最高時速100kmで走行可能な10000系貨車に代わって製造されたのがコキ50000とコキフ50000でした。
10000系では電磁ブレーキ用の電気配線と元空気ダメ管の引き通しが必要だったのに対し、一般貨車同様ブレーキ管だけの引き通しで時速95kmと一般客車並みの高速で走行できるよう、CL形という新しいブレーキ装置を持っていました。10000系に比べ、電気回路がなくブレーキ装置も簡素で故障例も聞きませんでした。
台車も空気ばねをやめ、コイルばねにしたことから、かなりコストダウンが図られていると思われます。
積載するコンテナも、新規格になった5トンコンテナ(C20以降の国鉄型コンテナ)に合わせて、それまでのコキ5500やコキ10000より車長が伸び、コキ50000では新規格の5トンコンテナを5個積載でき、10トンコンテナにも対応し、10トンコンテナは3個まで積載できるようになりました。コキフ50000でも5トンコンテナ4個、10トンコンテナ2個積載可能でした。積載効率もよく、牽引する機関車も選びませんでしたから使い勝手がよく、次々に増備され東海道本線のコンテナ列車の主役となって、10000系貨車は徐々に減っていったころに、私は列車掛としてコキフ50000に乗務していました。
車掌室内の設備はレムフ10000とほぼ同じでした。ボルトで固定された5トンコンテナ1個分のスぺースでした。ポット式の石油ストーブとトイレ付の車内は居住性はよいはずなのですが・・・・
このコキフ50000は前述のようにコイルばね使用の台車(TR223)でしたので、空気ばね台車とは違って、とにかくよく揺れる車両でした。
高速になるとドンドンと下から突かれるように揺れました。高速貨物列車ですから途中駅はほとんど通過で、揺られ続けて乗継駅に着くころには空腹感をおぼえるか、胃が気持ち悪くなるかどちらかだと言われたものです。
旅客車両では、このような揺れ方をする車両は皆無と思われ、つま先で立ってその衝撃を和らげるように工夫したりしましたが、本当に脱線しないかと思うほどでした。それでも脱線したとかいう話は聞いたことがなく、これがコンテナ貨車の普通の揺れ方だったのでしょうか。それにしても2軸のワフやヨの乗り心地の悪さとは質の違う揺れ方でした。
さすがに現場では問題になっていて、一部の車両については高速貨Aの削減で余剰となったコキ10000などの空気ばね台車(TR203)装着車からコキフ50000への台車振り替えの改造がされて、その車両はコキフ50000の原番号+1000として51000番台車として区別されました。このコキフ51000番台車は台車の負担力の関係で5トンコンテナは3個積、10トンコンテナの場合は1個積とされました。
高速貨Bの列車では編成単位で運用されていた列車もあったようで、51000番台車に滅多に当たらない列車と当たりやすい列車がありました。
このほか、コキフ50000形式には、コキフ10000から電磁ブレーキを取り払った改造編入車もありました。こちらは原番号+49000として付番されて59000番台車として区別されました。外部色をコキ50000系と同一にされているので、一見普通のコキフ50000と同じように見えましたが、10トンコンテナ対応ではなく、車体長も短いままでした。写真はそのコキフ50000の59000番台車です。JR化後の撮影です。
昭和55年6月25日
関西本線3090列車~東海道本線90列車
運転区間 四日市~稲沢~隅田川
乗務区間 四日市21:14~稲 沢22:54
稲 沢23:14~西浜松0:51
DE11 1017(稲一)(四日市~稲沢)
コキフ51141 笹 島~隅田川(北スミ)
コ キ51252 ―(車票なし)
コ キ52764 ―(車票なし)
コ キ51909 ―(車票なし)
コキフ50178 笹 島~隅田川(北スミ)
コ キ51675 四日市~土 浦
コ キ51436 四日市~土 浦
コ キ51397 四日市~土 浦
コ キ50221 四日市~土 浦
コ キ50868 四日市~隅田川
コ キ52595 ―(車票なし)
コ キ51154 ―(車票なし)
コ キ53094 ―(車票なし)
コ キ52977 ―(車票なし)
コ キ50423 ―(車票なし)
コ キ52438 ―(車票なし)
コ キ50884 ―(車票なし)
コキフ59006 四日市~隅田川(広ヒソ)
(稲沢~西浜松間 逆編成
牽引機 EF65 29(稲二)(稲沢~)
四日市 現車13
延長33.4
換算58.5
笹島 現車18
延長46.2
換算78.5
この例は四日市始発隅田川行の高速貨物列車B 3090~90列車です。
