【195】 H君のこと~明知線の車内補充券・381系最終しなの号

先週の続きになります。

稲沢鉄道寮に住んでいたH君は転勤希望がかなって、寮を出て家に近い恵那駅勤務となり、地元明知線の車掌を務めました。
明知線も樽見線同様、車掌区の車掌でなく「恵那駅」所属の車掌が専門に乗務していたのです。私は例によって車内補充券を集めていたので、明知線の「恵那駅乗務員発行」の車内補充券を発行してもらいました。
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彼の直筆の車内補充券です。
参考までに国鉄時代の明知線では、樽見線同様駅名式の車内片道乗車券もありました。
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寮から出てしまうと、私は彼と顔を合わす機会はめったになくなってしまい、さらには私が国鉄を退職したことで全くの疎遠になってしまい、以来年賀状だけの付き合いになってしまいました。彼は明知線が第三セクター化され経営が明知鉄道に転換されたとき、再び転勤して中央西線の車掌としてJRに残りました。

私が国鉄を退職して数年後、青春18きっぷで飯田線に乗りに行ったときのことです。豊橋から飯田線を乗り通したその帰路、塩尻から乗った中央西線の165系普通列車の車掌が偶然にも彼でした。国鉄を退職した後、通勤時などで知り合いの車掌に出会うことはよくあったのですが、ふだん、あまり乗る機会のない区間で知り合いに出会うとお互いにビックリします。さらにこのときは運悪く落雷による信号機故障で途中の薮原駅で1時間以上足止めされてしまったのでした。こんなところで出会うとは…と、その薮原駅で発車までの時間にホームで立ち話をしました。これも何かの縁だったのでしょうか。
その後、彼は運転士を経て管理職に昇進され、後進の指導をしていました。

最後に私が彼の姿の見たのは2008年5月6日。私の最初のブログ記事「【1】 はじめまして(^o^)丿」で書いたように、最後の381系しなの号に乗って名古屋駅で降りた直後のホーム上でした。
私はカメラを構えた人たちが行き交うホームを、381系の正面の写真をとるために先頭車に向かって歩いていきました。そこで乗務員室から出て、若い運転士氏とともに車内点検の終了合図を待っている彼の姿に気がつきました。
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そのとき彼は私が乗った最後の381系しなの号に添乗していたのでした。彼は仕事中でありましたし、多くの鉄道ファンのなかでは私も話す機会もなく、彼もその中にいた私に気付いていたかどうかもわかりませんでした。




それからしばらくして、彼が病気で入院したという知らせを聞きました。お見舞いにも行くことないまま年を越し、2009年3月、突然彼の訃報を聞くことになったのでした。


今から思うと、最後の381系しなの号に乗り合わせたことも不思議な縁だったと思うのです。

享年52歳、あまりの早いできごとでありました。

そして彼の戒名には「鉄」の文字が・・・

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短い人生を鉄道とともに過ごしたH君のご冥福を祈ります。

熟睡できない寮、もう少し眠りたいと横になっていると、朝っぱらから部屋のドアをしつこく叩いて「喫茶店行こうぜ」と起こしに来るH君。居留守を使い寝ようとしているのに、あまりのしつこさに「うるさ~い!!」と怒鳴ったことを思い出すけれど、彼はもとより、稲沢鉄道寮も昨年取り壊されてしまって今はもうありません。

この記事へのコメント

  • 京阪快急3000

    おはようございます。
    H様との偶然の「再会」したのも束の間、52歳という若さでお亡くなりになられたのですか・・・(涙)。
    H様とはいろいろな想い出がございましたようで、本当に残念に思いました。
    H様のご冥福をお祈りいたしたい気持ちです。
    2011年08月22日 07:00
  • しなの7号

    京阪快急3000様 こんばんは。
    いや~、まさかこういうことになるとは思ってもいませんでした(T_T)
    まだまだやりたいこと、見届けたいことがあっただろうに、気の毒に思います。
    2011年08月22日 21:54
  • くろしお1号

    こんにちは。このところ、東海地方も毎日どこかで竜神さまが大暴れしていますが、お仕事や通勤への影響はなかったでしょうか?
     若き日の寮の思い出は、本当に鮮明に甦ってくるものですね。H様とのエピソードを拝読していると、私自身の寮生活の様子も同時に脳裏に投影されてまいります。ジャズ好きの同僚から初めてCDを見せてもらった時の驚きは、寮暮らし最大の衝撃でした。こんな小さな円盤に、LP以上の曲数が入っていて、トレイにポンッと乗せるだけ。プチプチという雑音も全くなし…さしずめ今だったら、空中を飛び回っている音楽を携帯電話でキャッチするのを見て、唖然としている自分が想像されます。
     しかし、H様との思い出が、まさかこんな形で結びとなってしまったとは…名古屋駅での写真に眼を凝らしながら、自分の存じている方だろうか?…と読み進めていきましたが…ショックでした。
     齢を重ね、順番通りでないお別れにしばしば遭遇するようになりました。そして、その時は人生についていろいろ考え込んでしまうのですが、日常生活に戻るとあっという間に記憶の片隅へと追いやられていきます。
     生きると言うことは、後進は勿論一時停止も出来ない、終着駅もどこなのかわからない、ミステリー列車に乗っているように思えます。
    2011年08月23日 15:08
  • しなの7号

    くろしお1号様 こんばんは。
    不安定な天候で、こういうときでも鉄道関係者の皆様は安全運行定時運行に努められ、当たり前のように鉄道が走っていることに感謝しなければなりません。おかげさまで定時運行で本日も出勤できました。こうした当たり前の日常が、ある日を境に日常でなくなってしまったことに気づくのが、身近な方の死です。
    身近な出来事の一つ一つに感謝の気持ちを持って、大切にしていかなくてはと思います。
    まさに人生はミステリー列車ですね。私も途中で脱線し行先が見えなくなって、この先どこに向かっているのでしょう?終着駅は近くにあるのか、急停車したらそのままそこが終着駅なのか? または長くある駅で抑止を食らってそのままそこが終着駅なのか?
    今のところまだわかりません(^_^;)

    私が寮に居た頃には、小型のステレオラジカセが出始めた頃でした。これとヘッドホンを持って、カセットテープにお気に入りの曲を録音して聴きながら列車の旅ができるようになったころで、東京へ乗務の折に秋葉原で買ったものを寮に置いていました。

    コメントありがとうございました。
    2011年08月23日 21:23
  • hmd

    しなの7号さん、おはようございます。
    今朝は何処か秋らしい感じがします。

    別れは突然ですね・・・この車補券も形見ですね。
    日常が過去になるのも、ある意味では不思議な感じがあります。「もし、あの時・・・」の世界でもありますが・・・。
    Hさんのご冥福をお祈り致します。
    2011年08月28日 08:30
  • しなの7号

    hmd様 こんばんは。
    こちらは相変わらず蒸し暑い1日でした(^_^;)
    8月もあとわずかで、蝉の声はさすがに一頃の勢いがありません。

    こうして季節が巡り、また新しい別れがあったりします。先々週も同じ会社で、転職時に仕事を教えてもらった同じ歳の方が突然心臓疾患で亡くなりました(T_T)

    H君が遺してくれた思い出や品々は私の中で心の財産になってます。ありがとう。
    2011年08月28日 21:19

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