私が列車掛だった昭和50年代中期、東海道本線の高速貨物列車は運転速度が時速100km(高速貨A)の10000系の列車が2往復のほかは、時速95㎞(高速貨B)のコキ50000系と時速85km(直行貨)のコキ5500やワキ5000が主流でした。高速貨Aの緩急車にはコキフ10000とレムフ10000が限定で使用されました。高速貨Bにはコキフ50000が、直行貨にはヨ(2000を除く)が用いられました。
もともと絶対数の少ない10000系の高速貨Aの列車は、このときすでに減少傾向でした。
このうち、私が所属した「車掌区」では高速貨Aは上り1本のみの受持ちでした。残る上り1本と下り2本は「貨車区」の列車掛が乗務していました。
我々車掌区の乗務員のなかの噂話で、高速貨A(10000形式)は特殊な装備があるために、故障時の対応が技術屋集団である貨車区の列車掛でないと務まらないが、お情けで車掌区にも1本だけ受け持ちがあるのだということでした。
列車掛は、車掌業務以外に貨車の検査業務があり、そのなかで応急修繕もしなければなりません。そのために列車掛の養成課程では車掌関係で3カ月、検査業務(構造)関係で1カ月半の計4カ月半を全寮制の教習施設で過ごすのですが、この10000系貨車のブレーキ構造は複雑で、滅多に乗務しない車両のために多くの時間をその高速貨車の教習に割いていました。
私が所属した車掌区で受け持っていたのは、幡生から鮮魚を首都圏に送り届けるレサを連ねた5050列車で、乗務区間はその一部だけで稲沢(19:06発)~西浜松(20:35着)の区間でした。機関車はEF66限定で、乗務する緩急車はレムフ10000。そんないわくつき?の列車であるからか、この5050列車は、ある程度のベテランの「交番」に組み入れられていて、私が本務で乗務することはありませんでした。
乗務したのは線路見習中1度きりで、昭和54年9月18日。乗務車両はレムフ10004でした。
高速貨物列車は最高速度が高いだけでなく、途中の停車時間もわずかで、乗り継ぎの場合でもで3分停車というのが普通でした。乗務したものの、見習であったことと、編成を書きとる時間的精神的余裕もなかったので、この列車の編成を紹介することができません。EF66の機関車番号も不明です。
この10000系列の車両は「ワキ10000、コキ10000、コキ19000、コキフ10000、レサ10000、レムフ10000」だけですが、時速100kmで走行するため、一般の貨車とは台車とブレーキ装置が全く違っていました。台車は空気ばね装備、ブレーキは応荷重式電磁ブレーキを用いるためジャンパ栓があり、空気管(5kg/cm)と元空気ダメ管(9kg/cm)を同時に連結できる密着自動連結器が採用された重装備の貨車でした。通常の貨車は空気管(5kg/cm)を引き通しているだけですが、電気回路のジャンパ栓と、高圧の元空気ダメ管(9kg/cm)を引き通す貨物車両は他に例がなく、ブレーキ装置が複雑であれば故障も多くなり、不慣れな職員が応急修理もできないとなれば、現場では嫌がられる列車でありました。
それにしても、これほどのブレーキ装備をしなければ、重い貨車や軽い貨車が混在した高速走行中の列車を、安全に決められた範囲内に停車させることができないわけで、「高速で走る技術」というのは「ブレーキの技術」なのだと実感します。
ただ鉄道好きから思えば、EF66が白い貨車を牽くこの列車は、とても素敵な列車でした。この5050列車は中京地区を通るのが夜になってしまうため、吹田へ他の列車に乗務した際に折り返し待ち時間中に撮影したのが上の写真です。吹田操での5050列車です。
このほかの数少ない高速貨Aの列車は、中京地区ではほとんどの列車が夜間の通過でしたが、5050列車の折り返しの回送となる下りの5051列車(貨車区担当)だけが日中の運転で、その姿はときどき見ることがありました。稲沢駅で乗務員交代のため停車するその列車に近寄ると、魚の生臭い匂いが漂い、連結器部分のところどころでエア漏れの音がシューシューと聞こえてくることも毎度のことで、自分の列車ではないものの心配になったものです。
そのレムフ10000は大宮の鉄道博物館に保存してあり、当時の積卸の作業が再現されています。
車掌室の様子もよくわかるように展示され、これがヨ8000の基本構造になっています。
この鮮魚専用高速貨物列車は「とびうお」と命名されていたらしいですが、現場で愛称として使うことはありませんでした。「五千五十」と列車番号で呼んだり、「一万形式」と形式名で呼んだりしていました。
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- 【488】 緩急車車内の落書(コキフ50000関連)
- Excerpt: またまた貨物列車乗務時の落書シリーズの続きです。これで最終回になります。 私が列車掛をしていたときには、東海道本線と関西本線でコキ50000系で組成された高速貨物列車に乗務する機会が多くありました。空..