四日市から、一日の入換作業を終え帰区を兼ねた稲沢第一機関区のDE11に牽かれて稲沢へ向けて発車し、途中笹島駅で5両増結します。
稲沢でDE11は切り離され、編成の反対側にEF65が連結され、方向を変え東海道本線を東上します。
四日市で最後尾に連結されているのがコキフ10000の改造車コキフ50000の59000番台車です。笹島で連結された2両のコキフのうち先頭のコキフは台車交換車のコキフ51000番台、中間にはさまれる形のコキフは未改造車です。
この列車の場合、両端のコキフとも空気ばね台車装備のため、快適です。両端がコイルばね車で中間に空気ばね車の場合だと口惜しい乗務ということになるのです。
「乗務した車両」として貨車の緩急車と車掌車について連載してまいりましたが、今回で貨車については終了となります。このあとの月曜日の更新については、すこし雑談的なことをはさんだあとに、まだ紹介していない旅客車両などについて「乗務した車両」を再開の予定です。
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この記事へのコメント
京阪快急3000
貨車の乗務体験談、じっくりと拝見させていただきました。
今回のコキフ50000ですが、コイルばね台車と空気ばね台車の乗り心地の差がよく分かりました。
電車で言えば、「103系と201系」みたいな感じでしょうか・・・。
JR西は103系の配置が未だに多いので、JR東のように早く全車置き換えてもらいたいと思った次第です。
しなの7号
同じ形式なのに台車によって乗り心地がまったく異なりました。103系や113系は、自分の中では、たまに乗るだけなので懐かしい揺れ方と思えますが、まだまだ使用されそうな感じですね(^_^;)
貨車区一貧乏
緩急車系は最終回ですか ちょっとさびしいですね^^
コキフ50000・・・良い面はブレーキ装置はCL(25系客車等も一緒だったはず?)緩解不良も少なかった、悪い面は台車はTR223で揺れまくり、窓も車輪の水はねでガラスはサビ色で汚かったイメージ。
コンテナ列車は今のJRFではそれしか走っていないのでは?と錯覚するくらい主力になってますよね
昔は、集配貨、専貨、高速貨など、貨車も積荷も多種多様 毎日が同じ編成とは考えられませんでしたね。
当時コンテナ列車の乗務前の検査では特にコンテナの緊締装置の白いマーク(名前は失念)とコンテナの扉をチェックを怠らずにと教わった記憶が残ってます
60.3以降機関車の後部で乗務しましたが、一部緩急車付きの行路が2つだけありました
皆、その行路に乗務するときだけは正直生き生きしていました 列車掛、やっぱり緩急車にのらないと
緩急車、ピット線で下にもぐり制輪子を変え、連結器を分解点検し各部へ給油しペンキを塗り直すと、乗り心地は最悪な車両でしたが、できの悪い子と一緒でかわいい存在です
しなの7号さまのブログと出会い26年前のこと、ずいぶん思い出しました^^
京阪快急3000さまの 乗り心地に関してですが
大型車に例えるとダンプ或いはトレーラーのヘッドと観光バス位の差と思っておりますが・・・^^いかがでしょ?
しなの7号
コキフ50000の監視窓は汚かったですね。鉄粉が混じった汚れなので拭き取ろうとしても簡単には汚れは落ちませんでした。今でも昼休みに見るEF65の顔の車輪の位置2か所にあの汚れを見ることがありますが、コキフの窓の位置はまさにその車輪の直撃位置に当たるんですね。
自ら整備した緩急車に乗るという経験をされている貨車区一貧乏様にしてみれば、私以上に緩急車に対する思いは強いものとお察しします。そのあたりが貨車区の列車掛と車掌区の列車掛の違いですね(^_^;)
私はピットに潜ってみたことなど鉄道学園での養成時代しかありません。制輪子の重さにびっくりしながら、取り換えをしたり、連結器の解体組立も貨車区の実習でやったことが最初で最後です。
こちらこそ、貨車区一貧乏様のコメントで、思い出す出来事もあったばかりでなく、私のへたくそな本文よりも、コメントのほうが興味深い内容となって、読者の皆様にもそれが伝わったことと皆さんのコメントを拝見して思っています。ありがとうございました。
くろしお1号
このシリーズを拝読して、貨車の奥深さを初めて知ることになりました。車掌車だけで、これだけの種類があるのですね!これまでご紹介いただいた車両をレポートにまとめようにも、頭の整理が全く追いつきません。
お陰様で、最近キヤ97で稲沢に行く時は、周囲にいるいろいろな貨車に目を向けています。先日も驚いたのでが、コキ100か…と眺めていたら、101やら103やら…106もあったような!それぞれ形式ごとの特徴は何でしょうか?しかし、コキフがないのは淋しい!
