クモニ83は通勤型の旧型国電モハ72の改造車です。
中京地区では東海道本線と中央西線で使用されていました。
写真は中央西線古虎渓駅で撮影したクモニ83を先頭に連結した80系電車列車です。私が車掌になる前の列車掛時代です。クモニ83は吊り掛け式の旧型電車ではありましたが、私が列車掛から車掌になったころには113系電車との併結に代わっていまして、私の場合、中央西線でなく東海道本線の乗務列車に、その併結列車がありました。
1982年(昭和57年)3月16日
東海道本線1543M
運転区間 浜松~名古屋
乗務区間 浜松18:48~名古屋21:00
クモニ83018 大ミハ(宮荷32)
クモニ83019 大ミハ(宮荷42)
クハ111-424 名シン(神58)
モハ112- 85 名シン ↓
モハ113- 85 名シン ↓
クハ111-109 名シン ↓
クハ111-478 名シン(神49)
モハ112- 99 名シン ↓
モハ113- 99 名シン ↓
クハ111-158 名シン ↓
車掌時代のことなので、私は最後部のクハに乗務しています。クモニには貫通扉がありませんし、クモニには他区の専務車掌(荷扱)と乗務掛(荷扱)が乗務していましたので、実際にクモニそのものに乗っていません。2両のクモニはいずれも静岡から他の列車で継承されてきたもので、この1543Mは旧型国電のクモニ83と新性能電車113系電車とを協調させて運転されていたわけですが、加減速時には前後にショックがありました。
ところで私が乗務掛(荷扱)時代に配属された車掌区ではクモニの乗務行路は存在せず、他区の受け持ちでしたから、クモニへ荷扱として乗務した経験はありません。また、上に示した列車を含め、乗務列車に連結されたクモニ83は外部色が湘南色の車両ばかりでした。乗務で長野へ行くと中央東線用横須賀色のクモニ83とクモユニ82が見られました。
以前のブログ記事でも少し触れましたように、車掌をしていた時期は、名古屋駅の小荷物業務のほとんどが熱田駅に移管された時期でしたので、名古屋~熱田間にはクモニ1両だけの荷物列車が走っていました。そのため車掌としては、その荷物列車にいつも乗務していました。それが次の列車です。
1981年(昭和56年)8月25日
東海道本線 荷2046M
運転区間 名古屋~熱田
乗務区間 名古屋22:46~熱田22:53
クモニ83021 名カキ(垣荷22)
中央西線の旅客電車に併結されて名古屋で切り離された湘南色のクモニ83が1両だけの荷物電車列車でした。
専務車掌(荷扱)が乗務していれば、わざわざ車掌が乗務する必要はないのですが、この列車は荷扱乗務員が名古屋で下車してしまい、無人の「締切扱」で、荷物室内は封印施錠された状態でしたので、運転取扱上、たとえ1両の「編成」?で、たった名古屋~熱田間の1区間(当時は金山駅は中央西線にしか駅がなかった)だけの列車であっても、車掌の乗務は必須だったのです。
両運転台のクモニ83には、その前後の運転室のほか、東京方に荷扱乗務員用の乗務員室がありました。乗務のため名古屋駅のホームに出場すると、長いホームにぽつんと1両クモニが停まっているのは「列車」を思わせない滑稽な感じで、多くの運転士は広くて明るい荷扱乗務員用の乗務員室で雑誌や新聞を読みながら発車を待っているというのが普通でした。車掌は尾灯の点灯状態だけ確認して、そこへお願いしま~すと言って乗り込みました。
発車時刻が近付くとおもむろに運転士が腰をあげ、運転室へ向かい、車掌はその場に残るか、そのまま一緒に運転室へ行って助士席に座ることもありました。
1両だけの列車は発車すれば加速もよく、「3番線側ご注意ください!! 列車が発車しています」とホームで放送が流れる中、ツリカケサウンドが勢いよく響きます。高速のツリカケ音全開で、これを運転士とともに先頭の運転室で聞きながらの乗務となるわけですが、旧型国電の列車はそのころの乗務範囲にはすでになく、わずか一駅だけでしたが楽しみでした。
熱田に着くと駅の下請け作業員の手で荷物室の封印は解かれ荷物が取り卸されました。そのまま帰路は同じ車両で回送列車(回2047M 熱田発23:47~名古屋着23:54)として、また1両だけで名古屋へ戻ってきました。


この記事へのコメント
突放職人
しなの7号
熱田は名古屋駅に代わる小荷物基地として整備されたので、中部地区の荷物輸送を語るには不可欠な駅です。
