私が国鉄に在籍していた中でも前半の1970年代後半から1982年あたりには、急行列車の設定もまだ多くありました。
名古屋を発着するディーゼルカーによる急行列車は、
北陸、小浜、宮津、山陰線経由、大社(出雲市)行「大社」
高山本線経由、富山、金沢行 「のりくら」
中央、信越本線経由、新潟行「赤倉」
関西本線 奈良行「かすが」
関西、草津線経由、京都行「平安」
関西、紀勢本線 紀伊勝浦行「紀州」
これだけ多種の定期列車がありました。
このすべてが私が在籍した車掌区の受持ちというわけではありませんでしたが、名古屋では日常的に多方面へのディーゼル急行があったのです。
写真は中央西線を走るキハ58系12両による長大編成の急行赤倉号です。グリーン車が2両組み込まれた長距離運用で、貫禄さえ感じさせます。
しかしながら、私が専務車掌になったころ、その多くは廃止や、特急格上げ、電車化によって、その数を減らしており、実際に急行列車として、これらディーゼルカーの急行列車に乗務した経験は、線路見習として「のりくら」と「紀州」にそれぞれ1回ずつにすぎません。それでも普通車掌時代には、朝晩を中心にこうした列車の間合で普通列車の運用が組まれていましたので、そのいくつかには乗務する機会がありました。
上の写真は、JR化後にJR東海に引き継がれたキハ58とキハ28です。
国鉄時代の急行列車にはいうまでもなくキハ58、キハ28が主として使用されていましたが、そのほかにキハ57が配置されていたのがこの地区の特徴でした。
キハ57は信越本線の横川~軽井沢間がまだアプト式によって運転していたころに長野機関区に配置され、アプト式のラックレールと干渉しないようディスクブレーキ付空気ばね台車を装備した急行形気動車で、そのこと以外はキハ58にそっくりです。キハ57はアプト式の廃止と信越本線の長野電化で電車に置き換えられて、中央西線、小海線、飯山線に活躍の場を変えました。
写真は松本駅でのキハ57ですが、キハ58とは見分けがつきにくく、台車を見るのが一番わかりやすいかと思いますが、上の写真では台車もよくわかりません。写真のキハ57は初期車で、正面ヘッドライトが、キハ58(その前の写真)に比べて若干内側に寄っているのがキハ58との相違点ですが、これもよく見ないと判りません。
模型ですが、左がキハ58で、右がキハ57です。台車が異なります。ただ、キハ58にも空気ばね台車にはき替えたものもあるので、外観からの判断も難しいところではあります。
(画像を少し加工しております。)
キハ57は、転用先の中央西線の電化によって、私が車掌をしていた頃には美濃太田と名古屋第一の両機関区に配置され、高山本線や関西・紀勢本線の急行用としてキハ58と共通運用が組まれていました。
実際に乗務したときの編成と、キハ65については後篇でご紹介することにします。




この記事へのコメント
tosebom
難しいですが、日本中のキハ58を12両集めて国鉄色に塗り直し、イベント列車で走らせてほしいですね。新宿発、松本・糸魚川(アルプス)・小諸(八ヶ岳)名古屋(きそ)行きとか、名古屋発、新潟(赤倉)糸魚川(つがいけ)小淵沢(?)行きとか汽動車の分割併合運転を楽しめる企画とかしてほしいです。最速最短を目指す移動手段ではなくて、乗ること自体を楽しむ企画とか。長々とすみません。
しなの7号
夏のキハ58赤倉の自由席は地獄だったようで(+_+)
当時私は普通車掌でしたので赤倉そのものには乗務できませんでしたが、暑い時期に赤倉の長い乗務から車掌区へ帰って来る先輩の専務車掌たちはヘトヘトになっておられたのを思い出します。
折り返し美濃太田行の普通列車になるので、我々はその列車に乗務していました。
キハ58車内でのキハ58模型とはいい思い出ですね。永大製のは、私は買ってません。実物に乗務していた頃は全く模型から離れていましたので。
退職後あちこちの模型店を探しまくりましたが、すでに時遅しで、TOMIX製品の発売までパノラミックウインドウ車はお預けでした(^^ゞ
キハ58系の企画おもしろいですね。長大編成や分割併合を再現できるといいのですが、国鉄時代でもよく不具合があった車両という印象もありますので、よくこれまで持っているなあという感じも受けます。
米イモ
私も58系はよく記憶に残っています。
アイドリング時のエンジン音も今でもよく覚えています。
発車直後などのうん、と踏ん張って発車するところは全車からあがるエンジン音と排気煙はアナログ的でとても親しみを感じたのをよく覚えています。
ecoという言葉が使われている昨今、ちょっと気が引けますが。
しなの7号
キハ58系は多くの方に馴染みの車両かと思います。何処へ行っても見られましたね。仕事以外でも思い出はいくつもあります。
自分は動画を撮ったりしないので、市販のDVDで、そのサウンドを楽しんだりすることは今でもありますね(^^ゞ
中央西線
今で言うセントラルライナー間合い使用ですね。
赤倉の間合い58系や165系。比叡153系。つがいけ165系
赤倉が気動車から電車への移り変わり運用では
上りは一足早く165系になりました。このころの165系は
新ニイの165系で佐渡よねやまと共通運用でした。
165系の間合いは朝は多治見発夕は高蔵寺ゆきだった。
アルヌー
キハ58には一度しか乗った事がありません。
小学生の時、四国に行った時に急行「いよ」に乗りました。
たしかきっぷが残っていたような…?