それこそ、しなの7号様の時代には、種々雑多な形式が今の何倍何十倍もいたことと思います。それぞれを正確に記録し保存され、さらに今ブログに新鮮に再現されておられることに、本当に驚嘆するばかりです。
「喝采」のエピソードもご紹介いただき、ありがとうございました。宮脇俊三さんもおっしゃっておられましたが、歌謡曲に登場する鉄道は殆どが上野以北ですから、小倉駅は貴重です!シーンを思い浮かべても私の替え歌しか浮かんできません。きっと、歌が生まれた当時は、上野駅に負けない歌心ある駅だったのですね。勉強になりました!
この貨物列車シリーズでは、いつも貨車区一貧乏様がしなの7号様のブログに素敵なデザートを添えていただき、とても楽しかったです。とても謙遜されたお名前ですが、実際のお仕事は貨車区一裕福だったことと思います!
しなの7号
キヤ97で稲沢へのお仕事もおありでしたか。
実は昨年春まで、勤務地が名古屋市内でしたので、朝のあおなみ線ホームをかすめていくキヤ97に何度も遭遇しました。一度写真を!と思っていましたが果たせないまま勤務地が変わってしまいました(T_T)
そんなところでくろしお1号様にもお会いしていたかもしれませんね。
それにしても貨車は一般の目に触れる機会も少ないことに加え、特殊な積荷や用途によって種類も多くて奥が深いですね。現在は種類も数も減ったとはいえ、自分では形式別の特徴などはわかりません(^_^;)
コキでもジャンパ付きだったりして種類も増えてきましたね。コキフが不要なのはわかっていても、昔の人間にはコキフがないと締まりがないなと感じてしまいます。
歌に出てくる鉄道というのも、演歌の世界だと東北・北海道方面ですが、演歌に限らなければ西日本もあるようにも思います。列車での別れは他の交通機関より情緒あるものですね。
くろしお1号様からいただいた多くのコメントも読みごたえがあって、私は感謝しています。いつもありがとうございます。
貨車区一貧乏
ひとつ素朴な疑問がありまして・・・
文中に関西本線3090列車~東海道本線90列車、
運転区間 四日市~稲沢~隅田川とありますが、
わざわざ稲沢を経由する理由があったのでしょうか?
単にカマ交換のために稲沢を経由したのでしょうか?
場所的に詳しくないのでその他理由が思いつきません^_^; ご教唆お願いします
くろしお1号さまのコメント、ありがとうございます
私のネームは 入社時配属の貨車区で地方出身の寮住まいで、なお且つ私達以降、国鉄職員が入社しなくなったため、ず~っと職場で一番低賃金、いつも茶坊主で小間使いをしていました
そこでかわいがって頂いた先輩達から いつも貧乏してた私に半分遊びでつけられたあだ名で私自身も結構気に入ってますで密かに使用してみました^^
しなの7号
説明不足で申し訳ありませんでしたが、関西本線又は中央西線対東海道本線上り方面とは進行方向が逆になりますので、機関車の付け替えが必要ですが、この作業は昔から貨物列車の場合は名古屋駅では行わず稲沢駅で行っていました。この区間には、そのための貨物別線があって東海道本線としての位置付けながら通称「稲沢線」と呼ばれます。この運転形態は現在でも続いています。
同様に関西本線対中央西線の貨物列車もこの経路で運転されています。
理由は、機関車や乗務員を含め、貨物は稲沢、旅客は名古屋と「運行」上のターミナルを分離していたことによるものと思います。
HNの件、 国鉄末期ならではの、いびつな年齢構成の職場に由来するのですね。納得です^^
hmd
昨日今日は「熱風注意報」となるものが、市の防災無線から放送されました。
そんな注意報は今年になって初めてです(汗)
仕事で乗務する車両ですから、趣味で楽しくは乗れないですね (^_^;)
相当揺れたとの事で、こちらでまだ走っている115系も現在の新型車両と比べると、乗り心地が悪いですが、それ以上とは・・・。
国鉄末期の財政難も影響していたと思いますが、やはり男の職場と感じました。
しなの7号
暑いというより、字は熱いが似合うかも。熱い路面の照り返しと熱い風で参りますね(-_-;)
正直言って、このコキフ50000のコイルばね車には乗りたくありませんでした。上下にあれほど揺れる車輛は、他にたとえようがありません(^_^;)
あれは貨車そのもので、人間が乗るものではありません。
コメントありがとうございました。
のこのこ
最近70年代の鉄道雑誌をたまたま見ていて、貨物列車の追跡記事でこの「コキフ50000」の揺れは全ての列車掛が指摘した…との記述を見かけました。