- Weblog: 昭和の鉄道員ブログ
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この記事へのコメント
南駒ケ岳
しなの7号
列車掛の養成課程で構造はわかっていても、東海道本線の長い貨物列車を見ていると、たった1両の機関車であれだけの列車を牽けること以上に、きちんと停まれるのがより不思議に思います。
走行エネルギーの大きさは列車事故のときに見せつけられるものですが、安全に停車することこそ交通機関の最重要課題ですね。
技術屋さんらしいコメントありがとうございました。
くろしお1号
ブレーキの技術!本当にそう思います。南駒ケ岳様のコメントも合わせ、心から共感するばかりです。また、「制動=安全」を旨としたお仕事に、心から敬意を表します。
運転士においても、行きつく所はブレーキの腕になります。私も現在の職場に来てから、ブルトレを運転する諸先輩方から、幾度となくブレーキにまつわる話を聞きました。その後、自分でハンドルを握るようになって、その話が誇張でなく事実であることを痛感しました。会心の停車ができると、それだけで仕事の全てが成し遂げられたように感じました。
しかし、よく考えてみれば、さほど重量の変わらないブルトレと、1000トン以上を引っ張る貨物列車を比べてみれば、要求される技術は歴然です。ですから、腕だけでは個人差が現れ安全が確保できない部分を、複雑なメカニズムで補っていたのですね。
ハイテクな貨物列車の一部を車掌区で担当していたとのこと、私の職場でも昔貨物列車の行路があったと聞きます。やはり、旅客担当職場の方が格上…という位置付けがあったのでしょうか。
運転士目線のコメントになってしまい、申し訳ありません。押入れを物色していたら、エンドウのレサが出てきました!
しなの7号
私はもちろん列車の運転などしたことはないのですが、機関士さんが当たり前のようにブレーキを操作して定められた位置に停まれることは職人技だと思っています。
信頼できるブレーキシステムがあってこそのものでしょうが、客貨車の形式や重量によって違うブレーキ力を、おそらく体感として操作され、列車全体が自分の体のように一体化しているということなのでしょう。
職人魂が刺激されるのが運転の仕事ですね。
エンドウのレサですか。私は持ってなかったなあ。そもそも、実車を見たのが国鉄に入ってからで、買っちゃうと、とても高くて手が出ないEF66も必要だったりしますし(^_^;)
コメントありがとうございました。
貨車区一貧乏
私たち貨車区検修に在籍していた若年者は とかく大物車や甲種や高速貨など普段接しないものに興味をもっておりました。とかく貨車のくせして?空気バネ、レジン制輪子、密着連結器、100km使用と、興味津々^^でした
残念ながら レムフには整備も乗務もできませんでしたが 100km走行しましたら空気バネ使用でも かなりの動揺があったのでは?と想像します
10000系のマニュアル、「高速貨車取扱必携」という名前の冊子を所有していますが なぜか門司鉄道管理局編となってます。しなの7号さまはご覧になったことないですか^^?
