武豊線の終点、武豊駅。
私が車掌をしていたころ武豊線にはいつも乗務していましたので、ここは懐かしい駅です。
今でもホームのはずれには、国鉄時代に私たち車掌や運転士が、折り返しの時に使用していた乗継詰所が健在です。
過去の記事「 【248】思い出の乗務列車:武豊線940D」で紹介したような荷扱をする列車など車掌が2人乗務の場合、そのうち1人は武豊で折り返さず、その次の列車までここで過ごすという行路があり、そんなときや、そのまま折り返し乗務の場合でも時間があれば利用しました。連絡用の鉄道電話とテレビがあるだけの簡素な詰所ですが、現在は使用されていないそうです。今時のダイヤは、武豊での折り返し時間はわずかで、まとまった手待ち時間もなく、ましてや昔のように乗務員がここで交代するような悠長な勤務形態ではないのでしょう。
乗継詰所は、こうした終着駅のほかに、折り返し列車がある拠点駅や貨物列車など長距離列車の乗務員交代が行われる駅に設置されていました。ホーム上や、ホームのはずれに建っているケースが多く、貨物列車の場合だと、ホームから外れた線路端にポツンと建っているところもありました。
余談ですが武豊駅ホームにあるこの乗継詰所の隣には小さい池があります。先日訪れたときは金魚が泳いでいました。
写真奥の建物は乗継詰所です。
この池も国鉄時代から変わっていませんでした。しかしながら国鉄時代にはもっと水はきれいで周囲の庭木類も手入れがされていました。噴水もあったように思います。
変な形の池ですが、池に長靴状の形をした知多半島が表現されているのがおわかりでしょうか。見にくいですが先端の少し左側にはコンクリートで野間灯台が造られています。
国鉄時代は、駅員の方々も列車が行ってしまうと時間的な余裕があって毎日ここの手入れをされておられたのでしょう。先日見た限りでは、武豊駅はJR関連会社の委託駅員氏の一人勤務だったように見えました。
国鉄時代、田舎の駅のホームや駅周辺には、たいてい植木や庭園があって、その駅員氏たちの手によってきれいに手入れされていたものです。
多くの駅でそうした憩いの場所が失われ、荒れてしまっているのを見ると心が痛みます。それは仕事そのものだけでなく、私たちの生活全体が無駄を省くばかりをよしとした余裕のないものに変質し、そうした社会が人の心を蝕んできているような気持ちになるのです。




この記事へのコメント
京阪快急3000
武豊駅、良い雰囲気ですね。
最後の方の文章を拝読して、「そういえば・・・」と思わず同感致しました。
「国鉄」といえば、自分が小学生(昭和50年代後半)の頃は、あまり良い印象を持ち合わせていなかったと記憶しております。
しかし、この武豊駅のように「丁寧に手入れがなされた」ところもあるのだと知り、「良いところもあったんだ」と感じた次第です。
うさ
こんばんは。
武豊線はたまに取引先近くであるため、東成岩までしか乗ったことがありません。
武豊駅の池に水が張ってあったら、さぞきれいなんだろうなと思ってしまいました。
佐世保線の早岐駅はまだ、池や庭園が健在でしたが、このようなものを見る機会はなくなりましたね。
駅の枯池というページがありました。
http://www.railwaystation.jp/kareike/
ご参考にされてみてください。
しなの7号
この池は乗客からは全く目立つことがないホームのはずれの乗継詰所横にあります。乗客の目を楽しませるような場所とも言い難いような場所です。勤務中の駅員氏の憩いの場所とも言えるようなところでした。
しなの7号
東成岩は某鉄鋼・製鉄メーカーさんへ行かれるお客様が昔から目立ちました^^
ご紹介いただきましたHPにも東成岩がありますね。それにしても、こうした枯池を巡っておられる方があるんですね。鉄道趣味の奥深さを感じるとともに、隠れた国鉄再発見の分野だと思いました。