引き続き、予備勤務のときに乗務した列車を、模型で再現しながら当時のことを振り返ってみたいと思います。
昭和59年12月4日
東海道本線回9109M(運転区間:品川~大阪)
乗務区間 浜松2:02~名古屋3:31
クモハ455-22 仙セン
モ ハ454-22 仙セン
サ ロ455-45 仙セン
サ ロ455-36 仙セン
ク ハ455-4 仙セン
東海道本線で下ってきた列車を浜松で乗継ぎ、名古屋で他区乗務員に乗継ぎました。
455系というのは中京地区では全く見かけることがない車両です。こちらは交流区間でも60Hzですから、馴染みがあるのは475系になります。
「仙セン」と表示があることから、東北方面から継送されてきたものと思われます。
乗務が決まった時に、これは楽しみだと内心思いました。しかもサロ455が2両も連結されているではありませんか。
以前のブログ記事で、115系や165系の改造のための回送列車に乗務したことをお伝えしましたが、今回も何のための改造かは不明なものの、サロ2両が改造されるのだろうと、乗務前から想像はつきました。
この時期には、身近な存在であった名古屋と北陸を結ぶ「しらさぎ」でも、2両連結されていたグリーン車が1両減車され、11両編成になりました。翌春に予定されていた60.3ダイヤ改正に向けて車両改造するための減車でした。短編成化のため必要となる運転室の取付改造など、ダイヤ改正後の転用に備えていたのです。
さて、浜松でこの列車に乗って、発車するとすぐ車内探検(もとい車両に異常がないか車内巡回)にでかけます。サロとその前後の貫通ホロはつながれていませんでした。
サロには運転室はありませんが専務車掌の乗務員室があります。サロ455-36の乗務員室の机の引き出しの中には、その5日前の「旅客列車引継書」がそのまま残されていました。9両編成の103M山形車掌区のカレチ氏の達筆な文字が書かれてあり、それを見て、直前まで東北で活躍していたグリーン車であることが実感として伝わってきました。
上野-仙台・山形で運転されていた「まつしま3号・ざおう1号」のものだと思われます。このまま捨てられるものでしょうから、記念にいただいてきました。
さて、私はこの列車を名古屋で降り、別の乗務員に引き継ぎましたが、その後この列車は大阪から先も列車番号を変えて西下しました。
あとでわかったことですが、2両のサロ455は幡生工場へ入場したようです。そこで運転室の取付改造を受けるとともに、普通車に格下げされました。クハ455の600番台を名乗り、サロ455-36はクハ455-601に、サロ455-45はクハ455-605になったのです。どちらも故郷東北へ帰ることなく九州で活躍し、JR九州に引き継がれて、その一生を終えています。
2000年の九州旅行のとき、この2両に出会えぬものかと気にかけていましたが、日豊本線でこの特徴あるグリーン車の2連下降窓の姿をそのまま残したクハ455-600番台とすれ違いました。
ナンバーの確認ができなかったので、乗務したときの車両ではなかったかもしれませんが、その仲間に違いありません。
改造当初はローズピンクとクリームの交直流急行色のままでしたが、ご覧のように九州色になっていました。
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昭和59年11月を中心とした1カ月余りの予備勤務の間に、ご紹介したようにいろいろな臨時列車に乗務しましたが、この列車の乗務後に、所定の「交番」に戻ったので、しばらく定期列車の乗務ローテーションの繰り返しとなりました。
連載となった「臨時列車の乗務」シリーズは、ここで中断とさせていただき、これからの月曜日の更新については、定期列車で乗務していた車両を振り返る「乗務した車両」シリーズを再開しようと思っています。





この記事へのコメント
京阪快急3000
先週こじらせた風邪も、病院の薬を飲んで、治りました。
さて、予備勤務の体験記、楽しく拝見させていただきました。
昭和59年頃といえば、国鉄も「車両改造の真っ最中」だったと、記憶しております。
2両のサロも、東北から遠い九州向けに改造(サロ→クハ)されたのが、とても印象に残りました。
当時の国鉄の「財政事情」がよく分かりました。
これからの記事も、楽しみにしています。
しなの7号
風邪治りましたか。よかったですね。
このころは国鉄の古い体質から民営化に向けての急激な変化が始まった時期でした。人も車両も、思わぬ方向へ流されたものです。
そういう点ではおもしろい時期に臨時列車に乗務する機会を得たものと思います。