南駒ケ岳さまがコメントされているように貨車も検査整備は制動が大きいウエイトを占めておりました
制動筒や制御弁、制輪子交換などはミスイコール大事故と教えられ細心の注意を払い整備しておりました
残念ながらお隣の国でも大きな鉄道事故がおきてしまいました。
安全は輸送業務の最大の使命である!
安全綱領で一番好きな言葉です
しなの7号
整備する立場として扱う高速貨車は興味深いものだったでしょうね。
「高速貨車必携」だったか忘れましたが、貸与されていた冊子は転勤時に返却してしまいましたが、列車掛という職種ができたとき、車掌だった父親がその転換教育を受けたときにもらってきた冊子が保存あったのですが中学生頃の話ですから、それは行方不明です。たぶんそれだったような?
車掌区では制動関係のことに興味を持っている人はそんなにいないと思います。貨車区では身近に検査修繕をしておられるので、自然と興味を持って接することとなろうかと思います。私どもも養成期間中、稲沢貨車区に実習に行きましたが生きた10000系貨車がいたわけでもないので、私は実物を知らず、しかも見習1回乗っただけという怪しい列車掛ではあります^^;
私は10000系貨車の動揺が問題になったことは聞いたことがなく少なくともコキフ50000のような揺れではないはずです。
「安全は輸送業務の最大の使命である」は「輸送業務」以外でも今の自分の仕事でも大切なものと思っていますが、数を求められ効率を重視され、その余裕がなくなっている自分に焦りを感じてしまうこの頃です^^;
北恵那デ2
しなの7号
いつもご覧いただきましてありがとうございます。
今回の5050列車に関しては、レムフは1両最後尾に連結されているだけでしたので、終点の入換作業で折り返す列車の車掌室は反対向きになるだけのことです。しかしコンテナ列車は編成の両端にコキフを連結した列車が多くありました。終点での入換作業の手間が省けますからそうなっていたのでしょうが、そういう編成単位での運用であれば、乗務員の安全のため、あえて両端のコキフの車掌室が逆向きになるように運用されていたのではないかということですね?
自分が乗務していた昭和50年代中期に限って言えば、おっしゃるような配慮はされていなかったと思います。そういう配慮があったらしい話も最近初めてネット上で知ったくらいです。そこでヒマな私、乗務列車の緩急車の向きを一時期記録しておりましたので、それを分析してみますと以下のような結果でありました。
調査期間:昭和54年6~12月
調査列車:東海道本線の高速貨B(コキフ50000)
(乗務列車に限る)
最後尾の緩急車が逆向きの列車 16例
最後尾の緩急車が正方向の列車 17例
以上のとおり、ほぼ半々であり、少なくとも自分が乗務していたコキフ50000形式使用列車については、あえて逆向きに連結されていたようには考えられません。複数の列車に対し複数回記録していますが、いずれの列車でも向きは特定されていませんでした。時代によって、あるいは特定の列車でそういう配慮がされたことはあるのかもしれませんね。
hmd
蒸し暑い日が戻って、続いていますね (^_^;)
当時の花形貨物特急の運行の様子が良く判りました。特別装備付きの車両だったのですね (^_^)
言うなれば、ブルートレインならぬ、ホワイトトレインと言った所でしょうか?
