時間がなく切符を買えなかったり、あるいは乗越しや無人駅から乗ったお客さんへ、車掌が切符を発売することがあります。そんなときに、お客さんが申告した駅名の表現で気になったことをいくつか挙げてみましょう。
先週は武豊線の「尾張森岡」まで行くお客さんが「もりおかまで」という申告で、東北本線の盛岡?と勘違いした例をご紹介したのですが、地元ならでは?の駅名の表現がありました。
中央本線の新守山駅。
ここは名古屋市内の国鉄駅の最北端で、名古屋市守山区にあります。
今のように列車の本数が多くなかった国鉄時代は、発車間際に駆け込んできたお客さんが切符を買う時間がないと、改札係が「乗車駅証明書」を交付して、車内か着駅で精算するように案内していました。
新守山駅では、名古屋行きの列車に対しては、最後部に改札口があり、発車間際にこうしたお客さんが切符を持たずに最後部に乗りこんでくることが多く、車掌が車内補充券で切符を発行することが多くありました。
ここから中央本線の終点名古屋駅へ行くお客さんは、市バスや地下鉄と同じ感覚で中央本線の普通列車に乗ってきます。多くの方は「めいえきまで」と申告してきます。この「めいえき」は「名駅」であって地元では名古屋駅の略称として定着しています。現在は名古屋駅周辺の住居表示も「名駅○丁目」になっているほどです。
このなかには「駅まで」というお客さんもいます。まあ名古屋駅だろうと想像はつきますが、「駅」はないだろうと思ったものでした。市バスや地下鉄(昔は市電も含みます)に慣れた名古屋市民にとっては、「駅」は名古屋駅であって、そのほかは電停、バス停といった感覚だったのでしょう。
以下は岡多線でのことです。
ここは日本鉄道建設公団が建設した比較的新しい国鉄線でした。現在は愛知環状鉄道の一部になっていますが、国鉄時代は岡崎から新豊田までを国鉄線として営業していました。現在の愛知環状鉄道の営業区間のうち、新豊田~高蔵寺間はまだ開通していませんでした。岡多線のお客さんは、かつて付近を走っていた国鉄バスや廃止された名鉄挙母線と同じ感覚で乗ってこられたのでしょう。
無人駅から乗ったお客さんから「国鉄駅まで」と申告があります。
「・・・・・」
沈黙の後「国鉄の岡崎駅まで」と言われて、「ハイハイ♪」となるわけです。どうやらお客さんの頭の中では岡多線は国鉄ではなく、廃止された名鉄挙母線~岡崎市内線の感覚というわけですかね。同時に岡崎市街地は名鉄の「東岡崎」が近いので、岡崎の中心は「東岡崎」であり、「国鉄」という注釈をを付けないと伝わらないというほど、国鉄岡崎駅が田舎にあったのだということも確かではあります。
やはりここでも「駅まで」と申告されたお客さんもおいでになりました。もちろんここでは名古屋駅ではなく国鉄の岡崎駅まで行かれる方なのですが、名古屋駅と同様の感覚で、岡多線自体がバスみたいなもので、その各駅は停留所という感覚でいらっしゃるのでしょう。
「ハネまで」というお客さんもいました。
「・・・・・;」
沈黙の後「岡崎駅まで」と言われても、こんどは「ハイハイ♪」とはなりません。なんで「ハネ」???
調べてみると国鉄岡崎駅の所在地は「岡崎市羽根町」という地名なのです。これは地図を見るまでわかりませんでした。
「オシカモまで」・・・これも困りました。
やはり沈黙の後「あ、すいません 永覚まで」
これで着駅はわかりました。永覚駅は豊田市永覚町に位置します。それにしてもオシカモって???
これも地図を見るとわかりますが、豊田市鴛鴨(オシカモ)町は地名としては今もあって、永覚町と隣接しています。(赤枠内が鴛鴨町)
しかし、なぜ隣の町名が出てくるのでしょう?
それも古い鉄道地図を見るとわかるのですが、永覚駅に比較的近い鴛鴨町には岡多線開通前に存在した国鉄バスの「鴛鴨」停留所があったのです。
この岡多線沿線は国鉄バス発祥の地でもありますから、国鉄バスが地元に密着していた証拠なのでしょうか。
(第二次世界大戦前後には名鉄挙母線にも「鴛鴨」駅があったようです。)
ところで「永覚」は「エカク」と読みます。周囲には田んぼばかりで何もない無人駅でしたが、トヨタ自動車上郷工場が近くにあります。この工場へ出張で訪れるお客さんが時々降りて行かれました。新幹線で首都圏から豊橋、または岡崎までの切符を手にしておられ、その中には「エイカクまで乗越」と申告される方も幾人か見かけました。
トヨタ自動車といえば、本社工場の近くに「三河豊田」駅がありました。この駅は旧名鉄挙母線の「トヨタ自動車前」駅の跡地に造られた駅でした。(上の、岡多線開通前の線路図で鴛鴨のすぐ上です。)そのため岡多線のお客さんは「三河豊田まで」でなく「トヨタ自動車前まで」と申告されるケースがありました。(この「トヨタ自動車前」も昭和34年までは「三河豊田」という駅でした。)
このほか、岡多線では「中岡崎」駅で名鉄名古屋本線の「岡崎公園前」駅と隣接(交差)し、また当時の終点「新豊田」駅では名鉄三河線の「豊田市」駅に徒歩で5分足らずの位置に並んでいました。いずれの場合も、名鉄とは駅名が異なり、そうとう多くのお客さんが名鉄駅である「岡崎公園(前)まで」(「前」は省略される場合あり)、「豊田市まで」と申告され、本来の岡多線の駅名を言ってくれないのでした。
このように新設路線では、新しい駅名がなかなか浸透しないようです。
