【279】 武豊駅乗継詰所での思い出

先週は武豊駅のホーム上にある乗継詰所のお話をしました。
簡素な乗継詰所では、せいぜい1時間前後の滞在なのが普通だったのですが、ここで長時間滞在したことが1度だけありました。
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その前日は武豊泊りでした。夜、大雨の中を武豊に着き、翌日は大丈夫だろうかと心配しながら乗泊で休養したのですが、翌朝一番の名古屋行き921Dに乗務するため起きると、幸いにも雨は上がっていました。
この921Dは、過去のブログ記事「【104】乗務した車両:キハ35系気動車」でご紹介していますが、キハ35の6両編成でした。
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いつもどおり発車前に転線連結作業をして、一番列車は時刻どおり5時37分に名古屋へ向けて発車しました。何事もなく終点名古屋で折り返し、再び同じ編成の926Dで武豊駅へ戻ってきました。
武豊に戻った列車はすぐ8時41分に大府に向けて折り返しますが、ここで私の行路は1本前の列車で武豊へ来ていた車掌と交代して、私は1本落として次の10時02分発の933D列車に乗務することになっていました。
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折り返し列車が発車してしまうと、武豊駅構内に残る車両は皆無となってしまいます。その間私は、いつものように乗継詰所で過ごしました。
次の乗務列車933Dまで1時間半程度あるので、この間に朝食&トイレタイムというわけです。この時間帯は駅前の喫茶店へ行く人もありましたが、この詰所にいれば、次に乗務する列車の折り返し列車の音が聞こえてから詰所を出ればよいのですから、時間を気にしなくてよいので安心でした。私はこの日も武豊駅のKIOSKでパンを買ってきて、それを齧りながら乗継詰所で過ごしました。

ところがその日は、定刻になっても、自分が次に乗務する933Dになる折り返し列車が来ません。不審に思って駅の事務室へ行くと、途中の亀崎・乙川間で道床陥没があって、不通になっていると聞かされたのです。道床陥没とは、線路が敷かれている部分の土砂が流出するなどして陥没してしまうことです。前日の大雨で、線路が川のようになったのでしょうか。規模によっては線路と枕木ががハシゴ状になって脱線の危険性もあるのです。
下の写真は、その現場だったところを最近撮影したものです。30年以上前のことなので、その痕跡さえわかりませんので、微妙に場所が違うかもしれませんが、この付近に違いありません。ちょうど線路が周囲より少し低いところなので、水路や側溝の水があふれるなどして、この付近の線路上に雨水が流れ込んだものと思われます。
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復旧するまでの数時間、お昼過ぎまで私は詰所で待機しているほかありませんでした。
不通になったり、列車が遅れたりすると、次の乗務列車が気になるのが普通で、落ち着かない時間を、関係個所にその状況を聞いたりして過ごすものですが、武豊駅は終点駅で日中は車両も留置されることがありませんので、特発もあり得ず、私は車掌区へ電話で状況報告をしてからは、前日の大雨が嘘のようなよい天気の中、のんびりと、そのホーム上の池を眺めたり持参の本を読んだりして過ごしました。
結局自分が乗るべき933D列車は運休になり、車掌区からの指示で、開通後の一番列車に便乗して名古屋まで戻って来いということになったのでした。
これが武豊駅の乗継詰所をいちばん長時間使った日の思い出です。

その日の朝起きたときには、すでに雨は上がっていたので運転規制もなく、私が乗務した一番列車はその陥没箇所に気付かず(あるいは陥没前の地盤が緩んだ状態で)そのまま通過したことになります。さらに折り返し列車で、もう一度現場を通過していることになります。その間に数本の列車が、現場を通過しており、私が2回目に通った926D列車が不通になる直前の列車でした。
先日JR北海道の石勝線で、これを大規模にしたような道床流出がありました。武豊線のときも、このように規模が大きかったとしたら、私が乗った雨上がり後の一番列車は脱線の憂き目に遭っていたことになります。あとで考えるとぞっとします。昭和56年9月20日のできごとです。

この記事へのコメント

  • くろしお1号

    しなの7号様、こんばんは!
     277号と合わせ、まるで一緒に乗務させていただいている錯覚に襲われてしまいました。正確な記憶に基く文章には、25年以上も経過したとはとても感じられません!四半世紀ですよね!
     道床陥没も、大事に至らず本当によかったですね。きっと、列車が通過するごとに少しずつ掘れていったのですね。その後の列車が、異常な動揺を感じて発見されたのでしょうか。それとも、保線区の巡回ですか。
     武豊駅の池が知多半島を描いていたとは…恥ずかしながら、今まで全く知りませんでした。これは立派な文化財です!受け売りで申し訳ありませんが、是非語り継いでいかなければならない、と強く思いました。
     ご教示ありがとうございました!
    2012年05月30日 21:42
  • しなの7号

    くろしお1号様 おはようございます。
    いつもありがとうございます。

    道床陥没の現場は開通後しか見ていませんが、状況から察するに、枕木間を細い水路が通っていて、その水があふれて周囲のバラストを押し流したように思えました。
    そういう状況であったとするならば、朝一番列車通過ののときに、すでに雨は上がっていましたので、バラストがない状態で通過したものと推察します。規模が小さくて運転士も気がつかなかったのではないでしょうか。

    武豊駅の池は、灯台の存在で知多半島だと判りました。誰もいないホームで乗務の合間にこうして眺めていられた時代であったからこそ、気が付いたのかもしれません。慌ただしい現在の勤務体系では、そんな余裕はないですね。
    2012年05月31日 06:39
  • 野良太郎

    お久しぶりです猫

    本当に大変でしたね!
    僕も日食のバイト時代にやくも号が東松江~松江間でトレーラーと衝突して、鉄橋で先頭車両の左側が抉られた事故に時に車販として乗務してました、ふらふら車掌さ大変な目に会いました!がく〜(落胆した顔)冬場の大雪による出雲1号の米子での打ちきりなど例を挙げたら結果ありますね猫exclamationexclamation
    2012年06月03日 18:39
  • しなの7号

    野良太郎様
    自分が乗っていたときは何ともなく、結果的に不通になった間は乗継詰所でのんびりしていられるとは幸運極まりないことと思っています。
    2012年06月04日 21:42

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