【234】 乗務した車両:荷電クモニ143併結列車

1985年(昭和60年)大垣電車区に配置されていた旧性能国電のクモニ83の置換えで、代わりに配置されたのは、信越本線から来たクモニ143と飯田線から来たクモユニ147でした。いずれも荷物輸送がトラックによる代行輸送に切り替えられたことによるものと思います。
クモユニ147は119系電車に合わせた水色に白線の塗装で、113系に併結して運用されていました。
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クモニ143は湘南色でした。
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自分が乗務した列車に併結されていただけで、直接乗務したわけではありません。
クモニ143併結列車乗務の記録は次のとおりです。

1985年(昭和60年)11月5日
東海道本線1547M
運転区間 浜松~大垣
乗務区間 浜松19:29~名古屋21:41

クモニ143-   1 名カキ(垣荷26)
ク ハ111- 363 名カキ(垣 23)
モ ハ112-2010 名カキ(垣 23)
モ ハ113-2010 名カキ(垣 23)
ク ハ111- 108 名カキ(垣 23)
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あいにくクモユニ147のほうは定期普通列車に連結されていた編成記録を取っておりませんが、臨時の試運転列車で、直接乗務したことがありました。その時のことは、後日「臨時列車の乗務」シリーズでご紹介させていただくことにします。

クモニ143とクモユニ147に関しては、いずれも大垣電車区での活躍時期は短く、翌年には国鉄の荷物輸送が廃止となり失業してしまいます。
この編成記録で先頭に連結されていたクモニ143のトップナンバー車は、単行運転用ロングシートの旅客車両クモハ123‐1に改造され、中央東線の辰野~塩尻間専用として使用されるようになりました。
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明らかにワンマン化を意識した改造内容で、国鉄の旅客車両にもバスや一部の中小私鉄のように、いずれはワンマン列車が登場し、車掌も不要になっていくのだろうと考えていたことが、ついに具現化したなと思ったものでした。予想通りこの車両は、民営化後早々にワンマンカーになりました。現在は改造時とは塗装が変更されて下の写真のようになっています。
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私は塩尻駅でこの車両には何度も再会していますが、現在まで、ずっとこの場所で活躍中なんですね。
本来の荷物車としての期間はごくわずかで、25年以上信州のローカル輸送に徹しています。思いがけない人生?を送った車両だと思います。
この車両、湘南色か横須賀色にしたら似合うのになあ。

この記事へのコメント

  • 米イモ

    こんにちは、はじめまして。
    もう半年以上前から購読させていただいておりますが
    初めて書き込みさせていただきます。
    元々はヨやコキフってどんな人がどんな仕事で乗っていたのかと
    疑問に思い検索しているうちにたどり着きました。

    一番最初の画像には水色の電車が2両連結されていますが
    やはり中には各車両ごとに荷扱の方が乗っておられるのでしょうか?

    大変興味深いブログで・・・といいますか
    乗客やただの趣味人だと一生知りえないような
    大変貴重な証言、資料満載でしかも人間味あふれる
    エピソードもあわせて毎回の投稿を楽しみにしております。

    これからも楽しみにしております。
    2012年01月02日 09:59
  • しなの7号

    米イモ様 はじめまして。
    いつもご覧いただいているとのことで、ありがとうございます。
    昭和の時代そのものが記憶のかなたに去っていきつつある今、そのころの鉄道をご存じない方には知っていただき、ご存知の方には懐かしくご覧いただけたらと思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
    仕事上、中部地区中心の内容になってしまいますので、悪しからずご了承ください。

    ところで本文に掲載した編成や、実物写真の記録当時(1985年頃)は国鉄荷物輸送の末期で、そのころ荷物車に従事するのは国鉄職員ではなく、業務委託会社の乗務員が大多数でした。業務委託がなければ、私も専務車掌の職名になったあと、まず専務車掌(荷扱)略して「荷専」を経験することになったはずですが、それもなく「客専」になったのでした。
    2012年01月02日 10:37
  • 米イモ