今でも、愛知環状鉄道に乗っていると、豊田市(正しくは新豊田)、新瀬戸(正しくは瀬戸市)と言っている乗客をよく見かけます。
この記事へのコメント
京阪快急3000
省略された駅名や地名などで、言われるとやはり「?」となるのが、当然ではないかと、本記事を拝見して思いました。
しなの7号
これら地元ならではの言語?が理解できないと一人前ではありませんね(^_^;)
岡多線の乗務は2週間に1回くらいしかなかったです。
貨車区一貧乏
「名駅」・・・なるほど、めいえきとパソコンに入力すると一発変換しますね。通称が土地の名前になるとは驚きです。
少し馴染みがない土地なので、地図を見ながら一人感心しておりました。
私が車掌をしているときには、地名と言うより「○○の最寄駅」まで、と言った表現が多かったですね
横浜界隈では「港が見える丘公園」や「中華街」の最寄り駅まで、といった乗り越しの精算がよくありましたので、沿線の名所を会社線を含めて覚えるようにしていました。
変わったところでは、女子高生風のお客さんから「セーラー服通り」(86年TBS系)と言うドラマのオープニングに出てくる駅までと言う申告がありまして、たまたま私も過去に見ていたので「石川町ですね、私も見てましたよ^^」「エー車掌さんも見てたんですかぁ~オフになったら案内してくださいよ^^」「えっ(汗)」なんてこともありました
高性能な携帯端末が普及している現代、当時じゃなきゃありえないひとコマでした^^
しなの7号
最近はローカルな話ばかりになってしまいすみませんね(^_^;)
私も「○○の最寄駅」という申告にはよく出くわしましたが、間違えて案内してしまい、焦ったことがあります。武豊線で、「東浦町役場まで行くんですが」というお客さんがおられ、勝手に「東浦」駅が最寄り駅と思いこんでましたので、そのやり取りを車内で聞いていた地元のオバサンが「ちがうよ!緒川の駅で降りないとダメだよ」と教えてくれて事なきを得たということがありました。東浦駅は緒川駅より2つも前の駅です。沿線施設の最寄駅の勉強は確かに必要でしたね。もっとも田舎のローカル線ですから、「ドラマに出た駅」の類はないですねえ。
楽しいエピソードをご紹介いただきありがとうございました(^o^)丿
hmd
コメントを頂きまして、ありがとうございました。
今日は、南関東は大雪です。ここ近年は、雪が少なかったので久々です。うちは山際に近いこともあり、30cm近くなるのではと・・・道路も、殆ど車が走っていないです(殆どの人が、スタッドレスやチェーンを持っていない為)。
路線や駅が多い名古屋近郊エリアは大変ですね。しかし、自動改札化された今は、車内での発券を観るのも、珍しい光景になったと思います。
鉄道関係者や鉄道ファンの通称駅名等がありますが、一般の乗客の方も、人それぞれの思い込み(?)や妙な省略があって、面白い所ですね。いいネタになりそうです(笑)
鉄道がバス・・・という捉え方も、何となくわかる気がします。国鉄バスの名残でしょうか? 今でも、一般の方に気動車1両だけのローカル線写真を見せると。「レールにバスが走ってる!」と言われたりします。長い=電車。短い=バスみたいです。ではまた(^^)
しなの7号
こちらは午前中は雨、午後は一気に快晴になり、暖かい日差しでした。
今はICカードとワンマン化の普及で、様変わりしました。駅や車内で自分の行先や発駅を申告することはなくても、日常会話では、昔と同じような感覚で話される方は多いだろうなと思います。
田舎へ行くと、鉄道は電車でも気動車でも「汽車」だったりもしますね。
コメントありごとうございました。
野良太郎
僕の地元でも少ないですが、幾つか有りますよ!例えば倉吉が旧駅名の上井、出雲市が出雲今市、東松江が馬潟、等々など特に年輩の方が車掌さん車補を発行してもうのに旧駅名で申告されてましたよ!若い車掌さんは戸惑ってましたね!古株の乗客専務、車掌長氏はその駅名で申告されてもすんなり現駅名で車補を発行してましたね
しなの7号
駅名が改称された場合の旧駅名での申告も、ありがちですね。中部地方だと、大井→恵那、土岐津→土岐市、広見→可児あたりは、お若い方だとご存じないかも。
野良太郎
流石だと関心しました!
しなの7号
亀嵩のそば、食したことはありませんが、寝台特急でもここを目当てに来られる方も多いのでしょう。
さすが車掌長氏と思わせる接客ですね。
ヒデヨシ
いろいろとあるものだと興味深く読ませていただきました。
お客様が申告された駅名の理由を考察されていたのには頭が下がります。
私は、国鉄が名鉄より委託されていた刈谷駅南口でも勤務したことがあります。
知立を「しりたち」とよばれ?となったことも。
広く利用者に浸透していたのが「しえき」
これは隣の名鉄刈谷市駅のことです。
それと、部内では土橋を「どんばし」と通称していました。
しなの7号
その場で笑うわけにもいきませんが、「しりたち」には笑えますね。車掌サイドから言いますと乗り越しなどで「刈谷市まで」という申告はよくありましたので、確認の意味で「国鉄の刈谷駅でいいですか?」の一言が必要でした。名鉄とは連絡運輸がありましたから「刈谷市」まで通して発行可能な場合も、面倒な他社線が絡む車補発行は、多くの車掌は避けていましたね。「しえき」という区別は和歌山では有名だったように思います。