この列車は終点稲沢駅で編成を解体され、それぞれの行き先に振り分けられるのです。


昭和55年5月1日
関西本線 5295列車
運転区間 (関)富田~亀山操
乗務区間 (関)富田22:30~亀山操23:28

DD51 818(稲一)
 ヨ   5088  (大ウタ)
コタキ 71996 東藤原~膳所
コタキ 81912 東藤原~膳所
コタキ 81903 東藤原~膳所
コタキ 71995 東藤原~膳所
コタキ111947 東藤原~膳所
コタキ112472 東藤原~膳所
コタキ 71987 東藤原~膳所
 ワフ 21551  (南ツソ)

現車9
延長12.5
換算40.5

こちらは、三岐鉄道の東藤原からやってきたセメント列車を、関西本線の富田駅で引き継いで、草津線経由で東海道本線の膳所まで輸送する列車でした。輸送方によれば、参宮線の宮川駅までの車両も併結することになっていましたが、この日は膳所行だけが連結されていました。逆に宮川行だけの日もありました。

来週は、その他のワフについて、編成例も含めてお話します。

この記事へのコメント

  • 京阪快急3000

    おはようございます。
    この2形式の緩急車(ワフ21000およびワフ22000)に、実際に乗車してお仕事をされていたのですね。
    「よほど運が悪くないと」と言うことは、この2形式は業務上、評判が悪かったのでしょうか・・・?
    2011年06月27日 07:11
  • しなの7号

    京阪快急3000様こんばんは。
    いつの世も、古き佳きものは、現場では厄介ものだったりしますね。
    簡易発電機は信頼性がなくて、故障しないかと、いつも心配でした。
    2011年06月27日 21:35
  • ひとりかもねん

    こんばんは

    今回も興味深く拝見させて頂きました。古い緩急車の電源問題など現場にいないと分からない話ですね。

    また黒崎駅に化成品を運ぶタキ800、とくれば着荷主は三菱化成ですね。あのあたりの引込線は私の鉄道原風景ですので懐かしい気持ちになりました。
    2011年06月28日 00:36
  • しなの7号

    ひとりかもねん様 おはようございます。

    タキ800をご存知ですか。貨車は奥が深くて私にはよくわかりませんが、キリのいい番号だけどどんなやつだっただろうと調べていたりすると、珍車だったりするわけです。四日市あたりには専用線がたくさんありましたね。専用線には小さな入換動車がいて、独特の雰囲気が私も好きですが、わざわざ出かけたことがなく、その多くが廃止されていったのは残念です。

    コメントありがとうございました。
    2011年06月28日 06:58
  • 南駒ケ岳

    緩急車の内部の雰囲気が分かり大変驚きました。これはレス違反かも知れませんが情報提供です。本日、太多線の海ミオキハ406309が旧国ディ-ゼル塗装(キハ17などの2色塗り)で走行していました。ついにJR東海も粋なことをするようになりましたね。(117系の先鞭がありますが)
    2011年06月28日 20:45
  • しなの7号

    南駒ケ岳様 こんばんは(^o^)丿
    最近、JRもいろいろやりますね。ついに太多線に出没ですか(゜o゜)
    7月21日に参宮線で旧国鉄色のキハ40と48で編成を組んで臨時列車が走るそうです。(駅にパンフが置いてあります。)
    太多線も朝晩は国鉄型気動車が見られますねえ。
    先週も実家へ帰る折に、多治見駅でキハ47を見ましたが、47は国鉄時代には美濃太田にはいませんでしたから、なにか新鮮な気がしました。
    情報ありがとうございました。
    2011年06月28日 20:58
  • くろしお1号

    こんばんは。
     この2形式は、当時としてもとてもクラシカルですね。尾灯が車体と別になっている車両は、直接眼にした記憶がありません。HOやNゲージの大手メーカーで、この形式はありましたでしょうか?
     自分自身、貨物列車との縁はレール運搬用のチキしかなく、貨車の説明を拝読するのはとても新鮮です。調べていくと、とても奥が深そうですね。こちらに来てから関西線に乗務すると、南四日市で中央部が逆への字に垂れ下がったタンク車をよく見かけました。ラテックス専用とありましたが、その時はタンクが古びて中身の重さでひん曲がったのかな…くらいにしか考えていませんでした。後に何かの本でこのタンク車の写真を見て、初めからそんな形だったことを知りました。
     元列車掛の先輩が緩急車の思い出話を始めると、もうノーブレーキ状態で、それがまた面白く、しなの7号様もきっと書ききれないほどのエピソードをお持ちなのだろう…と思いました。貨車区一貧乏様のコメントも合わせ、貨物列車にしかない詩情を強く感じました。また、いろいろお聞かせ下さい!
    2011年06月28日 23:29
  • 貨車区一貧乏

