貨物輸送があったころの樽見鉄道には平日の朝、客車列車が1往復運転されていて、ディーゼル機関車が客車列車を牽く列車がある珍しい第三セクター鉄道でもありました。
下の写真は、その通学輸送に使用されていた元JR東海の14系客車です。
最初のうちは白帯が2本の国鉄色でしたが、のちに白帯は窓下の1本だけになりました
このほか、4月の薄墨桜への観光客輸送では、「桜ダイヤ」として特別ダイヤを組んで、ディーゼル機関車が客車を牽いて活躍をしていました。写真はその「桜ダイヤ」のときに走った客車列車のすれ違いです。
神海駅の大垣方での撮影です。
この桜ダイヤの時期に合わせて名古屋から直通の快速「ナイスホリデー薄墨桜」がJR東海の14系客車で運行されている時期がありました。機関車と客車に薄墨桜の絵入りマークも取り付けられていました。
下の写真は樽見鉄道線内の撮影ではなく、東海道本線尾張一宮駅での撮影です。DD51が牽引していますが、大垣で切り離され、樽見鉄道線内は自社のTDE10またはTDE11が牽引していました。
貨物用のディーゼル機関車があってこそ客車を牽くことが可能だったのであって、貨物輸送がなくなれば、機関車も客車も維持することもできない経営状態でしたので、2006年(平成18年)貨物輸送廃止後はディーゼルカーだけで多客輸送をこなすようになりました。
写真は谷汲口駅での撮影で、撮影時期はまだ客車列車も活躍していた頃です。
貨物輸送が廃止された同じ2006年には、第三セクター開業時に導入された3両の小型のレールバス「ハイモ180」のうちで最後まで残っていた1両が引退しました。このときも私は自動車で、引退間際の姿を見に行きました。
この2軸のレールバスは、バスに近くて私のお気に入りでした。
こうして、貨物列車も、桜ダイヤの客車列車も、2軸のレールバスもなくなってしまった樽見鉄道でしたが、おもしろいことに兵庫県にあった三木鉄道が廃止になったことから2009年にその車両を購入して、三木鉄道の塗色を残したままでハイモ295-617として活躍を始めたのです。
さらに昨年春には踏切事故で運行不能となった車両が発生したため、急遽長良川鉄道からナガラ1型(10号)を応援として借り受け、秋までの長期間にわたって樽見鉄道線を走ったのは、興味深いことでした。
写真は樽見鉄道のハイモ230-313と手を組んで走る長良川鉄道ナガラ10です。
非電化第三セクター間での協力体制は傍から見ていても気持ちがいいものでした。
このときは本巣まで、ひさしぶりに樽見鉄道に乗車したのですが、帰路は撮影しながら沿線を歩いてJR穂積駅まで来てしまいましたのて片道だけの利用でした。
深い付き合いではなかったものの、ずいぶん長い間にわたって少しずつ撮ったり乗ったりして付き合いが続いている樽見鉄道。このさきの経営状況が心配ではありますが、次は全線を通して1日乗り歩きたい気がしています。
昨年暮れに新車ハイモ330-701も導入されました。これにも乗ってみたいと思います。
今後も少しずつ姿はかわっていくものの、楽しみを与えてくれる樽見鉄道であってほしいし、なにより地元の方々が利用しやすい形で、末長いく鉄道として存続されるよう願っております。
この記事へのコメント
京阪快急3000
樽見鉄道の記事、じっくりと拝見させていただきました。
ディーゼル機関車がけん引する客車列車も素晴らしいし、レールバスもなかなか良いと思いました。
自分の地元、関西の三木鉄道の車両も活躍しているのですね。
樽見鉄道の今後の末永い運営を期待したいと思った次第です。
しなの7号
貨物、客車、レールバスほか、何種類もの列車が走っていたローカル鉄道は、魅力的な鉄道でした。姿かたちは時代とともに変わっていってしまうのですが、「鉄道」としていつまでも走っていてほしいと願っています。
くろしお1号
ずっと隣を走っていた小さな鉄道に、こんなにも大きな変化があったのですね。いかに日常の光景として見落としていたのか…と痛感しています。
末期の14系は白帯を1本紛失していたのはかすかに記憶にあります。何をわざわざ…と感じましたが、きっとこれだけで明らかな経費節減につながるのでしょう。
その後の気動車の動きは、貴ブログで初めて知りました。三木鉄道からの移籍車は、もしかしてクロスシートの車両ですか。これは以前から「どうして1両だけクロスシート車を作ったのかな?」と、疑問に思っていました。
長良川鉄道からの借受車両とつないで走らせることができるとは驚きです。各3セクが勝手に発注したものと思い込んでいましたが、核になる部分は共通仕様だったのですね。
先日、小湊鉄道を訪ねてきました。全車がキハ17や20時代のDMH17Cエンジンで、変→直切換えも手動!こんなレトロな気動車を若い女性が颯爽と走らせていて、このミスマッチに一人しびれていました!
