【249】中山道宿「駅」巡り1 からの続きになります。
2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。
最初に次のようにルールを作りました。
1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。
2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。
3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。
路線バスは使用可。
4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。
5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。
このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。
写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。
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第5次 上尾宿
大宮からの中山道に沿って高崎線が敷設されました。この先高崎まで、各宿場町の近くには高崎線の駅があります。
上尾中心部ですが、街道筋に昔の中山道を見出すことができません。
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第6次 桶川宿
桶川では染料の原料「紅花」の産地として江戸時代から知られていました。紅花は中山道を通って京まで運ばれていったということです。
宿場内にはその紅花の問屋なのか、いかにも関東の商家らしい造りの建物もみられました。
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第7次 鴻巣宿
鴻巣は古くから雛人形の製造で有名でした。
現在でも雛人形は製造販売されているようです。古い街並みと派手な看板が対照的です。
このあと吹上を通り、荒川の近くを中山道は沿っています。広々とした景色は私が住む濃尾平野では見かけないものです。
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第8次 熊谷宿
熊谷は第二次世界大戦で空襲を受けています。それも終戦の日の前日8月14日だということで市街地の7割が焼失したといいます。江戸時代の中山道の面影は見つけられませんでした。
それでも熊谷ではおもしろい場所がありました。旧中山道跡地が、一部ではありますがデパートの店内を通り抜けているのです。店内もその部分には出入口があり、そのまま店内売場内の通路をたどり反対側の出入口に通り抜けができるのです。入口には「旧中山道跡」と記された石碑もありました。下の写真画面左端の白い碑がそれです。
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第9次 深谷宿
深谷駅舎は東京駅をモチーフにしています。東京駅のレンガ駅舎にはこの深谷産レンガを使用したことにちなんで、このような外装になっているのですが、本物のレンガではなくレンガ風の外装材だそうです。
この駅舎は橋上駅舎で、この下の地上に建物と交差するように線路が敷かれています。
この宿場は中山道の宿場中最も旅籠屋の数が多かったということです。
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第10次 本庄宿
昭和風飲食街に本庄宿の文字
深谷宿が旅籠数が中山道最大にあったのに対し、宿場内人口が最大であったのが本庄宿でした。利根川水運の街でもありました。
街道沿いの建物は建て替えられても奥のほうの土蔵は昔のままのようです。
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【266】中山道宿「駅」巡り3に続きます。
この記事へのコメント
京阪快急3000
深谷駅舎が東京の駅舎にそっくりなのは、びっくりしました。
続きも期待しています。
しなの7号
関西では長浜駅が、旧長浜駅舎を模した駅舎を深谷と同様に橋上駅として造られていますね。個性のある駅舎は待ちの玄関口としての主張をしているようで好感が持てます。
hmd
中仙道巡り、順調のご様子ですね。
この埼玉エリアは、旧街道の国道沿いに衛星都市の様に、大きな町が線状に連なっているので、旧宿場町の面影が少ないのは致し方ないですね。
それでも、本庄まで行くと、土蔵があるとは驚きました。
熊谷の百貨店・・・八木橋百他店でしょうか? 地元系で超有名で、毎年、読売ジャイアンツの選手が来ることで有名です(笑)
しかも、旧街道が抜けているのは、初めて知りました(^^)/
しなの7号
チョット春めいたら、もう花粉症が出てきてしまいました(^_^;)
街道筋は間口が狭く奥行が深い家が多いので、本庄だけでなく目立たないところに土蔵は多く残っているようです。
熊谷の八木橋百貨店は中山道巡りでのお楽しみポイントですが、熊谷が空襲で変わり果ててしまい、面影が何もないのには驚きでした。