【205】 乗務した車両:マニ60、マニ61

マニ60は旧型客車のなかでも鋼体化客車と言われるグループに属します。
簡単に言うと、古い木造客車の主要パーツを再利用して車体の上回りだけ新製したわけで、台車、台枠などは非常に古いのです。鋼体化改造で直接荷物車として誕生したもののほか、鋼体化改造で、いったんオハニ、オハユニなど、客室と荷物室や郵便室の合造車として誕生したものを、後に全室荷物車に再改造したものがあります。そういう再改造車のほうが数としては多いというのもこの形式の特徴と言えましょう。総数565両のうち再改造車は360両に及びます。

こちらの写真は鋼体化改造で直接荷物車として誕生したタイプの模型です。
すべて正方形の窓なのが特徴です。
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そして次の写真は合造車として誕生した車両を全室荷物車に再改造したタイプの模型です。
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こうした生まれの違いから、外観からは幅が1mと広い元客室部分にあたる窓が一部に残っているのが合造車からの再改造車であることが判別できました。
荷物室内は他形式を含めてマニに関してはどれも大差はありませんでしたが、乗務員室はいろんなタイプがありました。私はそのタイプの違いを車両別に調査したわけではないのですが、所属する管理局(または入場する工場)によって徐々に改良されていったと思われる車両があると思えば、まったく改良されずに放置されている車両もあったように思われました。

オリジナルと思われる車掌室の座席配置は、便所部分との間仕切壁に向かった机付の荷扱専務車掌の1人用座席と、その木製で低い背もたれの反対側に一人用の座席。通路をはさんで反対側にオハ61などに使用する2人用の座席を置いたものでした。その前には、大きな手ブレーキハンドルが陣取っているものでした。
下の写真は「碓氷峠鉄道文化むら」に保存してある同系列のオハユニ61の乗務員室にあるブレーキハンドルです。
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下の写真は形式が不明で、マニ60系列ではないかもしれませんが、乗務中に乗務員室の荷扱専務車掌席を撮ったものです。通路仕切扉の向こう側には便所の扉があるのがわかります。
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マニには通常、荷扱専務車掌1人と乗務掛2人の計3人が乗務するので、下っ端の私どもは荷扱専務車掌席の背もたれの反対側の一人用の座席が定位置でした。ここは後部監視窓から後ろを眺められる「特等席」でありましたが、あいにく最後尾に乗務する列車は交番上わずかでしたから、展望車気分は滅多に味わえませんでした。最悪の車両はこのタイプの「特等席」がないマニ60で、これは竜華客貨車区所属車両でしか見かけませんでした。この場合はしかたなく荷扱専務車掌の席の後に適当な大きさの荷物を置いて、その上に座って過ごしました。

改良された車両の車掌室は、おそらく旧型客車の廃車発生品だろうと思われる4人がけ用の椅子を左右2脚を備えたタイプで、4人まで楽に過ごせました。その場合、邪魔になる手ブレーキハンドルは妻壁へ移設したうえで、ハンドルそのものを垂直方向に改造設置して乗務員室のスペースを確保してありました。

車端部に乗務することもあって、自動連結器装備の旧型客車では走行中は揺れによって、隣の車両との食い違いでガツンという音とともに上下前後に車両が揺れるのが特徴でありますが、マニ60の場合は前述のように足回りは非常に古い木造客車のものです。東海道本線で95kmで疾走すると、その上下動は尋常ではありませんでした。
荷物が満載のときには多少はいいのですが荷物が少ない時は上下に跳ねるようによく揺れる車両でした。
マニ60はその数が多いので、私が乗務していた交番上のほとんどの運用に入ってきました。確率的にはよく当たる荷物車でしたので東海道本線でマニ60に当たるのは特にいやでした。