    こんばんは 
     
    ワフ21000 22000ですか
    約5年間貨物職場でしたが たぶん?はじまて拝見しました
    当時、ワフは乗りたくなかったので編成を確認し、緩急車がワフだったら正直ブルーになっておりました(-_-;)

    下回りを見ますと スカスカでバッテリーや車軸発電のベルトが視認できませんね

    唯一ワフで良い思いでは 冬場で進行方向に貨物室があり、暖房が石炭だったときには普段より隙間風がなくて、室内が暖かったことかな^^
     
    塩浜操・・・こちらは乗務線区だったので逆に四日市の塩浜はどういうとこかな?って思っていました^^
    2011年06月29日 01:02
  • しなの7号

    くろしお1号様 おはようございます。
    この2形式の模型はNのプラ製品としてはないですね。
    これをプロトタイプとしたOゲージのワフを見たことがあります。Oゲージ全盛期にはこの2形式も同様に全盛だったのでしょう。

    南四日市のラテックス積タキは自分の列車にもよく連結されましたが、くろしお1号様がおっしゃる特徴あるタキ8850だと思われる貨車は記憶にありません。連結されたのは特徴のないタキ7900ばかりだったように思います。貨車は奥が深く、私はよほどの特徴がない限り、その特殊性に気がつきませんでした(^_^;)

    コメントありがとうございました。
    2011年06月29日 06:23
  • しなの7号

    貨車区一貧乏様 おはようございます。

    この古いワフはヨ8000と入れ替わり廃車ということになりますので、本文中の編成表の時期(昭和55年あたり)に一気に数が減ったはずです。冬場のワフの向きは仰るとおりで、唯一ワフの利点でしたね。

    塩浜と塩浜操は部内でも混同されたと思います。どちらも貨物駅なので貨物関係者でないとなじみがないです。
    コメントありがとうございました。、
    2011年06月29日 06:58
  • toseibom

    こんばんは、しなの7号さん。今回も興味深く拝読させていただきました。幼少時、私はワフ側面は3枚窓と2枚窓があるんだということをなぜか確信を持っていました。形式の区別ができる年齢ではなかったと思いますが、飯田線を走るワフは2枚窓が主流で、中央線に出ると3枚窓ワフが登場したり両端デッキの3枚窓、4枚窓と言った感じで窓の数で違いを認識していたのを思い出しました。模型では、tomixのワフ35000(香港製・絶版)350円/両を編成途中と最後尾に連結したくて2両買ったのを思い出しました。
    ところで、素朴な質問ですが、ワフやヨの窓の数の違いには何か意図があったんでしょうか?
    2011年07月02日 22:48
  • しなの7号

    toseibom様 おはようございます。
    幼少時から窓の数の違いを認識されていたとはさすがです。ワフの窓の数については明日アップする記事の中で模型を使用して触れてみます。

    TOMIXの香港製貨車全盛時には模型から遠ざかっていましたので買えませんでした。国鉄退職後、絶版になってしまった後で多くの模型店に出没して探しましたが買うことはできませんで、そのうちに河合商会から発売されて買ったという経緯です^^;

    窓の数は新しい「車体」ほど少なくなっていると思います。私の想像の域をでませんが、乗務員が1人で乗務するには窓は監視用として最小限でよいということではないでしょうか。かつては貨物の小口輸送があって「荷扱手」(後の乗務掛)も列車によっては乗務していましたので、複数人数の乗務もあったはずで、ヨ8000以外の緩急車には長椅子も用意されています。
    2011年07月03日 05:46
  • hmd