しなの7号
岐阜県内に国鉄からの第三セクター転換路線として存在した4社のうち、転換後一番変化に富んでいたのが樽見鉄道と言ってよいと思います。車体色の塗り替え費用も出ないようなところで、努力された結果が14系の塗装であったり三木鉄道そのままの塗装に車体広告ということなのでしょう。借入車とともに趣味的には楽しませていただきました。
小湊鉄道はすばらしいです。私は1度しか乗ったことがありませんが、何度でも来たい思いがしました。
床下の点検蓋から漏れるDMH17の音、キハ20を思わせる車体、多くの駅舎が昭和の雰囲気で感動が味わえるところですね。
hmd
こちらは熱帯低気圧の影響の為か、比較的涼しい一日でした。
当方ブログにコメントを頂きまして、ありがとうございます m_ _m
DLがブルーの客車を牽く光景は、かつての長距離夜行鈍行の山陰号や太公望号(通称)を思い出して、懐かしいです・・・本当は12系客車ですが (^^ゞ
この14系も、昨年春の訪問時は本巣駅構内に留置されていましたが、傷みも相当酷く、解体されたそうですね。少し残念な気もします。
貨物が廃止されてから非常に経営が厳しいですが、桜の時期以外の観光資源が乏しいのが実情で、何か大きな観光資源があれば・・・といつも思う次第です。
ある意味では、長らく貨物に依存していたので、その依存性が裏目に出ているとも感じます。V字的な回復をしているひたちなか海浜鉄道の様に色々と工夫して欲しいですね。ローカル線も鉄道自体が観光化しないといけないのかもしれません。
また寄ります (^_^)/
hmd
太公望号は電機でした (^^ゞ 勘違いしました。すみません。
しなの7号
こちらは相変わらず暑い日が続いています。
現状の樽見鉄道は貨物が無くなり、一家の稼ぎ頭を失ってとまどう家族みたいで、気の毒です。
お気付きかもしれませんが、本文中の神海駅の客車列車のすれ違いの画像は、hmd様のブログ記事「【63】美濃三鉄めぐりの旅(樽見鉄道編 4 本巣~神海)」に掲載されている最後のお写真の位置と同じです。
DE10が牽く青い客車というと、私は久大本線を思い浮かべてしまいます。もっとも久大本線に初めて乗ったのが、その客車列車廃止直後だったので、乗ることは叶いませんでした。それだけに口惜しいので印象に残っているのです。
修正のコメントも拝見しました。太公望号は紀勢本線の列車ですね。そういえば、あれはEF60でしたかね。いずれにしても客車列車の静かで緩やかな加速は大好きです。
おくみの号 名古屋行き
最近、しなの7号様のブログを拝見するようになりました新参者ですが宜しくお願い致します。
14系客車といえば、その昔(ブルトレブームのころ)、永和駅に波動用として留置されていた編成を思い出します。
小学校同級の鉄道博士 O君に連れられて写真を撮りに行きました。
駅員さんにお願いすると、トレインマーク(まだ、文字だけの物)を変えてくれました。
金星・あかつき・つばさ・日本海・・・・懐かしい想い出です。
ちなみに、中村公園近くの自宅から自転車をこいで永和駅まで行きました。
しなの7号
はじめまして。こちらこそよろしくお願いします。
名古屋から永和駅まで自転車ですか(゜o゜)
永和駅には14系座席車をはじめ、名古屋客貨車区の客車がよく疎開留置されていましたね。
乗務で通るたび、色褪せたカーテンが閉まっている姿を思い出しますが、時々臨時特急金星などに活躍しましたね。名古屋の14系座席車には定期運用がなかったので、どんな列車のトレインマークがあるか興味がありました。自分で乗務した時に中身を点検?したこともありましたが、その当時の駅員さんはそうしたサービスをしてくれたんですね。よい時代であったと思います。