【240】 乗務した車両:急行型気動車(後篇)

先週の【238】乗務した車両:急行型気動車(前篇)の続きになります。

私の乗務範囲で、キハ58や28に混じって走っていたのはキハ57のほか、キハ65がありました。
キハ65は走行用の強力エンジンのほかに、自車を含めて3両分の冷房電源の供給用として、発電用エンジンと発電機を搭載しており、電源車的な役割がありました。
急こう配区間が連続する中央西線の急行の普通車には、もともと走行用エンジンを2基装備したキハ57やキハ58が使用されていて、エンジン1基のみのキハ28はほとんど使用されていませんでした。キハ57や58では床下が満杯で冷房電源用エンジンを追加できず、冷房用電源エンジンを装備可能なキハ28では、高速での走行出力が確保できないわけです。そのため冷房化の際に、冷房電源を確保しつつ、走行出力も落とさないよう、冷房用電源を持ちながら走行用の強力エンジンも装備したキハ65が配置されたのでした。

私が車掌として乗務した頃、キハ65は名古屋第一機関区に配置され、キハ28、57、58に混じって急行用として使用されていました。エンジンはキハ91やキハ181をもとにした新系列タイプで、冷房化が遅れていた東日本には配置されず、西日本だけに配置された形式でした。
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あいにく名古屋での国鉄色キハ65の写真が見つからなかったので、JR化後、因美線の急行砂丘に使用されていた当時の写真です。
正面のパノラミックウインドウが特徴ですが、キハ58、28でも後期車には同様の顔が存在します。側面はこの車両の特徴であるキハ91に近いスタイルのユニット窓と2枚折戸が目立ちます。

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それでは、恒例となりました乗務時の編成記録をご覧ください。

昭和56年10月12日

関西本線631D
運転区間 名古屋~四日市
乗務区間 名古屋~四日市

6 キハ58  601 天ナラ
5 キハ28 2323 天ナラ
4 キハ58  401 天ナラ
3 キハ28 2328 天ナラ
2 キロ28   51 天ナラ
1 キハ58  664 天ナラ

(6~5号車 奈11  4~1号車 奈2)

名古屋を22時32分に発車する関西本線普通列車の終列車です。このあとは夜行の急行しかありませんでした。今から思うとずいぶん早い時刻の終列車です。
奈良運転区の運用で、キハ58・28にキロ28が加わった急行らしい編成です。急行かすが・平安・紀州系統の運用と思われます。この車両は四日市で一夜を明かした後、朝一番の四日市始発亀山行普通列車になり、亀山で20分程度の停車ののち、列車番号を変え普通列車で奈良へ帰る運用でした。
なお、車掌のほうは翌日伊勢線で朝の1往復半を乗務する行路となっていました。

名古屋駅では、この631Dが発車すると同じホームに581系の寝台特急金星号が据え付けられますので、この列車は九州への長距離客がホームに大勢待つ中を発車していきました。
グリーン車はキロ28で、サロ165にも似た2連の下降窓を装備した特徴のある姿でした。我々が乗務した当時は、急行用車両を使用した東海地方の普通列車では、この列車も含めグリーン車は「ハ代用」とされ、一般に開放されていました。(大垣夜行を除きます。)

昭和59年4月14日

東海道本線~武豊線948D
運転区間 名古屋~武豊
乗務区間 名古屋~武豊

3 キハ57    3 名ミオ
2 キハ28 2169 名ミオ
1 キハ58  310 名ミオ
4 キハ57    8 名ナコ
3 キハ65  508 名ナコ
2 キロ28  165 名ナコ
1 キハ65  503 名ナコ

(前3~1号車 太8  後4~1号車 名23)

こちらは、名古屋から武豊線に直通する夕方の通勤列車です。
美濃太田機関区と名古屋第一機関区の車両の併結列車です。調査不足でわかりませんが、こちらはのりくら系統の間合い運用でしょうか。
キハ57やキハ65の姿も見えてバラエティに富んでいますが、その前にご紹介した関西本線の編成同様、グリーン車キロ28は2000番台ではないのが、この時代においては比較的少数派です。冷房化が推進されて、前述のキハ65同様、キハ28とキロ28にも自車を含めて3両分の冷房電力供給用エンジンと発電機を搭載した2000番台化が推進されていました。ここに示した編成のキロ28は未改造車ということになり、キロ28は自車のみの冷房電源をまかなっているだけで、他車への冷房電力は、キハ65またはキハ28(2000番台車)から供給されていました。
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上の図は今回ご紹介した列車とは異なりますが、冷房電源の供給関係を示したものです。「○に大文字のG」が付いた車両から冷房電源が他車へ供給されています。小文字の「g」は自車のみの給電を示しています。キロ28の2000番台車の場合は下段のように1号車に給電。そうでない場合は隣の3号車からグリーン車の2号車を飛び越えて1号車に給電していたのがわかります。

