【186】 樽見鉄道との付き合い 1 :国鉄樽見線時代

今回から木曜日の更新は3回に分けて樽見鉄道のお話をします。
では第1回目をスタートしましょう。

樽見鉄道は東海道本線の大垣駅から分岐している第三セクター鉄道です。旧国鉄特定地方交通線転換線である樽見線(大垣~美濃神海(現 神海))を昭和59年に引き継ぎました。その後、平成元年に、ほぼ工事が完成していた旧日本鉄道建設公団建設線である延長区間(神海~樽見)を開業して現在に至っています。
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私の実家があるのは岐阜県で、樽見線鉄道も同じ岐阜県内にあって、しかも旧中山道でつながっているのですが、私が住んでいたのは県の東端。この鉄道は西端になります。離れていることもあって、子供のころからこの鉄道を利用するような用事は全くなく、利用する機会がありませんでした。

国鉄に就職して車掌になった時でも、同じ大垣駅を起点としている美濃赤坂線には乗務していたのに、なぜか国鉄樽見線は乗務範囲には入っておらず、樽見線では「車掌区」ではなく大垣「駅」所属の車掌が乗務していたのでした。

そんな縁の薄い樽見鉄道でしたが、国鉄樽見線時代から、私のこれまでの関わりについてお話したいと思います。
関わりは薄いようで、それでも鉄道としての面白味もあったので、思い出はいくつかあるのです。

国鉄樽見線と私との初めての関わりは、昭和47年4月で、私は中学3年生になったばかりでした。
当時は全国のあちこちで蒸気機関車が姿を消していく時期で、その前月に樽見線からもC11の貨物列車がディーゼル化されDE10に置き換えられたのでした。そのC11とのお別れ行事として、その年の4月16日に貨物列車に客車2両を増結し混合列車として大垣~美濃本巣間をC11の重連が走ったので、まだ買って間もないカメラを持って写真を撮りに行ったのでした。誘ってくれたのは太多線沿線にお住まいだった「南駒ケ岳さん」でした。最近拙ブログにコメントもいただいた方です。この方とは中学時代からしばらく文通をしていまして、この行事の直前、お手紙で一緒に行こうと誘っていただいたのです。

撮影場所は東大垣付近で、大垣から暑い中を歩きました。
撮れた写真はこれです。
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牽く機関車は「大垣電車区」所属のC11155とC11355。客車は米原からの借り物で、乗客は招待者だけで一般客は乗車できなかったそうです。
旅客列車は全部ディーゼルカーで運転されていた樽見線に客車が入線したのはこの時が最初でした。そして私もこうしたイベントに出かけて写真を撮ったのは、この時が最初でした。揖斐川の堤防が人で埋まっているような光景に圧倒されてしまいました。

この時は撮り鉄でしたので、樽見線自体に乗ることはありませんでした。
初めて乗車したのは国鉄に就職した後で、車掌時代の昭和57年1月17日でした。C11を撮りに行ってから10年後に当たります。
その日は元日の代休でした。車掌の勤務形態は不規則でしたので、私は当時稲沢にあった独身寮に在籍しておりました。2人部屋でしたが、同室のTさんも私も、通常は家から通勤していて、どうしても帰れない勤務の時だけ寮で過ごしていました。そのため寮でいっしょに過ごすことは稀で、たまに寮へ行っても1人でした。その前日はめずらしくTさんも寮に居て、2人とも翌17日は休みでした。どこかへ行こうかという話になって、何にも用事はないけれど樽見線に乗ったことがないから乗ってみようということになったのでした。彼も同じ職場の車掌でしたから、樽見線に乗ったことはなかったのです。

当日は2人で喋りながら乗っていたので、特別に印象に残っていることはありませんでしたが、私は、「大垣駅乗務員発行」の車内補充券がほしくて、その日乗車した列車の車掌氏に申し出て記念に1枚購入しました。それがこの切符です。区間変更(乗り越し)として発行してもらいました。当時の終点は冒頭で記しましたように美濃神海でした。
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大垣駅の車掌が持っている乗車券はこのほかに2種類の様式がありました。いずれも片道切符で、次の写真は樽見線内利用の場合の様式です。
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次の写真は樽見線内だけでなく、東海道本線の近傍駅まで使用できる様式です。
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(上の2種類の片道切符は、いずれもこの時に買ったものではなく、別途収集したものです。)
車掌はこの2種で対応できない種類の切符を発行する場合にだけ、そのとき私が買った「車内補充券」を発行するのです。