今度探してみます。
あまりハッキリ覚えていないのですが、高松駅でたくさん並んでいるキハ58の中から自分たちが乗る「いよ」を探すのに少し迷って右往左往した記憶があります(^_^;)
駅中に排気の匂いがしていました。
懐かしいです(^o^)
長い編成のキハ58って独特の迫力というか重厚感を感じます。
12系客車より急行らしい車両ですよね。
TOKYO WEST
名古屋発着の気動車急行で思い出すのは「大社」ですね。昭和57年7月のは伯備線・山陰本線(一部)の電化開業に伴い、「大社」の運転区間が短縮されるというので、同年5月に名古屋→大社間の全区間を乗車しました。
入社後初めて精勤乗車証の交付を受けた旅行で、グリーン車を奮発しました。この列車は福知山鉄道管理局西舞鶴車掌区受持ちの車掌長1名乗務で、米原、敦賀、豊岡と3回も方向が変わるなど、今ではとても考えられません。
しなの7号
おはようございます。
四国といえば、連絡船で高松からですね。
そういう時代に四国に渡ったことがないです^^;
四国ではヘッドマーク付きだったり、キハ58系もちょっと変わってましたね。気動車長大編成が残していく排煙がすごかったですね。
しなの7号
こちらこそ、新年のあいさつもせず、もうしわけありません。今年もよろしくお願いします。
大社号、私は上り列車で出雲市~名古屋間を乗車しました。こんな経路の長距離列車は2度と現れないでしょうね。
しなの7号
おはようございます。
今度のダイヤ改正でホームライナー太多が廃止だそうで、間合運用の面白みが、また一つ消えてしまいますね。
南駒ケ岳
キハ58から名古屋口の間合いの話題になりましたが、昭和40年代後半には急行「玄海」の間合いで475系が中央西線の朝の上り通勤に運用されていたことを思い出しました。ビュッフェと普通席の合造車の「サハシ」も編成に入っており小豆色のカラーリングと屋根上の大きなガイシに見入ったものでした。キハ58は一昨年高山線の富山口で再会し頑張っているのを確認しましたが今も健在なのでしょうか。カランカランというアイドリング音は忘れられませんね。
しなの7号
475系の印象は強烈でしたねえ。この件はいずれ機会を改めて本文にまとめたいと思っています。
そういえば、かつての多治見機関区にもキハ28が3両配置されていました。
多治見機関区があったあたりも今では全く面影がなくなってしまいましたが、乗務では車掌も多治見機関区の乗務員宿泊所を利用していました。太多線列車のアイドリング音を聞きながら寝たのが懐かしいです。
中央西線
これがなくなった時、首都圏から72系が転属してきました。あと1978年頃豪雨で赤倉が信越線不通により松本止まりで運転された時、キハ57が入ったり間合いは雑多気動車の寄せ集めになったことがありました。
しなの7号
件の松本折り返し寄せ集め赤倉編成にはキハ55も含まれていました。乗務する車掌も松本で折り返す日帰り行路でした。
野良太郎
キハ58系は僕の地元では何処でも見れましたね!例えば昼行の急行だいせん1号、4号、この列車は益田~大阪、回送区間の宮原まで浜田車掌区の受け持ちでした!急行さんべは鳥取~博多、回送の竹下まで米子車掌区の受け持ち!乗務終了後の車掌長、乗客専務さんはヘトヘトになってましたね
しなの7号
昼行の「だいせん」は倉吉から浜田まで乗ったことがあります。高校生の冬休みでした。
分割併合もあって、キハ58系気動車急行ならではの味わいでした。車内放送もすばらしく沿線案内を交えて旅の気分が高まりました。
野良太郎
寝台特急出雲、昼行特急やくもに乗務する古株の車掌長の中には完全に出雲訛りのずうずう弁で車内放送する方がいましたよ!日本食堂のバイト時代にまれに出雲の車販に回る事があり、呼びとめられたお客様とやり取りていると、この列車はいつ乗っても和むと言われた事が結構あります!下りの東京発車の出雲訛りの車内放送を聞くともう心のなかは故郷になっているとの事でした!
