381系は国鉄では唯一、カーブでの高速走行を目的として車体を傾斜させる振子装置を装備した営業車両でした。
全国に先駆けて、1973年(昭和48年)7月に全線電化工事が完了した中央西線にデビューしました。
その車体や塗色は、当時の国鉄の特急列車の標準的な装いですが、振子装置を装備していることから、同年代に製造された183系や485系とは多くの相違点が挙げられます。主な相違点は次のとおりです。
◎ 軽量化が必要なので車体は鋼製でなく、アルミ合金製であること。
◎ 重心を下げる必要性から冷房装置を床下に装備しているため、
屋根が低く、屋根上は非常にすっきりしていること。
◎ 車体を傾斜させるため、車体裾が大きく絞ってあるので、
正面から見ると下膨れのオタフク顔であること。
こうした振子式独特のスタイルを持った381系は当初長野運転所に配属されていました。そして山岳路線で急カーブが連続する中央西線と篠ノ井線のしなの号としてデビューしたのです。
国鉄では「客専」(専務車掌(客扱) 通称「カレチ」)にならないと特急列車には乗務できませんでしたが、車掌でも回送列車には乗務していました。まだ特急列車には乗務できないこのようなときでも、特急型車両に乗れるのは、やはりうれしいものでした。
1981年(昭和56年)5月22日
中央本線 回1002M
運転区間 名古屋~春日井
乗務区間 名古屋11:33~春日井11:54
1 クハ381-121 長ナノ
2 モハ381-57 長ナノ
3 モハ380-57 長ナノ
4 モハ381-21 長ナノ
5 モハ380-21 長ナノ
6 サロ381-1 長ナノ
7 モハ381-1 長ナノ
8 モハ380-1 長ナノ
9 クハ381-12 長ナノ
長186
折り返し回1013Mにも乗務
運転区間 春日井~名古屋
乗務区間 春日井13:33~名古屋13:50
上にご紹介した編成は、前3両(1~3号車)が1978年(昭和53年)に増備された新しい車両で、1号車クハ381-121は非貫通になっています。
対して9号車のクハ381-12は貫通型となっていて、しなの号独自の顔と言ってもよく、代表的な381系使用特急列車「くろしお」「やくも」にはないスタイルでした。
この回送列車は名古屋に11:15に着いたしなの2号の編成を、いったん神領電車区に回送して車内の清掃整備を行い、そのあと再び名古屋へ回送して14:00発のしなの13号で長野へ折り返すという運用になっていました。
この当時のしなの2号は朝長野を発って名古屋へ着く最初の列車でしたが、名古屋着は11時すぎ。こんな遅い時刻に着いているようでは、ビジネスにはあまり使えない感じがしますが、この当時は寝台付きの夜行急行きそ6号という列車がありましたので、早い時間に名古屋へ着きたい乗客は夜行という選択肢だったのでしょう。
その後、長野運転所の381系電車は、上越新幹線が開業した1982年(昭和57年)11月のダイヤ改正で全車神領電車区へ移管されました。これは上越新幹線開業で不要になった上越線の181系や183系が長野運転所へ配置換えされたことによる玉突き転属ということだと思われます。
1984年(昭和59年)3月10日
中央本線 回1004M
運転区間 名古屋~春日井
乗務区間 名古屋11:36~春日井11:59
9 クハ381-3 名シン
8 モハ381-11 名シン
7 モハ380-11 名シン
6 モハ381-23 名シン
5 モハ380-23 名シン
4 サロ381-2 名シン
3 モハ381-20 名シン
2 モハ380-20 名シン
1 クハ381-4 名シン
神186
折り返し回7013Mにも乗務
運転区間 春日井~名古屋
乗務区間 春日井13:06~名古屋13:30
その前の編成と比較すると、所属が「名シン」に変わっています。それだけでなく号車番号の付番が逆になっています。
この改正前の1982年(昭和57年5月)には塩尻駅が移転しています。それまでの塩尻駅では中央西線対篠ノ井線の列車は、このしなの号を含め進行方向が変わっていたのですが、この駅移転によって、そのまま向きを変えずに直通できるようになっています。
せっかく装備しているクハの前面の貫通扉でしたが、国鉄当時には使用されることはありませんでした。国鉄分割民営化後はサロに運転室を取り付けたり、クハをグリーン車に改造することによって、9両から6両の基本編成に組み替え、必要に応じて3両、4両または6両を基本編成に増結する方式で弾力性のある運用をするようになり、この貫通扉も利用されるようになりました。
写真は分割民営化後、6両編成になったしなの号です。
