1985年(昭和60年)3月のことです。前日に建国の日の代休が入って、交番上1日の空白ができてしまうので、この日は臨時列車の日勤行路が指定されました。内容を見るとたいへん楽な行路でした。
名古屋から国鉄名古屋工場が隣接している貨物専用の笹島駅まで徒歩で行き、名古屋工場から出場した車両の試運転列車に名古屋まで乗務(駅間距離1.8㎞・所要時間4分)して別の乗務員に引継ぎ、そのあと名古屋工場へ入場する別の回送列車を他区乗務員から名古屋駅で引き受け、また笹島駅まで乗務し、徒歩で名古屋まで帰ってくるだけの、1日の乗務距離3.6㎞、実質運転時間わずか8分の仕事でした。
1985年(昭和60年)3月5日
試8280M
運転区間 笹島~名古屋
乗務区間 笹島~名古屋
笹島11:00発 名古屋11:04着
クモニ83024 名カキ
クハ111-73 名カキ
クハ165- 6 名カキ
クモヤ90005 名カキ
(変垣臨A512)
名古屋から試8281Mに継送
先頭は余命わずかになった大垣区のクモニ83でした。そして試運転列車ならではのクハ111とクハ165の混結です。このように両運転台のクモニ83は荷物輸送のほか牽引車としての役目もこなしていました。最後尾のクモヤ90005もクモニ83同様モハ72の改造車で、こちらの用途は牽引ほかの事業用車です。クモニと異なり改造前のモハ72の特徴をより多く残していました。
写真はこの時のものではありません。JR西日本の宮原運転所(現宮原総合運転所)の一般公開時に展示されていた同形車ですが、この写真はクモヤ90でなくクモヤ91だったかもしれません。
ところでこのとき乗務したクモヤ90005は引退後、浜松工場に保管されていたのですが、昨年名古屋市内に開館したリニア鉄道館に製造当初のモハ63638に復元された状態で展示保存されています。
この日、試運転列車の後に続いて乗務したのは、大垣電車区から名古屋工場へ入場する回送列車でした。
1985年(昭和60年)3月5日
回8287M
運転区間 名古屋~笹島
乗務区間 名古屋~笹島
名古屋13:30発 笹島13:34着
クモヤ145-121 名カキ
クモハ165-140 名カキ
モ ハ164-863 名カキ
ク ハ165- 10 名カキ
サ ロ165-107 名カキ
ク ハ111-363 名カキ
(垣511)
名古屋で東海道本線 回8514Mを継承
先頭は最新鋭の大垣区クモヤ145の100番台車でした。この車両は101系電車からその前年に改造されたばかりでした。100番台は救援車としての機能も兼ね備えた車両で、車内にはクレーンを装備していました。そしてこの列車もクハ111と165系の混結です。サロ165が混じっているのもおもしろいですが、私の乗務位置は最後部のありきたりのクハ111というのが寂しいところです。
たまには変わった車両の変わった列車というのもいいものですが、このあとも交番表どおりの定期列車の仕事が続きました。




この記事へのコメント
野良太郎
工場、出場臨時列の場合は、車両が出雲区、浜田区の場合は出雲で、鳥取、豊岡、福知山区の場合は、倉吉又は鳥取でそれぞれ他区の乗務員に引き続き、米子に特改、便乗で戻ってくる事がほとんどでありました!
しなの7号
このたった4分の乗務も、名古屋以西の臨時列車の受持ち車掌区が異なっていたために作成された行路ということなのでしょう。