コメントありがとうございました。
OSAKA CITY
下降窓の急行型電車のグリーン車はいいデザインでしたね。小学生の頃の夏休み、家族で熱海に出掛けたとき親にせがんでグリーン車に乗ったのですが、それは非冷房・非リクライニングの普通列車でした。すれ違う急行「伊豆」や「東海」のグリーン車は冷房付・リクライニングシートなので、下降窓とあいまって格の違いを見せつけられたように感じていました。
しなの7号
コメントいただき、ありがとうございました。
乗車されたのはサロ111でしょうか。
急行電車気動車に採用された2連の下降窓は高級感があふれていましたね。特急にはサロ381を除いてこういうデザインの車両はなかったし、そもそも特急のグリーン車にはグリーンの帯がありませんでしたから、急行用のグリーン車は子供の頃にはいちばんグリーン車らしいグリーン車?でした。
名古屋地区では普通列車のグリーン車はごく一部しかありませんでしたから、普通列車にも当たり前のようにグリーン車がある東海道本線東京口と大阪付近はすごいなあと時刻表をめくっていつも感じていました。
くろしお1号
恥ずかしながら、このブログを拝見した後、どうして50Hz車がこの地を自力走行していったのか、間違いでは?と、しばらく理解できませんでした。震災後の電力融通の報道などと交錯し、東海道線や山陽線が直流であることに気付かず、また交直流車は米原から北陸線に入るものという先入観に支配されていました。自分が担当でなくて本当によかったと、胸をなでおろしています。きっと、大騒ぎして大恥をかくところでした。
一段降下窓の急行グリーン車の姿は本当に流麗でしたね。OSAKA CITY様のコメント、本当によくわかります。私たちの馴染みはキロ28でしたが、キハ58などに取り囲まれて、紅一点の別品さんでした。後年二段窓に改造された車は、まぶたにできものができ、ついでに付けまつげも取れかかっているような、気の毒な姿でした。
しらさぎ号減車の通知書も、もう感慨無量です!ロが一つ減るのは特急の風格として確かに淋しいです。ところが、シがある!(絶句)
最近まで、米原駅のホーム上に「しらさぎ12」という乗り場表記がうっすら残っていて、若い皆さんにはこの近代産業遺跡?について説明をしてきましたが、これも消えてしまいました。
しなの7号
いつもコメントいただきましてありがとうございます。
455系とは意表を突かれる珍客ですよね。行先は幡生なので問題なしですが、九州入りするのアウトですね(^_^;)
急行グリーン車は高級感あふれるスタイルでしたが、外板腐食の影響で田の字窓に改造後の姿は見れるものではなかったですね。いつもながら、くろしお1号様のおもしろい表現にニヤリとしてしまいました。
しらさぎ号の減車が始まったのがこの時期で、写真では10月いっぱいの減車という達示ですが、その後もずっと減車期間は延長続行されていきました。
米原のホームに12両しらさぎの「遺跡」が残っていたとは知りませんでした。こうして少しずつわずかに残った国鉄が消えていってしまうのは寂しいことです。
hmd
先日はコメントを頂きまして、ありがとうございました。
交直流電車は関東エリアでは常磐線以外では見られず、特に国鉄ローズ色は記憶も少ないです (^_^;)
記憶がややあやふやですが、日豊本線南部(延岡以南?)で、急行形格下げ車鈍行に乗車した思い出があります。グリーン車は俗にいう料金不要の開放グリーン車で、長い編成(6~8両?)の中、グリーン車1両だけが乗客が集まり混んでおりました。その時点でも、椅子の肘掛けのクロスが剥がれていたり、傷んでいたのでかなりの経年車だったと思います。
着席したものの人が多くて落ち着かず、元のクロスシート車(普通車)に戻りました(笑)
その後、東北や北海道など交流区間の乗車もしましたが、何故か50系の客車列車乗車が多く、国鉄色の交直流電車や交流電車の思いでがあまり無かったりします (^_^;) 当時、客車列車の方が関心が高かったので、あまり気にしていなかったかもしれません(客車列車をわざわざ選んで乗車していました)。
しなの7号
今日はこちらも暑かったです。そんな中でもワムハチ貨物を見に昼休みに出かけたりしてます←物好き
九州で格下げクハに乗られましたか。それは、この2両のうちのどっちかかもしれないですね。
内装そのままでの普通車格下げは国鉄時代によくあったみたいです。
中央西線でも昔70系電車にサロ格下げのサハがありましたが、それだけ混みました。始発でないと席にありつけないので、中間駅からの場合は避けていましたが、格下げ車らしく、うらぶれた車内でありました。