その方に何処の出身ですかとたずねると生粋の出雲のかたでした僕も完全田舎者丸出し訛りぱっなしで盛り上がりしよ
しなの7号
「だいせん」のときの車掌さんは確かに訛りとかなく、ハッキリ聞き取りやすく、わかりやすい内容でした。
出雲弁かどうか存じませんが、地方色ある喋り方であられたのは、私が列車掛の同期の者たちといっしょに急行「美保」に乗ったときの車掌長氏でした。
※野良太郎様からの同じ内容のコメントが複数表示されてしまいました。サーバーへの通信不具合が原因と思われますので先程、その部分を削除させていただきました。
ゲラーデアオス
私は松江に住んでいたことがあり、名古屋から急行大社を時々利用しました。確か名古屋9時10分発、松江までちょうど10時間だったと記憶しています。
東海道、北陸線は速いですが敦賀から先は悲惨で(^^;)
敦賀から先は距離の関係でグリーン車が安くなるので、小浜線、宮津線、山陰線ではグリーン車を奮発したものです。
変わり種急行の最有力候補ですね。
しなの7号
ご覧いただきましてありがとうございます。
大社号、歴史を遡ると、上りは米子~敦賀間で金沢行「あさしお」を併結し、敦賀~名古屋間では名古屋発名古屋行循環急行「しろがね」と併結していた時代(42.10のころ)もあったようですし、興味が尽きない急行でした。
ノロイ急行のせいか、私が乗った上り列車は倉吉の手前あたりで信号故障?で20分以上遅れたのですが、敦賀では定時になっていました。下りにはあいにく東海道区間でしか乗ったことがありません。
指定席はクラー付き車両
最後にキハ58に乗ったのは、社会人になり下呂~岐阜・大阪?の急行に乗った事と思います。
キハ58の長編成でカーブ時に前方・後方の車両が見えた事、走行時のエンジン音と速度のギャップ、ホームの弁当の売り子さんから窓を開けて購入した思い出が多くあります。
しなの7号
中学で山陰方面に修学旅行へ行かれる学校は珍しいように思いますが、大社号には修学旅行需要もあったのですね。
名古屋から京都へ行くのに草津線経由というのは、旧東海道ルートに近く、地形的にも自然なんですが、今では一般的ではなくなってしまいましたね。
下呂から大阪へ行く急行は「たかやま」でしょう。駅弁が窓から買えたのも窓が開かない特急ではできない急行以下の列車の楽しみでした。
風旅記
記事、お写真、楽しく拝見しました。
キハ57形が碓氷峠を越えている姿を見てみたくて検索していたところ、こちらに着きました。アプト式の旧線時代には、本当に険しい隘路だったのでしょうね。
他の地域に転属してからも急行列車として活躍する中で、空気バネの乗り心地の良さは他の同系列の車両と比べても秀でていたのではないでしょうか。
伝統的な急行形の車両が姿を消し、急行はまなす号の廃止をもって急行列車の歴史が終わりました。時代の移り変わりを実感します。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
しなの7号
キハ57形が碓氷峠を越えている姿をご覧いただくことができず申し訳ありませんでした(^^;)
信越本線時代はわずかで、その時代の画像はあまりないのでしょうね。
定期急行列車がJRからなくなり、2ドアデッキ付4人ボックス車も希少。急行を乗り回せた周遊券もすでになく、急行そのものもまた国鉄の遺物と言えそうです。
イノシシ
今回の記事の中にありました、キハ57形とキハ58形の比較の画像を見て、ふと疑問に思ったことがあります。
ナハ10形軽量客車以降の旅客用車両は、臭気防止のために、トイレは車端部分に設置するようになったそうですが、なぜか、気動車のキハ57形、キハ58形はともにトイレは客室側に設置してあり、車端部分に乗降扉があります。ちなみに準急用として先に登場したキハ55形、キハ26形はトイレは車端部分に設置されていました。
なぜ、トイレの位置が逆になったのか、ご存知でしたら、教えていただけば幸いです。
長文、失礼いたしました。
しなの7号
気動車時代の急行「赤倉」が発車した直後の名古屋駅では、風向によってはプラットホーム下の通路にまで排気が充満しました。キロ以外全部キハ58ですから排気ガスも相当なものでしたね。
キハ58系では、便洗面所の位置がナハ10系以降のキハ55系や急行形電車の流れと異なり、客室側に戻された理由は私も存じません。あえて接客上のデメリットを承知でやったことなら、コストダウンとか消極的な理由なのでしょうか?
イノシシ
しなの7号
あれから複数の雑誌をチラ読みしましたが、キハ58系のトイレと乗降扉の位置について参考になる情報は見当たりませんでした。暖房方式が、キハ55系は製造時にはダクトによる温気暖房(のちに温水式に改造)で、キハ58系では製造時からエンジン冷却水を利用した温水式です。両者の暖房方式の違いが関係していたという可能性はどうでしょう。エンジンの余熱を利用する温水暖房は気動車独特の暖房方式で、隣接車両への引き通しがなく1両で完結します。その代わり温水が通じる暖房放熱管を車端部まで回さず短縮できることで暖房効率アップとコストダウン双方に効果がありそうなのでそう思った次第ですが、たとえ現場にいたものとしても、車体構造や保守管理についてはズブの素人による推論にすぎませんので、ただの戯言として聞き流してください。
イノシシ
キハ58系のトイレと乗降扉について、調べていただいたり、たびたび、返信していただきましてありがとうございました。
気動車独特の「温水暖房の配管の関係」ということで十分納得です。さすがに、乗務されていた方ならではの目の付け所ですね!! 重ね重ねありがとうございました。
しなの7号
また、新事実がわかりましたら、ここに書き込みいたします(^_-)-☆