武豊駅では失敗談があります。
武豊泊まりの行路でのことでした。先週のブログ記事で少し触れましたが、その列車はホームが1本しかない武豊駅に着くと、終列車のためにホームを空けておく必要があるので、側線への転線入換をしました。
車内清掃終了後に、大府方へ列車を引き上げ、ホームがない留置線に転線し、朝まで留置するのです。
武豊駅での入換通告券です。
発行者の欄に「外駅長」と書いてあるように見えますが、「そと駅長」ではなくカタカナで「タト駅長」と書いてあるのです。「タト」は武豊駅の電略記号なのです。武豊駅長が発行したこの通告券によって車掌が運転士に入換作業内容を「通告」し、車掌の合図灯による誘導で車両の移動をするわけです。
『客車内清掃後、上り本線に3両(全車)引き上げ、2番線の「956D留置目標」まで持ち込む』という内容です。
留置線として使用されている2番線には留置目標が枕木の上に表示されていました。いつもの作業なので運転士も私も特に考えることもなく終了したのですが、その日は留置目標よりほんのわずか終端よりに行き過ぎた位置に車両が停まってしまいました。ほんの少しだけのことだったのですが、行き過ぎた事実は自分も運転士も承知していました。終端側だし、ちょっとぐらいいいだろうという気持ちで、バックするのも面倒なのでそのまま入換作業は終了しました。
この写真の奥のほうは3つの線路の先が、それぞれちょん切られているのですが、当時は3本の線路は機回りするために現在廃止された踏切のほうに向かって伸びており、2本の側線は踏切の手前あたりで画面手前の本線(ホームのある線)にポイントでつながっていたのでした。停止位置を越えてしまい、セクションを微妙に行き過ぎたことで、奥のポイントからホームがある本線へは電気的につながってしまい、「本線上に列車が居る」ということになってしまったのです。その結果、反対側(画面手前)の大府方から武豊駅に入ってくる列車へ、進入可否を示す場内信号機が電気的に反応し「列車が本線上に居る」から停止信号を現示した状態になってしまったのでした。
さらにわるいことに、停止信号のままになってしまったことを駅の当務駅長が終列車の時刻になるまで全く気が付かずにいたのでした。そのため終列車は場内信号機外で待たされ、その間、信号機の故障として扱われ、当務駅長が場内信号機の手前に停まっている列車まで線路上に支障がないことを確認しながら走って行き、合図灯を用いてホームまで終列車を誘導したというものでした。こうして、その終列車は約15分遅れました。
乗泊で何も知らない私と運転士は、「終列車どうしたんだろう。遅いなあ」と言っていたのですが、終列車が着いてから留置位置が不良で、セクションを踏んだ状態であったことが原因と判り、終列車の運転士と車掌は私どもが留置した車両を小移動したということでした。
原因が作業責任者である自分にあることは明らかでしたが、駅側も信号の現示確認を怠っていたという弱みがあったのでしょう。「マル」といって事故扱いにはならず、お咎めはありませんでした。
私は駅で勤務した経験がなく、国鉄時代のすべてを乗務員として過ごしましたので、駅での入換作業を始め、駅では常識とされていることがわかっていないままで退職してしまいました。これに限らず、冷や汗をかいた出来事も1回や2回ではありません。また機会がありましたら「時効」ということで恥さらしをしてみようと思っています(^_^;)
前回のブログ記事で紹介した駅前の「高橋駅手」には、この一部始終を見られていたわけで、「俺の目の前で、何をやっとるんだ!情けない車掌がいるもんだ」と思われていたのでしょう。
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- 【566】 電化直前の武豊線~車掌時代を思い出しながら(後篇)
- Excerpt: 先週の【564】電化直前の武豊線~車掌時代を思い出しながら(前篇)の続き
- Weblog: 昭和の鉄道員ブログ
- Tracked: 2015-03-12 06:40



この記事へのコメント
野良太郎
しなの7号様それは大変でしたね!
ぼく地元の山陰線の特急、急行停車の○○駅の助役さんがそれはもう規則一点ばりうるさい人でした
この助役さんの規則一点張りはお客様にも恐れた程ですよ!