国鉄樽見線時代の関わりはこれくらいしか思い当たりません。あとは大垣で、キハ48やキハ26が停まっているのを眺めたくらいで、写真も撮っていません。

C11の撮影に誘っていただいた「南駒ケ岳さん」は交通関係のお仕事に就かれ、最近は登山をされていて、毎年すばらしい山の写真の年賀状を送ってくださいます。
寮で同室だったTさんは、JR東海の管理職として社員の指導に当たっておられます。

このお二人の誘いがなければ、国鉄時代の樽見線には行くことも乗ることもなかったものと思います。これも何かの縁でしょう。改めて御礼を申し上げるものです。

また、文中のお別れイベントで先頭に立ったC11155は、現在は地元大垣市内にある「こどもサイエンスプラザ」の中に屋内展示保存されて、美しい姿で迎えてくれます。
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来週木曜日の更新では、第三セクター化されたあと日の浅い時期のことについてもお話します。
なお、樽見鉄道の現況については、いつも拙ブログにコメントをくださるhmd様のブログ「hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅」のなかで「【60】美濃三鉄めぐりの旅(樽見鉄道編 1 名古屋〜大垣&大垣駅)」から18回にわたって、2010年GWの訪問記事がたいへん詳しくアップされていますのでご参考にされるとよいかと思います。

この記事へのコメント

  • 京阪快急3000

    おはようございます。
    国鉄樽見線時代のお話、じっくりと拝見いたしました。
    昭和47年頃といえば、たしか「国鉄創立100周年」(誤りでしたら、ごめんなさい)で、「SLブーム」の時期でもあったと、手持ちの文献で読んだ記憶があります。
    南駒ケ岳様とT様というお二人の出会い話も素晴らしかったです。
    人間は誰しも、誰かとの「出逢い」がなければ、生きていけない・・・、自分一人では生きていけない・・・そう感じました。
    次回も楽しみにしています。
    2011年07月21日 07:24
  • しなの7号

    京阪快急3000様 おはようございます。
    仰るように、そのころは鉄道100年記念の行事が全国でありましたし、その中でも蒸気機関車の臨時運転が各地であった時期です。誰かに誘われなければ「行かなかった」「やらなかった」ということは私の場合限りなくあるもので、その出会いと御誘いの言葉に感謝しなくてはなりませんね。
    2011年07月21日 08:01
  • 南駒ケ岳

    TOYOTAさんが電力事情を考慮し木金を週休日としていることから東海道線がかなり空いていてありがたい様な寂しい様な。樽見線のさよなら列車は昨日の出来事のようです。現役のC11を見るのは最初で最後でした。また写真を見てしなの7号さんに負けたと思いました。帰りの名古屋駅で中央西線のサボの入れ替えでホームと反対側のドアが急に開いたのが思い出として残っています。今なら運輸安全委員会ものですかね。なつかしく拝見しました。
    2011年07月21日 20:59
  • もーたろう♪

    こんばんは。
    煙の出方からして、すごくゆっくりめの速度に見える写真ですね。
     混合列車というのを見たことがありませんが、画像を拝見しているだけで煙の匂いや音までもリアルに再現されるような・・・(^^;)
    2011年07月21日 21:13
  • hmd

    しなの7号さん、こんばんは。
    関東は台風の直撃は避けられたのですが、秋の様な肌寒さです。返しの猛暑が怖いです (^_^;)

    しなの7号さんの樽見鉄道のお話とのことで、当時、どの様な雰囲気であったのか、貴重な情報が得られると思い、大変期待しております。
    岐阜県も思いのほか東西に長いので、余所者の私でも東と西はこんなに違うのかと、驚くばかりでした。
    比較的、小さな県であるうちの県はこれほど大きな差は無いです。山と海の違い位で、根は共通した雰囲気が何処かあります。

    さよならSL運転も貨物牽引の引退と言う事なのですね (^_^) 
    最後に特別の客貨混合重連とのことで、賑わったご様子が目に浮かびます(貨物も全部セメントタキ?の様ですね)。その後も、蒸気機関車も大切に屋内保存され、最高の環境の様ですね。
    お写真から察するに、揖斐川の盛り土のあの付近かな?と勝手に推測しております(笑)