皆様のコメントも鉄道雑誌などでは掲載されない現場経験者の方々のお話ですので、垂涎ものの情報で、興味深く拝読させて頂きました。
そう言えば、K社からも模型化されていますですね (^_^)
しなの7号
コメントありがとうございました。
こちらもほんとに蒸し暑い日が続いています(^_^;);;
この列車を牽くEF66がいちばん似合っていると思います。貨物列車とはいえ、EF66の牽引列車は特別な列車という意識は強かったです。貨車区の列車掛の方と違い、壊れたらどうしよう?的な不安も車掌区の列車掛にはありました。
皆様のコメントで、私もかつての国鉄の様子を振り返ることができ、彩りを添えていただいていることに感謝しています。
ごっちゃん
僕はEF66が好きなのですが
多分そのお魚を運ぶ列車はとびうお・ぎんりんとと言う列車だとおもいます。
この列車はカトーから売っていますよ。
しなの7号
EF66はほんとうにかっこいい機関車ですね。
まさに、このブログ記事にご紹介した模型の画像はkatoの「とびうお・ぎんりん」セットです。
EF66はほんとうにかっこいい機関車ですね。
かつての鉄道ファン
通過した後に残るそこはかとない生臭さはあったものの、白で統一した格好の良い編成と高速で踏切を通過する姿から、この列車の特別感を子供ながらに感じたものでした。
実際に乗務されていた方の話を読み、改めて小学生時代の印象を思い出すことができました。
しなの7号
EF66が牽く白い冷蔵車で統一された列車は目立ちましたね。格好だけでなくて、構造も特殊だったのは本文をご覧いただいてお分かりいただけたと思います。
匂いと結びつく列車というのも、今どき思い当たりませんね。
木田 英夫
子供の頃のことをふと思い出し、レサ10000で検索したところ、こちらにたどり着きました。当時西ノ宮-芦屋間の夙川のところに電車をよく見に行ってたことを懐かしく思い出しました。約50年程前の話です。
現車が勇退しても、手許で楽しめるのは模型の強みの一つです。レサ編成と言えばEF66で決まり、ですが、白一色の格好いい20両編成は、「西武のスタイリスト」E851の重連、あるいは基本8両に減車して「ドイツ産まれのハンサムボーイ(であったが……)」のDD54単機に引かせても似合っていました。尤も関係者の方からすれば「何をふざけているんだ。」と言ったところでしょうか。
懐かしさのあまり、つい長々と駄文失礼致しました。今後とも宜しくお願いします。
木田 英夫
しなの7号
ご覧いただきありがとうございました。
模型の世界で、現実にあり得ない機関車にレサ10000系を牽かせてみたいというお気持ちは私もわかります。そういうことも模型の楽しみ方だと常々思っていますし、機関車牽引列車自体、さまざまな機関車と客貨車とコラボする可能性があるわけですから、固定編成の電車ではできないお楽しみだと思います。
秋津のOB
この記事にも失礼します。確かに積荷が積荷ゆえ魚市場もかくやな空間だったのでしょうね。100km走行のための機構的な複雑さ故の厄介というのは乗務や保守に関わらないと体感しようがないと思い知るのみです。そんな貨車の生き残りが大宮に収蔵されただけでもありがたいことです。
余談ながら木次線出雲三成〜亀嵩の線路脇にある某金属類回収施設の一角に、角屋根仕様のワキ10000が2両線路付きで置かれています。おそらく倉庫代用か看板代わりかと思います。
まだ木次線は数年前に一度しか乗ってませんが最初見かけた時は驚きました。アルミ側扉ゆえさっさと資源化されたものと思ってましたし。見た当時は件の回収施設はできておらず空き地に置かれていたように見えてます。どうも2年くらい前にこの施設が開設されたと推測します。
さてNでは当方にレサ編成18両組成が2本あり、KATO製旧仕様とtomix製です。前者はロングセラーで最初はこちらを導入しました。0.3mmシャーペンで墨入れ、tomix製ヨハチ基盤などを組み込み両側尾灯点灯化、簡易ウェザリング、tomix製インレタによる車番変更、と数度弄ってます。
