先週に引き続きまして、中津川機関区に所属していた機関車で保存された機関車について、お話したいと思います。
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D51200は皆さんもよくご存知のとおり、梅小路蒸気機関車館に動態で保存展示されている機関車です。
1972年同館開設時から在籍しています。この機関車は全国に数あるD51のなかで動態保存機に選ばれたもので、それまでは中央西線の中津川機関区に籍を置き、中央西線で活躍していたのです。
梅小路へは何回か訪問していますが、火が入った状態で展示運転している姿をよく見かけます。国鉄末期には動態のまま車籍が抹消された時期がありましたが、車籍も復活しています。
<<履歴>>
昭和13年10月6日 鉄道省浜松工場で誕生
昭和13年10月6日 稲沢機関区
昭和18年 3月 9日 米原機関区
昭和20年11月27日 大垣機関区
昭和25年 5月10日 中津川機関区
昭和47年10月4日 梅小路機関区
私は梅小路蒸気機関車館ができてから、かなり早い時期に訪れています。まだ中学生の頃でした。地元中津川では、まだ現役で蒸気機関車が走っていたのに、他の見たこともない形式の蒸気機関車を見たかったのです。そしてその中に、かつて出会ったことがあるD51200号機に再会したのです。青いナンバープレートは黒に塗り替えられておりましたが、この機関車の特徴でもあった形式「D51」と製造番号「200」の間が詰められ、「D51 200」でなく「D51200」と書かれたナンバープレートは同じでした。
写真はその時のものです。当時の展示運転線は扇形庫の裏手のほうにありましたので、現在(上の写真)とは違う場所になります。
ランボードに白線を入れてもらい華やかな姿で、その日も展示運転の役目をこなしていましたが、中津川時代には決してきれいには見えませんでした。下は中津川時代の写真です。
中央西線時代、坂下~田立間での撮影です。複線電化によってこの付近は線路の付け替えがあって、田立駅そのものも坂下寄りに移転してきましたので、場所的には現在の田立駅付近ということになります。
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中津川機関区に所属していた機関車で保存された機関車についてお話していますが、200号機のように幸運な機関車があると思えば、まことに残念なことに、せっかく保存されたにもかかわらず解体されてしまった機関車もあります。D51192号機です。
<<履歴>>
昭和14年2月16日 鉄道省大宮工場で誕生
昭和14年2月22日 敦賀機関区
昭和19年12月15日 敦賀機関区今庄支区
昭和37年1月11日 敦賀第一機関区
昭和37年 6月18日 金沢機関区
昭和39年3月21日 長野機関区
昭和45年2月8日 稲沢第一機関区
昭和45年11月4日 中津川機関区
昭和48年3月31日 廃車
三重県のナガシマスパーランドに保存されましたが、展示期間は短く、他の保存車両たちとともに、1984年ごろに解体されたとのことです。そのため再会は果たせないままとなってしまったのは口惜しい思いがします。
この記事へのコメント
京阪快急3000
D51200号機ですが、自分は今年の1月、初めて梅小路蒸気機関車館に訪れた際、「SLスチーム号」として「動態保存」されていて、実際に「体験乗車」もしました(こちらについては、自分のブログにも書きました。お時間がございましたら、拙ブログのトップページの「梅小路」のボタンをクリックすれば、ご覧いただけます)。
「SLのあの迫力」、自分にとっては、「素晴らしくてたまらない」と感動した次第です。
SLの「あの魅力」を後世のファンにも、ぜひ感じてもらいたいと思います。
あと、もう1両の192号機が解体されてしまったのは、残念ですね。
しなの7号
梅小路蒸気機関車館は、手軽に生きた蒸機の姿を見ることができるとても楽しい施設だと思います。
そのなかに過去に自分の地元で見た機関車が居ることで、その楽しさは倍増と言ったところです。
南駒ケ岳
しなの7号