国鉄では長らく9両固定編成のままで運転されてきた「しなの号」ですが、季節によって乗客数の増減がはげしい列車でしたから、経費節減のため、国鉄末期には閑散期に限り減車が実施されるようになりました。
1984年(昭和59年)12月13日
中央本線 回1005M
運転区間 春日井~名古屋
乗務区間 春日井8:26~名古屋8:51
1 クハ381-12 名シン
2 モハ381-18 名シン
3 モハ380-18 名シン
4 サロ381-2 名シン
7 モハ381-2 名シン
8 モハ380-2 名シン
9 クハ381-5 名シン
神187
(5・6号車減車)
こうした減車は私が国鉄に就職する前にも、大々的に行われたことがありました。それは定期検査による車両不足のときでした。新聞にも報道され、同じ時期に新製された381系車両が一斉に定期検査の時期を迎えることによって7両に減車したということでした。ただ鉄道雑誌には予想外の車輪の摩耗による検査修繕のためとも書かれていました。
上に掲げた編成も回送ですが、この時には私はすでに客専(カレチ)になっていましたので、こうした回送列車ばかりでなく、本物のしなの号にもよく乗務する機会がありましたが、そのときのことは、いずれ機会を改めて紹介したいと思います。
なお、民営化を前提にした国鉄最後のダイヤ改正となった昭和61年11月からは、一定の条件をクリアした列車について回送列車の車掌乗務省略が実施されるに至り、しなの号用の381系もその対象となりました。
具体的には、EB装置を装備し、複線区間等において列車防護無線を装備した列車で、列車無線等による連絡網が整備されている場合に対象となりました。
このとき名古屋鉄道管理局内では以下の列車が対象となりました。
1 381系車両による回送電車(しなの号用車両)
2 485系、489系による回送電車(7両編成の列車)
3 臨時に運転する次の列車
回送客車列車、試運転列車、工事列車、配給列車
(乗務列車については、示達された。)
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このあとの毎週月曜日の更新については「乗務した車両」のシリーズを続けたいと思います。来週以降は「荷物車」についてです。荷物車は一般になじみが薄い車両群ですが、先日まで連載させていただきました貨車の緩急車の記事など、普段みなさんに馴染みのない車両についての記事も、意外に多くの方々にご覧いただきました。つまらないとお感じの方々もあろうかと思いますが、よろしければお付き合いくださいませ。





この記事へのコメント
京阪快急3000
特急「しなの号」の回送列車の乗務記録、じっくりと拝見させていただきました。
当時の状況がよく分かりました。
自分も特急「くろしお号」が381系で運用されているのは、子供の頃から知っていましたが、「撮影したい」とまでは思っていませんでした。
当時はカメラも持っていなく、時代も現在と異なっていた事もあったからだと思います。
現在はその「くろしお号」も塗色変更され、先日新型車両(287系)の導入の報道を聞いて、「いよいよこちらも置き換えか・・・」と思いました。
蛇足ながら、暫定運用の381系「こうのとり」は撮影しておいて良かったと思っています。
しなの7号
381系しなの号が見られなくなって、381系で残るのは「くろしお」と「やくも」ですね。この列車たちにも乗れるうちにぜひ乗っておきたいと思っています。
南駒ケ岳
381系しなのがデビューし、最初にその姿を見たのはプラットホームで隣に並んだDCの窓からでした。その背の低さに驚きました。当時は「ワルツ電車」とか「車両酔いする人が続出」といった新聞の見出しが踊っていました。ところで、クハ381の裾のところにステンレスの板状の突起がついています。飛行機のピトー管の様に飛び出ています。これが何なのか未だに謎です。もしご存知でしたらご教示下さい。リニア館の車両には付いていませんでした。キハ181系に続いて中央西線で新型車両がデビューするのはうれしいものですね。
しなの7号
381系との初めての出会いは営業前の試運転列車でした。自宅近くの線路端へ見に行ったのです。
ついに電車特急は走るんだとうれしく思ったのもつかの間。おっしゃるように独特な揺れによる乗り物酔いの報道に、乗りたいという気が一気に失せてしまったものです。当時は自分が仕事で乗務するなどとは思いもしませんでした。
クハ381にある突起とは乗務員室扉のすぐ後ろの下のほうにあるモノだと思います。正直、私にもわかりませんが、上のほうに2個ある屋根への昇降用ハシゴ掛けに関係がありそうです。上のハシゴ掛けにハシゴを掛けたときハシゴの下部を支持する金具ではないでしょうか?