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真剣に仕事に取り組んでいても、失敗はつきものですね。
私も数々の失敗をマルにして貰ったり、したり、してきました。
間違った見方かも知れませんが、失敗しても、マルにできるのが、プロやと思います。
しかし、この失敗、高橋大先輩に見られていたとは…(笑)
突放職人
TOKYO WEST
最初の職場では、行のう袋で送られてきた鉄道公報や鉄道管理局報を、駅長室、出改札、ホーム事務室、保線支区のそれぞれの状差しに区分整理するのは運輸係の仕事でした。
ある日、運転主任が隣接駅と線路閉鎖工事の照合をしていると、「えっ、今晩そんな線閉ありましたか? いつの達示?」ということになり運転関係の達示(鉄道管理局報乙)の綴りをくくっても出てきません。(局報乙は駅長室や出改札の分はないので)仕方なく保線支区から達示を借りてくると・・・・
その頃の達しはB4サイズを中央で折って4ページとなるのですが、4枚16ページ分をホーム事務室用として仕分けしたものの、実は17ページ以降があってこれをまとめて保線支区に振り分けてしまったのです。その晩の線路閉鎖工事の達示はまさに17ページ以降に掲載されていたのです。その達示が届いた日の担当者は私だったのです。
大事にはならなかったのですが、それ以降は最終ページの(終)を確認するようにしたのはいうまでもありません。
新小岩博士
いつも楽しく読ませていただいております。
国鉄に就職して車掌になりたいと目指していましたが新規採用ストップで願い叶わず…
現在、関東の某大手私鉄で車掌をしています。
私も車掌拝命当初は機器取扱ミスや扉操作等で失敗の連続でした…
当時はまだ緩かったんで下車勤という大事にはならず(笑)
その失敗を糧?!ではないのですが指導車掌とし2人の弟子を育成しました(^_^;)
当時の失敗談や国鉄車掌の話は参考になります。
期待しております
しなの7号
鉄道の安全は、規則の順守にあります。
なかなか嫌われ者の助役さんだったようですが、規則違反は「このくらいならいいや」という程度のものでも違反は違反。それは鉄道輸送の最大の使命である安全を脅かすものとと考えます。
嫌われ者を買って出た形の助役さん。今はその嫌われ役は安全確保のために設けられた設備機器類がその役を担っています。
しなの7号
鉄道の仕事で、特に運転上の仕事については、後戻りできない仕事です。鉄道の仕事から今の仕事に転職して初めて「差し替え」という言葉に出会いました。書類が間違っていたら、とりあえず提出しておいて、あとで「差し替え」するという行為でした。運転業務に就いていた者としては、何事も間違ったら決して直せないという緊張感に包まれていたのに、これは「マル」に似た言葉で、「何と便利なんだろう」と思ったものですが、世の中の多くの物事は事実を修正したりできるんだと改めて知りました。こんな考えでは高橋大先輩に叱られそうですが^_^;
しなの7号
「マル」になるということ自体は規律上よいことではないです。しかしなんでもかんでも事故扱いになってしまうことで、そのあと仕事に対してのモチベーション低下ということにつながることもありましょう。どんな小さなことでも報告させる。隠したら処分し見せしめにするというだけでは片手落ちですね。失敗をした者は、必ずその経験を後の仕事で活かすものです。
しなの7号
ありそうな話ですね。ちょっとしたミスが大きな出来事に発展する種を作ってしまったわけですが、そういうことを経験してこそ、注意点を習得し、自己の責任の重さをも実感していくものなんですよね。
失敗談を白状(笑)していただきありがとうございました。
しなの7号
はじめまして。
ご覧いただきましてありがとうございます。
時が時ならば、新小岩博士様も私も同じ国鉄職員であったかもしれませんね。しかしこればかりは自分の力ではどうにもならないものですね。
新小岩博士様がおっしゃるように、我々は失敗を糧として成長するものと信じます。実はこの1年間、私も1人の新人育成役を務めました。出張の車の中とか食事中に鉄道時代の話をして聞かせることがあります。鉄道に関係のないこんな職場でも、国鉄在職中に一般の方々が体験しえない経験談は参考になるものと考えているからです。
コメントありがとうございました。後進育成のお仕事がんばってください。
デキ501
どうやら転てつ器や信号の軌道回路を微妙に犯してしまったみたいですね、私も駅業務と言えば構内掛(ひたすら貨車の入れ換え)しか経験しておらずそのまま列車掛や車掌になってしまったので当時はどのような仕組みで転てつ器が動いたり信号が現示されるのか判りませんでした。
ちなみに私の一番の失敗談は、途中卸がある貨物列車乗務中、砕石卸し範囲が駅の構内(場内信号機の内方)まであった為、途中卸しの場合は停止現示でも関係ないと思い機関士共々場内信号機を犯してしまったことですね。当時は軽いお小言くらいで済んだ話ですが、今そんな事したらそれこそ重い処分が待っているんでしょうね。
追伸、とうとうハワム(通称パーコー)を使った貨物輸送が今ダイ改で終わってしまったようですね。列車掛科の研修でも大変お世話になった貨車、思い出深いものがあっただけに残念です。
しなの7号
入換して後は寝るだけというカルい気持ちに加え、終端駅であるその終端側のセクションを踏んでしまった結果、反対側の場内信号機に影響が出るなど考えもしませんでした。お恥ずかしい話です。
やはり皆さん失敗談はお持ちですね。ちょっと安心したりして(^_^;)
砕石の途中卸しも懐かしいですね。仕事では一度も当たりませんでしたが、同僚が途中卸しに当たったので一緒に添乗?させてもらったことがありました。
春日井貨物のハワム最終列車を先週のお昼休みに見届けました。2軸貨車独特の走行音も聞けないのかと思うと寂しい思いです。