今や、現役年数より保存年数のほうが長くなってしまった車両が少なくないような状況の中、保存機たちの中から復活するものがいくつか出現するようになりました。想像もつかなかったことです。保存されたあとのメンテナンスが可能なのは、かつて国鉄機関区OBの方々が主流だったと思いますが、世代交代で一般の方々による保存維持活動が進みつつあるのは喜ばしいことです。
リニア鉄道館のケ90。大正7年製造と言いますからずいぶん長寿で奇跡的な生き残りですね。
今は屋外展示ですが、ボイラやシリンダなどがカットされ内部構造がよくわかりますし、小さいから場所も取らないでしょうから教材として屋内に入れてあげたいと思います。
hmd
連続コメントで、すみませんです。
梅小路のD51形も中津川機関区に在籍していたのですか。
看板蒸機であるC62-2に隠れて(?)いる蒸機も多いのですが、動態保存機の両数は流石と言えます。
こちらの東京西部には、昔から青梅鉄道公園がありますが、全て静態保存であるのが残念です。しかし、小学生の頃は、両親に毎年連れていって貰いました。今思うと、蒸機世代でない自分にとっては、蒸機に触れ合うルーツだったとも思います。
しなの7号
いつもコメントありがとうございます。
梅小路の魅力はいつでも生きた蒸機をみれること。そして蒸機の数に圧倒されますね。
青梅も2度行ったことがありますが、歴史が古い分、珍しい形式がいるのが魅力です。びっくりしたのは2度目の訪問時に0系新幹線が200系の色に塗り替えられていたことです。いくらなんでもやり過ぎと思いましたが、さすがに現在は元に戻ったらしいですね(^_^;)
toseibom
上の中央西線のD51の画像は懐かしさがこみ上げてきます。現在の田立駅周辺ですが、私の祖母の家の近所でこの撮影地点のもうすこし中津川よりの鉄橋が幼少の自分がいつもD51を眺めていたところになります。
当時を思い出すと、私はキハ91形が大好きでした。屋根上の黒い放熱フィンがキハ58とは異なり、重厚感を漂わせていました。3枚折り戸も異質で、一度だけ乗った機会に目の前で2枚と1枚にわかれて扉の開く様子がいまでも目に焼き付いています。
D51の話からそれてしまいましたが、しなの7号さんはキハ91に乗務されたことはあるのでしょうか?
しなの7号
中央西線田立の写真、どのあたりか判っていただけてうれしいです。初めて旧田立駅で降りて線路端を歩いてここまで来ました。ネガを見ますとそのあと鉄橋のあたりまで行ったようです。
中央西線のD51撮影時にはキハ91きそとキハ181しなのはセットで撮影ということにしていました。そのため馴染みがある車両ですが、キハ91は私が国鉄に就職した年に最後の活躍をしていた高山線から引退しましたので、車掌になった頃には廃車されていました。そのため乗務したことはありません。
コメントありがとうございました。
ED21
しなの7号
この記事を書いてから4年以上経ちました。
その間に、D51200が主役になる時代が来ることが予告されました。こうしている間にも歴史は塗り替えられつつあることを実感します。
EF651123
しなの7号
情報提供ありがとうございました。
復活したら、一度でいいので中津川に里帰りしてほしいなあと思います。
まころん
ナンバー196をお知らせくださり、感謝します。もっと勉強しておくべきでした。
中央西線で051200を見たのは、夢幻ではなかったことがわかりました。おそらく中津川駅から、遠目に機関区の方を見たのだと思います。
1200号機? と見間違えたの覚えています。西線で使用されていた蒸気が動態保存になったと言うニュースは、その後聞きました。よほど状態が良かったということでしょうか。1115両分の2とは、なんと光栄かと思います。
コロナが落ち着いたら、久しぶりに会いに行ってみたいと思います。ありがとうございました。
しなの7号
中央西線で200号機をご覧になっておられたのですね。中央西線で見ていた機関車が約半世紀も経って現役機として再会可能とは奇跡的ですが、本線運転に復帰してから、以前のように京都へ行ったらいつでも会えるとは限らないので注意しなければなりませんね。私が前回京都へ行ったときは、200号機は山口線に行っており不在。その前に行ったときは、本線復帰に向けてSL第2検修庫内で全検中で、ボイラがなくてバラバラになっていました。そんなわけで私は本線復活後に現車を見たことがないのですが、画像で見ると、あまりにきれいすぎて懐かしいというより別物のような印象を受けます。