上のハシゴ掛けがあっても、下のこの金具がない車両も多く存在するようですが、ハシゴの形状によるのではないかと…全くの推測です^^;
このハシゴは通常乗務員室内に格納されていたのですが、形状が違うものがあったような気がしますので、こんな推測ができましたが、自分でも怪しい推測です。
くろしお1号
381系…しなの7号様のお名前そのものですね!当時はキハ81の「くろしお」やナハ10系の921列車など古びた非電化の車両を崇拝?していて、この381系など何か無味乾燥な車両と思い込んでいました。国鉄に入社してからも機関車か気動車に乗務したいと思っていながら、時代の流れで電車しかなく…でした。
そんな縁で始まったお付き合いでしたが、下膨れのぽっちゃり顔なのに、チーターのようなスリムなボディーで果敢に曲線に突っ込んでいくのは、言いようもない快感でした。
181系気動車、そして381系も新製投入された中央西線の高速化への意気込みがとても感じられます。活躍していたD51の今を伝えるシリーズも興味深く拝見させていただきましたが、その後いきなり初の振り子電車につながる、このテンポの速さに驚くばかりです。
折りしもKATOの381系が発売されたようですね。きっと素晴らしい出来栄えでしょう。お酒を傾けながらその姿を眺めておられるしなの7号様が、頭に浮かんでまいります。
しなの7号
紀勢本線、今回の台風では被害があったんですね。テレビで流失した鉄橋などの映像を見ましたが、あの長い熊野川の鉄橋に濁流が迫っているのも非常に驚きました。
国鉄に就職した直後の約3年間は、この鉄橋を月に1~2度は渡っていたのですが信じられない光景でした。
被害を受けた方々にも心からお見舞い申し上げます。
さて、381系しなのの乗務中は、最後部運転室で傾いたように見える電柱を不思議な感覚で眺めていた私ですが、381系の先頭運転室でカーブに突っ込んでいくという感覚を体験をしたことがありません。いつも車内で左右に揺さぶられているか最後部運転室に居るわけですので、せめて高い位置にある先頭車クハ381の運転席でそれを体感してみたかったです。
KATOの381系しなのの模型は先週金曜日に入手しましたが、翌土曜日も家に仕事を持ちこんだりしていまして、昨日も残業でなかなか酒飲みながら…というわけにはまいりませんでしたが、明日はその模型についての記事をアップするつもりです。
コメントありがとうございました。
toseibom
http://www.youtube.com/watch?v=f778h8DEFh4
貨車区一貧乏
今回の台風は各地に大きな被害をもたらしました
当地、北海道も未だ非難されている方もいるようです。
さて 381系は残念ながら一度も乗ったことも、見たこともないので未だに後悔しています。
そのスリムな車体でのバンク、ハイスピードを体感したかったですね^^。
しかし、廃車になった現在も381系の遺伝子は確実に受け継がれ全国で在来特急として活躍してます。
北海道でも振り子特急は281系等は、主力として活躍しています。
281系等は少し前まで前面貫通扉から前面展望できておりました。
暇つぶしにかぶりついて見ていると、コーナーの侵入スピードがあきらかに違うのでちょっとビビッてしまいました^_^;
速度制限が一般車両と振り子車両では違うんですね~
感心します
しなの7号
木曽路に電車特急が走るようになったときの記憶は誰しも鮮明に残しておられるようですね。私も鉄道を題材に夏休みの自由研究をしたというのは身に覚えがあります^^;
洗馬駅はよく追い抜きに使用されましたので、その記憶は間違いないものと思いますよ。
381系、ときどき傾いたままで直線を走行している姿を時々見かけました。
Youtube映像も拝見しました。381系がたくさん出てきますね。旧塩尻駅も懐かしいです。旧駅時代は荷物列車乗務でしたので、何度もこのホームで荷物の積卸作業に従事したものです。
コメントありがとうございました。
しなの7号
381系は東日本地域には縁がない系列ですので、ご覧になる機会は少ないでしょう。しかし、おっしゃるように、今や全国で振子特急が走っていますが、その礎のなったのは381系電車でしょう。北海道に行ったときには、スーパー北斗とスーパーおおぞらで振子DC特急を体感しました。先頭車の貫通路の展望窓も当時は開放されていましたが、先客があったり、保線の方の目視点検があったりでゆっくりは楽しめませんでした(T_T)
雄大な大地を行く感じと中央西線の急カーブ急勾配が連続する感じとは異なりますが、カーブに入るときの感覚は同じです。でも制御付き自然振り子でない381系にはそのスムーズさがなかったですね。
381系も紀勢本線や伯備線で健在ですので国鉄時代の自然振り子の走りを体感できますよ。
コメントありがとうございました。
hmd
昨日はコメントを頂きまして、ありがとうございました。