一方、マニ61は希少でした。
マニ61はマニ60の台車(TR11)をスハフ32及びスハ32の台車(TR23)と交換した改造形式でした。
上がマニ61、下が比較のためのマニ60です。車体は同じで、台車だけが異なります。
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全部で41両しか改造されていません。私がいつも出会うのは竜華客貨車区のマニ611(トップナンバー)、マニ61207とマニ61354、向日町運転所京都支所のマニ61352の4両だけでした。
台車の違いで振動は少なくなって乗り心地は改善されました。揺れによる荷傷みが問題になったための改造という説があると思えば、乗り心地を良くするための改造ではなく、旅客用のスハフ32とスハ32をマニ60との台車交換によって自重を軽くして、それぞれオハフ35とオハ56として(ス級からオ級へ)軽量化し、効率的に運用させたかっただけという説もあります。要するにマニ60が履いているTR11のほうがTR23より軽いというわけです。
たしかに晩年の中央西線の普通客車も牽引定数の関係からか重いスハフやスハが運用されるのを見たことはほとんどありませんでした。ス級からオ級になることで軽量化され、機関車の性能を上げずに増結できたり、運用上の制限が少なくなり効率的になるということなのでしょう。
(オハの代わりにスハは使用できないが、スハの代わりにオハやナハは使用できる)
台車自体の重量の違いによって、いとも簡単に車両全体の総重量が1ランク下がることに着目した合理的な手段と言えます。マニ61の積載重量に制限を設けるまでもなく、そのままで1ランク上のカニにならずにマ級にとどまったところも上手いと思います。
そのおかげで、荷物車の乗り心地は良くなったわけですが、逆にオハフ35とオハ56は、スハフ32とスハ32時代より乗り心地が悪くなったはずです。これらはローカル線用でしたので高速で走ることもないので問題にはならなかったのでしょうか。

この記事へのコメント

  • 京阪快急3000

    おはようございます。
    「60系鋼体化客車」はこのマニ60やマニ61のほか、旅客車のオハ60やオハフ60などは座席の背ずりが「板張り」だったようで、当時は相当「評判が良くなかった車両」だったと思います。
    自分も以前、GMのキットでオハ60を制作した事があるのですが、制作当時はそういったことは記憶に無かったです。
    2011年09月26日 07:26
  • しなの7号

    京阪快急3000様 こんばんは。
    荷物車も同様で、60系列のマニもまったくお粗末な造りでした。乗るのは乗客ではないからいいようなものの、当然乗務員の評判も良いものではありませんでした。

    私もGMのオハ61のキットは初期(昭和49~50年ごろ)に組みました。これは今も手許に残っています^^;
    2011年09月26日 20:21
  • くろしお1号

    しなの7号様、こんばんは。昨日は亀山で駅サイティング祭が開催され、それに合わせたさわやかウォーキングの臨時列車を走らせていました。キハ75で亀山へ行くのは、本当に久し振りでした。
     亀山へ行くと、921列車を必ず思い出します。マニ60やスユニ61がDD51の次につながっていましたね。そのマニ60に形の違いがあったことを初めて知りました。私の記憶は窓の広いタイプだったので、これは再改造車だったのですね。TR11で最高速度の乗り心地は、きっと想像を絶する凄まじさだったのでしょう。
     台車の履き替えで自重を軽減すると言うのも、当時の増加する一方の旅客需要に応えるべく、このローコストな対策をよく考えついたものと、感心するばかりです。スハ32系をダイエットさせながら、自身は「蟹」にならなかったマニ61は、何と素晴らしい!
     今思うと、国鉄の職場は本当に細分化されていたのですね。同じ車両なのに、客車や貨車は全く知らないままに過ぎてしまいました。台車振替えと言えば、奈良区のキロ28が空気バネ台車を履いていたのに驚いたことがありました。これが初代キハ80系のお下がりと知ったのはずっと後のことで、しなの7号様のようにいつもその時点で記録・調査をしておけばよかった…と後悔するばかりです。
     50年前半に荷物車に乗務されていたのですよね。すると921、924列車の新宮行路は、DF50の時代ですね。中学高校の時代、用もないのに何度も乗りました。しなの7号様が乗務されていた列車にも、きっと乗せていただいたに違いなく、ただ懐かしいばかりです。キハ81「くろしお」やブルトレ「紀伊」とすれ違い…夢みたいです!
     中山道シリーズも続きを楽しみにしております。恥ずかしいことに、東海道が東海道線なら、中山道は中央線とばかり思い込んでいました。東京からいきなり北へ向かい、もうびっくりです!
    2011年09月26日 21:19
  • 貨車区一貧乏