    しなの7号さん、こんばんは。
    梅雨ですが雨が降らず、蒸し暑いですね。
    今朝はコメントを頂きまして、ありがとうございます。

    ヨ8000も独特で格好良いですが、古典的な雰囲気のあるこちらのワフも捨てがたく感じます (^_^) もっとも、緩急車自体を自分の目で見られたのは小さい頃のみなので、記憶がかなりあやふやですが・・・もしかしたら、ワフは実車は拝めなかったかもです(汗)
    貨物室は半端な大きさにも感じますが、実際、有効に使われていたのでしょうか?(若しくは、業務用でしょうか?)
    木製幌屋根やリベット打ちを見ると、こっちの方が味があり、雑多な二軸貨車編成に付く緩急車ぽい格好良さを感じます。
    2011年07月04日 21:52
  • しなの7号

    hmd様 おはようございます。
    趣味的に見るとこのワフ2形式は、国鉄貨物の全盛期を生きてきた車両として、味わい深いですが、乗務となると安心感がなく困った存在でした。

    この2形式に限っては、貨物室を使用した場面に出会ったことがありませんでしたが、このあとにご紹介する他のワフについては新聞輸送に使用されている列車がありました。どちらにしても有効に活用されているとは思えませんでしたが、貨物の全盛期には、車掌の乗るスペースなど小さくていいから、貨物スペースの確保が重要だったのでしょう。
    コメントありがとうございました。
    2011年07月05日 05:43
  • hmd

    しなの7号さん、こんばんは。
    夜は幾分涼しいですね。

    緩急車はいつもご乗務された職場であったでしょうから、設備の違いや有無、使い勝手などに差があり、気になったご様子が伝わってきました。
    ある程度は標準化されていると思いますが、古い車両の改造車も多く、当時の国鉄の事情なども感じられます (^_^)
    細い白線がストーブの種類を表示するとは、初めて知りました。暖房燃料補充係の担当者さんが一目で判るようにでしょうか?(若しくは、暖房用の石炭や石油はご自身で補充されたのでしょうか)
    当時のご乗務は大変かと思いますが、二軸車のあの音を聞きながらの乗務は、今思えば、また一興だったのではないかと思いました (^_^)
    2011年07月13日 22:54
  • しなの7号

    hmd様 おはようございます。
    緩急車はどんな形式が来るかわからない、同じ形式でもストーブの種類がちがうといった具合で気になったものです。
    緩急車の石炭や石油の補充は、主に国鉄の退職者が冬場の臨時雇用でやっていました。白線はその識別のための標記と思われます。
    今では2軸車にお目にかかることがほとんどなくなってしまいました。あの乗り心地は、退職後に長良川鉄道のトロッコ列車で経験したのが最後ですね。
    2011年07月14日 07:00
  • ヒデヨシ

    しなの7号様こんばんは
    いつものようにバックナンバー探しです
    この型式は私が紀勢本線に昭和53年頃DF50を撮りにいっていた頃殆どの貨物列車に付いていましたので線内での運用があったのかもしれません
    勤務していた同時期の東海道本線では見たことはありません
    でもクラシカルなスタイルが好きです
    この車両とは違いますがワムフを一度だけ最後尾に連結されているのを見ました
    当時はワムフは米原に3両のみ残っていて北陸本線で運用があったのですがなぜか刈谷で見ました
    この生き残りはトイレ付に改造されていたようですね
    2016年03月06日 23:29
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 おはようございます。
    紀勢本線で緩急車がどのような運用をしていたのか把握していませんが、基本的に全国運用になったあとも一部線区では緩急車の区間専用使用指定がありましたね。明知線もその一つでした。

