211系が中京地区に配置されたのは、昭和61年11月のダイヤ改正時でした。
国鉄末期の新型車両として、神領電車区に4両編成が2本だけ配置されたのでした。首都圏に配置されたものとは仕様が少し違っていて、目立つ外観はステンレス無塗装車体に、青と白のラインが入ったものでした。
(写真は分割民営化後の撮影です。)
当時の国鉄らしからぬ、いかにも民営化を意識した車両に思えました。
この青と白のラインにはどのような意味があったのでしょうか?
このころは、すでに国鉄の分割民営化は事実上決まっていましたし、「東海会社」は「東海道新幹線」を経営することも確定していましたので、100系新幹線のカラーを意識したものだったように思っていました。事実はどうなのかは知りませんが、ダイヤ改正を記念して、名古屋駅の駅弁の掛紙にも100系新幹線とともに211系が登場していました。
211系は中央西線にある神領電車区に配置されましたが、中央西線での定期運用は回送だけで、東海道本線の浜松~大垣間の快速運用が中心でした。分割民営化を意識して名鉄に対抗しようというものだったのでしょう。
乗務員室は大型ガラス張りの間仕切りで、金魚鉢の中にいるようでした。
乗務記録
<<昭和61年11月9日>>
回844M~425M
運転区間 春日井~名古屋~大垣
乗務区間 春日井5:22~5:40名古屋5:55~大垣6:39
1 ク ハ210-8 名シン
2 サ ハ211-14 名シン
3 モ ハ210-14 名シン
4 クモハ211-2 名シン
朝、神領電車区から出区し、中央西線を名古屋まで回送
名古屋から普通列車として客扱する列車でした。
乗務したとき、名古屋駅で乗ろうとした小学生の男の子が、「地下鉄みたい」と口にしていたのを思い出します。もともと国鉄の車両とは重厚さがあって、軽快感のある地下鉄や私鉄電車とは違うということが子供にもわかっていたのでしょうか。たしかに写真のように113系と並ぶと、当時としてはデザイン的にも国鉄らしさを払拭したものに思えます。
車内はセミクロスシートでしたが、クロスシート部は2人掛け転換クロスではなく4人固定ボックス席でシートは固く、快速の主流は117系だったことを考えると、サービスダウンのように思えました。
中京地区に国鉄の手で導入された211系はこの2編成だけでしたが、民営化後に内装をロングシートにした5000番台などがJRの手によって大量に増備されました。国鉄時代に生まれた0番台8両は、現在は外観こそ青いラインは湘南色ラインに変わりましたが、内装はセミクロスシートのままで、東海地区では異色の存在として今も東海道本線で活躍中です。
ただし、活躍の場は確実に狭まっていて、現在は区間運転の各駅停車中心の運用になっていますが、唯一平日の朝方に下りの新快速運用があります。これこそが新製時を思わせる運用と言ってよいでしょう。
<2016.5.18 追記: JR東海の211系0番台は、この記事を書いた直後のダイヤ改正時に東海道本線での運用がなくなり、関西本線に活躍の場を移しています。>
一見JR化後の車両にも思えるJR東海の211系0番台ですが、国鉄末期の誕生なのです。
私も、このあと何回かは乗務しましたが、この車両の営業開始から4ヵ月後の昭和62年3月に鉄道の仕事に別れを告げることになったのでした。
この記事へのコメント
京阪快急3000
そういえば当時、東海地区に投入された211系0番台はこんな塗装でしたね(模型もお持ちなのですね。すごいです!!)。
民営化直前の当時の国鉄としては、211系は「斬新な車両」として、満を持して投入したものと思われます。
わずかですが、乗務された事もあるのですね。
現在(JR東海)は313系という車両が主力になっているので、117系はもとより、この211系も「脇役」に周っているようですね。
くろしお1号
貴ブログ196号を拝読して、D51200が中津川機関区で活躍していたことを初めて知りました。先日、梅小路に行ったばかりなのに、機械油の匂いや背丈と同じ動輪に酔いしれてばかりで、詳しいデータが書かれていたはずの案内板は何も読んでいなかったようで、お恥ずかしい限りです。
211系には、しなの7号様も乗務されていたのですね。こんなところに、お会いしたことのない先輩との接点があったのだ、と嬉しく思います。
くろしお職場には、211系のような電気指令式ブレーキの車両はまだ存在せず、転勤して初めて運転した時は、最新型に触れる楽しみと、国鉄が私鉄になっていく現実を見たようで、同時に淋しさも覚えました。
それから20年以上が過ぎ、とても大きく思えた仕切りのガラス窓も、その後の車両はますます拡大し、運転台は床面に下がり、すっかり私鉄の顔になりました。
今となっては、青緑色の乗務員室や吸殻入れを撤去した跡、そして補助電源用のMGに、国鉄テイストを痛いほど感じるばかりです。
若い乗務員は、211系は全てJR車両と思い込んでいるようです。運転台周りは5000台と変わらないので、仕方ありませんね。そんな人たちには、ちりばめられている国鉄の遺跡を、一つひとつ丁寧に解説しています!