テーブルの上に置いたものが全て落ちるほどの揺れで、つかまっていないと倒れそうになる、冬季は石油ストーブが振動で消えて使えない等々…
当時乗務員の方はずいぶんと苦労されたのでしょうね。
こちらのページで、空気ばね台車に一部振り替えられたことを知り、ちょっとホッとした気分です。
貨車には詳しくないのですが、有名な「ヨ8000」なども小さく華奢に見えて乗り心地が良さそうには見えないのですが、いかがだったのでしょう。
鉄道貨物は時折見かけることもあるのですが、今は最後尾に車掌さんも乗っておられず、コンテナやタンク車が主流なのでしょうか。
昔は「紙列車」や「鮮魚特急」と呼ばれる列車を知人に誘われて良く撮影に行きました。懐かしい思い出です…。
しなの7号
ご覧いただきありがとうございます。
コキフの振動については、現在の旅客車ではたとえようがないです。現在走っている高速貨物列車のコキに乗れるものなら体験可能かもしれませんが、国鉄末期から貨物列車は基本的に運転士だけが乗務するワンマン運転になりましたのでコキフは現存しまませんし、ヨも特殊用途用に少数が残るのみです。
ヨを含む2軸貨車が北海道(ヨ3500)や四国(トラ45000)には旅客が乗れる状態で現存しますので、その気になれば貨車独特の振動は体験可能ですが、コキフの振動はそれら2軸貨車とはまったく異質で、縦揺れが主でした。
ヨ8000については、拙ブログ
【185】 乗務した車両:ヨ6000・ヨ8000車掌車
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201107article_5.html
で、すこし紹介しています。そのコメント欄で乗り心地にも触れていますので、よろしければご覧ください。
風旅記
今回も大変興味深く拝見させて頂きました。この車両は車掌室が付いているとは言え、あくまでも貨車なのですよね。人が乗ることを前提にした造りにはなっていないのだろうと感じました。
貨車独特の揺れ、その中でもこの車両に独特な激しい揺れ、体験してみたいとは思いつつ、何時間も揺られていれば辛くなってくるのだろうと思います。
記事にもご記載の隅田川駅、何年か前に初めて見に行きました。セメントサイロなどが一切なくなっており、改良されたばかりの綺麗で広々とした構内が印象的でした。
往時には、そこに、乗務に疲れた職員の方が到着していたのだと思えば、急にこの貨物駅が身近にも感じられます。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
しなの7号
当時でもコキフ50000が走るのを外から見ても、その激しい揺れはわかりにくかったですから、おそらくは今のコンテナ貨車でも似たような揺れ方をしているんじゃないかなあと思います。貨物の重量に耐えられるバネは固いんですね。でも人はモノではないので耐えられないでしょう。
貨物輸送から撤退した駅や設備があった場所が、まったく姿かたちを変えてしまった例は数知れません。その跡地に新しい生命を吹き込まれて新しい使命が与えられることは当然であり必要なことですが、そこに偶然に残されたほんのわずかな痕跡が、往時を知る人には、それが大切な遺跡のように感じられることもあるでしょう。そして何も利用されずに荒れ果てた跡地には、もの悲しさと虚しさを感じます。
鉄道郵便車保存会 会長
コキフの動態保存車両はないようですが、車掌室部分が台車がない、いわゆるダルマ状態で使われています。見つけたのは錦川鉄道の清流新岩国駅で、新幹線新岩国駅の近くにあり、ホーム上にコキフ車掌室を2つ合体して室内は待合室に改造されていました。たまに新幹線列車の通過音が聞こえる以外静かな駅で列車を待ちましたが、この車体が高速運転していたことは知っていても、激しい振動は想像がつきませんでした。
しなの7号
2002年10月、錦川鉄道に初乗りしたとき、清流新岩国駅(当時は御庄駅)で乗降することはありませんでしたが、このニコイチ待合室には関心があったので、車内から1枚写真を撮りました。
https://shinano7gou.seesaa.net/upload/detail/01988682N000000013/150174778151981751178.jpg.html
コキフ車掌室ユニットが車両から取り外された後に利用されている例を拙ブログで2つ紹介しています。