キハ65のエンジン音はキハ40系に近く、力強い音がしました。発車して動き出した直後に一瞬、息継ぎのようにエンジン音が途切れるようになるのが懐かしいです。膜が張るように閉まるドアの動きが楽しい車両でありました。比較的新しい車両なので歓迎されるべきでしたが、乗務する側からすると欠陥ともいうべき不都合な点がありました。

その1つが暖房です。エンジンの冷却水を熱源とする暖房は弱く、エンジン2基のキハ58には遠く及ばず、エンジン1基のキハ28にも及ばない暖房能力でした。

もう一つはトイレがないことでした。
このような間合い運用の通勤列車ならいいのですが、急行に使用される時、この編成例の名古屋第一機関区所属の後より4両に限って言えば、4両中2両にしかトイレがないわけです。さらにわるいことに、グリーン車キロ28をはさむようにトイレがないキハ65が連結されていることから、グリーン車のトイレの使用率が高まりグリーン車の乗客から不満が出るし、静粛であるべきグリーン車の車内をトイレ待ちの普通車の乗客が出入りして、こちらも問題となっていたのでした。しかしグリーン車に隣接した普通車指定席車には、新しく座席のシートピッチもゆとりがあり冷房電源があるキハ65がたいてい連結されていたので、現場からも改善要求も出されていたのでした。
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急行用車両の乗務は、ローカル中心の車掌にとっては変化があって面白いものでした。気動車編はこれで終わります。次週からは3週にわたって急行用電車165系について書いてみたいと思います。

この記事へのコメント

  • 中央西線

    私がキハ65に初めて乗ったのは48年7月改正~50年3月改正ダイヤで上りきそ2号の間合いで名古屋14時30分発の
    多治見ゆきでした。きそ2号は500番台を連結してました。50年3月改正で間合いはなくなりましたがきそはDCのまま53年10月改正まで存続し381系100番台増備でなくなりました。キハ65は12系と同じくシートピッチが広くゆったり座れました。
    2012年01月16日 07:02
  • しなの7号

    中央西線様
    私も初めてのキハ65への乗車は、中央西線の普通列車でした。急行列車に非冷房が珍しくない時代に普通列車での冷房車は初めてで、感動しました。
    2012年01月16日 18:50
  • 京阪快急3000

    こんばんは。
    「常務車両記録・気動車編」、じっくりと拝見させていただきました。
    「キハ65」って、「万能な車両」かと思っていましたが、そうではなかったのですね。
    当時の運行の様子がよく分かりました。
    次回も期待しています。
    2012年01月16日 20:31
  • しなの7号

    京阪快急3000様 こんばんは。
    キハ65は、トイレがあるキハ58や28に混入させる使用方なので、トイレなしとしたんでしょうね。その分シートピッチが広がったことになりますが、気動車の特徴である自由な運用を制限してしまった格好になってしまい「万能」にはなれなかったように思えます。
    2012年01月16日 20:55
  • くろしお1号

    しなの7号様、こんばんは。
     急行形気動車の特集、懐かしく拝読いたしました。私鉄沿線の私が国鉄を知って、一番近くにいたのが58系でした。市内を走っていて、それも1日1往復だけは停車してくれました。その下り急行紀州4号を拝みに、自転車を漕いで小児10円の入場券を買って、ワクワクする気持ちで列車の到着を待ちました。キハ3両の質素な編成でしたが、その姿、エンジン音、排気の匂いを五感総動員で確かめました。
     時は過ぎ、旗振り時代も本当に深いお付き合いをしました。床下に潜ってエアホースなどを繋ぐのは、スカートのない原型タイプの方がありがたかったです。
     キハ65の全身を身震いさせる発車シーン。しかし、逆転機の入りにくかったのには泣かされました。車両区、名古屋駅の枇杷島方の引上げ線、そして武豊…折り返すたびに拝みました。合掌!前進表示灯が点灯した時の安堵感。冬場はエンジンがなかなかかからず、始動後はしばらくSL顔負けの白煙もうもう。そして、夏場の絶叫冷房エンジン4VK!…あの騒音、今ではあり得ませんよね!
     トミックスが渾身の製品を出してくれましたが、少数派の最終形…まあいいか、と往年のグリーン車2両の紀州号を揃えたら何と原形車が発売となり、65やキロ28の最終形、「快速みえ」に「たかやま号」、さらにキユ25。キハ57の冷房車やキロ58が出たらどうしよう…実車の思い出の数と模型の両数が比例してしまします。
     だらだらと駄文を申し訳ありません。何か、しなの7号様とご一緒に乗務させていただいている錯覚に陥ってしまいました。
    2012年01月17日 21:05
  • しなの7号