中央東線の影響圏下(?)のこちらでは全く見れない電車形式ですので、小学生時代の特急図鑑の花形電車の印象が強いです。当時、かなり大きく紹介されていた思い出があります。そう思うと、振り子式車両は、昔も今も最新技術搭載の在来線車両と言うことですね。
しなののHMも良く見ると独特ですが、個性が増して良いと思います。
しなの7号
381系は東日本在住に方には縁がない特急ですが、それでも珍しい形式ということで絵本にも登場し、実は私はその絵本も持っています^^;
中央東線に比べて地味な西線の電車特急が絵本に登場するとは異例な気がしたものです。しなの号のHMの絵柄は信州の代表的な樹木「カラマツ」ですが、383系にもこの柄が引き継がれているのはチョットうれしい気もしています。
コメントありがとうございました。
鉄子おばさん
しなの7号
代替は683系でしょうか? 地元ではしらさぎが683系から681系になり、すべて金沢行になるようです。先日3M「和倉温泉行」を見てきましたが、乗ったりはしませんでした。
くろしおの381系には、5年前にわざわざ京都からおそらく最後になるという思いで乗りました。今後もおそらく乗りには行けないだろうと思いますが、よくここまで持たせたという思いもします。早めにやくもの走りを味わいに行かないと…
鉄子おばさん
しなの7号
やくものほうは、どんな展開になるのでしょうか。出雲へ出かける機会があれば…いや、そういう機会を作って乗ってみたいと思います。
そういえば、485系でも同じようにくろしおへの転用がありましたね。
【155】臨時列車の乗務(3):165系回送電車
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201104article_7.html
で、実際に乗務されていた「くろしお1号様」から、その485系についてコメントをいただいています。
思わぬところでの再会乗務とは感慨深いものです。
鉄子おばさん
しなの7号
フリーゲージトレインは北陸が先でしょうから、そのあと伯備線に導入ということになったとしても、それまで381系は持ちますかどうか???
JR東海ではJR世代のキハ11が3月以降廃車されそうです。
鉄子おばさん
しなの7号
くろしおの381系も、よくぞここまで持ち堪えたものと思います。
十分に役割を果たしての引退ですので、褒め称えてあげてください。
私は同業者の渦中に入るのが大の苦手ですので、遠くから無事故で最後の日を過ごせますよう祈っています。
鉄子おばさん
しなの7号
381系への想いが、運転士さんにも伝わるとよろしいですね。
ハブキんグ
そんな自分が中学2年の時、世界で初めての振り子式特急電車の虜になってしまった一人です。
気動車の181系が最後に日に1.2本残っていたそんな時でした。
今では考えられないでしょうが、長野駅で折り返しの際、到着した運転士さんに運転席を見せてくださいと頼んだら、車掌さんが来るまでなって、、その運転手さん付き添いではなくですよ!放ったらかしで大興奮ですよそりゃ! これから乗務の車掌さんには伝えてくれていましたし。
ボクと友達を信じてくれたのは何だったのでしょう。
超純粋の目の輝きでしょうか?
今では運転台のスライド窓開けてガキがポーズ撮ってる写真が宝物ですね。
開業当時、運転手さんは流石に平気だけど車掌さんは酔ったと聞いています。
今の振り子とは違ってカーブに差し掛かった瞬間のガツンと振られて、限界角度に達した時のドン、これがS字カーブだと反対から反対まで一気に振れますので、景色も空から畑へと、電柱もまともに挿さってる風には見えませんでした(笑笑)
前から見て丸顔なのに横から見れば超スマートで、当時のボクは381系はプレイボーイの表紙飾ってもいいと思ってましたよ。
先日かなり面影は特に内装は変わってしまいましたが岡山に出向く用事がありました。 途中の駅まででしたが再開とおそらく最後のお別れのつもりでやくもに乗って来ました。
感慨深いものですね。
楽しいブログありがとうございました。
しなの7号
ご覧いただき、ありがとうございました。
あのころはユルい時代で、今の常識では考えられないことがありましたね。
働く側にも余裕があったのは確かですが、それを取り巻く世間も余裕がありました。同時に「子供なら何でもアリ」ではなく、ホントにいけないことは大人がよその子でも容赦なく叱ったものでした。
381系しなの号への乗務当初、私は乗り物酔い止め薬を乗務前に服用していましたし、傾いたようにみえる電柱やSカーブでの連結部で貫通幌がねじれるのにもびっくりしました。それでも、乗務から離れてプライベートで乗ってみれば、航空機が旋回するときのような感覚に「酔いしれる」ようになり、5年前に出雲へ行ったとき、往復「やくも」を利用して、おそらく381系に乗るのはこれが最後という気持ちでその感覚を味わってきました。