    また、今では珍しい車補券の保存やご旧友、ご同輩との長年の親交など、しなの7号さんのまめな人柄を感じました。若い頃はがむしゃらなので無意識ですが、何故か歳を取ると、そのありがたみが客観的に判りますよね (^_^)

    p.s. 当方ブログをご紹介頂きまして、ありがとうございます m_ _m 今後ともよろしくお願い致します。相互TBを送信させて頂きました。
    2011年07月21日 23:38
  • しなの7号

    南駒ケ岳様 おはようございます。
    コメントありがとうございます。
    そして当日のお誘いありがとうございました。
    この場を借りて御礼申し上げます。

    当時は私の地元には中央西線・明知線といった近場にD51やC12が見れましたから、日帰りで同じ岐阜県とはいえ、蒸機目当てに遠出したのは初めてでした。
    往路には滅多に乗る機会のない太多線や高山本線に乗って、美濃太田や岐阜の乗換時に撮った列車の画像も1枚ずつネガに残っています。私もC11を見たのはこの時が最初でした。
    お小遣いで買った貴重なフィルムで少しずつ撮っていた懐かしい時代ですね。
    2011年07月22日 06:18
  • しなの7号

    もーたろう♪様 おはようございます。

    この列車はたしかに遅いスピードでした。風が吹いて煙が横に行ってしまいましたね(^_^;)
    この混合列車は途中駅の入換はないですが、北恵那鉄道でも貨車を連結した混合列車があって、乗客を乗せたまま途中駅で入換作業をしたりすることがあって面白かったです。
    2011年07月22日 06:55
  • くろしお1号

    こんばんは。昨夜は、参宮線100年イベントで活躍した旧塗色キハ48の回送でした。こんな洒落た車が増えるといいな…と思います。
     樽見線…旗振り時代、やはり休日に乗りに行きました。タラコのキハ26だったと思います。終点の美濃神海で、運転士さんといろいろお話しした思い出があります。
     しなの7号様のおっしゃる通り、いろいろなご縁のお陰で、今の自分があるのだと思います。増して、今日のようにコミュニケーションのツールがない時代、ご縁とは直接お会いしてお話しすることが殆どでしたから、受ける影響は絶大なもので、何十年経っても記憶は鮮明です。しなの7号様のお顔は存じ上げませんが、もしお会いしたら「あの時の!」と、この道へ導いていただいたお一人だったのかも…と、いつも思っています。
     南駒ケ岳様の、ホーム反対側ドア開!そうでしたね、当然のように。関西線の客車列車も乗り降り自由で…ちあきなおみの「喝采」…あれは3年前、止める貴方駅に残し、動き始めた汽車に一人飛び乗った…これですよね。今の若い方々には、ハリウッドのアクション映画です。今なら…発車間際の電車に一人駆け込んだ…ですね。その後に「駆け込み乗車はおやめ下さい!」のオチが付きますが。
    2011年07月22日 20:59
  • しなの7号

    hmd様 こんばんは。
    コメントに加え、相互TBしていただきありがとうございました。

    hmd様が昨年乗られた岐阜県の3つの第三セクター鉄道のほかにも、かつては神岡鉄道がありました。日本海へ注ぐ神通川に沿った豪雪の神岡でも岐阜県なのですから広いです。

    SLの写真は東大垣駅から揖斐川橋梁へ続く築堤です。並行していた東海道本線と別れていく位置です。乗務中、東海道本線からこの場所を何度見たことか。この日のことはいつも思い出しましたね。
    こういう思い出は無形の財産だと思っています。
    2011年07月22日 22:03
  • しなの7号

    くろしお1号様 こんばんは。
    昨日は台風一過で参宮線イベントも無事にできたようでなによりです。回送のお仕事でしたか。
    私も直前まで出かけるつもりでおりましたが、都合で行くことができなくなりました。国鉄旧塗色のキハ40や48は高山線や太多線でも見られそうなので、ぜひ見たいと思っています。

    乗務していたころ、タラコ色のキハ26と48のコンビは大垣でよく見かけました。急行色から塗り替えられたキハ26はうらぶれた感じで、対するキハ48は新車で、対照的な同色2両が手をつないでいるのが定番だったように思います。

    終着駅でのサボ替えのための線路側のドアの開放も昔の語り草となってしまいました。日常的にやっていてよく問題にならなかったものと不思議な気さえします。

    くろしお1号様の現代風の歌詞には笑ってしまいました(^◇^)
    喝采の歌詞は、山陰本線の旧客をイメージする私ですが、ホントは小倉駅が舞台らしいです。昔の列車には歌になるような詩情あふれた別れがありました。

    いつもコメントありがとうございます。
    2011年07月22日 22:42

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