    ワムフは千種駅構内にあった中部鉄道学園の実習線に廃車になった1両が留置され、長く実習用に使用されていました。生きたワムフは米原でしか見たことがありません。
    2016年03月07日 08:09
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様
    鉄道趣味を始めた50年前、ヨが本線貨物列車用でワフはローカル線貨物用という認識でした。貨車ごとに発駅、着駅が決まっていて、車票に積荷ともども明記されているのを眺めていましたから、ワフは何をどう運ぶのか不思議で、積荷に合わせて走らせれば車掌が乗務する車両と両立できないのではないか?などと考えていましたが、やはり貨物を運ぶ用途は限られていたようです。作品名と時期は不明ですが、大昔にC11らしきカマが牽くローカル線貨物をモノクロ映画で見たところ、駅でワフの扉を開けて駅員さんが小荷物を積み降ろししており、自分なりにワフは荷物車の役割もあるのか…などと理解したものです。キハユニなどの運用がないローカル線ではキハの室内に小荷物を積む線区も多々あったようで、ワフの貨物室とどちらが適しているかはわかりませんが、列車の実態により適した方が選択されたいたかもしれません。
    2021年03月06日 12:17
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    かつて鉄道貨物営業には小口貨物がありましたが、小荷物に統合される形で昭和40年代に廃止されています。映画でご覧になったのは小口貨物の荷扱シーンだと思われます。自分が就職前のことゆえ想像の域を出ませんが、ワフの貨物室は小口貨物用として活用されていたのではないかと思います。小口貨物扱をする貨物列車の緩急車には車掌とともに荷扱手が乗務していたということで、うちの父もその一人でした。
    小口貨物が廃止された後もワフによる新聞輸送(小荷物扱)をする貨物列車は一部に残っており、
    【332】思い出の乗務列車13:新聞輸送貨物列車271列車
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201211article_7.html
    で乗務したときのことを書いています。
    2021年03月06日 21:08
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様
    小口貨物という小単位荷物の積み合わせにワフが活用されたそうで、最も適した使われ方と思われます。271列車について拝読すると、荷物車代わりの役目を果たしています。
    さて、当会の前身は、各地で鉄道車両保存にかかわっており、和歌山県の個人が所有していたヨ6114や岡山県専用線のDLを入手の上で有田鉄道に搬入してイベントで走らせており、ヨの車内に来場者を乗せて金屋口駅構内を運転しましたので、私も車内清掃や乗降案内に従事しました。石油ストーブは実際に使いましたが、低速なので乗り心地が固いという程度しか感じず、これで本線貨物列車の速度を出し長時間乗務をする車掌さんは大変だろうとみんな言っていました。有田鉄道廃止後も引き続き置かせてもらい、有田川町鉄道公園になったのち、旧会員で結成した新団体に譲渡したことをホームページに公開しています。
    DB20、貨車「ワム1」「ヨ6114」の譲渡
    http://oyu10.web.fc2.com/db20.html
    話をワフに戻しますと、前理事長が個人でワフを入手して、車輪がないダルマ状態で福井県の私有地に長年置いており、前所有者が改造して貨物室と車掌室の壁と設備を撤去していました。全国の駅舎にもよく見られたもので、現在はご当人が運営する滋賀県の病院で診察室として使われていますが、移転作業には私も同行し、トラックに積まれた車体が高速道路で現役当時の貨物列車よりも速い速度で疾走すると荷台ごと左右に揺れ、後続のクルマを運転していて怖いような楽しいような不思議な体験でした。でもきれいに塗装、整備されて第二の人生?で活躍しているのは喜ばしいことです。
    2021年03月07日 16:20
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    59.2以降不要になった貨車のうち、一般に売却されたものがたくさんありましたね。あれから三十数年経つと、売却先でも劣化は避けられず、いくら二軸車といっても鉄道車両とはとても図体が大きく、保守には専門技術も必要ですし、その手間や費用はたいへんでしょう。ワフは貨車の中でも利用価値が高そうで、今も意外な場所で意外な利用のされ方をしながら生きながらえている車両があるのですね。それらの中には自分が乗務した車両もあるかもしれません。ヨ6114について乗務記録をあたってみましたが、あいにく乗ったことはなかったようです。
    2021年03月07日 20:53
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様
    それでは「ヨ14188」は乗務されたでしょうか。前回コメントで搬送した車掌車がワフと書きましたが、正しくはヨでした。片側デッキが改造で完全になくなり貨物室に見えましたが、修復過程でデッキを復元するという大工事をしていました。
    2021年03月08日 02:06
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    ヨ14188も乗務記録には出てきませんでした。乗務していた1980年ごろにヨ5000形式だけで1000両以上在籍しましたが、そのうち乗務した列車に連結されたのは約1割程度なので致し方ないところです。
    ヨ14188のことでしたら、拙ブログ内のあちこちにアフィリエイト広告を貼らせていただいております笹田様の著書「車掌車」に詳しく書かれていますね。
    2021年03月08日 20:40

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