    しなの7号さま
    早速のお返事ありがとうございます。

    なるほど、この頃は委託会社だったんですね。

    私は80年代初頭くらいから鉄道趣味に目覚めたので
    国鉄はとても愛着があり現在でも鉄道趣味モードの
    時はテーマは国鉄時代です。
    その当時現役だったしなの7号さまの証言を伺って
    おりますと私もすっかり少年の頃に戻って
    「わっ、本物の国鉄車掌さんのお話が聞けてる!」と。
    おっさんがPCに向かって年甲斐も無くワクワクして
    おります。
    しかもその車掌さんが鉄道好きの方だなんて!

    当時、私のような気弱い少年(笑)は国鉄の方に
    話しかける勇気も無く情報といえば鉄道誌2~3誌だけ
    でしたので。
    2012年01月03日 23:32
  • しなの7号

    米イモ様
    少年の頃の鉄道への思い入れについては、50過ぎても忘れないです。国鉄在職時の話題に尽きる前に、私の少年時代の思い出話もしたいとも考えていますが、なにぶん時間を割くことができず、なかなか記事が先に進みません。
    何もかもが国鉄時代がよかったなどとは全く思っておりませんが、鉄道に味があったのは確かです。それは鉄道に限らず、その時代背景そのものが今の時代にないユルさだったりするところから醸し出されるのでしょう。
    2012年01月04日 06:22
  • toseibom

    あけましておめでとうございます。
    ご無沙汰しておりましたが、ようやく時間ができてゆっくり拝読させていただいています。私の家の近くにも旧中山道があり、よく徒歩で歩いている方を見かけます。きっとしなの7号さんもいらっしゃったのですね。
    上のクモハ123-1私もほぼ毎日遭っています。たまに検査で不在になることもありますが、地道に活躍しています。もとは荷物扱いで生まれた車両が改造されて旅客扱いのほうが長くなるなんて不思議な境遇の車両ですね。毎朝、松本発の普通列車でやってきて一日の仕事が終わると松本に帰っていきます。おっしゃる通り一度湘南色か横須賀色に塗ってほしいですね。そしたらまたお客さまも増えるような気がします。
    また、楽しい記事を楽しみにしています。本年もよろしくお願い致します。
    2012年01月07日 13:39
  • しなの7号

    toseibom様 
    明けましておめでとうございます。
    こちらこそ、本年もよろしくお願いいたします。

    どうも、私のように途中で商売替えをした車両には、親近感が湧きますが、まさに地道に地方で特定の仕事についてほそぼそと活躍しているクモハ123-1など、まさに身につまされる思いがします^^;末長い活躍を祈ります。
    中山道の塩尻以東は、このあと徒歩で草津宿到達後に歩きました。アップダウンが多いですが、私は信州の街道歩きがどこよりも好きです。

    コメントと多くの気持ち玉ありがとうございました。
    2012年01月07日 16:06
  • 京阪快急3000

    おはようございます。
    定期更新以外の記事をカレンダーより見つけたので、コメントを書かせていただきます。
    クモハ123-1の種車は荷電のクモニ143だったのですね。
    残りの車両(2~6)は、現在は全て、JR西の下関総合車両所(広セキ)に在籍していて、宇部線や小野田線などでワンマン運転をしているようです。
    話は戻りますが、おっしゃる通り、クモハ123-1は、湘南色か横須賀色の方が似合うかもしれませんね。
    しかし今年は、JRが発足して25年になるので、「リバイバルカラー」として、実現するかもしれませんね。
    2012年01月09日 08:03
  • しなの7号

    京阪快急3000様 おはようございます。
    クモハ123は1以外は正面が貫通化されて、荷電時代の面影が薄いですが、その中で5と6は側面に荷電の面影が強く残っていますね。かなり前に羽衣支線で乗車したことがあります。まだスカイブルーの時代でした。
    2012年01月09日 08:17

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