    こんばんは
    縁が無かった車両ですが、多分同類でしょうか、救援車が構内に留置されておりました。たぶんオエかスエだと思います・・・
    たまに交番検査で入場すると、当時の検査長が私たち新人に構造を教えてくれました。この台車の設計は大正~昭和一桁だと、TR23は軸箱の上にバネがあるのが特徴と・・・退職近くの上司ですが、とにかく若年職員に技術を伝承しようと一生懸命でした。技術断層を危惧していた当時の検査長(故人)を思い出させていただきました。

    ところで、この車両で東海道を95㎞走行ですか?
    乗り心地はコキフ並みじゃないですか^_^;
    2011年09月27日 01:49
  • しなの7号

    くろしお1号様 おはようございます。
    亀山へキハ75でお仕事ですか。亀山駅に西日本のキハ181が展示されたのは一昨年だったでしょうか。それ以来亀山にはご無沙汰ですが、国鉄時代の面影は今でも駅構内に残っていますね。

    マニは924列車に亀山~名古屋間で連結されていました。全区間連結されていたのはスユニでした。亀山から新宮まではDF50の牽引でしたが、この列車の乗務回数はそれほど多くありません。初めのうちは駅名さえ怪しい状態でした(^^ゞ
    今となってはほんとうに夢みたいな列車でしたね。

    中山道が東北本線に沿っているのも、まったく不思議な感覚ですが、日本列島が曲がっていて地図を見れば多少なりとも西に振っていくのがわかり、また山岳地帯を避けるとこのルートになるのも納得といえば納得です。

    コメントありがとうございました。
    2011年09月27日 07:07
  • しなの7号

    貨車区一貧乏様 おはようございます。
    機関区や貨車区といった客車に縁のない職場にも、片隅にひっそりと救援車がいるのが当たり前といった国鉄時代でしたね。
    そういえば、私も列車掛の養成期間中貨車区へ実習に行った折には、そこにいた救援車で、A制御弁の説明を受けました。

    乗務掛時代には「今日の車はよう揺れるな」と話すことはあっても、そもそも車掌区では台車の形式の違いを知る者もほとんどなくて、台車のことや、その車両の生い立ちのことなど話題にも上りませんでした。
    コキフ50000なみに揺れるマニ60もありましたが、意外とおとなしいマニ60もあって、個々の車両による個性もあったかもしれません。しかし連結位置や荷物の多少によっても揺れ具合が変わってくるのも事実のようでした。
    コメントありがとうございました。
    2011年09月27日 07:20
  • hmd

    しなの7号さん、こんばんは。
    今日は、久々の雨模様で肌寒いですね。

    合造車、実際に運用に就いている場面を見た事が無い世代ですが、大井川鐵道等に動態保存されている車両を眺めると、とても興味を惹く車両構造ですね (^_^)  
    アメリカ大陸的なmixed trainの考えに相通じるものがあり、鉄道規格がコンパクトで、小規模高頻度輸送体制の日本の鉄道事情に良く反映した車両だと思います。世界的にもあまり例がないかもしれないですね。
    台車の軽量化も、強度を保ちながらの改良開発は大変だったと思います。シンプルありながら力強い軽量台車を、新金谷の車両区横の駐車場から目線を同じ高さにして、良く眺めています (^_^)
    しかし、当時のご乗務時には悩まされたご様子ですが、あの板バネ台車の独特な上下動は、スプリングとも違い、癖になりそうです(笑)
    2011年10月05日 22:18
  • しなの7号

    hmd様 おはようございます。
    こちらは雨が上がり、西から青空も出てまいりました。
    よい天気になりそうです。

    旧型客車に乗れる機会というのは、今では本当に限られますので、乗り心地と重厚なジョイント音を聞くため大井川にも行ってみたいと思いつつ、なかなか行けません。
    乗務している頃に線路規格が高い東海道本線を高速で走っていた旧型客車は荷物列車くらいのもので、マニ61やマニ36はもう一度乗ってみたいと思いますが、マニ60の走りは、もう味わいたくないとさえ思います。

    マニに改造される前のオハニやスハニは中央西線では昭和40年代前半に日常的に走っているのを見たり乗ったりしました。小学生の頃でしたが、はっきり覚えています。狭い客室がおもしろく、好んで合造車に乗っていたものです。日本でも合造車は幹線筋でなく輸送単位の小さい線区に投入されたんでしょう。海外の車両は詳しくないですが、たしかに思いつかない車種ですね。
    コメントありがとうございました。
    2011年10月06日 07:21
  • 代行192便