https://shinano7gou.seesaa.net/upload/detail/01988682N000000000/158987288107822791196-thumbnail2.jpg.html
https://shinano7gou.seesaa.net/upload/detail/01988682N000000005/135020052462013213098_pR0010871.jpg.html
いずれもかなり前の撮影ですが、名古屋貨物ターミナル駅構内に置いてある方は、現行Googleマップの航空写真(あおなみ線南荒子駅ホームの東側にある名古屋貨物ターミナル駅構内踏切右上。)で、赤錆びた屋根が確認できますので、現存しているのではないかと思われます。
(ストリートビューからの確認は不可。航空写真でのみ確認可能。)
鉄道郵便車保存会 会長
コキフ車掌室が活用されている場所は意外にあるものですね。ワム車体と違って入手難な物件だったのか、鉄道に関連する場所が比較的多いかもしれません。廃線跡地公園では、旧添田線大任駅跡にありましたが、時間の制約からチラ見しただけでした。田川線油須原~大任~豊前川崎をショートカットする油須原線が建設途中で放棄され、未成線の遺構が多く残る大任駅跡付近を見学するため、会員のクルマで送ってもらっているときに見つけたのですが、一帯の添田線、漆生線、上山田線すべてがなくなってしまいました。現在も航空写真とストリートビューで確認できますので「交通公園(国鉄添田線大任駅跡地公園)」で検索してみて下さい。赤く塗られて物置に使われているようです。
しなの7号
そもそも巷でコキフの車掌室ユニットを見かける機会が少ないのはワフとヨに比べてコキフは数がかなり少なかったことも関係しているのではないでしょうか。
大任駅跡地公園をストリートビューで見ますと、車掌室ユニットは現役時代の色に塗られているように見えてリアル感がありますね。
鉄道郵便車保存会 会長
確かにコキフ車掌室は相対的に2軸車掌車よりも希少価値がありますし、車体活用では絶対的にワム車体の方が多く、当方の生活圏でも農地の倉庫でいくつか点在しています。きょうは職場の先輩だった方から、ワム60000車体倉庫を見つけたと画像が届きましたが、灰色に塗装し、妻面には某信用金庫の宣伝看板がありましたが、実際は地味なものが多いです。その点で、ヨ、ワフの車体は駅舎や喫茶店など人が過ごす施設となりがちで、コキフは少人数が入る事務所か休憩室が適任でしょうか。清流新岩国駅も1個では狭いという判断で2個合体にしたのでしょうが、コキフの活用場所としては1個がほとんどかと思われます。大任駅跡地公園は本来の塗装で使っているようで、むしろ水色のほうは違和感があります。
しなの7号
59.2の後に大々的に余剰車両の販売が行われていたので、かなりの数の「ダルマ」が、市中で目に触れるようになりましたね。こういうダルマの存在そのものも、廃線跡や放置されている未成線用地探訪と同様に、昭和末期の鉄道が新経営形態に移行する過程の一端を現しているものだと思います。当時のRJ誌(1984年10月号)によれば、ワフ29500形・35000形は車輪別で28万円、車輪付38万円、塗装費別途3万円で販売とありました。この雑誌記事中にコキフの車掌室ユニットには触れられていませんでした。
鉄道郵便車保存会 会長
ダルマのうち、店舗や事務所に使われるものには人の営みがあり、時としてネタ探しする新聞記者の目に触れ、記事になったりもします。59・2で失業した大量の2軸貨車が売却されたあとは、各所でダルマを見ることができましたが今の時代は稀少になりました。コキフが不要となったのはそれより後ですが、面積が小さく、用途が限定的なことから、広く売却できなかったのではないかと思われます。そのため、主に鉄道関連施設に活用されているのではないでしょうか。
しなの7号
さすがにダルマたちも経年劣化には逆らえないのでしょうか。身の回りにあったのに、知らないうちに消えていく個体は多いようです。
コキフはおっしゃるとおり、59.2の時点での余剰車両になっておらず、その後の車掌省略で車掌室ユニットが不要になった後もそのまま運用されて分割民営化後にコキ化改造を受けているようですので、車掌室ユニットが売却されたとしたら、売主は国鉄や清算事業団ではなくJR貨物であったということになると考えられますね。貨物駅等で利用するもの以外は不要車両パーツとして売却、または廃棄物処分を請けた会社から一部が解体されずに二次的に市中に流通したということもあるかも???