後者は床下やレムフの造り込みが素晴らしく、両側の尾灯と車内灯が装備されている決定版です。ダミーカプラーも付いているのでレムフ付き基本セット2つ仕入れ、上り下り専用レムフを設定したのでせっかくの両側尾灯を活かせなくなってますが、線路の通電方向確認には重宝です。インレタ車番が大量に余ったのでKATO編成にも使いました。
まだ新しいので墨入れすらしてませんが製品のままだと真っ白けで、記録に残る実車と印象が違うのでそのうち軽くメーキャップしようか……いやそれはKATO編成でやっているし、こっちは綺麗なままでおくべきか。迷っています。
しなの7号
木次線沿線とは、とんでもないところにワキ10000が現存しているのですね。知りませんでした。足回りもあるとは産業遺産並みだと思います。木次線に乗ったことは一度だけですが気が付きませんでした。と言っても乗ったのは30年も前のことです。
今も私の部屋でKATOのレサ編成8両基本セットをディスプレーしてありますが、おっしゃるように、あまりにも真っ白で重量感が感じられません。実車は塩水のためか、かなり傷んでいたように記憶しますし、扉周りの凹部に墨入れると効果的でしょうね。
列車掛OB
レムフは5050列車で担当していました。当時、10000系貨車は老朽化していてトラブルが心配で、C9Cブレーキ装置のトラブル対応のメモを作成して、乗務していたのを思い出します。
ご存じのとおり特殊な取り扱いが多い車両で、解結時の導通テストや補機の走行中解放などの異常発生時の対応が面倒な車両でした。
また、夕方にレサを見たというコメントがありましたが、これは大阪行きの5054列車でまちがいありません。
なお、他にもコキ10000とワキ10000を連ねた52列車がありましたが、この列車乗務中電磁ブレーキによる非常ブレーキを経験するはめになりました。
岡山操第1場内手前で止まってしまい大騒ぎになりましたが、このときはEF66の故障で、貨車の故障でなかったので助かりました。
しなの7号
実際に10000系貨車に乗務されていた方が、お目に留めていただきましたくださったことを、ありがたく思います。
他の貨車とはまったく異なるブレーキ装置のトラブルに備えて、乗務に際して知識と虎の巻は必要だったでしょうね。名鉄局採用の私が列車掛になったときには、10000系だけで組成された管内笹島始終着の貨物列車はすでになく、乗務範囲内の10000系使用列車はすべて首都圏発着の他局からの乗継列車しかありませんでした。もし列車掛を長く続けていて10000系貨車に乗務する機会があったとしても、わずか3分の乗継停車時間では実車の装置を観察することさえ容易ではなかったでしょうし、始発時のブレーキテストをする機会もなかったはずで、座学による知識だけでは、何事も起こるなよと祈って乗っているしかなかったのだろうと思います。
木田 英夫
割り込みで失礼致します。最近のコメントの目次からこちらに入りました。
実際に乗務されていた方々の貴重な体験談を興味深く読ませて頂きました。「補機の走行中解放の異常発生」とは、何らかの原因で走行中解放ができない、切り離せないといったトラブルのことでしょうか。またそのような時は、直ぐに最寄りの駅に臨時停車して切り離すのか、或いはそのまま次の停車駅(貨物列車ですから操車場でしょうか)まで走ってから切り離すのでしょうか。何れにしても大変なことだったと思います。
そして「EF66の故障で非常ブレーキ、岡山手前で停止」の件。子供の時に聞いた「電車の連結器が壊れて外れたら、直ぐに非常ブレーキがかかって止まる」免許を取ってから聞いた「踏切は故障したら、直ぐに遮断機が降りてくる。でも「止まれ見よ聞け」はきちんと守れ」と同じく、何かあったら、危ないと思ったら先ず止めるというフェイルセーフの一つの例ですね。
最後の「何事も起こるなよと祈って乗務する」という言葉。次元は違いますが、警備の仕事でも現場に入る前には必ず研修があります。研修だけではなかなか難しい、実体験を積んで始めてわかるようなこともあります。もちろん「何が起ころうとも解決する」気持ちで仕事に入りますが、やはり人間ですから「何事も起こってくれるなよ」「起こったらその時の事」という気持ちも多少は出て来ることもあります。
いつもありがとうございます。木田英夫
しなの7号