50系客車に、わざわざ狙って乗った時期がありました。特に交流ELとのコンビはよかったです。中京地区には亀山以南と以西以外、縁のない客車でもありました。
コメントありがとうございました。
이윤성
短編成化の為の先頭車化改造が盛んな時期でしたね。
その中でもクハ455型600代は私が一番好きな改造車です。
サロ時代に有った専務車掌室はクハ化改造後もそのままだったのでしょうか?ご存じでしたらご教示くださるとありがたいです。
模型ではサロ165型からの改造車しか製品が発売されておらずサロ455型からの改造車は複雑な切り継ぎで再現するしか方法がないのが残念なところです。
未だに国鉄民営化反対!国鉄1047名不当解雇撤回!動労千葉支持連帯!な交通運輸₍乗合旅客自動車₎労働者です。
最近ロングシート比率が高くなり、つまらないので、専ら模型鉄です。
私が小学生の頃の鉄道ファン誌に広域転属や改造の為の回送の写真がたくさん載っていて、165系+455系の混成で東海道線と思われる線区を回送中のシーンが載っていたと思います。
165系が混ざっていたので当然直流区間しか走行出来なかったのでしょうけど、湘南色と交直流急行色の混血編成も
模型なら今でも再現できるのでやりたいと思います。
しなの7号
クハ455-600はずいぶん個性が強い改造車でしたね。あいにく私もクハ化改造後の車掌室部分の状態を確認していません。
h ttp://tetsubanonakigara.web.fc2.com/typekuha455ec.html
↑
上のURLのサイトにある画像を拝見すると、サロ165改クハ455 609は、車掌室はそのままのように見え、一方でサロ455改クハ455-604のほうは、客室との間仕切が撤去されて客室の一部になっているように見えますが。。。
国鉄末期に先頭車化改造が盛んに行われた時期、その魔改造ぶりは大変興味深かったですが、全国規模で行われた回送編成のほうも多種多彩、神出鬼没で、鉄道雑誌の投稿ページを賑わしていましたね。私が見た例として、国鉄長野工場で103系から改造された105系が、165系電車を牽引車として配置先の奈良電車区へ回送されたときの画像を「【977】中央西線を走った車両26:工場入出場のパートナー+α」で掲載しています。↓
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201904article_6.html
その時代には情報収集のために、どこかの高校生たちが定期的に私の勤務先だった車掌区に来て、局報からダイヤを書き写していました。いい時代でしたが、その後国鉄分割民営化前年だったと記憶しますが、部外者がシャットアウトとなったようで、彼らの姿を見なくなりました。
이윤성
455系Ts→T’c改造車の謎がやっと解けました。
他にも国鉄時代ならではの珍編成な回送シーンも見ていて飽きません。
これからも時々閲覧させて頂きたいと思います。
よろしくお願い致します。
木田 英夫
最近のコメント目次からこちらに入りました。
西ノ宮〜芦屋間に電車を見に行っていた約50年前のこと、快速電車の一部にはグリーン車がありました。オリジナルの小窓タイプ、コルゲート板が貼られたステンレスカーの試作車、そして今回登場の大窓タイプの3種類がありましたが、やはり大窓車が一番カッコよくスマートだったと思います。
サンバイザーが取り付けられていたことは後に知ったのですが、窓ガラスの上の方に付いていた開閉用の摘みが印象に残っています。外から見ると、まるでボタンが並んでいるように見えました。
最後の写真、前面と運転席部分は間違いなく国鉄の車両ですが、その後ろに続く連窓と分散形の冷房を見ていると、新塗装とあいまって「私鉄の観光特急」に見えなくもないですね。(普通の字幕には目をつぶって)
追伸
サロとその前後の貫通ホロは繋がれていなかったとのことですが、車内の点検巡回のときにどのように隣の車両に移られたのでしょうか。しかも真夜中、まさか…。(アクション映画の世界)
いつもありがとうございます。木田英夫
しなの7号
子供のころから、グリーン車が連結されている列車は自分がふだん乗れない格式の高い列車という位置付けでした。特に普通列車にもグリーン車がある首都圏や近畿圏は自分の住んでいる田舎との格差も感じておりました。
2連下降窓の車両は構造上短命な車両が多かったですが、特別感がありましたね。
回送列車のサロに貫通幌は掛けられていなくても、先の車両の貫通路にある取っ手をつかんでから連結部を跨げば恐怖感はありません。昭和時代のNゲージ車両みたいに車間が開いていたら恐ろしいだろうなあと。。。