現在はそんな荷物基地を含む東京方の遊休地跡には熱田区役所が建ち、神戸方にはマンションも建っていて、面影はあまり残っていません。駅本屋側のホームには日中117系が昼寝していたりしますが、そのホームでは荷物車がいつも停まっていたものです。
稲沢のヨ8000は2両ありましたね。
乗っておられたからこそ見る必要があるんでは^^;
室内は公開されていないと思いましたが、ほんとは室内に入れると、一瞬に当時に戻れる気がするんすが…。
くろしお1号
客車の荷物車シリーズを何度か拝読させていただきましたが、電車や気動車にも荷物車がありましたね。特に、当時は県内全線非電化で電車は馴染みが薄かったので、興味深く読ませていただきました。小さな単位で小回りの効く動きを見せてくれていたようですね。
名古屋~熱田往復のエピソードには、とても心が癒されます。発車までの時間の流れが、何とも穏やかに流れている…そんな様子がよく伝わってきます。あの長いホームにポツンとたたずみ(どのあたりに停まっていたのでしょうか?)、小型MGが時に電圧変動で音程を僅かに変化させながらハミング、その静寂を破るポンポン圧縮機、空気ダメタンクが満腹になると、再び訪れる穏やかな宵…しかし、動き出すとあの勇壮な唸り音をとどろかせ、全軸駆動輪でフル加速ですね。見たこともないのに、そのシーンが鮮明に浮かんできます。
新性能電車は、主抵抗器を冷却するモーターが停車中でもパワー全開でしたから(後に改良されましたが)、このような序章の味わいが薄れてしまいました。
ブルートレインが次々と西へ向かう中の、小さなシーン…どちらも今では夢の中ですね!
しなの7号
そうです。ちょうどこの列車の運転時刻は、当時ブルートレインが続々と西下していく時間帯でした。
その日の乗務も通勤輸送終了後で、車掌には息抜きみたいなひとときでした。
旧型電車の乗務はまさにコメントいただいたとおりの状況で、普段味わえない「音楽」でした。それにしても1両の電車が「脱兎のごとく」加速するのが、すばらしい。1区間ながら高速ですからたまりませんね。
この列車の名古屋駅の停車位置は、すごく後の時や前の時もあったように思いますが記憶が怪しいです。
熱田の1往復後、クモニは深夜の朝刊輸送に活躍したはずです。車掌は風呂に入ってそのあとは仮眠時間でした。
中央西線
東海道本線1543Mの編成懐かしいな。
前日の運用で中央線で乗りました。DD51が紀伊客車に
衝突した日です。ダイヤが大幅に乱れ超満員でした。
しなの7号
そういえば、この前日は忌まわしい事故の日でした。
この記事を書くに当たっては、その日の翌日であることは全く考えずにおりました(^^ゞ
前日は休みで、ニュースやワイドショーをずっと家で見ていました。この事故のことはいずれ記事として書かねばならぬことと思っています。
神領車が東海道本線を走っているのさえ、あまり見かけない現在から考えると、神領車と宮原車のコラボというのも、今となれば奇異な感じを受けます。
風旅記
今日も楽しく拝見させて頂きました。
旧型の電車が新性能電車に併結されて走る様子、写真では幾度も見たことがありますが、実際に見れば趣味的にも楽しいものではないかと想像しています。
吊り掛け車のあの音が、やはり魅力的ですね。国鉄の幹線の速度の速さを思えば、古い車両には国司に近い状態だったのではないかと思います。
荷物車自体がなくなってしまった今、私には夢の向こうの存在に思えます。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
しなの7号
そもそも旅客の手荷物輸送の片手間に一般の小荷物輸送を始めたような手小荷物輸送ですから、クモニをはじめキハユニ、マニなどが旅客列車の端部に連結されているのが、国鉄の中長距離旅客列車の正しい姿のように私には思えます。おっしゃるような、クモニだけが吊掛サウンドも高らかに、必死に新性能車についていくような姿といい、キハユニやマニの場合にしても、編成内のほかの客車群と車体色が違っていたりして楽しい、そういうことが昭和の鉄道の魅力とも言えなくもないと思いますね。
ところで、長良川鉄道とヤマト運輸では、岐阜県関市の関駅と郡上市の美並苅安駅との区間で、乗客と宅急便を混載する「客貨混載」を開始したとのことです。鉄道を利用した新しい小口荷物輸送のありかたとしてよい試みかと思いました。