10000系貨車が特殊なら、瀬野八も特殊。当然そこにはよそにない規定によって安全が保たれているのでしょう。
何事もその道を究めるために、マニュアル的なものでカバーしますが、実際に経験することこそがいちばん身に付き自信につながるものですね。
列車掛OB
瀬野八の補機の走行中解放は、八本松駅手前で走行中に補機の操作で切り離しますが、切り離せなかったときは次の西条駅で臨時停車し、切り離し作業をするようになっていました。
西条駅では高速A以外の貨物列車の補機を解放していましたので、操車掛や運転主任あたりが余分な仕事をすることになります。
列車掛はというと、列車指令や西条駅長に臨時停車と解放作業の連絡をして、停車後は解放後の点検をすることになります。
52列車のトラブルについては、EF66の電磁ブレーキが故障したため起こったもので、パスッという音がして、あれと思ったときはBPは0になり、客車並みの減速で止まってしまいました。
そんな10000系ですが、さびてボロボロだったレムとレムフが保存されるとは思いもしませんでした。
しなの7号
瀬野八での走行中解放ができなかった場合についてのご教示ありがとうございました。確かに八本松駅で非常停止手配を採ったとしても、出発信号機の外方にうまく停止できるとは限らないでしょうし、そのまま走行して西条で停車して解放したほうがよいということですね。走行中の解放が特殊な取扱いだけに、異常時の取扱いも他所では想像もつかない内容だと思いました。
エアの吐出音とともに圧力計が0を指した瞬間は乗務員室で身構えました。
貨車の保存車自体が多くないなか10000系貨車が保存展示され意義あることだと思っています。
木田 英夫
最近のコメントの目次からこちらに入りました。
今回も貴重な情報ありがとうございました。すぐに最寄の駅に臨時停車する。あるいは、次の停車駅まで走り続けるではなく、普通の貨物列車の補機の解放をしている駅に停めて解放するということですね。
さてここで、また初歩的な質問なのですが…。
1.出発信号機の外方(「そとほう」と読むのでしょうか)の意味について。駅のホームでは、「危険ですから点字ブロックの内側をお通り下さい。」と放送されています。点字ブロックの外側(=線路側)は危険。すると、出発信号機の外方とは出発信号機を越えた先と思うのですが、コメントの文章では出発信号機の手前とも読めます。どのような意味なのでしょうか。
2.エアの吐出音とともに停車することについて。何十年も前の子供の頃のことですから記憶違いかもしれませんが、電車が終点に着いて、運転手さんがブレーキハンドルを右に回して外す時に「パシャー」と言う大きな音がしていましたが、それと同じことなのでしょうか。外す場所の少し手前が非常ブレーキだったと思います。でも、その時は圧力計の針は一気に上がっていたようにも見えました。
この音も、ワンハンドルや作り付けのツーハンドルになってから、聞くことができなくなってしまいました。
いつも貴重な情報を提供して頂きありがとうございます。
木田英夫
しなの7号
信号機の「内方」(ナイホウ)とは、信号機の防護している方向、「外方」(ガイホウ)とは、信号の現示している方向を言います。信号機の位置が家の玄関だとすれば、外からの進入に備えて家の内側を玄関の鍵が保護しているのと同じ考えです。
自動空気ブレーキは、あらかじめ各車両のブレーキ管と補助空気ダメに圧力空気を送っておいて、ブレーキ管の圧力を減圧すると補助空気ダメからブレーキシリンダに圧力空気が送られてブレーキがかかる構造になっています。ブレーキ管圧力が下がればブレーキシリンダの圧力は上がる関係にありますから、ご覧になったのはブレーキシリンダの圧力計でしょう。聞かれた「パシャー」という音もブレーキ管からの空気排出音ですから同じようなものです。
10000系貨車は自動空気ブレーキに付加してEF66のブレーキ弁に連動した電気指令によって、最後尾のコキフまで全編成の電磁弁が作動してより速いブレーキ管の減圧ができました。もちろん私は10000系での非常ブレーキ音を聞いたことがありませんので、私のコメントでの吐出音は、一般的に非常ブレーキがかかったときのこととして書きました。
木田 英夫