先日、久留里線を訪ねたら、キハ30がオリジナルカラーで、冷房もなしのまま頑張っていました。30年前なら、最もつまらない気動車であったのに、一も二もなく飛び乗りました。車内は、昭和そのものでした!
しなの7号
211系は湘南色が最もポピュラーですが、この当時の塗色もすでに忘れられようとしているのではないでしょうか。新車のころから25年あまり経って脇役になってしまいましたが、相変わらず東海道筋で働いているのはさすがです。
この模型も相当探し回って、職場の人に見つけていただいて入手できた代物です。
しなの7号
運転される方にとっては、211系はさらに在来の電車と異なる仕様に興味を持たれたことでしょう。
車掌であっても本文中に書いた子供の「地下鉄みたい」という言葉がいまだに思い出されるほど、これまでの電車とは違っていると思いましたね。車内には国鉄生まれの車両であることを示す痕跡もいくつかあるのですね。
最近はこの0番台車に乗る機会がないのですが、乗務員室の中を覗いてみたい気がしてきました。
そう言われれば、時期こそちがいますが、くろしお1号様とは同じ車両に乗務した仲になるんですね。自分が乗務した車両も中央西線ではもはや皆無。東海道本線でも117系と211系だけです。これらの車両には走っているうちに乗りに行きたいものです。
久留里線も行かれましたか。キハ30も長寿ですね。伊勢線で乗務した形式でしたから、こちらも乗りたいですね。
貨車区一貧乏
当地、北海道は日に日に秋の足音が聞こえ始めていますが、東海地方ではいかがでしょうか?
首都圏でも211系や205系がJNRの遺伝子を持つ最後の車両でした。113系や103系が古くからの先輩、211系205系などはさしずめ同世代の同僚或いは後輩といったところでしょうか^^
上京した際に乗車すると、なぜか同僚にでもあったかのような気がする車両です。
ただ、オールロングシートの車両は乗客の立場からとしては1時間以上乗るときには、あまり好きではなかったです^_^;
しなの7号
こちらは秋の虫の声がするなど真夏とは違ってきたものの、まだまだ夏の色が濃く、昨夜も蒸し暑かったです。防犯上締め切って寝るので、愛用の「偏積過積事故防止 名古屋鉄道管理局」と書かれた古い寒暖計によれば、 この時間でも室内は30度もあるんです(^_^;)
同世代の同僚車両たちが表舞台から去っていく時代になりつつあります。それに人間の同世代の方々の訃報にも接する機会が出てくると国鉄が遠い時代に行ってしまったなあと思うことがあります。
コメントありがとうございました。
TOKYO WEST
首都圏では東海道線、東北線、高崎線に211系が投入されましたが、座席の形状が体に馴染まないこともあり、あまり好きな形式ではありませんでした。113系の2000番台のほうが良かったと思います。
余談ですが、説明資料の画像を拝見すると昭和61年10月のもののようですが、この頃になると鉄道管理局からの通達や事務連絡もワープロで作成されつつありましたね。24ドットの粗いフォントも当時としては画期的でしたが、最近のものとは品質に格段の差があり、この面からも四半世紀の時の流れを感じるところです。
しなの7号
211系のクロスシートは1人分ずつ成形されていましたが固くて自分も113系2000番台のほうが座り心地はよかったと思います。JR西日本でも211系ベースの213系が誕生するなど、211系は分割民営化前後の橋渡し的な役割だったと言えましょう。
この説明資料、波線二条のアンダーラインは定規による手書きのようです(^_^;)
たしかに手持ちの資料から、ワープロ打ちの文書はこのころから増えたことがわかりますね。
コメントありがとうございました。
hmd
台風が上陸しそうですが、そちらは大丈夫でしょうか?
こちらは、雨が降ったり止んだりで、そんなに荒れていないです。
211系、自分も当時はとても斬新に感じました。「地下鉄みたい」と言う男の子の言葉も、的を得ていますですね。ふたつ目玉のブラックアウトされた運転席窓も、オジさんの様(?)で、決して格好良くは無いのですが特徴的です。今では、電車ではなく、ローカル線の新型DCの顔になっていますが(笑)
今や、313系が大きく幅をきかせているJR東海では、この211系も徐々に貴重になってきていますね (^_^;) 313系との併結はいいアクセントになり、模型でも映えて面白いと思います。
しかし、時の流れは早いと感じる所です (^_^)
p.s. 当方ブログ内に、模型関連のミニブログを設置しました。よろしくお願い致します。
しなの7号
今のところ、台風の影響は異常な蒸し暑さ意外には感じられず、雨も降っていません。嵐の前の静けさなのかも…
そういえばブラックアウトの前面の鉄道車両も、この時期から私鉄も含めて増えたように思います。今ではこの手の顔はあちこちで見ることができますね。
国鉄にとっては画期的な顔でした。JR化後の製作である5000番台車は313系との併結が中央西線で日常的に見られますが、東海道本線名古屋周辺だけで運用されるこの0番台車は単独運用です。
余談ですが、はじめて乗った時の編成を本文中に書きましたが、このあとに数日の休暇を取り、再就職先の面接を受けに行きました。分割民営化過渡期の落ち着かない時期でした。
ブログのご案内ありがとうございました。
週末に訪問させていただきます(^o^)丿