秋津のOB
さて当方はtomix製Nゲージのコキフ50000系でも遊んでますが、製品のままだと車掌室側しか尾灯は点かないので気合入れて改造してみました。古い個人店で残っていることが多い、LEDと基盤が剥き出しの旧仕様コキフ2両を使います。
と言っても意外に30分余りの作業で終わりました。要は片方のコキフから電飾部品一式を抜き取り、もう片方のコキフ前位側へ移植するだけです。
車掌室と台枠を分離するのが少し難しかったです。車掌室側の妻板や床板と同じような開口部を開け、基盤を隠すコンテナの車端部側にLEDの脚を逃す溝を開けるだけでした。そのコンテナの上半分を埋めるようにウレタン片を詰め、尾灯基盤の浮上がりを抑止します。
後日にTR203台車へ換装しましたが、カプラーポケットの腕の長さが足りず、隣のコキと共にGMナックルの一番長いものを使ってどうにかしました。
現行品コキフでも両側尾灯の点灯化はできますが、なまじリアルに吹き抜けた台枠ゆえ、一旦は前位側台車付近の開口部を埋めてから、通電バネ用の円弧状の溝を開けねばならず手間はかかります。
現行品はプリズムを介して光らせるため、それの移植も増えているので厄介な微調整の連続でした。細かく書くと煩瑣なので自重します。
しなの7号
ご投稿ありがとうございます。
Nゲージ模型、近年は両側の尾灯が点灯する車掌車ヨ製品などありますが、コキフは車掌室側しか点灯しませんね。しかし客貨車の面白味は、固定されない編成であったり向きが定まっていないところにあると個人的には思っていますので、点灯化したいというお気持ちはよくわかります。
旧製品を利用してうまく改造ができるのですね。私はコキフ50000の旧製品と現行品各1両ずつ持っていますので、それを見て、おっしゃる改造内容は理解できました。TR203とTR223の中心ピン穴からカプラーまでの長さの違いは盲点でしたね。本文に書いたように実車ではTR203化された51000番台はコンテナ3個までしか積載できませんでしたので、4個積まないようにしましょう。たしか端から2個目のコンテナ緊締装置が一組取り外され、歯抜けだったはずですので、模型の緊締装置を削り落とすとよいかもしれません。しかし旧製品だと、歯抜けになった部分から吹き抜けていない台枠が丸見えになってしまうのは不都合。。。
木田 英夫
2011年08月01日07時00分「JR西は103系の配置が未だに多いので…」。これを読んで、中央線快速の201系の置き換えの時に「この201系が大阪環状線に来ないだろうか?来たらいいのにな。」と本気で考えていたことを思い出しました。
大阪地区でも水色の201系が走っている。同じ朱色だから塗り替え不要、2両外せば即戦力。余った車両も車種間改造して8連にすればムダもなし。余裕が出れば字幕の取替えとスーパー改造をして完璧……。等と考えていたのですが、結局見果てぬ夢になりました。
東京の中古なんか嫌だという意識のせいではないのでしょうが、もしJRグループではなく、国鉄であれば実現していたかも……知れませんね。
そして2011年08月02日00時36分のコメントと、この記事のリンク先、通巻185号記載の「60年3月のダイヤ改正から、列車掛の乗務位置が機関車の後部運転室となった」件。
この件は鉄道雑誌の記事で知ってはいたのですが、当時「機関士と車掌の仲が悪い、ましてケンカしている訳ではないのに、何で前の助手席にならないの?後ろ向いて座っていたら酔って気分が悪くなるのでは。」と考えておりました。
不謹慎ですがもしも、私がもしも列車掛だったら、機関士さんを拝み倒して助手席に座らせてもらい、後で大目玉を食らって勤務から外されたかナ。と思ったりしていました。
この、乗務位置が後ろとなった。貨車の車列と睨めっこになったのには何か理由があったのでしょうか。
いつもありがとうございます。
貨物列車というとレサ編成等一部を除くと旅客列車に比べて地味な印象なのですが、こちらの記事を読んでおりますと、逆に旅客列車よりも遥かに奥が深いという思いです。
今後ともよろしくお願いします。木田英夫