吹田操車場の写真と、今仕事で入っている現場が近いのでコメント致します。特急はるか号に乗ったこともなく、現地調査もしておりませんので間違っていたら申し訳ありません。
阪急南茨木駅近くの物流倉庫で仕事をしておりますが、出口の出庫誘導ポイントから、東海道線下りから分岐して複々線を立体交差で越え、山側の吹田操車場へ行く引き込み線の盛
土がよく見えます。何号の記事か忘れてしまいましたが、西の乗務区間は吹田操車場或いは大阪駅と書かれていました。きっとしなの7号様が乗務された貨物列車も、この盛土区間を登って行ったのかなと思うと、原市郵便局、大阪駅のホームの西側と同じく不思議な縁を感じます。
この盛土区間ですが、桃太郎けん引のコンテナ列車の外、特急はるか号もよく通ります。特急はるか号は新大阪の先で東海道線を離れて梅田地下駅に向かいますが、実際には新大阪のずっと手前。この茨木駅近くの分岐点ですでに東海道線を離れているのですね。
今の生活も、ちょうどこの茨木駅近くの分岐点でどちらに行くかといったようなことの積み重ねの上にあるのかなと、「側線とのゆかり」のことも思い出されました。
いつもありがとうございます。木田英夫
しなの7号
茨木駅南方でお仕事でしたか。
十数年前のことですが、名古屋から御坊へいったとき、381系「くろしお」でこの乗り越しを約30年ぶりに通りました。
貨物列車で吹田操まで乗務していたころは、ここまで来ると下車準備でした。吹田操まで乗務する列車は少なく、貨物列車は夜間の運転が多かったのですが、日中、ここで東海道本線をまたぐことができるのが4163列車でした。
【577】 思い出の乗務列車53:東海道本線快速貨物4163列車
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201504article_6.html
本線をまたいで千里丘駅の脇を通り過ぎると吹田第二信号場で、そこが4163列車の終点でした。
その記事でも有効長のことに触れていますが、6月12日に茨木駅で実際に貨物列車が有効長を超えてしまいダイヤが乱れたようですね。拙ブログの「先週(月~日曜日)の人気記事」で貨物列車の現車制限の記事が1位になっているのは、その事故によるものに違いありません。
木田 英夫
6月12日(水曜日)は他の現場に行っていて、茨木の現場にはおりませんでした。普段は交代時間の約10分ほど前に通過するはるか号が時計代りになるのですが、この日はならなかったことでしょう。
仕事で通られたところを、乗客の立場で実況見分するために、新大阪や天王寺ではなく、京都で。それもスーパーくろしお号ではなく、381系のくろしお号に乗り継がれる…。さすが、しなの7号様ですね。
仕事で通られたところですから、客席に座っていても、「今、茨木のポイントを通って東海道線から離れた。これで貨物線を通って梅田地下駅に向かうな。」と気付かれたことと思います。一般の乗客であれば、「この先列車が少々揺れます。お立ちのお客様はご注意ください。」といった放送でもなければ、気付かぬ内に貨物線に入っていた…。となるでしょうか?
いつも関係者でなければ知り得ぬ貴重な情報や、撮り得ない写真等公開して頂き、ありがとうございます。木田英夫
しなの7号
今は「はるか」が日中に30分間隔で運転されていて、時計代わりになるのですね。
私が京都から381系に乗ったのは2010年で、
【1077】あの年の3月9日《1975年・2010年》
https://shinano7gou.seesaa.net/article/202002article_9.html
で京都駅で乗車前に撮影した画像を載せていました。
前のコメントで、そのとき乗ったのは381系「くろしお」と書きましたが誤記で、381系「スーパーくろしお」が正当でした。
今では京都発着の「くろしお」は1日1往復しかないようですが、当時は京都始発の「スーパーくろしお」「オーシャンシャンアロー」が複数本運転されていました。お察しのとおり381系狙いで、茨木の先で本線を乗り越えるところは、乗車中最初の見どころでした。当日の車内は新大阪までガラ空きで立ち客もなく、おそらく自分以外に走行ルートを楽しんでいるような乗客はなかったでしょう。