これまで、他所から遠征してきた臨時列車にばかり乗務してきたのですが、ここへきてやっと地元、名古屋客貨車区所属のお座敷列車に乗務する機会を得ました。
1984年(昭和59年)12月2日
中央本線 回9621列車~9622列車
運転区間 名古屋~多治見~名古屋
EF64 41(篠) 変A32(12/1)
1.スロフ12 915 名ナコ 近江
2.オ ロ12 829 名ナコ 飛騨
3.オ ロ12 830 名ナコ 美濃
4.オ ロ12 831 名ナコ 伊勢
5.オ ロ12 832 名ナコ 尾張
6.スロフ12 916 名ナコ 三河
(名臨402)片山津温泉と味覚と名所めぐりの旅(220名)
大曽根~名古屋(加賀温泉)
乗務区間 名古屋7:22~多治見8:01
多治見で折り返し9622列車(牽引機同じ)
多治見8:40~名古屋9:24(多治見~大曽根間 回送)
この名古屋鉄道管理局のお座敷列車には特に愛称がなく、単に「お座敷列車」と呼ばれていました。国鉄時代の車掌区では、鉄道ファンの間の通称「ナコ座」とか呼ばれることはなかったのですが、他所のお座敷列車との区別の必要性から、ここでは以後、通称の「ナコ座」と表記します。
(実物の写真は、乗務時のものではありませんが、国鉄時代の名古屋客貨車区での撮影です。)
12系座席車から改造されたナコ座には大きな特徴がありました。両端のスロフが展望車となり、オープンスペースが設けられていたことです。お座敷列車や欧風客車の多くは、新製ではなく座席車からの改造によっています。それまでのお座敷列車と言えば、車内に畳を敷くことが主な改造でしたが、ナコ座では、改造種車となるスハフ12の乗務員室部分を展望オープンスペースとし、接する客室の約3分の1は洋風のソファを置き、往年の特急展望車を思わせる改造を施しました。このため車掌室を前位に移設しているのです。ナコ座より後に改造された、いわゆるジョイフルトレインにも、車端部分にガラス張りの展望スペースを設ける車両が多く現れました。しかしそれらは乗務員室部分はそのままにして、反対側(トイレ側)を展望スペースに改造するのが一般的になりました。
こうした大掛かりな改造をしているにも関わらず、車体色はオリジナルの12系客車のままで、横から見るとインパクトがなくて普通の12系客車のように見えます。
以上のような点から、特徴のあるジョイフルトレインへの過渡期のお座敷車と言えそうです。
高崎のお座敷列車「くつろぎ」が山の名前を各車両につけていたのに対し、ナコ座では名古屋鉄道管理局内の旧国名がつけられていました。
乗務した列車は大曽根から北陸への団体さんのための列車でした。名古屋から回送で発車しますが。大曽根で機関車の機回し(反対側への付替え作業)ができないため、いったん機回しができる多治見まで回送し、折り返しました。多治見駅では貨物の取扱が常時ある大駅なので、操車係が配置されています。そのため車掌が機関車の機回し作業をする必要がないので非常にありがたいわけです。たとえば以前のブログ記事で入換作業について取り上げた釜戸駅だと当然車掌が入換作業を行うことになるのです。
多治見で折り返し、大曽根までは回送扱い。大曽根から団体さんに乗車していただきます。そして名古屋で他区の乗務員に引き継ぎました。
この列車を牽いたのは篠ノ井機関区のEF64でした。私にとっては乗務掛や列車掛をやっていたころから仕事で馴染みの機関車でしたし、地元で小学生のころからいつも見ている機関車でもありました。このとき牽引に当たった41号機は、ご承知の方も多いかと思いますが、分割民営化で旅客会社へ引き継がれた数少ないEF64のうちの1両で、JR東日本へ引き継がれて主にこのような臨時列車を中心に活躍し、晩年は茶色に塗装されて人気者になりましたが、すでに廃車されています。そしてもちろんこの当時は青色塗装でした。





この記事へのコメント
京阪快急3000