しなの7号
JRが地域分割されていなければ、「東京の中古を関西へ転属」という構図が続いていたかもしれないですね。それでも京阪神緩行線の201系は大阪環状線にも転用され、大阪環状線のオレンジ色201系は実現しましたよね。
昭和60年3月のダイヤ改正から列車掛の乗務位置が機関車の後部運転室となった件、明らかに不自然な乗務形態で、列車掛廃止までの経過措置でしかなかったのでしょう。機関車の前部運転室には機関士がいますので、進行左側の監視業務や駅との連絡業務に支障があったでしょうし、何より後方防護の責任を担っている列車掛の乗務位置としては、たとえ後部運転台であれ機関車に乗務すること自体が不適切だと考えます。(今のような防護無線は完備していませんから機関車が転覆し機関士ともども列車掛も負傷したら併発事故を防ぐ者は誰もいません。)
実際には前部運転室の助士席に列車掛がいるのを目撃したことがあります。入換作業など機関士との共同作業がありますので便宜上ということかもしれませんが。。。
地道に走る貨物列車ですが、旅客や一般国民の目に触れない世界だからこそ、鉄道趣味をお持ちでも案外知らないことが多くて、その分、興味は尽きないということもあるのではないでしょうか。
木田 英夫
連続で失礼します。この春のダイヤ改正から、操車場でもなければ見ることの出来ない貨物列車の発車シーンをよく見ることがあり、見ていて貨物列車の乗り心地について書かれていたことを思い出しました。
仕事現場に向う時に乗っている快速電車が尼崎に着くと、待避線にコンテナ貨物列車が止まっています。先に貨物列車が出発し、後を追うように快速電車が出発(午前6時39分)。東西線の地下に入る前に貨物列車を抜き返すというものです。
今回は貨物列車の発車シーンですが、列車の後ろの方で見ていると、先ず前の機関車の方で「ガッチャーン」という音がします(これも電車では聞くことのできない音)。そして、貨車の車列がゆっくりと、本当にゆっくりと動き始めます。乗っていれば、おそらく乗用車を停めた時にサイドを引き忘れ、じわじわと動き始めた感じではないでしょうか。
待避線から本線に戻るポイントで速度制限があるから、いきなりフル加速しても無駄というのでゆっくりと加速しているのか、電車に比べてはるかに重いので、フル加速しても速度が出ないのかわかりませんが、その辺りは実際に乗務されていて如何だったのでしょうか。
そして、機関車のガッチャーンという音は別にして、これだけ静かに走り出す貨物列車の乗り心地が巡航速度に達するあたりには激変する…。貨車区一様の大型ダンプorトレーラーヘッドと観光バスの例え…。乗ったことのない部外者にとっては信じられない思いもします。
いつも関係者でなければ知ることのできない情報や体験など公開して頂きありがとうございます。木田英夫
しなの7号
機関車けん引列車は、どうしても加速の点では動力分散方式の電車気動車よりも不利ですね。それでも機関車1台だけで、電車に比べてはるかに重い1000トンを超える重量の列車を空転させずに加速していけるのは機関車の性能と機関士の技量による賜物でしょう。パワーだけ強くしても空転してしまえば意味がありません。そもそもレールはツルツルで摩擦係数が小さく空転しやすいものです。機関車(Fなら6軸)だけで長大編成の重量列車(コキ20両なら80軸)を牽くわけですから、空転しないようゆっくりと慎重に牽き出さなければなりません。摩擦係数が小さい雪道で2WD車がスリップして発進できなくても全部が駆動輪である4WD車ならアクセルを控えめに発進すれば加速できるのも同じで、電車のように中間にも電動貨車を適宜入れて多くの動軸で牽き出すことができるのなら、重量貨物列車の起動や勾配区間での起動が楽になるのではないでしょうか。
私も通勤途中で貨物列車を見ることは多かったですが、高速で並走するような機会はありませんでした。沿線で走りゆく列車を見ていても貨車の揺れはわかりにくいです。でも複々線区間で高速走行中の電車の車窓からなら、高速で並走する貨車が激しく上下振動しているのが観察できるかも???