    くろしお1号様 こんばんは。
    運転士さんですと、キハ65に対しては私ども車掌とは違ったご苦労があったのですね。
    ところで冷房エンジン4VKは車掌も扱いましたが、始動のボタンを押してから、しばらくしてアイドリングが始まり、まず一息。そのあと一気に回転数が上がって轟音とともに電圧計が440Vにヒュイ~ンと上がるまでは、拝む気持ちでしたね。アイドリングが停まって油圧の警告灯が点灯し再始動なんてザラでしたし、オーバーヒートで給水用のホースでラジエターに水ぶっかけてもらったり。

    私の中でも、子供の頃のキハ58系は中央本線のスターでした。急行には縁がなかったので、間合いで運用される普通気動車列車に乗るのは楽しみでした。

    TOMIXのキハ58系は我が家にも何両も居ます。模型を見ているだけでこうした思い出が甦ってまいります。
    今日は私も一緒に乗務させていただいた気分です^^; 実車に関わった貴重な体験、ご披露いただきありがとうございました。
    2012年01月17日 22:01
  • しげぞう@

    しなの7号様 こんばんは。過去blogへ、深夜にお邪魔します_(._.)_国鉄型の気動車は自分も大好きな車両のひとつです。この地方では、電化前の関西線や、そうそう、新潟行きの赤倉なんかも良かったですね。長大編成で原野駅を通過する赤倉号を、跨線橋の上から見送っていた頃が懐かしいです。キハ65は赤倉には使用された事は無かったと思いますが、名古屋駅では比較的よく見掛けた車両だったと思います。
    この例に挙げられた、急行用の編成が一泊しながら、しかも普通列車で所属区に帰っていくなんて、なんとものんびりで優雅なんでしょう(笑)中央西線に有った多治見経由の美濃太田行きも、同じような目的だったんでしょうか?今となっては叶いませんが、愛岐トンネルを気動車で爆音たてながら通過したかったです。
    夜分に失礼しました、また宜しくお願い致します_(._.)_
    2016年12月12日 02:44
  • しなの7号

    しげぞう@様 こんにちは。
    中部地方のDC急行では赤倉号が編成や運用区間の長さから言って横綱格でしたね。私が普通車掌になったころは、名古屋で折り返し多治見行で運用され、美濃太田区で滞泊する運用でした。赤倉号はキハ65が入らないキハ58とキロ28だけのきれいな編成でしたが、乗る方としては自由席が全部非冷房で、職場の改善要求がいつも出されていました。終盤は113系2000番代もすでに登場して普通列車でも冷房車が走っていましたから、急行の乗客から苦情が多発したことは想像に難くありません。
    (私が急行赤倉号の見習乗務をしたのは電車化後です。)
    2016年12月12日 16:06
  • 信三鉄道

    碧海電子鉄道氏の調査によると948Dは急行紀州・かすがの間合い運用の模様です。
    2018年08月26日 10:29
  • しなの7号

    信三鉄道様 ご指摘コメントありがとうございました。
    こちらに例示した武豊線948Dの編成は59.2ダイヤ改正時のものです。号車番号が重複していることからも、2編成の急行をを組み合わせて7両にしたことは確かでしょう。

    手元には運用表はありませんが、他の資料からわかることとして、
    1.948Dの「名ミオ(太8キハ3)」は朝の中央西線522Dで名古屋に送り込まれた。
    2.当時あった「かすが」2往復中、朝の名古屋発「かすが1号・平安」は武豊線を1往復してから奈良・京都へ向けて天ナラ車で運用された。
    の2点があります。
    以上を正しいものとすれば、「かすが」の残り1往復は名ミオ車の可能性がありますから948D が「紀州4両+かすが3両」の間合いの可能性はあると思います。そう考えて当時のダイヤを「単純に」辿ると、太8運用が美濃太田~多治見~名古屋~奈良~名古屋~武豊~という運用を1日でこなすには時間的に無理なので、どのような運用であったか興味が出てまいります。
    キニが連結されていた当時の948Dは、紀州・かすが(しらはま)関連の運用であろうことは想像がつきますが、キニの運用がなくなったあと、似た編成の組み合わせが多い関西・紀勢・高山本線関係の運用を知るには、ぜひ運用表を見たいと思います。
    (続きます)
    2018年08月26日 20:44
  • しなの7号

    (続きです)
    ご参考までに、
    【330】思い出の乗務列車12:武豊線948D 編成の移り変わり
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201211article_5.html
    で、キニ併結時代からの948Dの編成の移り変わりをアップしております。また、編成には言及しておりませんが、キニに乗務した時の話は、
    【319】思い出の乗務列車7:キニ併結 急行「紀州5号」(1)
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201210article_3.html
    から4回に分けて連載もしております。ご興味がおありでしたらご覧くださいませ。
    2018年08月26日 20:44

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