    しなの7号様 こんにちは。
    マニ61の台車振替の目的について、「スハ32系の軽量化目的説」においては、ともすればマニ60の動揺改善目的を全否定するかのような記述をしている文献を目にすることもあります。しかしながら、私は次のように、マニ60の動揺改善も主目的の一つだったのではないかと考えています。
    もし、スハ32系の軽量化だけが目的だったのなら、オハ61・オハフ61と振り替えれば良く、わざわざばねの硬いマニ60を選ぶ必要はないからです。
    『鉄道ピクトリアル』のスハ32系特集において、オハ56・オハフ35の解説では、荷物車の台車はばねが硬いため、振替の際改造が行われたと思われる旨の記述があります。また、同じく『鉄道ピクトリアル』の60系鋼体化客車特集においても、マニ60の解説で、鋼体化にあたり、荷物車用には、TR11のうち枕ばね・釣合ばねが三重のものを用いるよう指定されていた旨の記述もあります。これに対して座席車用のばねは二重であり、同じTR11でも座席車用と荷物車用では相違があったということです。
    また、オハ61・オハフ61をTR23に振り替えても「オ」級に収まり、「ス」級にならないことは、オハ64・オハフ64の例から明らかです。
    にもかかわらず、台車改造の手間をかけてまでわざわざマニ60が振替対象に選ばれたのは、マニ60のほうにも台車振替を要する理由があったからだと考えるのが自然です。それはやはり、しなの7号様もはっきり経験されているように、動揺が激しく、改善を要していたからではないでしょうか。
    荷物車の動揺改善だけを目的にわざわざ座席車と台車を振り替えるとしたら、不自然にも思えますが、座席車の側にも牽引定数上の改善目的があり、双方が合致したために振替が行われることになったとすれば自然です。そのように考えています。
    2020年06月13日 10:18
  • しなの7号

    代行192便様 こんばんは。
    お説には概ね同意します。どこかでマニ60の動揺改善も併せ持った改造だった記述を見た記憶がありましたので、探してみたら、
    「JTBキャンブックス国鉄鋼製客車Ⅰ(岡田誠一著)」に、
    「関西地区のローカル列車の牽引定数を軽減と、あわせて荷物専用列車の高速化による荷痛みを抑えるため(以下略)」とあります。
    また、「RMライブラリー139マニ60・61形スユニ60・61形(藤田吾郎著)」には、
    「目的はスハ32→オハ56、スハフ32→オハフ35として運用効率を向上させることであるが、このほかに台車の保守低減が目的であったとも考えられている。マニ61形の改造前後で配置の変更はなく、マニ60とは区別されずに運用された」とされていました。
    「台車の保守低減」とは具体的にどういうことを指すのは私にはわかりかねますが、古いTR11は、荷物専用列車の高速運用には負担が大きいと受け取れないこともありません。いずれにしても、牽引定数軽減が主目的ではあるがマニにも改造による効果を狙っていたものと捉えてよいと考えます。
    2020年06月13日 20:35
  • 代行192便

    しなの7号様 お返事をいただきありがとうございます。
    乗務員・乗客の立場からはあまり評判の芳しくない60系鋼体化客車ですが、趣味的には私はマニ60・61が割と好きです。端正な切妻の車体に、武骨な側面窓・扉配置が好ましく思えます。何かと不評の基となるマニ60の足回りについても、あくまで趣味的に見ている限りはそのゴツさがいいです。
    2020年06月15日 16:23
  • しなの7号

    代行192便様
    趣味的な立場でいえば60系客車も17系気動車も好きです。381系電車に至っては、わざわざ一番揺れる車端部近くに座って揺れ方と傾きを楽しむようになってしまいました。その車両の特徴を楽しむことこそが趣味の世界でしょう。
    ただし、仕事として乗らされる立場となるとマニ60もコキフ50000も381系も避けたいと思いました。変なたとえですが、飲み友達としてはいいが、仕事だけはいっしょにしたくないという人っていませんか? 
    と書いていて、60系マニの乗務員室には監視窓がある車両が多いので、最後部になったときは気分がよかったです。一緒に仕事したくないなあと思っている人でも、ちゃんとイイところはあるもんです。
    2020年06月15日 20:50

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