秋津のOB
さて大任駅跡にコキフ車掌室ユニットがある、とのコメントを見たのでGoogleMapのストリートビューと航空写真を確認したところ……明らかに線路跡を横断するような位置に駅っぽい公衆トイレ?が建ち、東屋以外は手入れされてないような空き地と化してました。ストリートビューの撮影は今年4月です。航空写真を見ても車掌室ユニットも線路とスポーク車輪の記念碑らしきものも残っていないと判断します。
それどころか遊具の類もないですね。おそらく老朽化した遊具を撤去する巻き添えで、車掌室ユニットも車輪に線路も撤去されたと勝手に推測します。歩鉄の達人様が10年前に記録した写真では、車掌室ユニットも車輪も遊具も腕木式信号機も健在でしたが……
しなの7号
おっしゃるように直近の2023年4月撮影のストリートビューを見ますと、以前と様子が変わっていますね。
この場所のストリートビューは2013年12月と2022年5月撮影分も閲覧できますが、2022年5月時点で、すでにコキフ車掌室は姿を消しているようです。日常見慣れた風景も知らず知らずのうちに変わってゆき過去のものになっていくことを思い知らされることが多い今日この頃です。
秋津のOB
前回コメントを補足します。GoogleMapのストリートビューで大任駅跡の一つ隣の「今任駅跡」を併せて確認しましたところ、意外な変化がありました。以前はベンチ程度の簡素な公園だったのが、駅舎っぽい休憩所と腕木式信号機にスポーク車輪付き線路を追加した公園に進化しています。
これらの変化から想像しますに、両駅跡の整備が行われたつつあると推測します。先行して今任駅跡を整備し、大任駅整備時にはどけておきたい信号機などを今任駅跡へ移設。そして大任駅跡の整備が進められている可能性を考えてます。大任駅跡の駅舎風トイレ?は先行して整備されたものと解釈すれば辻褄は合うでしょう。
地元自治体へ問い合わせて裏取りも考えましたが、まあヲタの余計な好奇心ごときに時間を取らせるなどよろしくないので、止めておきましたが。
しなの7号
今任駅跡のストリートビューを閲覧しましたところ、2019年5月にはなかった腕木式信号機とスポーク車輪付き線路が、2022年5月にはあります。この間に大任・今任両駅跡に手が加えられたということになります。両駅とも建物は駅舎風で駅名標もあることですし、大任駅跡地は整備途上にあるとも考えられますね。
木田 英夫
先日は貨物列車の発車の件について、詳しい説明をありがとうございました。改めて尼崎駅で見送りながら、あの静かな、ゆっくりとした発進は、単にその先に速度制限があるとか、重くて加速できないといったものではないこと、よくわかりました。(前の方でする「ガッシャーン」という音は今だ謎?ですが…。)
子供の頃「運転士になりたい」と言ったら「それ言うなら、運転士ではなく機関士だろ」と言われたこと。今でも覚えております。
客席から見えるだけのことですから、間違っていたら申し訳ありません。電車の場合、速度制限がなければ直ぐにフルノッチを入れてどんどん加速していきますが、貨物列車の場合は、今回の尼崎駅のケースのように空転しないようにゆっくりと加速しています。
またレサ編成の記事にもありましたが、技術屋集団である貨車区の車掌でないと務まらないが、お情けで車掌区にも1本だけ受け持ちがある。(折角の機会だから乗務して見たらどうか。というニュアンスでしょうか。)
電車のような華やかさはないが、機関車牽引の貨物列車はその操縦は遥かに難しい。それだけやり甲斐もある。
或いは、電車の運転士よりも機関士の方が格が上。となるのでしょうか。(鉄道雑誌等の写真からは、そんな雰囲気も感じられますが…。)
何時もありがとうございます。木田英夫
しなの7号
貨物列車は密着連結器を採用せず、旧来の自動連結器を今も採用しています。自動連結器間には遊間(スキマのこと)があるので、列車が起動するとき、前後の連結器の腕(ナックル)同士がガンと当たり、音と衝動が発生します。お聞きになったのはその音ではないでしょうか。機関士は停車する直前に機関車だけのブレーキで列車全部の遊間を詰めて貨車に押された状態で停車させておけば、起動するときに詰まった遊間を利用して、前の車両から順に牽き出すことができます。そうすれば機関車に列車全体の荷重が一気にかからないので、トルクが最も必要な重量列車の起動時には空転も防げて有効な起動方法となります。旅客列車のように衝動が問題にならない貨物列車では、自動連結器の構造が今も生かせているわけです。長大編成の貨物列車の最後部の緩急車に乗務しているとき、起動時に足をすくわれるような前後動が発生することがありましたから、前方からガンガンという音が近付いてくると足を踏ん張ったものです。
貨車区と車掌区の関係ですが、貨車区から言わせれば、「どうせ、車掌区なんか貨車の応急修理なんて満足にできないだろうから、高速貨Aは当局からお情けで持たせてもらったんだろ?」でしょう。でも当局の方針は「どんな区所でも乗務させられるように車掌区にも1本は持たせたい。」ではないでしょうか。車掌区から言わせれば、「貨車区は技術面は強いことは認めるが、運転(法規)や営業面では弱い」と思っていたはずです。ですから貨車区が格上でもないですし。車掌区が格上でもありません。動力車乗務員でも同じで、仕事の「華やかさ」「やり甲斐」の基準は従事者個人によって異なるのではないでしょうか。動力車を操縦するにあたって困難なことも、動力車の種類のみならず、会社や列車、線区等々によって異なるもので、一概に格付けすべきものではないと考えます。