「中山道宿場巡りで見た鉄道風景」の続きを始めます。
【245】中山道宿場巡りで見た鉄道風景(11):徒歩で再訪 安中宿~熊谷宿の続きになります。
今回の記事で日本橋に到達です。
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【第40日】
2008年11月28日
(吹上)~鴻巣宿~桶川宿~上尾宿
年が明けても、なかなか出かけられず、前回の徒歩旅から1年近く過ぎてしまいました。
今回も時計回りの経路でした。往路にしなの号~長野新幹線を乗継で使い、帰路は本数の多い東海道新幹線を使う方が帰りの時間に左右されないことと、両新幹線をいずれも長野・東京と始発駅から乗れるというのが理由でした。
吹上駅からスタートしました。この先の中山道はほとんどの区間が高崎線と並行しています。ただ、微妙な距離を置いているので、歩いていると電車の音が聞こえてきたりするものの、家々に隠れて姿は見えず、それがどんな電車なのか気になったりしました。
211系のグリーン車が、田舎者にとっては気になります。
私はJR世代の列車にはついていけませんが、こういう列車が走っているところまで歩いて来られたのは、その一歩一歩の積み重ねなのだなと思います。
今回も宿泊は熊谷としたので、上尾まで歩いた後は高崎線で熊谷駅まで戻りました。
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【第41日】
2008年11月29日
上尾宿~大宮宿~浦和宿
宿泊した熊谷から高崎線で上尾駅に行き、徒歩の旅はここから再開しました。
ここまで来ると、もうすっかり旧街道らしさはなくなりますが、ひたすら日本橋を目指す目的だけで歩きました。
新幹線の下をくぐると、鉄道博物館に近づいたのがわかりますので、気になります。2日目で疲れているので、鉄道博物館へ行って、中山道の旅はここで中断にしようかという思いも頭をよぎりました。中山道から鉄道博物館までは5~600mくらいありそうでしたが、鉄道博物館の魔力に引き込まれ、中山道をそれて、鉄道博物館に立ち寄りました。
このときは鉄道博物館へは2回目の訪問でした。一通り見学した後は、中山道の旅を中断することなく、再び中山道に戻りました。
大宮宿を越えて、北浦和駅を過ぎたあたりで東北本線の線路を横切りました。
この日は浦和宿まで、予定どおり歩き、浦和駅から列車で帰路につきました。
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【第42日】
2008年12月23日
浦和宿~蕨宿~(戸田公園)
この日は家内と2人、東京へ出る用事があり、午後は別行動ということで少しだけ歩きました。
短距離であったことと、浦和宿からは並行する鉄道もないことから、鉄道との関わりが全くありませんでした。
蕨宿を過ぎ、埼京線の戸田公園駅近くまで中山道を歩き、この駅から埼京線で新宿に出て家内と合流しました。
帰路、新幹線で名古屋駅に着くと、余命わずかな寝台特急「はやぶさ」「富士」の時刻でしたので、名古屋駅で写真を撮ったのが、この日唯一の鉄分といったところでしょうか。
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【第43日】中山道「日本橋~草津宿」完歩達成の日
2009年12月26日
(戸田公園)~板橋宿~日本橋
東京に近くなってくると、いつでも行けるさという意識と、沿道の旧街道らしさがなくなることが重なって、ちっとも出かけず、また1年空いてしまいました。
このとき、前日に別の用事で上京したので、都内で一泊して、この日は1年ぶりの埼京線で朝の戸田公園へ来ました。
中山道はほどなく戸田の渡しがあった荒川を越え、いよいよ東京都に入りました。板橋を過ぎ、庚申塚で都電の踏切を渡ります。
そのまま歩くととげぬき地蔵の高岩寺を経て巣鴨です。山手線の上を渡ります。
中山道は、そのあと東京大学赤門前~湯島聖堂前を通り、秋葉原をかすめるように総武線と交差し神田川を渡ります。
そしてこの建物は・・・
旧交通博物館の建物でした。中山道がこのような場所を通っていることなど、私は全く知りませんでした。このときは取り壊し中で、すでに玄関だったあたりは覆いが掛けられて見ることができませんでした。国鉄在職中にも、汐留に乗務の際に来たことがあるかつての聖地の取り壊し中の姿を、中山道踏破最終日に見るとは、なにか複雑な思いがしました。
ここまで来れば、日本橋まであとわずか。終点が間近であることもあって、この日はいつもより長距離を歩いて日本橋にたどり着きました。
日本の道路の起点、東京の中心地。自動車や人が行き交うばかりで、こちらとしても、疲れた足を休めるため橋にもたれていたりすれば、人生に疲れたオッサンが川へ飛び込むんじゃないかと思われるようなシチュエーションではありますので、そのまま東京駅へ歩いて直行、帰路についたのでした。
暑い日、寒い日、峠道、せっかく峠を登りきったエネルギーを無駄に捨てるような下り坂。徒歩での旅に切り替えてから、ここまでの一歩一歩は、ひたすらこの地にたどりつくためのものだと思いながら歩を重ねてきました。それは人生と全く同じで、山あり谷あり、何十万歩の積み重ねた行きついた日本橋川はさしずめ三途の川かとの思いもします。
そして、もうひとつ思うのは徒歩交通時代の旅の重みと、鉄道のありがたさです。
ぼんやりしていれば、何日もかかったような遠隔の地に、鉄道はいとも簡単に連れて行ってくれます。それが当たり前の今、徒歩による「線」の旅をしたことで、ふだん「点」の旅をしていることに改めて気付きます。しかし鉄道があるからこそ、こうしてお気楽な徒歩旅ができ得るのも、また事実なのです。
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これで中山道の日本橋~草津宿は完歩となりました。次週以降は、
宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。
宿場の中心部で宿場名が入った写真を撮る。
といったルールに従って撮った、宿場最寄り駅の駅名標と駅の写真、宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を中心に、東京日本橋から京都三条までを順に数か所ずつ写真をアップしていきますので、よろしくお願いします。
この記事へのコメント
京阪快急3000
「中山道完歩、お疲れ様でした」と思わず言いたくなるような記録だと思いました。
そういえば遠い昔の人達は、歌川広重氏の「東海道五十三次」の絵のような感じで、移動手段はすべて「自分の足」でしたね。
それが現代は、鉄道をはじめ、車や飛行機といったものに変化していった・・・。
いかに「楽に移動できることか」と、遠い昔の人達に対して「感謝」しなくてはいけないと、自分は思いました。
それから「鉄道博物館」とちょうど建物の解体中だった「交通博物館」が一緒に出るとは・・・。
時代の流れを感じさせられました。
余談ですが、「鉄道博物館」、関東に行く機会ができたら、立ち寄りたいと思いました。
次回からの連載も期待しています。
しなの7号