私は昨日、大風邪をこじらせてしまい、今日はお休みを取らせてもらいました。
名古屋のお座敷列車「ナコ座」の模型もお持ちなんですね。
そういえば、この頃の「展望付き客車」や「ジョイフルトレイン」の「展望車」となる車両のデッキ部分は、車掌室側の反対側に設置されているものが多かったように思えます。
牽引機のEF64もいいですね。私も好きな電機の一つです。
しなの7号
風邪ですか。私も先月はものすごく咳がひどくて参りました(+_+)
風邪は万病のもと。お大事に。
仰るとおり、このナコ座みたいに乗務員室を移設したジョイフルトレインは思いつきません。このナコ座は旧乗務員室部分が展望スペースになっています。
模型には再現されていませんが、本文中の実物写真をご覧いただくと電源エンジンの排気煙突が展望スペースに居座っていますね。
関西ではEF64は馴染みがないと思いますが、私の地元ではELといえばこれが真っ先に思い浮かびます。でも中央西線からはこの0番台車は最近見られなくなってしまい1000番台ばかりが走っています。
コメントありがとうございました。
くろしお1号
ナコ座の存在が思い出せなくて、ユーロやリゾートはよく覚えているのですが…でも、緩急車を転向させずに改造されているところに、編成の美しさを感じます。よく見かける改造車は、どれも両端の緩急車がひっくり返っていて、どうも句読点の打ち方を間違えた作文のようでした。ナコ座は、美しい編成美を誇る貴重な存在だったのですね。
最近、旧国鉄車両をオリジナルカラーに戻す動きが広まってきました。今日はキハ40の全検出場車の試運転でしたが、おやおやタラコ色を通り越して、キハ20時代のツートンカラーを身にまとっていました。しなの7号様も乗務されていた車なのだろう…と思いながら、色がちょっと違うかな…でした。
しなの7号
あ、宮脇さんの影響でしたか(^_^)
ところで宮脇さんの著作で「山陰ストリップ特急」っていう短編がありますが、ご存知でしょうか? 文庫本「終着駅は始発駅」に収録されています。おもしろいです(^O^)/
ナコ座は車掌室の移設に伴って、手ブレーキや必要機器すべてを移設していて、改造も大掛かりなので、以後は車体を転向させるのが主流になったんでしょうかね?
キハ40も色変えて出場ですか。キハ48とともに、おもしろくなりそうですね。ほんらいキハ40系の国鉄色2色塗りはなかったわけですが、高山本線では同じ顔をしたキロ28改造のキユニ28がこの2色塗装で活躍していましたから、違和感はあまりないです。最後の活躍を楽しみにしています。
コメントありがとうございました。
hmd
しなの7号さんのお住まいのエリアも、大雨らしいですが、大丈夫でしょうか?
この手の編成の最後尾は特徴を一番出す所で、ジョイトレはスマートな展望キャノピーのイメージがあるのですが、これだけゴツイとインパクトが強いですね (笑)
この頃の国鉄は「とくとくきっぷ」(懐かしい)やジョイトレなど、国営ぽい集客企画が今思うと味があったなぁと感じます。
ロクヨンも貨レ世代で、客車牽引を見たことがないのですが、かつての中央東線の旧客牽引を見たかったです (^_^)
p.s. しなの7号さんには先にお伝えしたく・・・当方3本目の鉄道模型の専門ブログを立ち上げました。また、少し模型もやりたくなってきました。現在準備中で、運用開始時期はまだ未定です。よろしくお願いします。
しなの7号
こちらは、雨のほうは大丈夫ですよ。
ナコ座、お世辞にもカッコいいとは言いかねるスタイルです。展望車を意識したのはいいのでしょうが、改造車ゆえにタネ車のスタイルの残して中途半端な感じですね。
お若い方々にはEF64は貨物機みたいなイメージでしょうが、私には客貨万能山男のイメージです。齢ですね(^_^;)
おぉ!模型ブログも始められるんですか!
期待しています。昨日は実家に保管している小学生時代に買った16番の貨車を見て楽しんでました(^_^;)